(3を飛ばして)4
全てツイッター上の既出。
日時ある文章はツイートまたはリツイートしたTIME。
告白/
告白それはレールの軌道で
晴れた光に輝く若さ
つまり
それぞれの一本になろうという強制
そして
遠くの一点で交わろうとする約束
その先の景色は未知であるが
朝の海のように
暗さを見せはしないのだ
諦めの白さを
まだ知らぬままに若さが燃えている
空へ届くと信じている
#詩
4:50 - 2017年10月1日
(これはある方の作品からメタを受け取り、書いたものです。唐突な少年→少女の告白のシーンより。)
深淵とは自他同一の前提と実感覚との相違感。それは確かに同じであり、そして異なる。ゲノムは差異を生むためにあり、わたしたちはそこに目覚める形なき曖昧。それは死を通り元へ還るが、生きていても差異を意味と観ず現象と観れば、対岸と見つめ合うことで時を共有できる。それの創造さえ出来るのだ。14:41 - 2017年10月6日
( ジョルジュ・バタイユ bot
[私たちを分け隔てている]深淵は深く、私にはこれを除き去る方法がない。しかし私たちは誰でも、この深淵に眩暈を感じることができるのだ。それは私たちを魅惑することもある。この深淵は、ある意味死であり、死は眩暈を起こさせ、魅惑するのである。
14:00 - 2017年10月6日 より。これは反論である。)
自然の造形の美しさを感じるのは、わたしたちもそうであったから。そして今もそうありたいから。これは懐かしさであり憧れであり、そして既視感であるから。16:04 - 2017年10月6日
(美しく愛らしい鴨の仲間?の画像より。)
見るという行為に遠隔性を持たしめた途端に、それは不特定からの目線のように散逸する責任の元に、無自覚に連続するもとのとなった。われわれに現在備わりつつある視点はまさに無自覚の監視的視点であることをこの作品は示しているように思える。9:51 - 2017年10月7日
(GIF動画。上半身全体を監視カメラで覆われた人物らしき像の、一部の監視カメラが動く。)
やはり彼らは偉人である。男はアンニュイそうで、その実幸福に包まれている。女は退廃的な解放感を湛える笑みをその本来性として見せつけて自由である。狂気の渦巻きさえ彼らには現代の夜よりも親しい。赤い車と喫煙が50'sな感覚を与え、なにやら斬新な二人の関係を見せつけている。羨望を感じる。 10:04 - 2017年10月7日
(画像より。赤いコンバーチブルの運転席にはゴッホらしき人物。隣には胸をはだけ白い下着をあらわにし、黒のミニのワンピースから腿を覗かせているモナリザらしき人物。どちらもこちらを見て、咥えたばこである。背景は「糸杉」の渦巻きの夜空。)