時間の創造について
具現化された存在として空間に現れた不可視であった感情は、その時より表現物となりと時間を持ち始める。物体化した感情を現実として他へと伝播すること、即ち異材と異材を出会わしめる行為により、表現者は感情を通じ他者の時間へ干渉する。これは時間の創造という高次の表現の発見である。
下の写真は、檜の板にラピスラズリ、ルチル雲母、ガーネット(母岩付き)、タイガーアイ(いずれも原石)を意図を持って配置したものであり、この異材配置にはわたしの感情がある。
これをオブジェ化して展示し、他の目に触れさせたとする。そこで何がしかの感情が生まれたならば、そこで新しい時間がわたしとその者との間に共有される。わたしの持っているこの表現物に対する感情と、それを現実に目にした(あるいは触った)者に生まれた感情は異なるだろう。このオブジェは同じものだが、それに対する感情が異なっているということである。
わたしは、木材と鉱物を出会わせることで、一つのオブジェを作った。このオブジェとして一つになった物質たちは、わたしによって時間が始まった。わたしはこれらの物質の時間に干渉したのだ。
そして、それに触れた者との間にそれを通じて感情を伝播させようと試みる。それが成功したとき、わたしは感情の伝播ということを通して、あたかも顔を見合わせて腕時計の針を同時刻に合わせるごとき行為を成し遂げる。
存在に死はない。ただ目覚めるように現れ、眠るように消えていく。