逃れられない絶望①
上位の魔物達との戦闘が本格化してから数日、すでにユーテリア王国の軍勢は敗戦濃厚な戦況に陥りつつあった。
一時はバダックの活躍もあり士気も上がった。しかし、左軍は聖十字国の魔術師達を打ち破ることが出来ず、ガルド軍務卿が率いる本隊の中央軍もまた上位の魔物達に日々削られていく。
今まで中央軍が崩れなかったのはひとえに王国騎士団長ファンクのおかげである。彼は上位精霊のウンディーネを操り敵の攻撃を一身に受け止め獅子奮迅の活躍を見せていた。彼が居なければまず間違い無く中央軍は初日で壊滅していただろう。
だが現在何とか崩れずに耐えているのは右軍に展開する第4・5騎士団とバダックの部隊だけとなっている。
「ガルド様、昨日の戦闘で左軍は既に・・・」
「分かっている。近づくこともままならないというのに、それでも今日まで戦線を保たせてくれたのだ。それだけでも大したものなのだが・・・」
向かって左に軍勢を敷くのは第2・3騎士団達。王国でも手練れと名高い者たちである。遠距離から撃ち込まれる魔法にさらされながら、彼らは壁役となる魔物相手に一進一退の攻防を繰り広げていた。
しかし、日を追うごとに兵達の損傷は大きくなり、ついには昨日の戦闘が終わった時点で敵の前衛部隊さえ食い止める事が出来なくなる程に瓦解していたのであった。
しかし本来なら既にこの戦場は決着が付いている。
何故なら聖十字国は魔物達を夜間に戦わせていない。
完全に支配下に置いている事をアピールする為、魔物達が普通なら取るはずの無い行動を取らせている。辺りが暗くなれば兵達は引いていく。しかし本来野性に生きる魔物達が敵を目の前にしながら暗くなったからなどという理由で引き返すことは無い。
だが、聖十字国の聖魔兵達は人間同様の合図できちんと引き返していく。兵士と同様に夜は魔物達を休ませているのだ。
別に聖十字国が聖魔兵を大切にしている訳では無い。彼らは見せつけているのだ。こうまで完全に魔物を使役しているぞと。
その為、見ようによってはユーテリア王国軍は助かっていると言える。しかしガルドは既にその意図に気付いていた。
「(くそっ、ことごとく後手を踏んでいる。ここまで統率された動きを見せられては魔物達を撹乱しての同士討ちは不可能だ。更に今、ドラゴンなどの敵戦力が出てこれば恐らく我が軍は心が折れよう・・・)」
それは死刑宣告。ドラゴンなど元より敵うはずがない難敵なのだ。ユーテリア王国軍は魔物への対策として魔物同士の同士討ちや敵兵と魔物兵との衝突を戦術に組み込んでいた。
いくら何でもこれ程の魔物達を使役するのに何の制約も無いとは考えられないと。
多数の魔物を操るならば、その中には聖十字国に完全に支配されていない異分子が必ず存在すると踏んでいたのだ。
しかし蓋を開けてみれば敵の魔物兵達は人間と変わらない統率された動きを見せた。
もし今ドラゴンが現れてこの場にいる魔物達と同じように聖十字国が操ってみせたなら兵士の心は間違いなく折れる、ガルドはそれを肌で感じていた。
そしてまず間違い無くそれこそが敵の狙いであろう事も。
自軍に広がる敗戦への落胆。上がりようも無い士気。
既にこの戦場は詰んでいるのである。
「(だが!それでも逃げる訳にはいかん!)」
ガルドは自身にそう言い聞かせる。明日のために少しでも体を休めねば、そう思い身体を横にさせる。しかし彼はなかなか眠れなかった。疲弊した身体で寝てしまえば朝まで目が覚めないだろう。
そして朝が来れば直ぐにも戦いが始まる。逃れようも無い死の匂いが漂う戦場に立たなければならない、そう思うと寝付けない。
「(情け無い話だ。ここまで追い込まれて初めて戦場で死ぬ覚悟が出来ていなかった事を思い知るとはな・・・)」
そんな事を思いながら目を閉じるのであった。
〜次の日〜
そして遂に間違いなく決着を迎えるであろう日がやって来た。
朝日とともに敵兵が意気揚々と進軍して来る。迎え撃つユーテリア王国軍は皆鎮痛な面持ちであった。
「ふぅ〜、バダック様今日も頼りにしてますぞ。」
長いため息を吐いた後で右軍を指揮するロステムがバダックへと声をかけた。
「ふふ、申し訳ないがどうやら私の力だけでは厳しいようだ、残念ながらな・・・」
いくらライトニングソードを持ち魔力の自動回復効果を得たバダックであろうと自分の体に溜まっていく疲労だけはどうしようもない。既に以前クラウドから譲られた回復アイテムは残っていない。瀕死の友軍を見かけるたびに渡していた結果既に備蓄は尽きている。連日の戦闘で体力はすり減っている。
「むぅ、流石に姫の守り手でもキツイか。」
「その呼び名は勘弁してくれ。しかし実際のところこの戦闘は今日でケリがつくだろうな。」
「やれやれ、歴戦の勇者様まで同じ見立てとは。こりゃ本格的にやばそうだな。もしもお互い生きて帰れたら浴びる程酒を飲みませんか?」
「ふふふ。それは良いな。」
お互いが絶望的な戦場に立ちながら軽口を叩いた時であった。
「ロステム様、敵兵が距離を詰め始めました!」
「よし!全員戦闘開始!この一戦に王国の存亡がかかっている!いくぞーー!!」
指揮官の号令の下、始まったのは正に惨状であった。
既に左右に展開した軍勢は敵に囲まれどんどん中央に押し込まれていく。更には予想通り最後方にドラゴンと思える影が数体見えている。最も乱戦となった戦場は砂煙が視界を覆い隠している為、どんなドラゴンかまでは分からないが。
戦いが始まって僅か2時間後、左右から押し込まれた結果残存するユーテリア王国軍は一箇所に集められその左右と前を聖魔兵と聖十字国の魔術師達に包囲されるのであった。
「く、くそっ・・・」
「これまでか・・・」
その場に居る者達は誰もがそれを理解していた。
もうどうしようもないと。その時である。前方に広がる魔術師団から一人の男が歩み出てきた。
「やれやれようやくと言ったところですねえ。」
少し間延びしたような声が聞こえてくる。ガルム軍務卿が話しかける。
「貴公は?」
「私は此度の戦いで法王ユリウス様より指揮権を任されておりますバンドロ・フェイルノーツと申します。以後お見知りおきを。」
「私はガルム・ジルベルトだ。」
「ほほう貴方がそちらの指揮官のガルム軍務卿でしたか。探す手間が省けました。何こちらの要件は簡単な話しですよ。今回の戦はもう結果が見えました。降伏しなさい、と言いたいところだが貴方達は本当に運が無い・・・」
「・・・どういうことだ?」
「降伏さえ許されないということですよ。」
無慈悲にも告げられた宣言にユーテリア王国軍からはどよめきが広がった。言われた所で降伏などする気は無かったがと言うのがガルムの心情である。しかし、敵がそれを態々告げてくる意味が分からない。そして、何故降伏が許されないのかも。
戦争で降伏が許されないという事には大きなデメリットがある。
人は死を覚悟した時にあり得ないほどの力を出す。まさに死力を尽くすというやつである。優勢に戦いを進めておいて、態々そんな危険な状態に敵を追い詰める必要が何処にある?敵に降伏させ、条件で無力化することも出来るというのに。
敗北を受け入れさせて武装解除させることも出来るし指揮官のみ処刑することだって出来る。
そうやって力を発揮出来ない状態にしてしまえばもう恐れるものは無い。どうとでも出来るのだから。
「本当に可哀想ですが・・・、しかし我らとしても苦渋の決断と申しますか。ただ、唯一神ゼニス様が貴方達の魂を救済して下さるのです。何も恐れる必要など無いのです・・・」
理解出来ないという表情を察したのであろう。バンドロと名乗った男がニヤニヤと笑いながら説明を始める。しかし、そこでされていく話しは聞く方からすれば聞くに堪えないものであった。
あまりの内容にユーテリアの兵士達は愕然とする。遠回りに遠回りに言葉を選んで話しているが、ソレは端的に言えばこういうことである。
『我らが聖魔兵と呼ぶ魔物達はその維持費も馬鹿にならない。此処まで引き連れてきた魔物達は食事もまともに出来ていない状態だ。
だから食べられて欲しい。
貴方達には彼らの餌になってもらう。でも心配無い、食われて死んでもその魂はゼニス様が救済してくれますから。』と。
兵士や騎士の中にはがくがくと震え出す者たちが続出している。それはそうだろう。これから魔物の餌にすると言われ動揺しない奴が居るだろうか。
「き、貴様ら・・・。なんとおぞましい!それでも人間か!」
説明を聞き終えたガルムの顔が苦渋に歪む。これから自分達がどうなるかを知ったのだ。冷静でいられる筈が無い。
「くくくっ、仕方が無いのですよぉ。貴方達が悪いのですから。戦いの中で負傷者を逐一助けては下がらせていたでしょう?そのお陰で傷ついた兵士は多かったでしょうが死者の数は驚くほど少なかった筈です。予定していた通りの戦死者を出してくれていれば此処までせずに済んだんですがねえ。まあここまで戦場が煮詰まってしまえば一緒です。折角なので一人残らず餌になってもらいますがねぇ、ぎゃーはっはっはっ!!」
ユーテリア王国軍は確かに後方に傷病兵を抱えている。目の前の男はそれすら餌だと言ってのけた。
「ば、馬鹿なことを・・・」
「申し訳ないですがそろそろ時間です。それでは皆さんさようなら。大丈夫ですよ、ゼニス様により浄化されるのですから。なんて喜ばしいことでしょう。」
バンドロと名乗る男がそう告げた時、ユーテリア軍を囲む魔物達から強烈な殺意が放たれた。
それも当然である。これで彼らはようやく飢えを満たすことが出来るのだから。
騎士達は敵の殺意になら誇りある騎士として耐えられただろう。心構えなら出来ているのだから。
しかし飢えを満たす為の食欲に晒された彼らは心の底から恐怖に震えていた。食べ物として扱われる覚悟など誰が持っていようか。
しかしそんな兵士や騎士達の事などまるでお構い無しに戦場に無慈悲な言葉が放たれる。
「餌の時間だ!かかれーー!」




