人類再生計画
吹っ飛ばされた木下は半壊状態の工場建屋に激突し、いったん上空に向かって僅かに軌道を変える。だがそのまま重力に引っ張られて落下、「水切りの石」のように地上を跳ね進んだ。
そして4度目の接地でようやく大幅に減速し止まった。仰向けに倒れ込む木下は、数秒、灰色の空を見つめ呆然とする。
「まったく未来の総督様に向かってやってくれるぜ……」
すぐさま跳ねるように起き上がり、口の中の血を吐き捨てた。まだ鉄のような味が口の中に広がっている。
「ペッ。あんな規格外の変異体は見たことがねぇ。なんだって今頃現れやがったんだ……」
このままでは勝ち目がない……と理解する。だがあくまで『このままでは』である。
──クソがっ。こいつは『力の変換』を試みる他にねぇらしいな。
追い詰められた木下は、禁断の力に手をつけようとしていた。それはクイーンやキングですら到達することのなかった……繊細にして危険な技だった。
──1分もあればガキを倒せるだろう。だが……コントロールをしくじれば50秒で失明しちまうかもしれん。極限まで注意を払わねば、俺の方がもたねぇ。
「そこかぁ!」
事業所の端にいた木下の姿を見つけるや否や、俺は瓦礫を蹴散らしながら奴に迫る。このまま奴に態勢を立て直す時間を与えるつもりなど毛頭ない。一瞬で間合いを詰め、殴りかかった。
「トドメだ死ねぇ!」
防御だけに意識を研ぎ澄ませていた木下。攻撃を見切り、俺の放った右のパンチを片手だけで受け止める。
「む!?」
木下は肩で息をしている。
「ぜぇ……ぜぇ……。まあ待てや石見君よ。ここまで俺を追い込んだんだことは褒めてやる。敬意を表して特別な情報をくれてやろう。テメェを冥土に送る前にな」
間髪入れずに左拳で殴るも、奴はこれを肘でブロックする。それでも諦めずに頭突きを入れようとするが──
「ゾンビどもは半年もすれば活動を停止する。もっともスーパーゾンビだけは別だがな」
「なっ!?」
予想もしていなかった敵の言葉に、思わず頭突きを止めてしまう。右拳を掴む奴の手を振りほどくと、とっさに10メートルほど距離をとった。
──こ……こいつ。急に何言ってんだ。
木下の呼吸は徐々に整っていく。
「閣下の計算によれば、30億を超える世界のゾンビの大半が、半年後にはただの屍に戻っちまうのさ。もちろんゾンビ化した時期にもよるがね。そしてウイルスに関しても心配はいらない。ゾンビの体外に出てしまったものは10日で感染力をほぼ失うからな。つまり人類に与えられた業苦の日々はもうすぐ終わりを告げることになる。悪くない未来だろ?」
──し……信じられんな。もうすぐじゃねーか。
ゾンビの活動が停止してしまう日が来ることを、誰もが願っていた。しかし数十年後になるのか、はたまた永久にそんな日は訪れないのか。それは謎だった。
だが木下は……半年もすればその時がくると言っている。
「お前、負けそうだからって適当なことを言って時間を稼いでるんじゃねーだろうな」
その手に乗るか!と何度も奴に向かって拳を振るったが、木下は逃げと防御に徹しているのでダメージを与えきれない。
疑念と焦りと希望がせめぎあい、俺の心はかき乱されていく。
──だいたい閣下ってのは『ジョーカー』のことだろ。なんでそいつの言うことが正しいんだよ。
冷静に考えればコイツラは所詮、スーパーゾンビに従う狂った野郎どもだ。まやかしの希望を振りまくカルト教団のような奴らかもしれない。
しかし奴の話の真偽以前に、防御一辺倒の木下を崩すのは難しかった。俺は手を止め、話に乗って隙を伺うという戦法に変更した。
「根拠はなんだ。『ジョーカー』がそう言っただけか」
木下は俺から距離を取る。だが面倒なことに逃げる様子はない……。奴はスーツの袖についた汚れをゆっくりと払い落としながら語りはじめる。
「お前が疑おうがなんだろうが『復活の日』は迫っているんだよ、お坊っちゃん。4月には人口減少の底を打つことだろう。その時までに10万程度だけ人間が残っていれさえいればよい。それだけいれば、人類は再び地上の覇者に返り咲ける……と閣下はみている」
あと半年だけ辛抱すれば地上は再び人類のものとなるという。明るい未来予想図だが木下の言うことを鵜呑みにするわけにはいかない。少なくとも日本社会を壊滅に追い込んだパンデミックはただ1体のゾンビから始まっているはずだ。
生存者の中に1人でも感染者がいれば、同じ大惨事が起きて……再び悲惨な人口減少がはじまるかもしれない。だいたい肝心のスーパーゾンビが屍に戻らないのでは、そんなバラ色の未来にはならないはずだ……。
離れた場所から見守っていた佐藤さんは俺達の様子を不思議に思っている。
──なんだ?2人は何を話している。おかしいぞ。
何故だか木下の顔色が青ざめていた。しかし奴は笑みを浮かべて、話を続ける。
「復活の日までに生き残った人間のみが新世界で生きる資格を得るわけだが……。そうだ、お前は知っているかな?大洋では未だに核を持った原潜と航空母艦が彷徨いているのを。しかし閣下はこういった旧世界のゴミは全て消滅させるおつもりでね。奴らは4月までは生きられないだろうよ」
壮大な話だ。俺は疑うも信じるもなく、ただただ呆気に取られてしまっている。
「5万の人口を擁する第10コロニーは新世界の核となる存在だ。だが人類社会の再生を軌道に乗せるためには、スーパーゾンビと変異体の野放図な動きを抑えなければならない。それが執政官閣下と我々の使命なのだ」
もし俺がジョーカーの正体が、パンデミックを引き起こした天原和哉と知っていたなら盛大に突っ込んでやっただろうが……この時は奴の話に反論する術を持たなかった。だが基本的なことなら大いに突っ込める。
「何を言ってんだ。だいたいお前、このコロニーを攻撃しようとしてるだろ。人口減らす気マンマンじゃねーか」
だが木下はそれには答えない。
「俺は4月になれば2代目の執政官に選出されるだろう。後に東京を出て属州の総督となる」
「いや聞いてねーんだが」
「天原様は慈悲深いお方でな。御自身が第10コロニーの中枢にいることで、日本に次なるパンデミックを引き起こす可能性を増してしまうのではないかと懸念しておられる。だから後々、執政官の職務を人間に託され、ご自身は人口密度の低い大陸に渡られ……」
「それはご苦労様です……って言うわけねーだろ!」
木下の腹に向けて蹴りを放ったのだが、奴はこれを鮮やかに跳んでかわした。気のせいか、今までより動きが鋭くなっている。
一方で奴は額から汗をタラタラと流し、苦しそうな表情を浮かべている。
「ぜぇ……ぜぇ……。とりあえずテメーだけは殺しておくよ。後々で殺してもいいんだが、それじゃあ俺様の気が済まない」
見る間に木下の瞳の輝きが黄色から紫色へと変化していく。この瞳の色はクイーンのそれと同じだった!
「お前……なんで瞳の色が……」
奴は腕で額の汗を拭う。
「はぁ……はぁ……。待たせたなぁ石見。バイオレットに変化させるまでは調子が随分と悪くてよ……。ようやく吐き気がおさまってきたぜ」
状況の変化を察した佐藤さん。大ジャンプで、俺の20メートル後方に着地する。
「どーしたんだよ!木下と悠長に話てる場合じゃないぞ」
「それがアイツちょっと意外なこと言いやがって……」
──あのデカい野郎も来てやがったか。全くタフな野郎だぜ……。
佐藤さんが来ていたことに気づいた木下は、ついに3人目の男の名前を出す。
「そろそろ藤田を呼ぶとするか」
「藤田?」
俺と佐藤さんは顔を見合わせる。
「アイツ、あのモヒカンのこと言ってんのか?」
「いや、モヒカン野郎とは名前は違うみてーだ。まだ仲間がいたのか……」
俺達は知らなかった。3人目の近衛兵の存在を。
「近衛兵長としてみっともない真似はしたくはないが、戦闘中の閣下にご迷惑をかけてしまうことになるよりはマシだろう」
近衛兵長は背広のポケットから小さなホイッスルを取り出し、吹いた。耳をつんざくような高音が広範囲に響き渡る。俺は思わず耳に指を突っ込む。
「うるせっ!なにしてんだコイツ」
続いて奴は胸元から短銃を取り出すと上空に向けて2度発砲し、銃を投げ捨てた。
「藤田ぁ!遊んでんじゃねえ来い!」
次の瞬間、そいつはやってきた。1キロは離れているだろう第5コロニーの端から一瞬で。その男が木下の隣に着地した瞬間、まるで砲弾が炸裂したような衝撃が大地に走る。
奴らと同じく背広姿をした、アフロヘアの大男がそこにいたのだ……。




