超一級の変異体
東京第5コロニー
『神の鞭』によって金属工場の屋根から弾き飛ばされた佐藤さんは、塀傍の大きなヒマラヤスギに頭から激突する。その衝撃で巨大な幹は折れて、彼の上に倒れてしまった。この場所は金属工場からは100メートルは離れているだろう。
樹木に思い切り頭を打ちつけてしまったので、しばらく動けなかった佐藤さんだったがすぐに体にのしかかる大きな倒木をどける。
「いってぇ……」
打ちつけた頭を手で押さえ、唇をグッと噛みしめた。かわせなかったことを悔しく思った。
──あのサル助……最初の一発目は遊んでやがったのか──
怒りに任せて立ち上がったものの、頭がクラっときて片膝をつく。
「はぁ……はぁ……。ちくしょう……。ちょっと効いてるぜ」
○○○
俺のいる場所から、彼の無事が確認できたのでホッとした。
怖ろしい勢いでふっ飛ばされていたので、体がバラバラになっててもおかしくないと心配していたんだが。まったくタフだなあの人は……。
──しかしあの妙な技はなんだ。スーパーゾンビといいコイツといい──
俺は振り返って、スーツ姿の近衛兵長に尋ねる。
「なんだよ今のはオッサン。念力か?東京じゃ流行ってんのか」
俺の軽口で、奴は体を震せて怒っている。コイツは自分から殴りかかってきたことをスッカリ忘れてるらしい。
「死にかけってのは演技か。ふざけた小細工しやがってクソガキが……」
「演技じゃねえよ……見りゃわかんだろ」
腹の立つ男だが、確かにモヒカン野郎とはレベルが違う。殺す気で蹴ってやったのにピンピンしてやがるたぁ……。
──そんなに強ぇーならコイツがキング倒してくれれば、俺もこんな怪我せずに済んだのだが。なんなんだよコイツは──
しかし内心で警戒するのは敵も同じだ。
──小杉の苦し紛れのハッタリだと思っていたが……マジだぜ!あの三大ゾンビ王の海王ディエスを、このガキが倒しやがったんだ!こんな狂ったスペックの野郎と戦えるのは、閣下を除けば、姫路芽衣しかいない。どうりで芽衣がマジになってたはずだ──
鼻から垂れる血を手の甲で拭うと、後ろに跳んで屋根の縁に着地する。俺から20メートルは距離をとった。
「ちっ……。こんなところで超一級の変異体に出くわすとはな。だが変異体如きに手間取ったとあらば、閣下に叱られちまうぜ。さっさと殺さなきゃな」
「ああ!誰が変態だ」
木下の額に血管が浮かぶ。
「フヒヒ……全く舐めてくれやがって……。さっきから誰に口聞いてるつもりなんだ小僧。俺はあの天原様の近衛兵長だぞ。全世界で2番目に偉ぇーんだよ」
「そんな御託はいいから、早くどっかに消えろよ。お前の相手してる時間が勿体ないんだよ」
突然、木下は真上に跳躍した。一瞬で砂粒ほどの大きさになる。首が痛くなるほど見上げるていると、奴は700メートルの高さで体の前面を地上に向けた。そして右腕と左腕を交差させると、外側に向かって一気に両腕を広げる。
「くたばれぇぇゴミがぁぁ!」
空を覆い尽くす黒雲をバックに何かがキラリと光ったのが分かった。それは夜空に輝く金星のように美しい。
──あっ……。なんかヤバイ──
そう思った次の瞬間。自分の立っている金属工場建屋が──まるで超巨大なハンマーで叩き潰されたように──潰れた。鉄骨もトタンも、全てが分解爆発してバラバラに吹っ飛んでいく。
ヒマラヤマスギの傍から戦いを見守る佐藤さんの顔が青ざめた。
「石見君!」
しかし俺は見えないハンマーが届く前に、講堂の屋根の上に移動していた。
「はぁっ!はぁっ!な……なんだ!?」
振り向けば金属工場の建屋は既にない。驚いたことに、跡には直径30メートルほどの大きなクレーターが残っているだけだ。
「ちっ。かわしやがったか!」
奴はスカイダイビングをするように落下しているので、風の抵抗で奴のスーツのボタンは弾け飛び、フロントラインはめくれあがっている。
続いて木下は右手を縦にふった。
「まとめて死ねぇオラァ!」
すると、今度は瓦礫の山と化していた庁舎が爆発して飛び散っていく。だが破壊はそれだけに留まらない。神の鞭は、大量の土砂を飛び散らせて、地面までもを削り取ってしまうのだ。
轟音の終わりとともに、引き裂かれた大地の姿が露わになった。深さ20メートルはあるだろう巨大なクレバスが、1キロ近くにわたってコロニーから南方に向かってのびている。まるで渓谷だ。
「何やってんだ!あ……あいつ……化物か!」
コロニーの外にはまだ数万というゾンビ達が残っていたのであるが、突然に誕生した渓谷の中へ次々に落下していく。300体はクレバスの底へと消えていっただろう。
「くそ!誠心寮とガキを狙ったのに外しちまった」
しかし『神の鞭』は使い勝手が悪いと判断した木下は作戦を変える。高度300メートルまで降下していた木下は、頭を下に向け急降下。驚いたことに重力加速度を無視した猛スピードで落下してくる。──どういう理屈なのかは全く分からない──ただミサイルが地上に向かって落ちてくるような凄まじい加速で、真っ直ぐ俺に向かってきていた。
「死ねぇぇぇ!」
だが迎え撃つ気など毛頭ない。すぐさま俺も真上に跳躍する。
「だりゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
逃げると予想していた木下は驚嘆した。
──嘘だろ!む……向かってきやがった!──
「時間ねぇつってんだろ!」
上空150メートル地点で、お互いの右の拳が、お互いの顔に炸裂する。
「ぐうっ!」
確かに位置関係は俺の方が不利だった。木下の拳が俺の頬にめり込んで、俺の口から血が飛んでしまう。しかし鼻から血を噴き、より派手に上空に吹っ飛んだのは木下の方だった。
「ぐぎゃああっ」
──このガキ、なんて野郎だ!──
しかし奴は決定的なダメージは受けていない。体を回転させて態勢を立て直し、土砂の山の上に着地してしまう。既に着地していた俺は、すぐさま木下をめがけて飛び蹴りをかましたが、かわされる。
○○○
引き裂かれた大地から噴き上がった土砂の一部は誠心寮屋にパラパラと降り注ぐ。見守っていた守備隊員達も頭から土をかぶり言葉を失っている。
「あわわ……。どうなってんだ!」
「大地が裂けたんだ。あんなの人間のできるこっちゃないぜ……」
「今のが誠心寮に来てたら俺達は全滅だぞ!」
その後の木下との殴り合いは、とても彼らの目に追える動きではない。
「お……おい。石見さんと木下のどっちが勝ってるんだ!?」
「いやもう……全然分からない。オペラグラスじゃもう全く動きを追えないぜ」
そこに塔屋の扉が開き、階段昇降機のついた車椅子に乗った白髪の老婆が現れる。それは大神子であった。守備隊員の1人がここまで彼女を運んできたのだ。
「大神子様!ここは危ないです」
ヨロヨロと車椅子に駆け寄った小杉さんに向かって、大神子はシワシワの顔をしかめて笑う。
「心配はいらん。もはやどこにも安全地帯などありゃせんよ。しかし酷い怪我じゃなお前さん」
彼女は目を閉じる。次第に額に汗をかき、苦しそうな表情に変わっていく。
「木下達にやられたのか……お前も無理をするのう……」
小杉さんは自分の怪我が僅かに癒えていると感じた。不思議に思っていた小杉さんだったが、すぐに大神子が超常の力を使っていることに気づく。
「やめてください。ご無理をなさってはいけません!大神子様」
「はぁ……はぁ……。気にするな。ちょっと無理しただけじゃ……」
大神子は呼吸が整うと、西の方角に顔を向ける。
「西堂の大工場で2人は戦っておるのか」
「そのようです。早く木下を倒すことができれば良いのですが……」
彼は天原がこのコロニーを消滅させるつもりであることを、大神子には伝えることができなかった。あまりに残酷すぎたのだ。
「石見殿も相当な怪我を負っておるじゃろうに……。今の木下と五分以上の戦いをするとは凄まじい。三週間でさらに力を増していたのか。同時期に出現した、あの謎のゾンビのように……」
──だがそれでも天原には到底敵わぬ──
車椅子の大神子は俺達の戦いを見守りながらも、同時に競馬場付近で発生していたジョーカーとクイーンの戦いに意識を集中させた。
──芽衣にまだ逃げる気配がない。奴と言えど勝ち目はなかろうに。しかし今だけは芽衣の戦いぶりに期待する以外にない──




