新たなる仲間
途中、浜離宮恩賜庭園という場所に寄った。これはゾンビの血肉で汚れた体を池の水で洗って、感染を防ぐための処置が必要なため……だそうだ。しかし処置と言っても俺が池に投げ落とされただけなんだけど。溺れそうになりながら池から上がると、彼女は小さな小屋を指差し、その中で体を拭いてくるよう指示した。(その小屋は事前に彼女が用意したらしい。今やゾンビ以外は誰もいないので好き放題できるようだ)
中に入ってみると乾電池式のランタンが備え付けられている。しかし豆電球式の古いタイプで小屋の中はずいぶん薄暗い。わけもわからず用意されたバスタオルで体を拭いていると、突然に下着姿の彼女が入ってきた。少女は制服をバサッとかごの中に投げ入れると、箱から新しい制服を出して着る。綺麗な黒髪が濡れているところを見ると、彼女も池の中に入ったようだ。(幸か不幸か下着は濡れておらず、池に入る前に脱いだものと思われる)
「なに?ジーッと見て。なんか言いたいの?」
「な……なななな……なにって君……」
制服のシャツを着ながら尋ねてきた少女の顔から、俺は思わず視線を逸した。ただ彼女の刺激的な下着姿は一生忘れられないだろう。
「い……いや。ここってさ。君がお風呂の代わりに使ってるわけ?」
少女は顔を横に振る。
「まさか。頭から足までゾンビの肉片塗れでホテルに戻っちゃったら、皆に迷惑かけちゃうでしょ?だからここは洗い落とすための一時的な場所なの」
「み……皆だって?じゃあ他にも生存者達がいるのか!」
彼女は別のバスタオルで髪の毛をゴシゴシ拭くと、俺に早く小屋からでるよう促した。
「シーッ。ここも別に安全ってわけじゃない。早くしないとまたゾンビに囲まれちゃうわ」
「マ……マジで!?」
俺は大急ぎで外に出る。ジーパンもシャツも全く乾いてないんだけれど。
しかし、これからどこに進むにせよ再び腐った野獣どもが彷徨いている。今日は新月なので東京の夜はどこも漆黒の暗闇に包まれていた。これじゃ都心部と言えども小笠原諸島の山奥の変わらない。
「ねえ。君たちの暮らしてる場所まではまだ遠いのかな?歩いてどんくらい……」
彼女は俺の唇に人差し指を当てて「静かに」というジェスチャーをする。
「だからシーッ!歩かなくていいからっ。貴方は全力で息を殺してればいいの。なんにもしないで」
そして有無を言わせずに彼女は俺の腰を掴むと、ヒョイと俺を抱きかかえてしまう。おそらく彼女の身長は160センチそこそこのはず。そんな少女が175センチの野郎をお姫様抱っこしているという……このアンバランスな光景。これはかなりの辱めだ。しかし命には代えられない。
「了解……それが一番安全そうだね」
ここは東京人の言うことを聞いておこう。郷に入っては郷に従えだ。歩かずに連れてってくれるなら、それに越したことはないしね。
タタタタタタッと静かな足音を立てて、ゾンビのうめき声だけが聞こえる夜の道路を、俺を抱きかかえたまま少女が走り抜けていく。風が気持ちいいと言いたいけれど、ゾンビ達の腐った匂いで吐き気がしそうだ。
無数の屍を踏みつけて、休むことなく少女は走り続けた。あれから10キロは進んだんじゃないだろうか?かなりの長い距離だったと思う。
「あの……ここはどこ?」
「しっ!まだよ。今は死人達が集まってきちゃうから」
「はいっ!」
靴と地面が擦れるキュウゥッという音をさせて、彼女は立ち止まった。彼女の履いていたスニーカーから焼け焦げたような臭いが立ち上ってくる。目の前には10階建のビルが見えた。そして感動的なことに、このビルの屋上から光が漏れていた。人が暮らしてる形跡じゃないか!やったぜ。俺は何もしてないのが悲しいけれど。
「後、少し……」
彼女は休まず屋外階段を駆け上がっていく。額から流れ落ちる汗が俺の胸に落ちてきたのが分かる。幸い階段にはゾンビはいなかった。
7階まで階段を登ったところで、彼女は足を止める。どうしたんだろう?と思ったら屋外階段の7階と8階をつなぐ部分の階段が壊れている。手すり部分しか残っていない。
「階段がないのか……!」
「大丈夫。私がこの部分を壊しといたの。階段を残しておくとゾンビ連中が上がってきちゃうし」
彼女はフワリと舞った。
「わぁっ!」
そしてなんなく上の踊り場に着地。なるほど……こりゃアイツらには上がってこれないわ。ここでようやく少女は俺を降ろした。肩が凝ったらしく、肩に手を当てて揉みながらブンブンと腕を回している。
「ふぅっ。男の人はやっぱり重かったよ〜」
「あの〜俺はもう抱っこされなくてもいいわけ?」
「うん。ここからはもう安全だよ。後は自分の足で上がっていってね。それなら貴方にもできるでしょ?」
というと彼女は後ろに手を組んでスタスタと階段を上がっていく。俺も彼女の後についていくとビルの屋上に出ることができた。しかしいきなり眩い光が目に入ってくる。暗闇に慣れた目にはこれはキツイ。
その光の正体は、屋上に設置されていたガソリンランタンだった。イカ釣り漁船のライトのように強力な光源である。手で光を遮りながら、視線を少し下げると人がいるのがみえる。
「お……おお!本当に人いるよ。万歳!助かった!ありがとう!」
ガッツポーズしながら歓喜している俺をみて少女は少し微笑んだ。
「彩奈さん!」
彼女のそばに2人の子供達が駆け寄ってくる。どちらも女の子だ。彼女はすぐさま指示を出した。
「お湯を持ってきて。ちょっと体と服を拭かないとね。それから、あの人にも濡れたタオルを渡しておいてね。結構、返り血を浴びてたから」
背の大きな方の女の子が俺の方をチラチラ伺いながら、不安そうに彼女に尋ねる。
「この人って……男の人じゃないですか。一体どうしたんですか?」
彼女は微笑むだけで何も答えなかった。背の大きな子は察したようで、それ以上の詮索はしなかった。
「彩奈ちゃん。お湯だよ」
小さな女の子から薬缶とタオルを渡されると、彼女は「ありがとう」と感謝して女の子の頭を撫でた。それから塔屋の後ろへと消えていった。そのスキに俺は彼女らに尋ねることにした。
「ここは……君たちしかいないの?女の子だけかい?」
「うん。今は女の子が全部で4人いるだけ。ちょっと前にオジサンがもう1人いたんだけど、あんまりイバリンボウだったから彩奈さんがブン殴って荒川の向こうに捨てちゃった」
「えっ!捨てた!?」
「うんっ。ポイッと。それからは彩奈ちゃんは『もう男の人は助けない』って言ってたんだけどなあ……」
ニコニコと笑顔で語るおさげ髪の女の子の目が怖い……。今頃イバリンボウのオジサンは荒川の向こう側でゾンビになってるんだろうな。
おお……。なんとなく分かってはいたがあの女、清楚な顔をして性格はちょっとヤバイな。この終末世界を生き抜いてきただけのことはある。
今度は背の大きな女の子(小5ぐらいかな?)が俺に薬缶を持ってきた。ゾンビの肉塊がついてるかもしれないってことで、体と服を拭いてほしいとのことだ。
「あの……その前に質問してもいい?ここは一体なに?君たちはどういう関係なの」
「私達は皆、彩奈さんに助けられたの。そしてここで共同生活を送ってるんです。ここだけはゾンビ達が襲ってこれない場所なので」
ふと転落防止用の柵の向こうに目をやれば、遠く東京港で起きてる火災が見える。我々の船を焼き尽くす炎だけが微かに……。
「そうか……。ここから俺達の船が見えたんだ」
すると闇の中からモソッと最後の1人の子が現れる。その子はメガネをかけた前髪パッツン女子(たぶん中1ぐらい)だ。本を抱えながら、苛立たしそうな表情を浮かべてスタスタと俺に近づいてきた。
「愛ちゃん達と雑談してないで早く体を拭いてください。私達にまで感染しちゃったらどうするんですか!」
「はいはい。拭きますよ」
急かされて、俺は濡らしたタオルで顔を拭った。
「キレイに拭いた方がいいですよ。もしも貴方がゾンビになっちゃったら、彩奈さんは容赦なく貴方を殺しますから。それはエゲツなく!」
「わかったよ!もうっ。清潔になるからちょっと待ってなさい」
俺はなるべく子供達からから離れて体を拭くことにした。しかし……こんな処置で大丈夫なんかな?まあ他に方法はないけれど。すると遠くから何やらヒソヒソ話が聞こえてきた。
「あの人を受け入れないほうが……彩奈さんにとって良いと思います。これは私の……勘です」
「澪ちゃん……」
くそっ。助けてもらったのは良いけれどあんまし歓迎されてないな。特にあの眼鏡の奴からは。すると彼女……。俺を救出した少女が隣にやってきた。しかしこっちはまだ半裸である。
「ちょっ。早いっての!まだズボン履けてないから」
慌ててズボンを履くと、彼女は口を手で押さえて笑っていた。
「ねえ、こっちに来て。自己紹介もまだじゃない」