誘い
東京第5コロニー
佐藤さんは高く跳んでゾンビの海から脱出する。大きな弧を描いて誠心寮から100メートルほど離れた刑務所内工場の屋上にヒラリと着地する。そしてそこから動かなかった。
『俺を殺す気なんだろ……来い。相手してやる』
モヒカン男は佐藤さんの様子を訝しがる。
「こっちに戻ってきませんね。奴はどういうつもりでしょうか。追いかけますか?」
しかし木下には動くつもりがない。佐藤さんの誘いに乗る気はないようだ。
『なるほどね……。この屋上で戦っちゃあ、建物の中の大神子達を巻き込むってか。分かってますねえ』
「佐藤殿……」
木下は佐藤さんを無視して、柵から彼の様子を見ていた小杉さんに狙いを変える。
「アイツは後でいい。まずは第5コロニーの守備隊長ちゃんを片付けるとしよう……。そのうち奴はこっちに来るだろ」
恐るべき超人が自分に狙いを定めたことに、小杉さんは恐怖を感じた。それは効率的とも言えるが卑劣なやり口だった。
「それで?大神子の手下が何しにノコノコ屋上に出て来たわけかな?ゾンビにブルってるお前如きが、まさか俺たちを殺そうってわけじゃないよな」
どんどん近づいてくる木下。しかし動揺を隠して小杉さんは長銃を再び2人に向けた。
「そうだ。佐藤殿の邪魔をするなら殺す」
しかし木下は両手をスーツのポケットに突っ込んだままで、焦る素振りもない。
そして何故か第5コロニーの内情に詳しい木下という男は、小杉さんにとって急所とも言える話題を振ってみせた。
「そういや楓様はどうした?お前たちの……いや人類の希望のさぁ。まさか海王に殺されたのか?だがお前がここにいたってことは……あの人もここにいるはずだよな」
「お前に答える必用はない」
「生きてるようだな。そりゃ良かった。楓様なら八王子に招待して構わないぞ。執政官閣下もお喜びになるだろう……」
小杉さんの顔色が変わる。楓さんの命だけでも助かることが、彼らの求めていたことだったはずなのだが、木下達に保護されることは望みには合致しないらしい。
「貴様……」
「何しろ普通の女は感染しちまうから閣下の餌にするしかないんでね。だがあの方は別だろ?俺たちと同じく……」
「くらえぇ!」
近衛兵の挑発に乗る形で、小杉さんは近衛兵達に向けて銃の引き金を引いた。既にゾンビに向けて発砲していたので、僅か2発しか発射できなかったのだが。
不思議なことに木下に向かって放たれた銃弾は、カーブするように目標から反れていく。しかしそれはただの錯覚だ。木下がまったく体勢を変えることなく、右に50センチほど動くことで、簡単に銃弾をかわしてしまったのである。
「ククク。ダサいぞ会田。お前、当たってんじゃねーか」
一方で巨漢に向かって飛んだ弾は、しっかりと敵の脇腹を捉えていた。奴のスーツの生地が飛び散り、穴が空く。だが苦しむ様子は全くない。
「ばかな……」
小杉さんの銃を持つ手が震える。巨漢のモヒカン男は醜い表情を浮かべて小杉さんへの殺意を剥き出しにする。
「ふざけやがってクソ坊主。そんなものが俺たちに通用すると思ったか」
スーツをフロント部分を掴むと、脇腹部分に空いた孔を確認した。
「またスーツを探さなきゃなんねえだろうが」
「くっ……。くそ!」
必死に引き金を引いたが既に弾は空だった。
「へへへ。今更怯えやがって……もう手遅れだよ」
会田が近づいてくる。体格が大きいので元々、凄まじい威圧感を放っている男だ。追い詰められた小杉さんは長銃で殴りつけようとしたのだが、逆に蹴りを貰ってしまう。
「ぎゃああっ!」
その体は木の葉のように吹っ飛ばされ、塔屋の壁に跳ね返されて地面に崩れ落ちた。口から血を吐き、強烈な痛みで腹を押さえて蹲った。会田は長銃を拾い上げた。
『ば……化物めぇ。これが変異体の強さなのか。やはり私如きではとても佐藤殿や石見殿のようには……』
モヒカン男は長銃の銃床で、小杉さんの後頭部を押さえつける。まるでそのまま小杉さんの頭を潰さんばかりに。
「もう殺しちゃっていいですか?」
しかし木下は首を横に振って、殺害許可を与えない。
「なあ〜小杉ちゃん。お前らって知ってんのかな?大神子と楓様の2人は、先史時代に出現した変異体の末裔だってよ」
先史時代の人口を考えると変異体が現れる確率は極めて低いと思われる。口から出まかせを言っているのか、それとも我々の知らないことをこの男は知っているのか。それはまだ謎だった。
「な……なんの話だ」
「まぁ知るわけないよな。おい会田。その銃をどかせ」
会田に銃床をどけさせると、すぐさま小杉さんの腹に蹴りを入れる。
「ゲアッ!」
「あの佐藤って奴をこっちに招待したいんだからさ。もっと大きな声を出してくれよ。そんな小さな声じゃゾンビ達のうめき声でかき消されちゃうだろ?」
木下の狙いにようやく気づいた会田は笑みを浮かべた。
「なるほど!そういうことですか」
『こ……こいつら!』
続いて会田も小杉さんの腹を何度も蹴った。
「そら鳴けよゴミ!オラッ!もっとだ!」
大声を上げまいと堪えた小杉さんだったが、内蔵を砕くような痛みに耐えられず、絶叫せざるを得なかった。
「グギャアぁぁぁぁッ」
佐藤さんからは小杉さんの様子が見えているし、声も届いてるはずだった。だが彼は誠心寮の屋上に戻ろうとしなかった。モヒカン男はそれが愉快でならない。
「おいおい会田。あんまり強くやると死んじまうぞ。ちっとは手を抜けよな」
会田は佐藤さんのいる工場をチラリと見る。
「フヒヒ。あのビビリは全然助けに来ませんね〜。おい小杉さんよ。アンタ見殺しにされたみたい……」
しかし突然、木下が会田を突き飛ばす。
「よけろ会田ぁ!」
「うわっ!」
何かが背後から会田の頭部をかするようにして、凄まじいスピードで通り抜ける。会田の側頭部の皮膚が僅かに傷つき、血が垂れていた。しばらくしてコロニーから500メートルは離れた建物のビル壁から大きな衝撃音が発せられた。
「な……なんだ!?何が撃ち込まれたんだ」
ビル壁を破壊したのは佐藤さんの投げた小石程度のブロック片だった。それは砲弾のような速度で会田の後頭部に直撃する寸前だったのだ。工場の屋上の上で佐藤さんは「おいで」のジェスチャーで挑発した。
「さっきから呼んでんだよ。無視してんなジョーカーの手下ども」
「あ……あんにゃろおお!」
激昂した会田は佐藤さんのいる工場に向かって、柵を蹴って飛び出す。
「ちっ。勝手に動きやがって……しゃあねえな。じゃあな小杉ちゃん」
仕方なく木下も後に続く。誰もいなくなった屋上でヨロヨロと、血だらけの小杉さんは起き上がった。
「はぁ……はぁ……。なんとか頑張ってくれ。石見殿と楓様を救えるのはアンタだけだ……」




