天原降臨
東京の生存者達を恐怖に落とし入れていたゾンビの王「海王ディエス」を粉砕した。
東京第2コロニーを既に滅ぼし、第5コロニーをも崩壊寸前に追いやった恐怖の化物であったが、赤髪のジャックと同じく完全に散って砕けたのだ。今の俺には全く大したことのない敵だった。
残る危険なゾンビはクイーンのみ……。しかしコイツの力はキングを上回っており、さっきまでは指一本、触れることができなかったのだが果たして……。
○○○
東京第5コロニー
全身全霊でキングを殴ったので、俺は息が上がっていた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
ふと自分の拳を見ると赤黒い色に染まっている。キングの血肉だろう。手を一振りすると、ベットリと付着していたキングの血肉は地面に散り、足元に転がる木材の破片に付着する。しかしそれは独立した軟体動物のようにウネウネと動いていた。
「ぜぇ……ぜぇ……。不死の化物め……消えろ!」
俺は木材の破片を蹴り飛ばした。それは回転しながらコロニーの外まで飛んでいった。
コロニーの中を彷徨うゾンビ達は、天まで届く噴煙を呆然と見あげている。だが粉塵は地上にも広がっていき、俺やゾンビ達、そして瓦礫の山の頂に立つクイーンの姿まで覆ってしまう。
『か……海王をバラしやがった!こんな危ねぇ変異体がこの世に存在してるとは……』
一帯は粉塵に覆われ暗くなっていく。薄暗い靄の中でクイーンは驚愕していた。はじめて焦りの表情を浮かべたのだ。
しばし飛んでくる粉塵に打たれるがままだったのだが、右腕を掲げると小さな旋風が現れ奴の細い体を包みこんでいく。そして降りかかる粉塵は旋風によって四方に飛ばされた。粉塵を吹き飛ばす内にスーパーゾンビは冷静になっていく。
『雑魚だったクセに、彩奈の話をした途端に一気に出力を上げた。全く読めない野郎ですこと……』
長い金髪をかきあげると、髪に付着した粉塵も綺麗に落ちていく。
『ヤツの目は充血していたわけじゃない……。あれは赤い瞳に変化したのだ。海王のバカは気づかなかったのか!』
相棒が撃破されたことで、動揺していたクイーンだったがすぐに落ち着きを取り戻した。一帯を覆った粉塵は風に流され、クイーンは再びその姿を現す。
「あ〜ぁ。面倒なことしてくれたじゃない蒼汰ちゃん。地獄に行く覚悟はできてるかしら?」
細い腕を組んだまま、相変わらずな薄ら笑いを浮かべて俺を見下ろしている。一方で俺の呼吸はまだ乱れたままだった。
「ぜぇ……ぜぇ……。次はお前だよ」
「ククク……そんな顔で睨まないでくださる?ちょっとムカついて彩奈の腕を引きちぎっただけなんだからさぁ。反省しちゃってるから、許してピョン♪」
相棒の死に様を目の当たりにしたはずなのに、この余裕は正直意外に感じる。所詮、人食いゾンビの考えることなど、俺に分かろうはずもないのか。奴はあくまでも挑発的な態度を取り続ける。
「そうだ!冥土の土産に教えてあげますよ。彩奈は泣きながら私に土下座で命乞いしてたんだよ。『助けてくだちゃ〜いっ。芽衣ちゃま〜ぁ』って。アンタもそうする?土下座が似合いそうな面してるからさぁ」
「噓つけ……」
そんなの作り話に決まってる。例え本当だったところで……俺の怒りのボルテージが上がるだけだ。
ゾンビは笑顔で南東方向を指さした。
「じゃ〜あ、今から彩奈の死骸でも探しに行けば?浮島ってところのテニスコートに捨ててきたからさぁ。その後で改めてお相手してさしあげても構わねーよ」
アイツが死んでるわけねーんだ!
もう考えてる時間などない。再びクイーン目掛けて、無我夢中で突進する。今度こそはヤツに一撃入れられるはずだ。
「噓ついてんじゃねぇぇぇ!」
瓦礫の山を一瞬で駆け上がり、クイーンに迫る。
「クク……。彩奈のことで怒っちゃったぁ?ダサいよ」
全身全霊で奴の顔を目掛けて拳を振るった。しかし闇雲に放った正拳突きはあっさりとかわされる。クイーンは軽く上体をひねって、俺の突きをよけてしまったのだ。やはり……コイツは凄まじく速い!速すぎる!
キングを打ち砕いたパンチだろうと、当たらなければ俺に勝ち目はない。
だが先程と全く同じ反応というわけではなかった。上体を反らし、華麗に突きをかわしてみせながらも奴は少し焦っていた。
『こ……こいつメチャクチャ速くなってる!』
表情が変わる。すぐさま体をスピンさせ、クイーンは猛烈な回し蹴りを放った。
「テメェーは死ねぇっ!」
「!」
胸部に向かって猛烈な速度で迫るクイーンの踵蹴りを、両腕をクロスさせどうにか受け止めた。しかし持ちこたえられず、そのままふっ飛ばされてしまった。
瓦礫の山を転がり落ち、頭や肩をぶつけながら地上を40メートルは滑り続けた。最後にひっくり返っていた自動車のシャーシに激突してようやく止まる。
「ゲホッゲホ……。ちくしょう……当たんねぇ……」
ヨロヨロと起き上がると、足元には海王の巨大な腕が転がっている。元の場所までぶっ飛ばされてしまったようだ。
『蹴りの威力がさっきまでと全然違う!ついにマジになりやがったな……』
奴のスピードに反応できたところまでは良かったが、ガードした腕がジンジンと痺れてマズイ。酷い内出血おこして腫れだした……。奴の蹴りからは見かけの細さからは想像もつかない重量感を感じた。我が腕ながらよく千切れて飛ばされなかったもんだ。
「フヒヒ。やっぱり駄目そうだねぇ……。今更お前がマジになったところで、私には敵いやしないのさ。変異体如きじゃあ、この壁は超えられない」
「まだ分かんねえだろ……」
一発でも当たれば勝算はゼロではないはずだ……と思ったが自分の体がフラフラしていることに気づく。真っ直ぐに立つこともできなくなっている。一時の激情が蓄積されていたダメージを忘れさせていたが、とっくに限界だった。
不意に、遠く北西方向の雲を見たクイーンは何かに気づく。
「くそっ!あの爺、こんな時に!」
「は……はぁ?」
ヤツの方を見上げたのだが、目に入ってくる血で視界がかすむ。頭からの出血が酷く、気を抜くと気絶しそうだ。
「!?」
自分のダメージの方に気を取られてしまったその一瞬で、クイーンは瓦礫の山から姿を消してしまっていた。見失ってしまったのだ。山の頂は無人となっている。
『どこだ!?アイツはどこに行きやがった……!』
また背後から蹴られちゃたまらない!振り返って必死にヤツの姿を探す。
「どこに消えやがった!」
クイーンの姿は消えてしまった。その代わりに何かが俺に向かって接近している音がする。こんな不気味な音は聞いたことがない。戦慄が走るような重低音。俺は前後左右を見渡したのだが、それらしいものを確認できない。ただ急に自分の体が、巨大な影に覆われたことに気づいた。
「上だ!」
空を見上げると、接近するモノの正体を知り絶句した。
高度200メートルほどの上空から、第5コロニーに向かって何か巨大な物体が落下してきているのが見える。最初は大隕石かと思った。あまりに突然で、しばらくは言葉を発することもできない。
「そんな……!」
1秒経ってようやく理解できた。それはビルだった。しかも巨大な高層ビルである。
正確には高層ビルの上階の20階分ほどだろうか。ビルの上部のみを叩き折ったような……直方体状の巨大物体が、屋上部分を真下にして、地上目掛けて落下している。
この時の俺には知るよしなどなかったが……これは天原という第10コロニーの覇者が『偉大なる力』を行使して、遥か遠方からクイーン目掛けて投げつけたものである。
「冗談だろ!なんであんなもんが」
考えてる暇はない。このままでは巨大な高層ビルの直撃を食らってしまう。ふらつく体に鞭打って、力を振り絞り、跳躍しようとしたその時……。
足元に転がっていた海王の腕が、残った親指と人差し指のみで俺の足首を掴む。凄まじい力だ。片腕だけでその重量は200キロを超えている。
『なっ!腕だけがまだ生きてやがるのか!』
これは海王の怨念が動かしたのだろうか!?だがそれは違っていた。この腕はクイーンの意思によって動いていたのだ。
この時になって、ようやくクイーンの姿を発見できた。高層ビルの直撃を免れるべく、奴はすでに北側の塀の上に移動している。そして俺に向けて指をさしているのも見えた。
『まさかアイツが操って……』
スーパーゾンビにゾンビ達を操る力があることは分かっていたが、まさか本体から切り離されたキングの腕にまで、その力が及ぶとは思わなかった。
海王の腕は強烈な力で俺の足首を掴み続ける。まるで握りつぶさんばかりだ。
このままでは素早い身動きがとれない。急いで切断しようとしたのだが……巨大な高層ビルは俺の頭上20メートルまで迫っている。もう間に合わなかった。
「ちょっ。噓だろ……こんなデタラメな話が……」
数千トンはあるだろう巨大な高層ビルが俺の真上に落下。俺は身動きが取れず下敷きになってしまう。
「うわあああああああああああああ!」
地上に激突した高層ビルは、上層階から圧縮された。爆発するように窓ガラスとコンクリートブロックを飛び散らせ、その直方体の長さをどんどんと短くしながら砕けていく。
同時に第5コロニーを震源地とする大地震が起こる。それはキングが宿舎を投げつけた時よりも激しく、大きな揺れだった。
しかし幸いと言うべきだろうか?すでにキングの殺戮行為によって衝突地点は無人化していた。そのために避難場所が北側に偏っていた第5コロニーの住民達に大きな被害は出ることはない。
つまり俺だけが、高層ビルが瓦解してできたコンクリートの瓦礫の山の下敷きとなってしまったのだ。とてつもない圧力で体を押しつぶされ、血反吐を吐いて意識を失った。
砕けたビルから噴き出した粉塵によってコロニーは再び靄に覆われてしまっている。だがすぐに強風で飛ばされていく。
視界が晴れ、高層ビルが破壊されつくしたのを確認してから、クイーンはようやく動きだす。だが奴は俺にトドメを刺すこともなく、高層ビル衝突の跡を素通りした。
「奴がクタばったのを確かめたいが海王の復元が先だ!天原がここに来る前に間に合わせねば」
クイーンは倒壊した建屋に背を向けると一気に庁舎側へ跳んだ。この辺りに建物は何も残っておらず、もはや一帯の全てが瓦礫と化している。ゾンビ達も3割ほどが、高層ビルの下敷きとなってしまった。さらにキングが消滅したことで、コロニー内へのゾンビの流入も減り始めている。
とは言えコロニー内部を彷徨うゾンビ達の数は、まだ2000体を超えている。
クイーンは右手を掲げるジェスチャーをしてみせた。すると周囲をうろつく無数のゾンビ達は一帯からゆっくりと離れていく。奴もまたゾンビの王として号令をかけることができるようだ。
「余計な手間をかけさせやがって……」
積み上がっている瓦礫の色が、人間の死体や海王の肉片によって赤黒く変色しているのが確認できる。
クイーンは目を閉じて念じはじめた。すると奴の金髪はフワリと浮き上がり、小さな旋風が瓦礫の上に出現したのだ。それはあっという間に巨大化し、空に向けて瓦礫を猛然と吸い上げる竜巻へと変化した。
海王の肉片とその他の瓦礫・死体を選別しながら、この人為的な竜巻は瓦礫だけを上空に舞い上げていく。つまり海王の肉片以外は、噴水のように空に噴き出し、渦の外へと落下していく。
となれば竜巻の中心に残されるのは海王に肉片だけ。
細切れとなっていた海王の肉片は、宙で徐々に一塊になっていく。すぐに海王の肉片や骨片から構成された巨大な球体が出現した。直径は2メートルはあるだろう。褐色と朱色の混ざった不気味な肉ボールは、地上5メートル付近でフワフワと浮いていた。その周囲を無数のコンクリート片が回転しながら上昇していくのだ。
恐ろしいことにクイーンは旋風を操って、散ってしまったスーパーゾンビの肉体を合体させているのである。厄介なことに海王の肉片はまだどれも生きていた。放っておけば虫や鳥の餌にでもなったはずなのに……。
みるみるうちにパーツは揃っていく。飛び出したはずの目玉も、肉ボールの中に吸収されていく。肉ボールの表面には指や腕、脳に目玉が張り付き、実に不気味な状態だ。クイーンは無秩序に結合させているので、とても元の姿とは程遠い。もはや人であった面影もなく、グロテスクな怪物となっていた。
球の表面で何かが動いているのがクイーンには分かった。それは表面にへばりついていたキングの顎だった。それはパカパカと上下に開き、血を吐き出しながらどうにか音を発することができた。
「ぐばぁ……め……芽衣……」
内蔵を剥き出しにしたおぞましい姿ではるが、意識を持っているらしい。消滅一歩手前だったゾンビが、復元をはじめているのだ。
竜巻は海王を包んだまま、高層ビル衝突で生まれた瓦礫を吸い上げていく。奴の腕は俺の体と一緒に下敷きとなってしまったのだが、それも肉ボールに吸収されていく。同時に意識を失っていた俺も地上に姿を現し、竜巻に吸い上げられる。だが俺の体は竜巻に選別され、東の壁際に落下する。
「ククク……。呆れたよ。あの男、まだ死んでないらしいね」
血まみれの肉ボールに、海王の巨大な腕がベットリと張り付く。
「何も……見え……ん……。恐ろし……い……」
「ちっ。情けない男……。それでも人間どもを震え上がらせたゾンビの王なのかしら?私はお前を過大評価していたらしいね」
「たすけ……て……」
「小心者め……。お前の復元力があれば、体などすぐに元に戻る。それより天原がやってくるのが問題だ。しばらく私があの爺の相手をするから、その間にお前は身を隠すがいい」
クイーンが手を掲げると竜巻は動きはじめた。内包する不気味な肉の球体を高度80メートルまで上昇させ、東方向に移動していく。
残されたクイーンは庁舎跡の瓦礫の山に跳躍すると、西の方向から迫ってくるだろう敵の姿を探した。だが思いもよらぬ方角から声がした。
「ククク……私はこちらです。どこ探しているのですか?姫路芽衣」
振り返ると体育館の上空150メートル付近に、背広を着用した大柄な男が浮遊している。それが連中が「天原」と呼ぶ男だった。すなわちスーパーゾンビのジョーカーが現れたのである。
クイーンは動揺を隠し胸に手を当てる。そして天原の呼びかけに礼儀正しく応えた。
「これはこれは天原様。わざわざ私をお探しで?」
誠心寮の屋上や、講堂の屋上にも背広姿の男たちが立っているのが確認できた。その数は3名。連中は建物の中に入ることもなく屋上に到達している。普通の人間ではないらしい。
上空の天原に向かって彼女は笑みを浮かべた。
「ククク……。随分と手下を引き連れてきたじゃありませんか執政官。でも彼らじゃあ執政官のお役に立ちませんよ?」
天原は降下し、瓦礫を踏みしめる音とともに地上に降り立った。
「海王はどこに消えました?私が来るのを察してもう逃げたでしょうか?」
ジョーカー達は、壁際に倒れていた俺にはまるで興味を示さない。どうやら死体の一つだと思っている様子だ……。




