怒れる男
東京第5コロニー
あれから5分が経った。
先程まで俺達の戦いの舞台であった刑務所庁舎は既に存在していない。あの巨大な建物が完全に砕けて瓦礫と化している。
それだけじゃない。コロニーの南側に位置していた職員宿舎も4つの建屋が消滅していた。他にも府中の建物が無数に壊滅している。東京第5コロニーを囲んでいた景色は一変していた……。それらは全てクイーンによって破壊されてものだ。
ヤツの攻撃があまりにも苛烈であったがために、コロニー外の建屋の屋上に退いたものの、建屋ごと破壊されてしまったのだ。
最後に俺が戻ったのは庁舎の屋上である。
だが俺が庁舎屋上に立つや否や、この床は木槌で割られた酒樽の蓋のように崩れた。もちろん割ってみせたのはクイーンだ。一瞬で雲の漂う領域まで舞い上がり、そのまま自由落下。そして屋上の床に蹴りを入れただけで……全ては崩れた。今も信じられない。
俺は床の崩壊に巻き込まれ、俺はそのまま建物内部に落下。そして下の階まで追ってきたクイーンが両腕を軽く振る仕草をすると、壁や崩れた天井も全て吹っ飛んだ。
俺は崩れた庁舎の下敷きとなり、身動きが取れないでいる。足だけは瓦礫の外に出ているが、動かせない。瓦礫の山の頂に胡座をかいて観戦していたキングは、退屈な様子で呟いた。
「あーあ。ピクリとも動いてねーよ。もう死んじゃったか、そのゴミ?」
とにかく地獄のような5分間だった。クイーンから一方的に殴られた記憶しかない。
衝撃波が生まれるほどのパンチを何度も放ってやったのだが、あの化物の体にカスることすらなかった。アイツは俺の背後へ、塔屋の上へ、地上へと、想像もつかないような場所に移動してみせる。こんなの勝負になるもんか。
そして攻撃に転じれば、奴はキングと同等の力を見せた。収容棟を消し去った驚異の技を、奴もまた簡単に披露してみせたのだ。庁舎をはじめ、コロニー周辺の建物が壊滅しているのはそのせいである。
ここに至って間抜けな俺でもようやく理解できた。クイーンはクソ強いってことが。汚い手を使うだけの、小賢しいゾンビぐらいにしか思えなかったが……その強さは想像を遥かに越えていた。
クソッ……あんな化物が存在していたなんて、俺はとんだ井の中の蛙だったらしい。講堂の奴らを助けるだと?コロニーを守る?
自分の身すら守れやしないくせに。バカかよちくしょう。
黄色い目を爛々と輝かせ、キングは崩れた庁舎を睨みつける。
「ちっ。あっさりとクタばりやがって……。目一杯手を抜いてやってる姫の立場がねえだろ」
瓦礫の下敷きとなっていた俺の耳にもキングの声は届いたが、反応する余力もない。とっくに限界だったのに、今はさらに酷い怪我を負ってしまっている……。こいつは殺されちまうんだろうか。信じられない……第5コロニーに寄っただけでこんなことになるなんて、ついてねぇぜ。
俺が死んでしまったと判断した巨大なゾンビの王はすっくと立ち上がる。そして崩壊した庁舎の前に立つ相棒に向かって提案した。
「どうする芽衣?コロニーの奴らでもイジめ殺して帰るか」
しかし相棒は奴の方を見ることなく、腕を横に伸ばし制止した。『まだ生きている』という合図だ。俺がまだ生きてると知って、キングはニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。
「海王の声が聞こえただろ。そろそろ起きな蒼汰ちゃん。死なないように蹴ってあげたはずよ……」
講堂からはもう叫び声もしなくなっている。住民達はゾンビに襲われて全滅してしまったようだ。次は体育館か誠心寮か。だがどうすることもできない。
「連中が皆殺しにされてもいいならそのまま寝てな。それでもいいの?」
返事する余力すら俺に残ってないと知るや、クイーンの態度は豹変する。
「ちっ。こんなカスのために張り切って羽田から来た自分が情けないわ」
クィーンは金髪を靡かせながら跳躍し、瓦礫の頂に立つキングの隣に降り立った。着地の瞬間は、まるでタンポポの種が地上に舞い降りるように重力を感じさせない。
『姫君がようやく遊び終えたようだな』
自分の出番が来たと確信するキングはニヤリと笑う。
「もう飽きちまったか芽衣?じゃあ代わりに俺がアイツにトドメ刺してきてやるよ」
殺害許可を得ようとしたキングだったがクィーンはつれなかった。
「下がれ海王。まだ用事が済んでない……」
「へいへい」
キングは肩をすくめて、クィーンの隣で腕を組む。キングが従順な態度を見せるのは不可解だったが今ならばその理由は分かる。あの女の方が……よっぽど格上だ。
「だが海王。お前の言うことは間違ってなかった。蒼汰ちゃんはただのゴミだったらしい。もう少しぐらいストレス解消できる相手だと思ってたんだけどね……」
「仕方ねえよ姫。その辺のカスみたいなゾンビの相手してただけだからなぁアイツは……。せめて米軍基地を潰すぐらいの変異体ならば、もうちょっと楽しく遊べただろうがな」
クイーンは背伸びをした。
「それじゃあ、蒼汰ちゃんを瓦礫から引きずりだして八つ裂きにしちゃうとしますか……」
「ククク。姫の処刑は悪趣味だからなぁ〜。ほどほどにしてやれよ?」
「はぁ?何が」
振り返ったクイーンに睨まれ、キングは少し怯む。
「い……いや。なんでもねえよ」
「じゃあ……お前が処刑をやる?」
そう言うとクイーンはキングに何やら耳打ちをしはじめる。キングは驚いた表情を浮かべている。
「マジかよ姫。あの姉ちゃんを殺してきたんかよ」
瓦礫に閉じ込められていた俺は、奴らの会話に興味がわかなかった。ただ自分に死が近づいてきたのが残念で仕方がなかった。そして今度は二度と目を覚まさないだろう……。こんな初めてきた場所で、ワケの分からんゾンビどもに殺されちまうなんてな。
彩奈達はどう思うだろうか?でも誰に知られることなく俺は殺されちまう……。
クソッ。考えるほどに後悔する。人助けなんてするもんじゃないな……と後悔した。
ようやくクイーンからの許可がおりて処刑を任されたキング。ゆっくりと瓦礫を踏みしめて、斜面を降り地上に立った。そして崩れた庁舎に向かって大声で叫ぶ。
「蒼汰ちゃ〜ん!とりあえず姫からのメッセージだよぉ。『地獄に行ったら彩奈によろしく』だってよ」
そのメッセージは瓦礫の中で朦朧としていた俺の意識をハッキリさせる。
「おんやぁ。な〜んか瓦礫が震え出してるねぇ……」
はっきり言って海王の話は唐突すぎて、まるで意味が分からない。だが彩奈が死んでると言わんばかりの態度だけは……こんな時でも放置できなかった。
「ぐ……ぐうう……っ」
体を押し潰していた数トンはあるだろうコンクリートの塊を、ゆっくりと両手の力だけで押し除ける。人間の体よりも巨大なこのコンクリートブロックは、斜面を転がり落ち、近くを彷徨いていたゾンビ達の体を轢き潰す。そして地上に達すると大きな音を立てて崩れていく。
「ククク。まだ動けるたぁ、姫の蹴りがよほど上手かったんだなぁ」
ゆっくりと立ち上がったものの、体が震えている。両膝に手をつかないと倒れてしまいそうだ。
「ゼェーハァーッ。ゼェーハァーッ。はぁ!?どういう意味だそりゃ……」
地上のキングは笑みを浮かべて答えた。
「いやよ。芽衣の奴が『さっき羽田で彩奈を殺してきた』っつーんだわ。あの美人の姉ちゃんと知り合いなんだってなぁお前?」
突然のキングの言葉に絶句する。脈絡のない情報ばかりで混乱するしかない。
「いきなり何を言ってんだ。何の話だ!そもそもなんでお前らが彩奈を……」
「死んだなんて信じたくないよな〜。うんうん、お前の気持ちはよく分かるぜぇ〜?」
視線をあげて瓦礫の山の頂を見れば、笑っているクイーンの姿がある。そんなはずはない。カマかけてるだけだきっと!
「おかしいだろ!なんで彩奈がいきなり死ぬんだよ……。ついさっきまで俺と一緒だったんだぞアイツは……」
キングが問いに答える。
「ウヒヒ。お前は本当に察しの悪いバカなんだね〜。姫がお前の居場所と名前を知っていた理由なんて1つしかねーだろ」
「なっ……。そんな。彩奈が……」
確かにそうだ。俺の下の名を知ってるヤツなんて、それも今、東京第5コロニーにいるってことを知ってるヤツなんて彩奈しかいない。
それしか説明しようがない。俺のことをクイーンに伝えたのは彩奈しかいない。なんてこった……。彩奈はクイーンと会ってたんだ。俺の知らないところで。
目の前が真っ暗になっちまう。
じゃあアイツは俺を裏切ったのか!? 違う!落ち着け。そんなバカなはずはないんだ。そんなヤツじゃないだろ。
でもあの後で彩奈はクイーンと遭遇してしまったことは間違いがないのか。
それは偶然なのか?でも一体なんで彩奈が殺されちまうことになったんだ……。謎が多すぎてワケがわかんねえよ。
こんなことになるなら、俺があの時に彩奈を追いかけていれば良かった……。
俺は奴の話でフラッと倒れそうになる。
ショックで自分の血圧が下がってしまってるのだろうか……。キングの声も、吹き荒れる風の音も遠くに聞こえた。
数秒して落ち着くと、俺は顔を上げて再びクイーンに問うた。
「お前……。本当に彩奈を殺したのかよ」
「ごめんね〜蒼汰ちゃーん。ちょっとムカついたから腕を轢き裂いちゃったのよ。でも今頃はキッチリ死んでると思うよ」
クソったれ!
死んでるものか。彩奈が死んでるわけがないだろ。俺が直接確認するまで信じるものか。
「どこだよ……。彩奈は今どこにいるんだよ」
「地獄じゃね?」
瞬間、頭に血が上った。瀕死の肉体に一気に血が巡りだしたのが分かる。
地上のキングがさらに俺を挑発する。
「グヒヒ?泣いてんのかコイツ。目が充血してるぞ」
俺はキングを無視してクイーンに問い続ける。
「だから彩奈はどこかって聞いてるんだよ……答えてくれよ」
だがクイーンは薄笑いを浮かべるだけで返事をしない。そしてキングは容赦なく挑発を続ける。もうコイツの相手なんてしてないってのに。
「どっち見てんだよ〜お坊っちゃん。そんなに俺がクソ怖いか?芽衣とばっかり喋らずに僕の相手をしてちょーだいよ。ククク」
俺は知らぬ間に膝から手を離して体を起こしていた。そして拳を握りしめ、地上にいる耳障りな声の主を睨みつける。
「じゃあテメーは先に死ね」
○○○
誠心寮の共同室では異変が続く。今度は共同室の壁にかけられていた紙垂が激しく揺れはじめたのだ。
「大神子様!こ……これは一体!?」
小杉さんには紙垂の縁が青白い光を帯びているように見えている。それは稲妻を思わせるような不思議な色だった。彼は立ち上がり、近づいて紙垂を見つめる。
「これも……彼の?」
その時、隣り合う紙垂と紙垂が触れ合うと、破裂音とともに激しく火花が飛び散った。
「う……うわっ」
「離れておれ。危険じゃ」
身の危険を感じた小杉さんは、部屋の中央部で頭を抱えダンゴムシのポーズになった。
「こ、これが都を震えさせたという力ですか……!?凄まじい」
大神子は頷く。火花が散る部屋の中でも、怯むことなく正座を続けたまま。
「つ……ついにあの2体のゾンビは石見殿の逆鱗に触れた……」




