小細工
コケにされて頭に血が上っていた俺だが、意識して深呼吸することで少しだけ冷静になった。このままじゃマズイ。手刀を振るったあの時……一体何が起きたのかを一度思い出すんだ。
『一瞬で俺の視界から消えがったんだ。もしかすると奴は本物の化物かもしれん……。いや少し違うぞ……!』
右目を押さえながら、よくよく思い出してみると、かすかに残像らしきものを見た記憶が蘇る。
例え目の前で発射された弾丸の動きだろうと、スローモーションのように目で追えるこの俺なのに。アイツの動きが残像でしか見えなかったとは……。
目に血が入っていたせいだろうか?
頭にダメージを受けて視力が弱っていたせいなのだろうか?
だとしても奴の動きは想像を絶するぞ……。
おそらくクィーンの動きにはキングとは比べ物にならないほどのキレがある。正直今まで戦ってきたどの相手と比べてもズバ抜けているだろう。動きで俺に敵う奴なんて今までいなかったから驚きだ……。それも女だとはな。
だが細い四肢から繰り出される攻撃は、どれもキングに殴られた時の破壊的な衝撃には及ばない。スーパーゾンビとは言えども元があれじゃ非力なもんだ。つまりクィーンの腕力はキングに比べて遥かに劣っている……というのが俺の見立てだ。
危険な相手だがキングの方が圧倒的な威圧感を感じる。
風を操る妙な技さえ考えなければ、クィーンのあの速さを踏まえても、やはりキングの方がずっと強いだろう。
だが卑劣な攻撃に関しては、やたらとバリエーションが多彩な奴だ。つまならい手に引っかかってこれ以上のダメージを受けるのだけは避けたい。既に余力はないに等しいのだから……これ以上消耗してしまうと、キングと戦うどころじゃなくなってしまう。
『俺も武器を使うか?だがあの速さでは……』
思案する内に、奴の待つ庁舎屋上に戻るのに慎重になってしまった。
「すぐに戻ってくるかと思いきや……いきなりビビっちゃったみたいねぇ〜蒼汰ちゃんは」
血とガソリンの匂いがまだ残る荒れた庁舎の屋上で、クィーンは苛立たしげに足でリズムを取っている……。
キングは退屈しはじめたクィーンに語りかける。(収容棟が崩壊したことで誕生した瓦礫の山は高さ15メートルにも達しており、その頂に立つキングからは庁舎屋上の様子がありありと見える)
「こりゃ『死なぬよう生きぬよう』ってところかぁ?殺さねーように、ずいぶん優しくお相手してやってんじゃねーか芽衣」
相棒がまるで本気を出していないことなどキングは分かっている。振り返ったクィーンは、薄笑いを浮かべた。
「お前みたいに2・3発で敵で殺しちゃぁ私のストレスがまるで発散できないんだよ……」
「そういや姫はあのカスのこと知ってたんだな。アイツ、そんな有名人なんか?」
金髪をかき上げ、クィーンは髪についた埃を払った。
「別に。ただ半顔の赤髪を消してくれやがったんだとさ……。あのバカは例の怪物に惨めに喰われたのかと思いきや、あんな甘ったれた雑魚にやられるとはねぇ。全く中途半端な腕で余計な真似しやがってゴミめ……」
キングは眉を八の字にして、驚いた表情を浮かべる。
『意外だな。芽衣の奴は全部知ってたのか』
その反応から、すぐにクィーンは相棒の心の内を読み取った。
「お前も知ってたようだね。じゃあ私の獲物を先に殺したらどうなるか……」
紫の瞳を輝かせて睨むクィーンに対して、海王は肩をすくめ、おどけてみせる。
「お〜怖っ」
「フフフ……アイツが生きてて助かったねぇ?海王」
首を傾げて優しく微笑むクィーンに、海王は焦った。
「ちょ……ちょっと待てよ姫。殺してなきゃ『だらしねぇ』とか言うだろ。勘弁してくれよ」
白髭のエースを食った謎の魔物についても報告しようか迷う海王。しかし相棒の機嫌が悪いのを察し、今は黙ることにした。
庁舎の屋上に山となって積み上げられていた車体は、そのほとんどがクィーンによって既に四方に吹き飛ばされている。しかし守備隊員達の死体だけは、パラペットに引っかかったり、塔屋の壁に激突したため、依然として大半が屋上に残されたままである。
その中には損傷の酷い死骸も多い。その1つは頭から足まで右半身のみを潰され失ってしまっている状態だった。
クィーンは半分に潰れてしまった死骸の頭部を靴で踏みつけながら(俺の落下した)職員宿舎の方角を向いて激昂する。
「いつまで待たせる気なんだよ!あと5秒でこの場所に戻ってこないと、生き残ってる連中の体をこの死骸のように引き裂くぞ!」
奴は退屈に耐えかねて、いよいよ醜い本性を剥き出しにしはじめる。いくら外見は美しい少女の姿をしてようと、その中身はキングと変わりはしないロクデナシだ。
俺は激しく乱れる呼吸を、短時間で必死に整える。やはり悠長に思案してる時間はないようだ。妙案は浮かばない。ただ突撃するのみか……。主導権を向こうに握られているのは気に入らないが、やむを得ない。
「はぁっ……はぁっ……。これ以上アイツを調子に乗らせねぇぞ」
屋上の床を踏みしめ加速し、縁に達すると走り幅跳びの要領で一気に跳ぶ。庁舎と職員宿舎の間には、コロニーを取り囲む塀に向かって押し寄せる何万というゾンビ達が蠢いているのが見える。
『食人鬼どもめ!』
こいつらがコロニー全体を飲み込みつくす前にスーパーゾンビを倒さねばならない。
100メートル近く跳躍し、庁舎屋上の縁に着地。そのまま勢いを殺さず真っ直ぐ敵に向かって突撃する。
玉砕となろうと構わない!
クィーンまでの距離は残り20メートルもない。それにも関わらず敵は腕組みをしたまま構えるそぶりを見せない。
「ふざけんなクソ女がぁぁ」
残り10メートルまで迫った時、ようやく奴は動きだす。と言ってもうつ伏せに倒れていた死体と地面の隙間に、つま先を差し込んだだけだ。
『なんだ……!?』
敵の意図を読みあぐねる。
次の瞬間、クィーンは死骸をサッカーボールのように蹴り上げた。するとこの半身だけの死体が回転しながら俺に向かって飛んでくる。
「くっ!くそ……また小細工しやがって」
不本意ながら死体の中央部に手刀打ちを決めて、その肉と骨を裂くしかなかった。激しく血を噴き出し死骸は2つに裂け、上半身と下半身の2つに分かれて後方に飛んでいく。飛沫のように血肉を飛び散らせながら。
そして建屋を越えてゾンビの群れの中に落ちていった。誤解で俺を撃ち殺そうとした奴らではあるが、さっきまで生きていた奴の体を破壊しなければならないとは……言葉にし難い辛さがあった。しかしそんな感傷に捕らわれてしまったのは俺の甘さだった。
「がぁっ!」
死体から飛び散った血肉で視界が奪われた次の瞬間、俺の胸に衝撃が走る。クィーンの飛び蹴りが俺の胸部に決まっていたのである。肋骨が全部折れたかと思うほど、強い蹴りだった。呼吸ができなくなったのが自分でも分かる。蹴りを入れた態勢のままクィーンは足の感触を確かめる。
「これぐらいじゃ全然死なないねぇ!さすがぁメッチャ強〜い」
あの短い距離でここまで加速してくるとは思わなかった……。
「ゲホッ……」
そのまま力を抜いていたなら、俺は南を流れる多摩川まで吹っ飛ばされていたかもしれない。だが全身全霊で両足を踏ん張った。お陰でどうにかその場に踏みとどまれたのだが、それでも向こうが上手だった。フワリと床に着地したクィーンはすぐさましゃがみ、そのまま足払いを決め、俺の足首を背後から蹴り飛ばす。
「がっ!」
バランスを崩し背中から地面に落ちる。既に立ち上がっていたクィーンは腰に手を当てて倒れた俺を見下ろした。
「フヒヒ。早く起きてくださいよ〜最強超人ちゃん。特別サービスで汚い手はもうナシにしてあげるからさ。これからが本番って奴ですよ……」
「ゼェ……ゼェ……。この……野郎」
確かに卑怯な手ばかり使う敵だった。汚いやり口を封じられたら大して強くもないゾンビなのだと思う。だが1つだけ明確になったことがある。
コイツかなり戦い慣れてやがるぞ……!




