鬼神
絶体絶命の窮地に立った俺の前に突如として現れた謎の怪人。だが信じられないことに、その怪人は若き乙女の姿をしていた。いわゆる女子高生というやつだ。
「き……君は一体っ!?」
清潔な学生服を身に纏った彼女は、一見したところ幼い顔をした可愛いらしい乙女に過ぎない。セミロングな黒髪と、ちょっと短めなスカートだって風に靡いている。しかし先程の恐るべき身のこなしは普通の少女のものではない。一体何者だろうか?
「ねえ早く答えてよ!貴方はあの船に乗ってここに来たの?そうよね!?」
「……!?」
「きっと海の向こうには大勢生きてるんだ!私はそう信じてたよ!ずっとね」
沈みゆく貨物船を指差し、彼女は興奮気味に俺に尋ねる。しかし急にそんな事を尋ねられても俺は唖然とするばかりだ。
「グオオッ!ロヴェヴォーンッジャッ!」
唸りながら、またもやゾンビがコンテナの屋根に上がってくる。今度奴は頭部の下顎から上の部分を失った不気味なゾンビだ。しかもそいつの体ときたら大きいったらありゃしない。奴は少女の背後に現れた。
「で……でかいぞ……!」
ゾンビの叫び声に気づいて振り返ったものの、背後から襲ってきた大型のゾンビにあっさりと捕まってしまう少女。巨躯のゾンビは後ろから抱きつくやいなや、白く美しい肌をした彼女の腕に腐った爪を食い込ませた。少女の顔が苦痛に歪む。
「い……痛っ!」
目の前で女の子の皮膚が裂けれてしまおうとしている。俺は思わず目を背けた。
「グシュルシュル……」
「やあぁっ!舌だけ動いてる。ちょっと……気持ちわるすぎる」
少女はもがき苦しみながらも必死に首を振って逃れようとしていた。このまま傍観していれば彼女の腕の肉はゾンビの爪で裂かれてしまう。それは分かっている。でも……。
「う……うわぁぁぁ!」
俺ときたら恐怖のあまり、彼女を助けるどころか後退りしてしまうのだ。しかし俺の助けなど最初から必要なかったのである。
「えいっ!」
彼女はコンテナの屋根を蹴ってジャンプすると、しがみついてくるゾンビごと5メートルの高さまで舞い上がる。しかもそのまま体をムーンサルトさせている。それは現実とは思えない光景だった……。あまりのことに何が起きているのか俺には理解できない。人間が……あんな高さまで舞い上がっているなんて!?そんなバカな……。
空中で少女と一緒に回転することになってしまったゾンビだが、力及ばず振りほどかれてしまった。ちょうどコンテナの屋根の上へ背中から落下し、ゾンビの肉体は激しく打ちつけられてしまう。まだ空中にいた彼女は回転しながらヤツの腹の上に豪快に着地する。コンテナの屋根は砕け、少女は踏みつけたゾンビごと床へと落下していく。3メートルも離れてない場所で起きた事故のような光景を目の当たりにして俺の体は恐怖で動かない。
ゾンビがコンテナの床に激突した際の音は、エアドロップハンマーが鋼材を打ちつけるような強烈なものだった。
「う……嘘だろ……」
恐る恐る空いた穴から下を除くと、薄暗い中で胴体部分で真っ二つに裂けたゾンビの姿が見えた。奴は倒れたまま起き上がろうともしなかったのだが、用心深い少女はすぐにゾンビの手足に蹴りを入れてしまう。するとまるで斧で断ち切られたように、ゾンビの四肢は切断され散らばってしまう。
コンテナの中を腐った腕や足がもがくように蠢いている……。それを彼女はさらに踏みつけて肉片にしてしまった。
「す……すごすぎる。どうなってんだ」
彼女の蹴りの破壊力に、俺は恐怖すら感じている。再びジャンプした彼女は屋根の穴から飛び出してくる。くるくると回転すると俺の前に舞い降りた。そして穴から下を覗き込む。
「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏。もうすぐ成仏できるからね」
砕け散ったゾンビの欠片に向かって念仏を唱えているらしい。鬼神のような暴れっぷりに反して、どこか優しさを感じた。
「き……君はいったい……何者」
ゾンビ達は動くものに反応する習性があるらしい。コンテナを取り囲んでいるゾンビの大集団は俺に全く関心を示さなくなり、彼女の方にばかり押し寄せるようになった。
5体ほどのゾンビがコンテナの上に同時に上がってきた。奴らは三方から彼女を襲う。しかし彼女が目をカッと見開くやいなや、一瞬でゾンビ達を三方に蹴りとばしてしまった。速すぎて何が起きてるのかよく理解できない。
「こんなバカな……こんなのは人間の動きじゃない」
少女は肩にかかる自身の黒髪を右手で払う。
「ダメ。ここじゃちょっと戦いにくいわ」
そう言うと少女はコンテナから飛び降り、地上のゾンビの群れの中に着地した。信じられない判断だ!俺には自殺行為にしか見えなかった。
だが着地の際に2体のゾンビの頭を膝で破壊したのを皮切りに、まるで豆腐を殴りつけるようにゾンビ達を粉砕していく。こんな奴は見たことがない!なんなんだろう、この子は!?
ゾンビ達の返り血や肉片がどんどん彼女の体に付着していく。それらには多量のゾンビウイルスがついているはずなのに彼女は一向に気にしない。俺には……もはや少女が化物のように見えた。
「あのゾンビ達を素手で倒してる……まるで亡者を駆逐する地獄の鬼だぞ」
何十体というゾンビ達が襲いかかっても、彼女の体に指一本触れることすら叶わない。次々に岸壁から海に落とされて、波の中に消えていく。
鬼神のような強さとはこのことか。しかしそんな彼女でも徐々に動きが少しずつ鈍くなっていく。いくらなんでも敵の数が多いらしい……。
すると彼女は一度屈伸すると、大きくジャンプ。ゾンビの大集団の中から抜け出し今度は10メートルの高さまで舞い上がる。そして髪とスカートを靡かせながら俺の真横にヒラリと着地する。
さすがの彼女も少し息を切らしていた。その体からはゾンビの匂いがした。
「ペッ。気持ち悪いっ!口にまでゾンビの血が入っちゃった……最悪だわ!もうっ」
「だ……大丈夫か?」
「はぁ。はぁ……。もしかして私の心配してるの?大丈夫よ。でもこれじゃあ終わりがないわね。逃げるから貴方も一緒に来て」
そう言うと突然に彼女は俺の腕を掴んで、力技で俺の体を抱きかかえた。俺は女子高生に無理から「お姫様抱っこ」されてしまっている態勢になったのである。彼女の手にはベットリと奴らの肉塊が付着してるので、もちろん俺の体にもゾンビの肉が付着する。
「うわわ。やめろっ!ちょっと。俺が感染しちまうよ。アンタ一体なんなん……」
「黙って!洗えば大丈夫だから」
俺の慌てふためきようなど無視して、コンテナの屋根から飛び出すと、少女は凄まじい速度で走り出してしまった。
東京港フェリーターミナル駐車場を抜けると、彼女は飛び上がり、企業の倉庫の屋根の上に軽々と着地した。そしてそのまま地上のゾンビ達を無視して次々と倉庫の上に飛び移っていく。
全くもって信じられん。しかしながら彼女がジャンプして着地するたびに強力なGが俺の体にかかる。
「つぁあああっ、首がっ……」
「ごめん、痛かった?降ろしてあげたいけど下はゾンビの群れよ。諦めて」
彼女は俺を一度も下ろすことなく、あっというまにフェリー埠頭を脱出して有明埠頭橋をも超えていく。そして彼女は迷うことなく暗闇に包まれた東京の街へを走り続ける。




