浮島にて
クィーンに不意打ちされ、滑走路上に倒れてしまった彩奈だったが、両足をスッと天に向けて伸ばすと一気に起き上がった。だが胸部に感じる痛みは強烈で、胸骨のあたりを手で押さえている。
「ぐっ……骨が……。芽衣。アンタは……」
展望デッキの上から芽衣は笑っていた。
「フヒヒ。けっこー頑丈じゃん。さすがぁ」
頭では分かっていても、信じていた友人から突然に殴られてしまったショックは大きい。だがこうなる可能性が存在していたことも……彩奈は十分に分かっていた。
彼女は青ざめた顔で友人に問う。
「説明しなさい!これが友達にすることなの!?芽衣だろうと返事次第では……許さないんだから……」
もちろん本音では芽衣とは戦いたくはない。仮に戦うとしても……殺す気で挑まねばならないのだから。そんなつもりで会いに来たのではないのだ。
「説明……?私が?」
そう言うや否やクィーンは展望デッキを蹴り、猛スピードで地上の彩奈に迫る。彩奈に衝突する途中で体の態勢を変え、飛び膝蹴りの姿勢になる。
「死ねえぇぇ!」
彩奈はとっさに腕で顔をガードしてクィーンの膝蹴りを受け止めた。しかしそのまま彩奈の体は派手にふっ飛ばされてしまう。そのまま肩から地面に衝突し滑走路を100メートルは転がった。
それでも彩奈はふっ飛ばされながらも右腕一本で態勢を立て直し、クィーンの方を向いて構える。だが膝蹴り受け止めた左腕に強烈な痛みが走る。彼女の顔が青ざめた。
『こ……これって……折れてるんじゃ……』
自分の腕に注意がいってしまったその瞬間、芽衣の姿を見失ってしまう。
「芽衣!?どこに……」
滑走路上のどこにもクィーンの姿を見つけられない。建物の屋上にはいないし、駐機場に残されたどの機体の上にもいない。
不意に背後に気配を感じた。クィーンはいつのまにか彩奈の背後に回っていたのだ。
「なっ!後ろに……」
「今頃気づいてどーすんの?」
そのまま脇腹に強烈な回し蹴りをもらった彩奈は、大きく放物線を描き空港の敷地を越えて真っ逆さまに多摩川の河口に落下する。
「きゃああああ」
大きな水柱を立てて彼女は水面に衝突し、そのまま多摩川に沈んでしまった。それを追うようにクィーンは川沿いの第二国際貨物ビルの屋上へと移動する。
「ククク。なかなか浮かんでこないわねえ……ソフトに蹴り上げてあげたのに、もうクタばっちゃった?カルシウムが足りてないんじゃないのアイツ」
だが彩奈は死んでなどいない。密かに多摩川の川底を潜行していたのである。1キロ近く離れた対岸を目指して、必死に潜水泳法で進む。もちろん超人の彩奈と言えも息が続かず胸が苦しい。しかし呼吸するために浮上すればすぐに芽衣に見つかってしまう。対岸到達は彼女の心肺能力の限界ギリギリだった。
意識を失う寸前で、浮島に到達し彼女は水面から顔を出す。
「ぷはぁっ……。ゲホッゲホ……」
そのまま浮島に上陸すると、よろめきながらも、芽衣の目をかいくぐって(石油コンビナートなどのある)工業団地に逃げ込む。この場所はもう東京ではなく、神奈川県の川崎市である。
彼女は岸近くのガラス工場のタンクの裏に身を隠した。
『強い。強すぎる!思っていたよりずっと……。せめて武器がないと……』
だが川底から浮上した瞬間を芽衣は見逃してはなかった。
「みつけた……。あんなザマで逃げられると思ってんのかしらアイツ?」
芽衣の体を旋風が包み込みはじめる。そのまま奴は跳躍し、多摩川河口に飛び込んだ。だが押し寄せる水はクィーンの体に達する前に旋風によって巻き上げあげられていく。高度200メートルにまで達する巨大な水柱が出現していた。
旋風に守られたクィーンは体を濡らすことなく川底を悠々と進んでいく。わざと彩奈に逃げる時間を与えるよう……低速で河口を横断していった。
「ゲホッ……こっちに来てる」
彩奈は必死に工業地帯を北上するように逃げた。
川底まで達している旋風は浮島に上陸すると消えさり、そこにはクィーンの姿だけが残されている。
「さあて。面倒になってきたから、そろそろ殺しちゃおうかな。あいつの体が砕けないよう殴るのに随分と気を使うんだよね……」
奴が彩奈を追って降り立った場所には貯油施設があり、巨大なタンクが並んでいる。円筒状のタンクは1つ1つが高さ20メートル近い巨大な代物だ。
「この辺りのはずよねえ。一体どこに隠れたの〜彩奈。面倒だから全部この辺り一帯を焼き払っちゃおうかしら……」
どこからともなく彩奈の声がする。彼女はこの近くに隠れているようだ。
「ゲホッ。どうしても……どうしても私と戦うの芽衣」
「アハハハ!戦う?アンタが痛めつけられて死ぬだけなんだけどさ」
彩奈にはクィーンの気持ちがまるで分からない。何故、友人が赤髪を倒したという話をしただけで豹変してしまったのか?ゾンビとは言えども理性が残されていた友人が、理不尽に殺しにくることにまるで納得がいかなかった。
巨大なタンクの後ろに隠れながら……彼女は旧友への気持ちにケリをつけるために最後の質問をする。
「蒼汰さんはジャックを倒してアンタの仇を取ったんじゃない!一体何が気に入らないの芽衣は……」
だが彩奈の気持ちなどスーパーゾンビには通じない。クィーンは理不尽な言葉を繰り返すだけだった。
「ククク。隠れてるくせに随分と上から目線で語ってくれるじゃない……。もう死ねば?」
クィーンは足下に張り巡らされた配管を軽く蹴ると、配管を切断した。さらに破断箇所から3メートルほど先も蹴って切断。
この長さ3メートルの配管を手に持つと捻って引きちぎり2つに切断した……。
「それじゃあ隠れたまま死んじゃってくださーい」
突然、この2つの配管を左右同時にローマ軍のピルムのように投げる。クィーンからみて左右に挟むように立っていた2つの貯蔵タンク目掛けて。
それは大型弩砲から発射される矢のような勢いで巨大な貯蔵タンクに衝突し、その壁を大きく凹ませ、さらに簡単に貫通させてしまう。
次の瞬間、破壊された2つのタンクは恐ろしいほどの光を放って爆発し、可動式の天井をふっ飛ばした。タンクの天井だった巨大な落し蓋は500メートルほど吹き飛んで浮島の工場施設の上に落下する。
さらに爆炎は他の貯蔵タンクを包み、貯油施設で連鎖的にタンクが爆発していく。浮島の一角は完全に炎に包まれてしまった。
「きゃああああ!」
端のタンクの背後にいた彩奈は、爆発寸前にその場から脱出したものの、爆風に巻き込まれてふっ飛ばされてしまう。
一方、強烈な爆炎はクィーンにも襲いかかっていたのだが、奴の体を包む巨大な旋風が全て遮断している。(実はクィーンにとってこのぐらいの熱風など物の数ではない。しかしお気に入りのカーディガンを失いたくないのだ)
「ちょっとだけ悲鳴が聞こえたね。これで彩奈も死んだかなぁ?じゃあさっさと第5コロニーに向かうとするかな。蒼汰ってクズ野郎を引きちぎって食らってやらないと気が済まないし……」
しかし次の瞬間、爆炎と旋風を突っ切って彩奈が現れた。本気で怒った彩奈は……地獄のような炎の中を突進してきたのである。
「あ……彩奈!生きてたの!」
「アンタが蒼汰さんに……手を出すなああ!」
虚をつかれたという表情を浮かべたクィーンに向かって、最後の力を振り絞り彩奈は全力で右手の突きを放つ。しかし彩奈の顔が再び青ざめる。
「あ……」
決死の突撃もクィーンには全く通用しなかったのだ。
「な〜んてね。不意をつかれちゃったフリしただけ〜。うひひ……女優になれるかしら私?」
クィーンは、彩奈の拳が到達する前に、その手首を掴んでパンチを軽く受け止めていたのである。そして捕まえた腕を簡単に捻りあげた。右手で彩奈の手首を掴み、左手でその上腕部を押さえつけている。
「くっ……きゃああ」
「このまま関節をグチャっと壊しちゃうかな♪でもアンタ一応友達だから……土下座するならもっとマシな殺し方してあげる」
しかし彩奈は降伏しなかった。目に涙を浮かべて必死に叫ぶ。
「あんたなんか……もう私の友達じゃない!」
「ククク。それはコッチのセリフよ……。最初からアンタなんて友達じゃないわよ……」
クィーンが左手に力を入れて握ると、彩奈の上腕部は一気に骨まで潰されてしまった。彼女の右腕は切断されてしまったのだ。
「きゃあああああああああああ」
傷口から血が大量に噴き出す。
「って嘘〜♪友達だから関節壊すのだけは勘弁してあげたよ。これぞ友情でしょ?」
クィーンは彩奈の千切れた右腕を持ったまま、笑っていた。
「やだ。まだ腕がピクピクいってる。なんかキモ〜い」
「あ……ああ。うぐぅぅぅぅ……」
涙を浮かべて痛みに耐える彩奈に、切断した腕を見せつけた。
「でも握り潰した割には……ケッコー綺麗に取れちゃったでしょ。こう刀でスパッと斬ったような……いい感じの断面じゃない?ねえどお?」
激烈な痛みでもう彩奈にはクィーンの声が届かない。もはや立っていることすらできない。ただただ目を見開いて地面を見つめている。
「うぐう。はぁ……はぁ……なんで……こんな……」
「どうしたの蹲っちゃって♪このまま火炎に巻かれて焼け死にたいの?それは友達として見てられないよ〜」
地面に蹲っていた彩奈の腹をクィーンは軽く蹴り上げた。再び彩奈の体は宙を舞い、数百メートル離れた企業のテニスコートへと落下する。
幸い燃え盛る貯油施設から逃れることができたが……既に彩奈の意識はなかった。
クィーンは大跳躍すると、テニスコートへと降り立った。
「なんだ。もう気絶してるじゃんコイツ……。じゃあこれ返すね。いらないから」
切断した腕を、倒れている彩奈のそばへ投げ捨てる。傷の酷さに、口に手を当てて大袈裟に驚いてみせる。
「やだぁ酷い出血じゃない。じきに死んじゃうよ。バイバーイ彩奈。地獄にいる皆によろしくねぇ」
彼女はかろうじて生きていたのだが、出血が酷いのでじきに死ぬだろうとクィーンは判断する。確かにこのままでは助からない……。
「次は蒼汰って間抜け野郎だよ。そいつをミンチにしてやらないと気がすまない……。海王のバカが殺してないといいんだけど」
北西方向に目をやったスーパーゾンビの体を再び旋風が包む。それは巨大な竜巻と化して第5コロニーに向かって進行を開始した。




