全滅へ
俺はフェリーターミナルを目指して、ゆっくりと埠頭内を歩き続けた。ここは巨大な倉庫が置かれている埠頭で、時々はチラホラとゾンビの姿を見ることがある。だが公道を進む分には問題はなかった。ゾンビ達は俺に気づくことなく、企業の敷地内を彷徨っていたのだ。
「ちっ。金属バット持ってくるの忘れちまった……」
仲間の死で動転していた俺は、軽トラから武器を持ってこなかった。しかし今更になって取りに戻る気にもならない。貨客船が係留されてる岸壁までもうすぐそこなのだから。
そして夏の長い日が沈み、埠頭一帯は急速に闇に包まれだす。ここで俺は大変な計算違いをしていたことに気づく。
「しまった……。こっちは電力が完全に絶えてたんだ」
東京の夜は俺のいた父島以上に暗かった。どこにも灯りがないのだ。俺の気持ちは焦るばかり。ゾンビが彷徨く埠頭でこの薄暗い中を進むのは自殺行為なのは分かっている。俺は埠頭が完全な闇に包まれる前に船に戻ろうと、ターミナルを目指して必死に走った。
『しかしこれが本当に華の東京の夜なのだろうか……。父島の夜より暗いぞ』
ターミナルまであと少しとなったところで突然に銃声が響いた。それも1発ではなく、何発も。銃声は建物の向こう側、貨客船の搭乗口あたりから発せられている。
給油船の確保に向かったはずの7人が、何故か岸壁でゾンビ達と戦闘を繰り広げているらしい。急いで駐車場まで進むが、そこで俺の顔は青ざめた。
「そんな……」
恐ろしい数の死人どもが群れをなしているのが見える。俺は慌てて車の陰に隠れた。しかも奴らは貨客船のある岸壁の方を目指すように動いている。100匹か、いや200匹か……。違うもっとだ。駐車場の連中だけでも全体が掴めない。じゃあ岸壁に押し寄せたゾンビ達の数はどうなる?そう思うと言葉が出てこない。
つまり仲間達は想像を絶する数のゾンビと戦っていることになる。でも奴らはたった7人しかいないんだぜ。
俺はゾンビに見つからないよう、うまく物陰に隠れながら岸壁側に回り込む。貨客船の灯りが見えてきたが、とても近づけない。そこでコンテナの上に登ると戦いの様子がよく見えた。
7人は想像を絶する数のゾンビ達に囲まれていた。奴らは必死に発砲している。船のデッキからも2人の乗船員が銃で奴らを援護射撃している。だがあの大群を前にしては銃など無力だった。
7人の陣形は徐々に崩れていき、押し寄せるゾンビ達の群れに陣ごと飲まれていく。戦いは混迷を深め、各々の状態を見分けることなどできなくなっていった。
だが群れをなすゾンビ達の合唱のようなうめき声と、人間の断末魔の声だけはハッキリと聞こえてくる。分かっているのは絶望的な形勢だけ。俺からヘナヘナと力が抜ける。そのままコンテナの天井にヘタりこんでしまった。
「これでは……とても勝ち目がない……」
銃声はもうしなくなっていた。奴らの弾が切れたのか、全員殺されてしまったのか。
船の方をみれば、デッキで乗船員達が右往左往している。船側の係留ロープを外して出港するつもりのようだ。だが……既にタラップからゾンビ達が侵入しはじめていた。
「マジかよ……」
貨客船は俺達を見捨てるように岸壁を離れたものの、進むべき方向もなく東京湾を漂う。息を殺してコンテナの上で這いつくばりながら、俺は去りゆく船を呆然と見つめることしかできない。
「行ってしまった……。俺はどうすればいいんだ」
だがすぐに貨客船は炎上しはじめた。ゾンビと感染者を島に持ち込むことになることを恐れた船長か誰かが火を放ったと思われる。なんということだろう。みんな死んじまったのか。
そして地獄のような場所に、俺はたった1人で取り残されてしまったのか。あんまりだ。
爆発炎上していく貨客船の光は東京湾を明るく照らす……。まるで灯台のように。
○○○
俺はひたすらコンテナの屋根の上で息を殺していた。もはやどこにも逃げ場はない。俺が隠れているコンテナの周りにもゾンビが彷徨くようになってしまったのだ。
こうなってしまっては少しでも物音を立てれば、ゾンビの大群が俺に襲い掛かってくるだろう。朝まで……朝まで辛抱すればゾンビ達はいなくなるはずだ。今日の朝はゾンビなんて全然いなかったんだ。
でも朝になるまであと8時間はある……。
そう思った時。コンテナの壁をガリガリとひっかく音がしはじめた。まさか……。その音はどんどん増えていく。恐る恐る体を起こしてみると、ゾンビの大集団がコンテナを取り囲んでいるのが分かった。
唯一残った生存者である俺の存在にゾンビ達が気づいてしまったのである。このコンテナを取り囲むゾンビの数が何百体になるのか想像もつかない。倒れたゾンビを踏みつけて、別のゾンビがコンテナに押し寄せる。そうこうする内に、コンテナの屋根に腕を乗せるゾンビが現れだした。
「うわぁぁぁ」
俺は無我夢中でコンテナの上を走り、その腐った腕を蹴りとばした。闇の中でゾンビが後ろに倒れていく。だがもぐら叩きのように、色んな場所からドンドン腕が出てくる。
「やめろぉ」
何度もゾンビ達の腕を蹴った。時に足首を掴まれ、コンテナの下に引きずり降ろされそうになる。すぐさまそのゾンビの顔を蹴ると、顎が取れて落ちていく。慌ててコンテナの中央部に戻る。
しかしついにコンテナの屋根に上がってきたゾンビが現れた。そいつはどういうわけか、頭部が上下逆さまになってるような奴だった。首が折れてそのまま180度回転しまったのか……。想像を絶するほど気味が悪い。
「うわ……」
その姿の恐ろしさに思わず後ずさりすると、横から屋根に飛び出してきたゾンビの腕が俺の足首を掴んでしまい、そのまま引きずり倒されてしまった。
「し……しまった!」
コンテナの屋根からゾンビの海へと引きずり降ろされる……。絶体絶命のその時だった。
夜の闇を貫く稲妻のように、何者かがコンテナの屋根の上に降り立った。
その人物は右手に持っていたジャックナイフを投げると、俺の足を掴んでいたゾンビの腕を裂けるチーズのように簡単に切断してしまった。
そして背後にいたゾンビの上下逆さま顔に、すかさず肘打ちを入れると、奴の顔は銃弾で撃ち抜かれた水風船のように飛び散った。
「うわっ!うわわわ」
な……なんだこれは!?新手の化物なのか……。
その人物はゆっくりと俺に近づくと、俺の顔をマジマジと見つめた。
「凄い……信じらんない。やっぱり私達の他にも生きてる人がいたのね」
その人物は女だった……。
これが俺と、垣内彩奈との出会いだった。