悲惨な光景
東京第5コロニーの住民達の半数以上は体育館に避難していた。しかし落下してきた巨大なダンプカーによって、屋根の中央部を大きく破壊されてしまっている。人的被害がどれほどのものか全く想像もつかない……。
屋根にポッカリできてしまった巨大な穴を見つめながら、中に降りるべきか、やはり庁舎に向うかべき俺は迷った。しかし中から発せられている悲鳴は凄絶極まりない。
「前衛が気になるが……。くそっ!仕方ねえな!」
屋根の上を軽く走り、ポッカリと空いてしまった穴から中へ飛び込む。そして破壊され「へ」の字型に折れ曲がってしまった天井の鉄骨に掴まった。そのまま体をブランコのように揺らして勢いをつけると、ギャラリー(細い通路のような空間)に飛び降りた。ここは人がいなかったのでちょうどいい着地場所だったのだ。だが通路が狭いので、つま先がギャラリーの柵に引っかかってしまう。そのままバランスを崩してしてしまい、壁に顔面を強打してしまう。あげく肩から通路に落ちてしまい散々だ。
「い……いってぇ!こんなことなら普通に下に降りりゃ良かった!」
すぐに起き上がると、柵に両手を乗せフロアの様子を覗うことにした。本当に大人数だ。こんなに人がたくさんいるところを見たのは……父島の島民集会以来だ。
「きゃああああっ!」
「大輔!どこだ!大輔はどこだぁぁ!」
フロアには200人を超える住民たちがいるのだが、皆がパニック状態で泣き叫んでおり、誰も俺の侵入になど気づいていない。
「マ……マジか……。嘘だろ」
それは悲惨な光景だった。予想通り……大勢の人たちが巨大な車の下敷きとなっているのだ。確かに想像はしていたのだが、実際に現場を前にすると目を疑いたくなる。
少し詳しく解説する。10tダンプカーはフロアの中央部に落下していた。しかし床板そのものが衝撃で割れてしまっているので、車体はフロアの下に1メートルほど沈んでいるような状態である。もちろん車体は上から圧縮されたように潰れており、激しい衝撃によってタイヤも3つほど外れている。移動させるには甚だ困難な状況となっていた。
潰れてしまった車体の周囲には、夥しい血液が広がっていた。まるで大きな水たまりのようである。まさに血の池地獄ってやつか……。
「うぅ……うぅぅ……うぅぅ……」
ずっと呻いているのは体中、血まみれの爺さんだった。彼は車体に太ももを挟まれて動けない。その隣には下半身を潰されて意識のない女性もいる。フロント部分には上半身だけ挟まれていた哀れな青年の姿が見える……。彼は既に死んでいるらしく、全く動かない。
その誰も彼もが血に塗れて倒れている。最悪としか言いようがない。
ざっと見で、10人程度の犠牲者を確認することができる。きっとシャーシの下にも別の犠牲者は大勢いるのだろう……。その人たちのことを考えただけでもゾッとする。
東京に来てからゾンビや死体の類はしょっちゅう見てきたので、こういう光景には慣れていたつもりだったが、それは間違いだった。生きてる人間が潰されている様なんて……信じられない。受け入れたくない。赤の他人の俺ですらそう思う……。
そう言えば……目の前で人が死んでしまったのは、決死隊の小山リーダーの事故以来か……。あの時は同級生の岩井も行方不明になってしまったんだ。アイツは結局どうなったんだろうか……おっと、いかんいかん。回想に逃げてる場合じゃない。
「車体をずらすぞ!せーのっ!」
住民たちの中から若い男たちが集まって、潰れた車体を持ち上げようとしはじめる。(40人はいるだろう) だがそれは巨大な車体を引きずろうとしているようなものだった。男たちが少し車体を動かそうとするだけで、下敷きになった人々に多大な苦痛を与えてしまう。
「ぎゃああああああ!腰がああっ!もうやめてくれぇぇ」
「殺さないでくださいぃぃ」
あまりに悲痛な声を前に、その場にいた皆の顔が青ざめる。リーダー格の巨漢の男が慌てて皆に指示を飛ばす。彼は眼鏡をかけた中年なのだが、この飢餓状態のコロニーでも威風堂々たる体格を維持しているようだ。
「や……やめろ!生存者を潰しちまう。いったん離せ!」
しかし救援チームが車体から手を離したとたん、今度は下敷きとなっていた人たちに車両そのものの圧力がかかる。それでまた悲鳴があがる。そもそも40人程度では1人あたり最低でも250キロ以上必要になるのだから、最初から成功の見込みはないというものだ。例え100人がかりでやったところで無駄だろう。ましてや痩せこけた住民たちでは話にならない……。
※注釈(10tダンプカーの車両重量は10t前後と言われてるので単純に10tで計算)
リーダー格の男は頭を抱えてしまう。だが彼は考えを切り替えて、事態の打開を図った。
「先に床をバラするしかない!急いで道具を用意しろ」
だが彼の隣にいた細身の中年男性が懸念を示す。赤い半ズボンを履いているのが印象的なオッサンだ。
「だ……だけど床を下手に解体したら、車体のバランスが崩れてしまうかもしれないぞ。だいたい真下で挟まれてる連中はどうやって助けるんだよ、山岡さん!見捨てるのか」
「他にどうしろってんだ!ダンプカーの解体でもやるのか!それこそ何日かかるか分からんぞ」
リーダーの意見は正しいだろう……。しかし既に10人以上が挟まっている状態だ。下手にバランスを崩すと新たに圧殺されてしまう者が出るかもしれないのは確かだ。時間もある程度はかかるだろう。そのやり方では生存者の全員を救出することはできまい。
巻き込まれた犠牲者の母親がリーダーの腰にしがみついて叫んだ。
「早くなんとかしてぇぇ!ウチの子が死んじゃう!はやく!」
もう見てらなかった。色々と面倒なことになるのは目に見えてるが、俺が手を貸す他ないだろう。全くえらいとろこに来ちまったもんだ。
「悪いな佐藤さん。もうちょい前衛で持ち堪えててくれよ……」
佐藤さんが生きていることを信じ、俺は柵を飛び越えてフロアに降りた。
ダンプカーの周りを囲んで四つん這いの体勢になっている人たちがいる。下敷きとなった人に「頑張れ!」と必死に励ましているのだ。だが車体をどけるために、まず彼らに離れてもらわないといけない。
「ちょっと皆どいてくれ〜。俺が車を持ち上げるから。頼む時間がないんだって!協力してくれよ」
何度頼んでも、俺の声など彼らの耳には入らない。やむを得ず……思い切り息を吸って叫んだ。
「どけえぇぇ!俺が動かすからぁぁ!下がってろぉぉ」
体育館の窓ガラスが振動している。正直、自分でもビビるほどの大声が出た。スーパーゾンビの咆哮も凄まじかったが、俺も中々の大声が出るもんなんだな……。住民たちは驚いて下がった。
「だいたい、この辺でいいな……」
俺が車体を触っていると、先の赤い半ズボンの中年男性が、呆れたような表情を浮かべて止めに来る。
「ア……アンタが何をやるっての?まさかこれを持ち上げようってのか。正気?」
「ああ。説明してる時間がないから、オジサンは下がってくれ」
「いやいや!余計なことしちゃだめだよ。今、山岡さんが床の解体を指示してるところなんだから……」
彼を無視し、足を挟まれている爺さんの前に立つと、床板に蹴りを入れてバラバラに砕いた。(ここは位置的にバランスの変化に最も影響が少ない場所だと判断している)
「なっ!割れた!?ど……どうなってんの。ここの床板は腐ってたのか!?」
それから適当にベリベリと板を剥がし、爺さんが抜けられるスペースを作ったところで、服を掴んでゆっくりと引っ張り出した。
「うぅ……うぅぅぅ……」
とは言え爺さんは意識が朦朧としており助かるか甚だ不安だ……。
「じゃあこの人を頼むよ。おじさん」
赤い半ズボンの中年男性は呆然としていたが、すぐに仲間を呼んだ。爺さんは彼らの手で担架に乗せられ運ばれていく。赤い半ズボンの中年男性は感心した様子だった。
「お……驚いたな。今のどうやったの君!?空手の技か何か?」
「まあ、そんなもんだね。独学だけど」
「はぁ〜。きっと名のある空手家なんだな。いや大したもんだ」
まばらだが、周囲にいた人たちからパチパチと拍手が起きる。といっても喜んでいる場合じゃない。次は車体そのものをずらさねば……。こっからが本番だ。しかしここでリーダー格の男が、突然に俺の肩を乱暴に掴んできた。
「お……おいおい!やめろバカ。勝手に床を壊すな。そもそも……お前は誰だ!?ここの者じゃないな。どこのコロニーから来た!?ま……まさかお前がゾンビの王じゃないだろうな……」
「めんどくせーな。邪魔だから下がってろ。しっし」
急いでいたので男の手を振り払う。彼は不満な表情を浮かべつつも、一旦後ろに下がった。ここからが少し面倒な作業となる。
車体のバランスが崩れないよう手で支えながら、周囲の床板を蹴ってガンガンぶち抜く。(ダンプカーを持ち上げるにも、床板では耐えられそうにないのだ)全く空でも飛べりゃあこんな苦労はしないでいいのだが……。
床下のコンクリート基礎部分が十分に見えたところで俺は注意深く下に降りる。これでようやく作業スペースを確保できた。
しかし住民たちの中には俺を不審に思う者も結構いるようだ。
「な……なんだコイツ……。化物の仲間か?」
「分からんが……人間じゃないぞ」
『陰口叩いてんじゃねえ!全員ぶっ飛ばしたろうかっ』と言い返したい気持ちを堪えてトラックのシャーシ部分をグッと掴んだ。
「ぬ……がりゃあああああっ!」
可能な限り垂直に……生存者にダメージを与えないよう……ゆっくりとダンプカーを持ち上げる。体勢がキツイために、我が腰に尋常じゃない重圧がかかってくるが、どうってことはない。楽々と持ち上げられないようでは、スーパーゾンビには到底勝てんだろう。
まるで滝のように車体から血が流れ落ちて、俺の体にかかった。車体にくっついていた誰かの腕も一緒に落ちていく。
「きゃああっ!」
「うわああ」
館内がどよめいている……。俺の驚異的な力と、車体の下の惨状の両方に……。
車をどかしてみて分かったが、車体の下は地獄だった。
犠牲者の数は全体で20人を超えるだろう。子供も含めて大半は死んでいる。呼吸をしている青年もいたが、下半身を潰されていたので助かりそうもない。同じく呼吸をしているものの、頭から脳が飛び出ていた少女もいた。
せっかく救出したのだが……彼らはとても生き残れそうにない。俺のやったことは無駄だったのか……。
「危ないぞ!ちょっと、そこどいてくれ!今から車体をそこに置くぞ」
「きゃああっ」
バスケットのゴール下にいた住民たちが慌てて逃げ出す。俺はダンプカーをゆっくりと床板に下ろした。
「大輔!」
「七海ちゃんどこ!」
住民たちは一斉に犠牲者達の周りにかけより、彼らを引き上げはじめる。だが大半は死亡していた。助かるとしたらさっきの爺さんぐらいだろう。しかしまともな病院すらないこのご時世じゃ、あの爺さんすら死ぬ可能性が高いが……。
「くそっ!キングだかジョーカーだか知らんが、ふざけたマネしやがって……」
寄り道は終わりだ!急いで前衛に向かわねば……。
そう思った時、リーダー格と思しき巨漢の男が俺のこめかみに銃を突きつけた。(ただしスーパーゾンビとの戦闘に有効な長銃ではなく、短銃だ)
「なんだよ。俺は急いでんだから、どけよ」
「答えろ……。お前がダンプカーをここに投げ込んだのか!」
「はぁぁ!?ぶっとばすぞお前。頭おかしいだろ」
もちろんこんな阿呆など物の数ではない。例えこの距離から発砲されたとしても、銃弾を掴んでコイツの鼻の奥までグリグリ詰めてやることぐらい簡単だ。ただ……他の連中の視線まで冷たいのが気になる。奴を全く止めようとしないのだ。
まさか全員同調してるんじゃないだろうな……。確かに巨大ダンプカーを投げこめる奴は、この世で俺とスーパーゾンビだけだろう。だから俺が犯人のスーパーゾンビて。いくらなんでも雑な推理すぎないか君たち。レストレード警部だってそんな推理しないわ。
「おいおい。うっかりダンプカーを投げ入れて、またわざわざ引っ張り出しにきたと思ってんのかアンタら?そんな暇人じゃねえわ俺」
これで十分な反論だと思ったのだが、表情を見る限り納得してる奴は少なそうだった。ていうか誰も聞いちゃいない。ヒステリックな連中の考えを改めさせるにはまだ足りなかったか。しかし議論してる暇などないので無視して立ち去るのがベストだろう……。
でも待てよ。そうなると俺は誰のためにこれから戦うんだ?コイツらのために命がけで恐怖の大王と戦えって?俺がそんなお人好しだと思ってんのか。
「ゾンビの王め……よくも」
目に涙を浮かべ、眼鏡の巨漢は引き金を引こうとしている。
「死ねえ!」
どうやらこの恩知らずは本気なようだ。時間はないが『このボケだけはぶっ飛ばして天井の鉄骨に縛りつけたる』と思ったその時。何者かが巨漢リーダーの頭を叩いた。それも館内中に音が響き渡るほど全力で。
「えっ!?」
あまりに強い叩き方だったので、男の眼鏡が飛ばされた。俺と奴は何が起きているのか分からず呆然としてしまう。
「バカなの!?もう下がってなさいアンタは!」
奴を叱責する大きな声が、館内にこだまする。驚いたことに声の主は女だった。
白いTシャツを着て茶色いショートパンツを履いた若い女が、突然に厳ついオッサンを叱りはじめているのだ。一体どうなってんの……。
「か……楓様!」
後ろを振り返り、自分を殴った人物を確認した巨漢リーダーの顔がどんどん青ざめていく。
「ち……違うんです楓様。この男はゾンビの王でして……」
しかし女は追撃をやめない。巨漢の腰を何度も蹴って強引にピストルを取り上げてしまった。
「あだっ!ちょっと蹴らないでっ!痛いっ」
「ゾンビの王なら、とっくにお前なんて殺されてるわよ!クソ忙しい時にバカなことしてんな!」
驚いたな。あっさりと巨漢の方が白旗を上げてしまっているとは……。なんだなんだこれは!?でも待てよ……楓様ってどっかで聞いた名前だな。
「あれ?楓様ってまさか……」
思い出したぞ!さっき大神子と小杉さんの2人が話してたじゃないか。確か希望がどうとか……。
ってことは2人の言ってた楓様って彼女のことなのか!?




