怒れる佐藤隆也
今まさにゾンビの王として東京第5コロニーを襲わんとする海王ディエス。その生前の姿は日本人と父とキューバ人の母を持つハーフのプロレスラーであった。それも身長2メートル体重130キロを超える巨躯を有し、無類の強さを誇っていた超大型プロレスラーである。
かつて「リアル・ドンキーコング」と呼ばれたケビン・ランデルマンという選手を覚えておられるだろうか。この海王ディエスはケビンと体型が相似しており、巨漢にも関わらず豊富な運動量を誇っていた。そのためにファンの間から「ビッグ・ドンキーコング」というあだ名で呼ばれることになる。
しかしこのディアスはゾンビウィルスに感染し、リング上で倒れてそのまま死亡した。彼の死はつまりスーパーゾンビの「キング」の誕生を意味する。
ゾンビとなった今も、その服装は試合中のままで、下半身に長めの大型トランクスを身につけているのみだ。そのトランクスは赤を基調として昇り龍が描かれているのが印象的だろう。上半身にも何かを身に着けていたのかもしれないが、ゾンビ化以降の巨大化に耐えられず破れて失われてしまったと思われる。そして右足のみ、破けた黒いブーツを履いていた。
ようするにリングコスチュームを纏ったままゾンビとなっているというわけだ。
彩奈は以前に海王と遭遇したことがあるようだが、何故かその時の詳しい経緯を教えてはくれなかった。だた彩奈は常に「キングと遭遇したら、荷物を捨ててすぐに逃げた方がいい」と俺に言っていたのを俺は記憶している。彩奈の見立てでは、赤髪ジャックを一蹴してみせた俺にとってもかなり危険な敵であるらしい……。
強き力を感じ取ることができる大神子は奴を「日ノ本で3本の指に入る強力なゾンビの王」だと述べている。さてその実力は如何。
○○○
佐藤さんと守備隊のいる府中刑務所庁舎の屋上は第5コロニー防衛の要であり、府中城の櫓とも言える場所だ。地上15メートルほどの高さに位置しているので地上のゾンビ達の動向を見張るには十分な高さである。もっとも今はゾンビの数は万を超えてしまい、見張るもヘッタクレもないのであるが。
台風の接近により風はさらに強まり、瞬間最大風速は40メートル級となっていく。この暴風の中で、ゾンビの大群を率いしキングと屋上の面々は睨み合っていた。聞こえてくるのは恐ろしい風の音と、数万のゾンビ達のうめき声だけである……。
「構えろ!」
第5コロニー守備隊の前衛隊長は雑音に負けない大声で号令をかけた。
実は守備隊の面々は過去にも別のスーパーゾンビと激突している。白髭のエースとの交戦経験がそれだ。コロニーへの侵入を試みたエースを、多くの犠牲を払いながらも辛うじて撤退させたという実績が彼らにはあるのだ。もちろん大神子からの伝令により、キングがエースとは比較にならない強さを持っていることは知ってはいるだろう。しかし彼らはキングを追い返す自信を持って戦闘に臨んでいた。
「ターゲットはあの大型のゾンビのみだ。撃てえっ!」
10名の守備隊員達が一斉にキングに向かって射撃した。(さきほどの俺たちとの戦闘で彼らのライフルのうち4挺は破壊されている。しかしすぐに武器庫から新しい銃が彼らに供給されたのでこの戦闘には支障はない)
一斉射撃をまともに食らったキングだが何十発という弾丸を体に打ち込まれてもニヤニヤするばかりで、まるでダメージを受けてはいなかった。
この結果に隊員達は驚愕している。
「あ……白髭の時とは反応がまるで違うぞ……アイツはよける気がハナからないのか……」
「た……隊長!笑ってますよ」
彼らはこの戦いでは、過去のゾンビの王との交戦経験がまるで役に立たないことを思い知らされることとなった。
『小柄なゾンビなら手足をふっ飛ばしてしまうほどの一斉射撃だったが、キングの体はあまりにも巨大である。仮に銃弾が頭を貫通したところで、ゾンビは死にはしない……』
と前衛の隊員達は理解しただろう。
だが佐藤さんは彼らとは異なる結論に到達してしまい、苦い表情を浮かべている。
「か……海王の体はどうなってんだ……。こんなゾンビは初めて見た……」
限界を超えた動体視力を有している佐藤さんだけには、全ての弾丸の軌跡がハッキリと見えてていた。彼の目には、海王の皮膚に跳ね返されてしまった銃弾が映っている。実に9割はキングの体から跳ね返されてしまっていたのだ……。
驚愕する屋上の面々を尻目に、キングはその巨大な手で密集状態のゾンビ達を払いのけると「府中刑務所」と彫られた看板石を片手で掴んだ。墓石の竿石より巨大な看板石を土台からアッサリ引き剥がすと、軽々と下手投げした。
「な……なんだ?」
重さ数百キロはあるだろう看板石にも関わらず、恐ろしいほど高く舞い上がって見えなくなってしまう。恐らく300メートル近い高さまで上昇したはずだ……。そして最高点に達すると一転して真っ逆さまに落下。守備隊の面々は首が痛くなるほど空を見続けるが中々見えてこない。不意に佐藤さんが、北側にいた背の高い隊員に向かって叫んだ。
「さがれ!そっちに落ちてくるぞ」
「え……どっちに!?」
落下してきた看板石が隊員らの視界に入ったときには既に手遅れである。弾丸のような速度で落下してくるため、隊員達に見えたとしても反応するまでの時間がないのだ。
佐藤さんの忠告にも関わらず、それは一瞬で背の大きな隊員を潰してしまった。
「ぎゃあああああ!」
巨石は守備隊員の1人の真上に落下し、彼の体を一瞬でミンチにしてしまうのみならず、屋上の床と3階の床を突き破って2階にまで到達してしまった。
「まさか……こんな攻撃をしてくるとは……」
潰されてしまった隊員の暖かい血が佐藤さんの頬にピシャッと付着し、タラリと流れ落ちていく。
「マ……マズイぞ!これじゃあ、やられっぱなしになるぞ」
キングは駐車場に放置された車を見つけて掴むと、同じようにして投げつける。巨大な車が信じられない高度にまで舞い上がり、そしてミサイルのように落下していくのだ。この繰り返しだけで屋上は地獄となっていく。
「うわぁっ!」
「隊長!我々はどうすれば……!」
凄まじい速度で動ける佐藤さんだけは、簡単に落下物を回避することができたのだが、それは他の人間達には到底マネできない神業である。
「うわうわっ!こっちに落ちてきた!助けぇぇてぇぇ……アェェェビャァァッガァ!」
車が降ってくる度に、守備隊員達は1トンを超える車体にプレスされていく。1人、また1人と潰される隊員の数は増えていった。ついには10名の隊員のうち7名は車体の下敷きとなってしまう。彼らは一瞬で血に塗れた肉塊へと変貌してしまったのだ……。
屋上には無残に潰れてしまった人間の頭部や、引きちぎれた腕、折れた足が転がっている。血に塗れた地獄を目の当たりにして戦闘員達が恐怖に飲まれてしまう中、たまたまその場に居合わせてしまった佐藤さんだけはまだ冷静さを保っていた。
「おい!ボサッとしてないで射撃を続けろ!これ以上、海王に車を投げさせるんじゃない。このままじゃお前らのコロニーも危ないぞ!胴体に撃っても無駄だ。目だけを狙え!」
しかし生き残った3人の隊員達は彼の指示に反応せず、銃を持ったまま泣き震えているのみ。中には失禁している隊員もいた。
「だ……だめだよぉぉ。みんな殺されちゃうんだぁぁ。だから俺は逃げた方がいいって言ったのにぃぃぃっ」
「くそっ……しっかりしろよ!」
佐藤さんの危惧した通り、キングのコントロールは常に正確というわけではなく、車の何台かは見当違いの場所にまで飛んでいくことがあった。屋上の守備隊員達にとってはラッキーな話だが、コロニー全体にとっては不幸なことだ。というのも落下した先に体育館があり、これによって大勢の避難民が巻き込まれることになったのだ。俺はその場に居合わせてしまったのだが、この話は後述する。
庁舎の屋上にはバラバラになった車体が山状に積み上がり、先程まで生きた人間だった肉塊が散乱している。車体のタンクに残されていたガソリンも散乱してしまい、銃が使える状態ですらなくなってしまった。この惨状を目の当たりにして、佐藤さんは意を決して残った守備隊の人間に告げた。
「もうお前らは下がれえええ!居ても役には立たん」
「し、しかし……我々は逃げるわけには……。最後まで踏みとどまらねば!」
「いいから早く散れ!塔屋まで壊れちまったらお前らに脱出する術はない」
「は……はい!」
生き残っている前衛に撤退するよう命じた結果、屋上には佐藤さんただ1人しかいなくなった。その佐藤さんを目掛けて、大型のトラックが高度200メートルの高さから落下していく。
上空を見つめる佐藤さんはギリギリまでトラックの位置を確認すると、激突する寸前に2メートル下がる。そして足を踏ん張ると両手を組んでダブルスレッジハンマーをトラックのシャーシ部分に食らわせた。
「うぉぉりゃあああああっ!」
強烈な一撃を食らってシャーシの折れ曲がったトラックはその軌道を大きく変え、回転しながら海王目掛けて飛んでいく。恐らく時速200キロ近い速度はあっただろう。
だがそのトラックをキングはその巨大な腕で簡単に弾き飛ばしてみせた。むしろ払いのけると言った方が正確だろうか。大型トラックは街路樹をなぎ倒しながら地上を滑るように進み、何百というゾンビ達を轢き倒して、職員宿舎T棟の1階部分に激突して止まった。
海王は佐藤さんを見上げ、初めて口を開いた。
「くくく。そんなもんか。もしかしたら例の背広野郎かと思ったが、その程度じゃただの人間のようだなぁ」
「ふん。テメーも俺をジョーカーと間違えやがったのか。いい迷惑だぜ」
海王と戦うつもりなどサラサラなかった佐藤さんだっがが、先程まで喋っていた人間があっという間に肉塊にされてしまった姿を目の当たりにして、考えが変わったようだ。
こうして彼は俺の到着を待たずに、たった1人で海王に挑むことになる。それは無謀なことであったが、人間らしい行動でもあった。
ようするに彼は激しく怒っていたのだ。




