大神子の涙
かつての府中刑務所はその名を東京第5コロニーと名前を変え、ゾンビが支配する外世界から僅かな生者達を守る要塞へと変貌していた。人々は塀の中で自治組織をつくり(悲惨な生活ではあるものの)滅亡の運命と懸命に戦っていたのだ。
言うなればここは一揆の砦のようなものだろうか。いっそ府中城と呼んでも良いかもしれないな……。
「この東京に君臨せしゾンビの王は5体であった。しかしその中の1体は貴殿によって打砕かれ、もう1体は謎の者によって力を奪われた。しかし1ヶ月ほど前から新たなるゾンビの王が出現し……」
俺はこのコロニーの指導者である「大神子」なる人物と謁見しているのだが、彼女は謎めいた発言を繰り返すので困惑させられる。何故か俺と赤髪ジャックとの戦いまでも知っているようだ。それどころかエースの消滅まで気づいている。まったく不思議な婆さんだ……。
だがまだ信用していいのか分からない。言っても俺を撃ち殺そうとした連中の仲間だし。
「そう不安な顔をされるな。私は所詮たいしたことはできん婆じゃ。強き力を感じ取り、せいぜい神に祈ることしかできぬ者じゃよ」
「そんなの信じられないぞ……。ジェダイの騎士じゃあるまいし……」
正座していた小杉氏は起き上がると大神子の後ろに立った。
「嘘ではない。石見殿は信じられないかもしれんが、我々は大神子さまの力で何度も窮地を脱してきた。不意打ちで襲撃されるのが最も危険であるからな。ゾンビの王と言えど接近を知ることができていれば恐ろしくはない」
そういうもんかね……。そういや生首のエースも襲撃を断念したと言ってたしな。この婆さんを信じてもいいのだろうか……。だが俺の心に迷いは残る。
「それで……。俺に一体何の用事なんですか?俺は生存者がいると知って、ここに寄ってみただけなんだ。外は暴風だし早く仲間の元に戻らないと……」
俺の言葉を受けて、不意に大神子はその目から涙をポロポロとこぼす。突然のことに俺も驚いた。
「しばし待ってもらえぬか石見殿。今回ばかりは私の力も役に立たんのじゃ。この街に接近しているゾンビの王は、東京のみならず日ノ本でも3本の指に入る強大なゾンビ。守備隊などは容易に壊滅させられてしまうじゃろう」
マ……マジかよ。
「そ……そんなにヤバい奴がここに来るのか」
老婆は頷いた。
「あの者は残った人間そのものを根絶やしにしようとしておる。何故にそんな事を考えておるのか私にはまるで理解できぬ。じゃが……誰も奴を止められまい。残る2体のゾンビの王を除いては……」
小杉氏がさらに説明を加える。
「さっき東京のコロニーが1つ減ったと私が言っただろう。実は多摩市にあった第2コロニーを滅ぼしたのも奴なのだ。我々は第2コロニーからの救援信号を受け取ったが……どうすることもできなかった。頼む!助けてくれ。次は我々が滅ぼされてしまう」
地獄やんけ。
なんで俺は、こんな危険なところに来ちまったんだろう!?いつもその辺の運が悪いんだよ俺は。
ここで妙案が浮かんだ。
「じゃあ……逃げるってのは?残ったコロニーまで皆を連れて。それなら手伝ってもいいんですけど」
大神子は首を横に振った。
「もう逃げても間に合わぬ。残念ながら数分もすればこのコロニーに恐ろしい災いが降りかかるじゃろう」
え……もうそんなに近づいてるのか!じゃあ話し込んでる場合じゃないよ。
俺は部屋の窓から外を覗くが、見えるのは刑務所内の収容棟ばかり。
「貴殿の方からここを訪ねてくれたのは天啓というものじゃ。ゾンビの王を倒した貴殿が加勢してくれれば……僅かの者でも生きながらえるかもしれぬ」
なんでこんなことに巻き込まれなきゃならないんだ。
「悪いけど俺は帰りますよ。面倒ごとはゴメンですよ」
「待ってくだされ。貴殿に慈悲の心があるならば哀れな我々にその大いなる力をお貸しくださいくだされ……」
大神子は俺に向かって土下座してみせた。これには俺のみならず小杉氏も戸惑っているようだ。
「お……大神子さま!私が代わりにやりますのでどうかお顔を上げてください……」
当然助けてあげたい気持ちもあるが……俺が命がけで戦うのも何か違う気がする……。今ここにきたばっかだし。この人たちになんの縁もゆかりもない。だいたいさっき守備隊に撃ち殺されそうになったし。
そもそも連中はマジで危険なんだ。赤髪の時だって油断すれば俺が殺されていたはずだ。この人たちはそれが分かっちゃいないんだ。
「虫の良い頼みなのは分かっておりまする。しかしもはや頼れるのは貴殿の力のみ……。このコロニーには幼子や赤子もいるのです。どうか……どうかこの婆のワガママを……」
俺は大神子の肩に手を当てて、顔を上げてもらった。
「期待されてるところ申し訳ないけど……俺はそんなに強くないんですよ。今から来るって奴は……俺でも勝てる相手なんですか?」
大神子は首を横に振った。
「それは分からぬ……。貴殿が倒したゾンビの王とは……残念ながら強さの桁が違うかもしれぬ」
唖然とする発言が返ってきた。
「じゃあ……結果なんて見えてるじゃないですか!ダメダメ」
大神子は目を瞑り、ゆっくりと諭すように語る。
「正確に説明しよう。もしも赤髪のゾンビを倒した時と同じ力を貴殿が出せるのであれば……今から現れる敵ですら貴殿には敵うまい。しかし今の石見殿にはあの時の半分の力も感じられぬ……。だから戦いの結末は私にも見えぬ……」
ちょっとこの人が何を言ってるのか分からないぞ……。俺の力が半分以下に落ちてるだと?だったら余計に俺に頼っちゃだめでしょ!
「もう決まり。皆で逃げましょう。俺達も撤退するよ」
「落ち着きなされ。あの時の石見殿は、この都を揺るがすほどの眩い力を発散していた。しかし今はその力が大幅に失われておる……一体何があったのじゃ?」
俺は額を触ってみる。もしかしたら風邪でも引いてるのかなと思ったが別に平熱じゃないか。もう頭を抱えるしかない。
「とにかく!仲間が帰りを待ってるので俺は帰らないと……」
「そ……そうじゃ!貴殿は仲間のためにその力を出したのじゃ……。悪辣なゾンビの王ですら震えあがるほどのあの力を!覚えておらぬのか」
大神子の言葉によって不意にあの時の記憶を呼び起こされた。二度と思い出したくない……赤髪が彩奈を殴りつけてる姿を。
大神子の言葉に素直に俯くことにした。
そうだな……そうだったかもしれん。今となっては、なんか彩奈に嫌われちまったけど……。
俺はアイツのことが好きだから。
部屋にしばしの静寂が訪れる。しかしその静寂はサイレンによって破られた。
「な……なんだ!?」
突如として府中刑務所全体にサイレンが鳴り響き、皆の緊張感が一気に高まった。このサイレンは庁舎の上から見張っていた守備隊がゾンビの王の襲撃を知らせる合図であったのだ。
「ついに来おったぞ!ゾンビの王が」
次の瞬間、コロニー全体を揺るがすような凄まじい咆哮が聞こえた。
「ウガァァァァァァァァァァァァァッ!」
このライオンのような咆哮は、東京第5コロニーの遥か遠方にいた彩奈、そして都心にいた澪達にまで聞こえたという。まるでゴジラのそれだぜ……。
○○○
時は10分だけ遡る。
俺が大神子の部屋に招かれてしまったせいで、退屈気味な佐藤さんは庁舎の屋上で暇を持て余していた。
(もう一度、庁舎の位置関係に解説を加える。府中刑務所の塀は上空から見て「凹」という形をしている。庁舎はそのまさにヘコんでいる部分に置かれているのだ。つまり庁舎は塀の外に位置しているわけだが、建物は塀と接しており刑務所内部への移動が可能である。この庁舎の屋上から佐藤さんは外の世界を眺めている)
「もうっ!屋上はめっちゃ風が強いじゃん。せっかくのお気に入りの背広が砂埃塗れになっちったでないの。いい加減に僕も中に入れてくんない?僕も生存者という仲間じゃないの」
緑のシュマグをまとった男の1人は頭を下げて、彼にここに留まるよう頼みこむ。
「す……すいません。大神子様と小杉さんの指示なので……ここで待機をお願いします」
佐藤さんはハァ……とため息をつく。
「しっかし塀の外にはゾンビが増えてきたなあ。この辺はいつもこんな感じなのか?」
「いや……ここまで増えるのは初めてです。我々も見たことがない数ですね」
「おいおい……職員宿舎の向こうからもゾンビがウジャウジャこっちに向かってくるぞ。なんだなんだ急に……」
気づけば府中刑務所は数千の食人鬼に包囲されてしまっている。守備隊の一人はお調子者で、さきほど敵として戦った佐藤さんに勝手に期待を寄せる。
「貴方も凄く強いんですよね?きっと、こんな数のゾンビなんてパパッと簡単に片付けられるんでしょ。なんかあったら頼みますよ!」
「ばっ……ばかを言え!なんで俺が……。だいたい50体や100体なら相手したことはあるが、こんな数のゾンビ達と戦ったことなんてあるかよ!疲れ果てて食われちまう」
ゾンビの数はさらに増えていく。第5コロニーを取り囲むゾンビの数は1万を超えてしまったであろう。しかもうめき声をあげるゾンビ達は、塀を越えようという統一した行動をみせはじめる。
驚いた佐藤さんは起き上がり地上の異変を確認する。
「どうなってんだ。てんでバラバラの行動しかできないはずのコイツらが……」
ピンときた彼は守備隊の面々に向かって叫んだ。
「そ……そうか!そいつが近くにいやがるのか!気をつけろ!お前らの言うゾンビの王ってのがもう来てやがるぞ!」
「りょ……了解しました!」
スーパーゾンビが有する能力の全容は未だ謎に包まれているが、一つだけハッキリしているものがある。奴らは数万というゾンビ達を従えて行軍させる力を持っているのだ。それは赤髪のジャックがホテルを襲った時もそうだった。
守備隊の面々は急いで銃をとって構える。
例え数万という数のゾンビが押し寄せたとしても、食人鬼ごときに府中刑務所の高い塀を乗り越えることはできない。だがスーパーゾンビがいれば話は全く別だ。いとも簡単に塀を破壊し、食人鬼達をコロニーの中に侵入させてしまうだろう。1匹や2匹でも面倒なのに、こんな数のゾンビがなだれ込めば、どうあっても惨劇は避けられない。
500人以上いる生存者達は食人鬼達の餌食となるか……感染してゾンビとなるはずだ。老人も子供も関係なく。すなわち全滅の恐怖がすぐそこまで近づいているのである。
佐藤さんは異様な姿をしたゾンビの接近に気づいた。
「まさか……アイツが」
彼を驚かせたそのゾンビこそが、第5コロニーの住民たちからゾンビの王と呼ばれ、恐れられている者である。しかし奴が東京第2コロニーを滅ぼした犯人であることなど佐藤さんには知る由もない……。
生者達の前にその姿を現したゾンビの王は庁舎へと通じる道をのそのそと進んでくる。時々前にいるゾンビをグシャリと踏み潰しながら……。
「でかいぞ!全くでかい!」
敵は実に奇妙な形態のゾンビであった。まず人間としてはありえないほどに巨大なのだ。おそらく大きさは4メートル近いだろう。しかも巨大化は上半身と腕にやや偏っているふしがあり、若干ゴリラのような体型だ。(かといって4本足で歩行しているわけではない。2足歩行をしている)そしてゾンビの左足から皮膚は剥がれ落ち、筋肉が剥き出しとなっている。
ゾンビの大群の中でも、その巨大なゾンビは一際目立つ。その姿を見て佐藤さんは確信を得た。
『石見君の話では東京には3体のスーパーゾンビがいるはずだ。だがコイツは俺が見たジョーカーとは違う。それにクィーンはきっと女だろう。となると……コイツはキングって野郎だな』
佐藤さんの推測通り、この巨大なゾンビこそスーパーゾンビの一角「キング」である。その堂々たる体躯は王と呼ぶに相応しい迫力を有しており、彩奈がこのゾンビをキングと名付けたのは自然なことなのであった。
しかし佐藤さんはこのゾンビのもう一つの名前を知っている。突風に巻き上げられた砂埃が顔にぶつかろうとするのを腕で防ぎながら、彼は呟いた。
「あいつは『海王ディエス』じゃねーか!とんでもねー」
守備隊の1人は首を傾げて彼にその意味を尋ねた。
「海王?誰ですかソイツ?」
「お前ら知らないのかよ。有名なプロレスラーだぞアノ野郎は!あんなのがスーパーゾンビだったとは……こいつはちょっとヤバいぜ……」
ゾンビの褐色の肌、腕に入った錨のタトゥー、そして銀色に染め上げられた坊主頭が手がかりとなった。巨大化しているし、その目も黄色となっているものの『海王ディエス』に違いなかった。
「試合中に倒れて病院に運ばれたと聞いていたが……。死んでゾンビになってやがったとは……」
地上を進むキングと庁舎の上の佐藤さんの目があう。その瞬間、キングは大きな口を開けて、天に向かって咆哮したのである。
「ウガァァァァァァァァァァァァァッ!」
鼓膜を突き破るほどの強烈な雄叫びをくらって、守備隊と佐藤さんは咄嗟に耳を塞ぐ。
「ぐあっ……」
鳥たちは恐怖に怯えて一斉に空に飛び立ち、街路樹の葉は落ち、庁舎のガラスが割れて散った。
海王の雄叫びは、東京第5コロニーに到来する地獄の幕開けを告げるものだった……。
7/12 キングを銀髪に訂正




