札幌から来た男
俺が戦っていた相手は最強のスーパーゾンビ『ジョーカー』ではなく、佐藤隆也という人間だった……。ただし赤髪のジャックと同等か、それ以上の力を持った人間である。つまり彼もまた我々と同じ運命のイタズラによって驚異的な身体能力を身につけた生存者なのだ。
大観覧車の中心軸の上に胡座をかきながら俺は彼の話を聞き続ける……。元々自分は北海道の札幌市で暮らしていたサラリーマンであったと彼は言う。この超人的サラリーマンのもたらす情報はどれも驚きのものばかりであった。
何しろ今朝、スーパーゾンビに襲われたらしい。これが俺を敵だと認識した遠因となったようだ。
「でさ〜。成田空港の滑走路にとんでもなくヤバいゾンビがいたんだよ。片腕しかない妙なゾンビで、しかもヒョットコのお面を被ってんだ。これがツエーのなんの。片腕なのに、ちょっと勝てなかったなアイツには」
この男を片手であしらうとは……千葉には恐ろしいスーパーゾンビがいるもんだ。ただ、彼の話にはまだ納得のいかない部分も残っている。
「ていうか……なんで俺を片腕しかないゾンビだと思ったの……アンタ」
「だ……だってエクストリーム・ゾンビって無茶苦茶なんだぞ!君は戦ったことないのか?」
彼の言うエクストリーム・ゾンビとは、彩奈が名付けたスーパーゾンビと同じものだ。突然変異として数十万体に1体の割合で生まれる恐怖のゾンビであり、我々、生存者にとって最大の天敵と言える相手である。東京のみならず千葉や北海道にもいるところから考えて、日本、いや全世界的に存在していると思われる。
「俺も戦ったことあるけどさ……。だからって間違えるかな?」
彼はハンカチを取り出すと頭に押し当てる。その頭皮からの出血のせいで顔面の左半分は血に染まり、彼をゾンビにような姿にしていたのだ。
「このドタマの傷だって、片腕ゾンビににやられたんだよ。実はここに来るまでに傷はほとんど塞がってたんだけどね、大観覧車に上がる途中で、うっかりリムに頭をぶつけちまったら傷口がザックリと開いちゃってこのザマなんだ……」
他にも興味深い話を色々と聞けた。まず彼が南下してきた理由は「文明の灯火が消えてしまった北海道で冬を越せる自信がない」というものだという。彼は本州への南下を決意し、津軽海峡を手漕ぎボートで進んだ。しかし途中で荒波に飲まれて転覆したのでクロールで泳ぎきったという。ちなみに真っ暗闇の青函トンネルを抜ける度胸はなかったとか。……そんな話ばかりだけれど。
彼の話には悪い情報も良い情報もあった。札幌では生存者を全く見つけられなかったという。
「マジで!?」
「まあ……俺がみた限りではね。でも釧路の湿原や大雪山系を全部チェックできたわけじゃないから北海道全体じゃ分かんないよ。でも札幌近郊じゃ人はほぼいない」
「じゃあ東北は?通ってきたんだろ」
「そうな〜。……青森の沿岸部に少しだけ生存者はいたよ」
そうか……。不幸中の幸いと言うべきか、やはり僅かではあるものの日本全体で人は生き残っているらしい。東京にも府中刑務所にコロニーができてるようだし。
「しっかし今日は本当についてねえや。ヒョットコ野郎に頭を蹴られるし、その後で君に殴られるし。首都圏は危ない奴しかしかいねーのかな。自分で言うのもなんだけれど、俺は相当に強いと思うんだが……」
「は、はは……」
芝生公園を見下ろせば、皆は避難せずにあの場に残っているのが見えた。彼女たちも心配してるかもしれんな。とりあえず彼の素性が分かったところで俺は戻ることにした。
「どした君?どっか行くのか」
「うん。ちょっと、俺は向こうに戻る。それじゃな」
そう言うと俺は観覧車から飛び降りて皆のもとに戻った。パラソルの下で寝ていた彩奈は澪に起こされていたらしく、少し寝ぼけ気味だった。彼女は欠伸した口を手で隠しながら俺の方をみて驚いた。
「ふわぁ〜。ど……どうしたの蒼汰さん!怪我しちゃって大丈夫!?」
「ちょ……ちょっと……色々あって」
背中にツンツンする感触を感じて振り返ると、澪が俺の服を後ろから引っ張っていた。
「何をしてるの石見さん!?勝てそうだったのにジョーカーと話し込んでちゃ駄目じゃない!」
俺はバツが悪くて澪から顔を背けた。
「……全然人違いだった」
「えっ……。嘘っ!あれ違うの?じゃああれってキング?」
「それがなんと奴はゾンビですらなくて、単に背広着てただけの奴だった……。俺たちよくよく考えたらジョーカーの実物なんてみたことなかったもんな。あはははは!」
「あ……そうなんだ。良かったね石見さん……あははは……」
もう笑って誤魔化すしかない。澪も引きつった顔で笑っていた。
2人で寒々しく笑っていると、彼は大観覧車から飛び降り、大きく地面を蹴ると3回の跳躍で我々の前に現れる。突然現れた背広男に澪は驚く。
「きゃあっ!」
「だ……大丈夫。ゾンビではないっ。落ちつけ」
俺が皆をとりなしたところで、彼は左手を後頭部に回してお辞儀した。
「え〜はじめまして〜。佐藤と申します。こうして生きてる人たちに出会えたは久しぶり……」
頭を上げて彩奈の姿を目にした瞬間、そのまま彼は固まってしまった。
『ま……まじか。あまりにも……あまりにも可愛すぎる……』
挙動不審な彼の様子に、彩奈はわけが分からず首を傾げてキョトンとしている。だが佐藤さんの頭からタラリと血が垂れ落ちたのを見て心配した。
「あの……頭の怪我は大丈夫ですか?手当しないと……。包帯持ってきたかしら……」
口をパクパクさせ、なにやら彼は驚いている様子だった。すぐに俺の腕を引っ張り、皆に背を向けて小声で話はじめる。
「ま……まさか君、あの子と暮らしてるのか!?嘘だろ。だって……」
「何が言いたいんだアンタ……」
「だって君、ありゃ女子高生だぞ!それも、あ……あんな……優しくて美しい……」
彼は目を瞑って、自分の胸に手を当てる。そして自分の胸が高鳴っているという……いらんアピールを俺にしてみせる。これはすご〜く嫌な予感がするぞ。このリーマンは何か変なこと考えてないだろうな……。
ハンカチで頭の血を拭うと(すぐに血は止まってしまった。)彼は天に向かってガッツポーズをした。
「俺、すげえテンション上がってきたぁぁ。彼女を見た瞬間に中2の時の初恋を思い出したぐらいだ……きっとこれは恋の予感ではなかろうか?」
「は……はぁぁ!?テメーは何を言ってんだ」
ま、まさか……この野郎〜。初対面でイキナリ彩奈を狙ってんじゃないだろうな。とんでもねーな!
次に彼は彩奈の隣にいた子供達をチラっと見るなり、鼻血が出そうな勢いで興奮しはじめてしまう。
「おいおいおいっ!眼鏡の子も異様にクールビューティーじゃんよ。てか……ちょっと待った!小学生の子達まで可愛くない?あの子達はあまりにもスレンダーで可愛すぎる。もうなんだよこのグループ」
彼は俺の肩をグイングイン揺すった。
「こんなの反則だぞ!どんなパラダイスで生きてるんだ君。こんな破滅的な世界で幸せの独り占めなんて許されると思ってんのか!独占禁止法に引っかかるからっダメ!」
マ……マジか。未成年に手を出す気マンマンじゃねえか!完全にアウトな輩だったな。これはゾンビと間違えて討ち取るべきだった……。
若干後悔していた俺は彼の肩に手をポンと乗せた。
「ちょ……ちょっと向こうで話をしようか佐藤さん。彩奈、俺達また向こうに行ってくるから。気にしないでくれ」
「なになに石見くん?また向こうに戻るのか。なんだよなんだよ」
俺と彼は跳躍して、再び観覧車の巨大なスピンドルに上がる。
「あのさ……」
話を切り出そうとする俺の声を遮って、ど厚かましい彼から突然な申し出があった。
「俺も君たちのところに一緒に行っていいか。いいだろ!?一緒に住みたいんだ!」
「い……行っていいわきゃねぇだろっ……。兎小屋に狼なんぞ入れられるか」
俺の目が血走っているのを彼は感じ取ったようだ。
「お……落ち着け。俺は役に立つ男だぞ。あの動きを見ただろ?その辺のゾンビなんて屁でもないぜ」
「うるさいっ!アンタなぞいらん。とっとと北の大地に帰れ」
すると彼はガッカリしてヤンキー座りの態勢になり、俺の手にすがるようにしてに泣きつきはじめた。
「なんだよぉ〜、いきなり嫉妬すんなよぉ〜」
「泣いたってダメだね。文句あんならかかってこい」
「ええええええっ。ひでぇなコイツ」
この男はある意味でゾンビよりも危険だ。絶対に排除したると俺は決意した。俺の強い意思を感じ取った彼は諦めて立ち上がる。そしてポンポンと背広についた埃を払う。
「分かった分かった。確かに突然に押しかけるなんて良くないもんね〜。君らにも生活というものがあるから」
よし……分かってくれたようだ。こんな世界だからと言って誰でも彼でも固まって暮せばいいというものではないのである。
「でも東京に来てよかったな〜。あんな甲斐甲斐しい美少女たちが存在してたとは。お陰で人生に希望が持てた。いつか彼女たちに惚れられる男になりたい」
表現がいちいち勘に触る……。もっとマシな言葉はないのだろうか。
「あのな……言っとくがあの子らに手を出したらマジで許さんぞ」
殺気を感じてしまった彼は両手の掌を前に出し、俺を制止する。
「お……落ち着けよ。冗談だっつーの。本当言うと俺はこのまま南の方に進もうと思ってんだ。とにかく暖かいところに住みたいんだよね」
なんだ……冗談だったのか。でも全然笑えない冗談だからやめてくれ……。
……とまあ色々とあったものの、俺たちは大観覧車の上でもう少しだけ話あうことになるのだ。
「あのさ。真面目な話するとさ府中刑務所にあるコロニーならアンタを暖かく受け入れてくれるかもしれんよ。俺たちはまだ行ったことないん場所だけど、どうやら東京の生存者がそこに集まってるらしいんだわ」
彼は大空を見上げ、遠い目をした。
「ん〜。でもやっぱり南方に行きたいんだ俺はね。東京よりも暖かい場所で冬を越したいんだ」
まだ暑いから、まだ北海道にいた方がいいと思うんだが……。それは彼の勝手か。
彼は胸のポケットから、4つ折りにされた奄美大島のパンフレットを取り出して俺に見せた。
「ここで暮らしたいんだ」
う〜ん……奄美かあ。ちょっと厳しくないか?父島に戻るほどじゃないけど、海がかなりの障害になると思うんだよなあ。まあ口を挟むまい。
「五島列島あたりにまだ人がいそうな気がするんだ。そこの漁師の船に乗せてもらう予定なのさ……」
「そ……そのプランは楽観的すぎないだろうか……」
体育座りしていた彼はフウっと息を吐くと、顔を俯けた。
「今はもう死んじまってゾンビになっちまってるけどさ……。僕のお袋は奄美の出身なんだよ。遠いからあんまし行ったことないんだけど、行かなきゃいけない気がしてさ」
うおっ……。最後の最後に悲しい告白を。やめてくれよ……ちょっとウルッと来ちゃったじゃないか。
彼は立ち上がり、大きく背伸びをする。
「う〜んっ。そろそろ、行きますかぁ〜」
俺も立ち上がる。すると彼が握手を求めてきたので応えた。
「じゃあな石見くん!生きてたらまた会おうぜ」
「ああ」
そういうと彼は観覧車から飛び降り、そして公園を西に進んでいく。これから神奈川方面に進むと言っていた。
なんだかんだで面白い人だったな。とても子供達に会わせられる人物ではなかったが……。




