葛西臨海公園へ
秋の風が吹き始めた8月の末。子供達を連れて皆でピクニックに出かけることになった。
ゾンビであふれる東京で呑気にピクニックするなど、おそらく自殺行為にしか思われないであろう。しかし俺と彩奈がいればなんとかなるはず。とにかく澪達を、一時でもホテルの狭い屋上から解放してやる必要があった。というわけで8月某日にピクニックは晴天決行されることになった。
行き先は葛西臨海公園という場所である。離島出身の俺はよく分かってないのだが、なかなか良いところらしい。ゾンビ達から子供達を守るために、先に彩奈がパラソルなどの道具を持って公園に行き、そこに俺が子供達を1人ずつ公園に送るという段取りになっている。俺か彩奈のどちらかが常に傍らにいるので、ゾンビは子供達に近づけない……。
時刻はもう11時半。俺は原付バイクをホテルの前にキッと止める。(これは鍵のついたまま路上に放置されてた代物。3ヶ月間ほど放置されていた代物なのでエンジンをかけるために、キックを2000回ぐらいやったかもしれない……)
既に澪と春香ちゃんの2人は先に公園に送ってあるので、残るは一番小さな愛ちゃんのみ。しかし屋上まで彼女を迎えに行った時は、ワンワン泣いちゃっていた……。
「1人で怖かっだぁぁ〜」
泣き続ける愛ちゃんを宥めながら下まで連れていき、ホテル前に止めた原付の座席にヒョイと乗っけると、これで準備完了。いざ出発。
「良い天気だな〜。暑いけどちょうどいいや」
今日は本当に快晴だなぁ。お陰で彷徨くゾンビの数も少なく外出日和である。こうして原付バイクは快調に都道450号線を東に向かって進んでいく。
「愛ちゃん、怖いか?」
俺の腰にしがみつきながら愛ちゃんは、笑顔で首を振った。
「ぜんぜんっ!風が気持ちいいっ」
あちこちに放置された車のせいで幹線道路が塞がってしまっている東京でも、原付なら辛うじて進めるのだ。いざとなれば歩道を走ればいいしね。まあ死体が転がってるけど。
いやぁ〜ホント原付きの免許を取ってて良かったな。こんなところで役に立つとは思わなかった。
「プシャア……ゲシャシャッ!」
「きゃぁ!お兄ちゃん!ゾンビが来たよ」
車の陰から突然現れて襲ってる腐乱ゾンビもいるが、そんなのは原付きを運転しながら足で蹴飛ばして終わり。
「どけっ」
「グシャッ」
蹴られたゾンビは激しく回転して、そのままガードレールにぶつかって頭が砕けた。
「ひぇぇ……」
「見ない見ない。子供はそんなの見ない」
俺の腰にしがみく力がぐっと強くなる。8歳の女の子には刺激が強すぎたかな……。
○○○
葛西臨海公園に着くと、3人は待ちくたびれていた様子でいた。公園の看板石にだるそうに腰掛けていた澪はさっそくボヤく。
「石見さん遅いよ〜。もう12時を回ったじゃん」
「悪い悪い。途中ガス欠になって往生したんだ。いや〜焦った焦った」
せっかくなので公園でバーベキューをしたいところなのだが、あいにく新鮮な食材というものはこの世界では手に入らない。(鳥やイノシシでも自力で捕まえて解体する他は)かといって缶詰やレトルト食品ではバーベキューにならないのが辛いところ。
というわけでバーベキュー広場のそばを通り過ぎ、俺たち5人は歩いて芝生広場に向かう。ここの芝生の上で持ってきたお弁当を食べる。これが今日の目的だ。
日差しが強いせいもあって、幸いゾンビはほとんど見当たらない。それでもこの辺を彷徨いていた輩はいただろうが、彩奈が俺たちが到着する前に片付けちゃっている。
芝生広場に入ると、愛ちゃんと春香ちゃんが走りはじめた。
「ちょっとちょっと!2人ともあんまり遠くに行っちゃだめ〜」
慌てて2人の腕を掴み、大声で注意している彩奈を見ていると、2児の母親のように見えてきた。そんな彼女を尻目にドテッと芝生に腰を下ろせば、観覧車というものが見える。これがなかなか不思議な造形してるもんだね……。
「あれが大観覧車ってヤツかぁ。スゲーな。しかし動いてないのが残念だが」
感心しながら見ていると、隣に彩奈も座った。
「蒼汰さんって観覧車を見るのは初めてなの?」
「ば……ばかにしないでくれ。東京港でチラっとみたよ。こんなに間近で見るのは初めてだけれど」
「あはは。動いてたら一緒に乗れたのにね」
彩奈の言葉にちょっとドキッとしていると、今度は横から澪が得意げに解説してくれた。
「この観覧車って高さが117メートルもあるの。石見さん知ってた?」
「ほほお……。どおりで大きいわけだね」
さっそく2人は昼食の用意に取り掛かる。忙しそうにリュックの中のものを取り出す彩奈を尻目に、俺は寝そべりながら観覧車というものに見惚れて続けていた。なんとなく……大巨人が現れてあの大観覧車をゴロゴロと投げ転がす姿を想像してしたりして。すると俺の背中を指でせっつく人がいる……。
「蒼汰さんっ。芝生の上でボーッとしてないでパラソル立てて」
「は……はいはい」
彩奈に叱られたので、しぶしぶ俺も準備を手伝うことにした。
それにしても愛ちゃんと春香ちゃんは嬉しそうであった。2人はキャッキャ言いながらはしゃぎ回っている。最初に泣いてたのが嘘みたいだ。これだけでもピクニックを断行した良かったよ。
ただ澪だけは緊張が解けないようだ。時々、眼鏡越しに双眼鏡を覗いては、周囲にゾンビがいないかを確認している。パラソルの仕事が終わった俺は、澪の双眼鏡をつっついた。すると澪は双眼鏡を覗いたまま俺の顔をみる。
「出た!?ゾンビが出たの!?」
俺は首を横に振った。
「そんな気を張らなくても大丈夫だって。こんな日差しの強烈な時は、出ないんだよアイツら」
「でもでもっ。もうゾンビに舐められるの嫌なんだもん!最悪なんだよあれ!」
う〜ん、完全にトラウマになってるな……。
結局、皆で食事をすることになっても澪は双眼鏡を手放さなかった。双眼鏡で周囲を見張りながら、器用にスープを飲んでいたな……。
一方、食事を終えると彩奈はパラソルの下でゴロンと寝ころがってしまう。普段はこんなことしないヤツなんだけど、よほど芝生に開放感があったんだろうか。
「あ〜!気持ちいいっ。このまま寝ちゃいそう……ZZZ」
愛ちゃんも彩奈のマネをして、彼女の隣にゴロンと寝る。彩奈が愛ちゃんを抱き寄せると、スヤスヤと2人仲良く寝てしまったのだ。なんて平和な光景だろうか。しかしこれには俺が大いに焦ってしまった。
「ちょっ……。ちょっと彩奈起きてくれよ。さすがに俺1人じゃ目が行き届かないぞ」
しかし春香ちゃんはシッというジェスチャーをして制止する。
「寝かせてあげなよ。彩奈さん朝から準備で忙しかったんだ」
そ……そうは言われても。この見晴らしの良さが逆にマズイんだか……。ゾンビに襲われるとなるとどっからくるか分からんぞこれ。
彩奈が寝てしまったお陰で、俺は芝生から起き上がり絶え間なく前後左右を確認し続けるハメになってしまった。あの木陰からゾンビが出てこないだろうな……。いや、向こうの木陰で何か動いた気がする……。
「くそ〜。全く寛げんっ」
寝るなよ彩奈……。いくらなんでも無防備すぎだぞ。どうしたんだ?出会った頃の隙のない彼女はどこに行ったんだ?
そう思っていると、春香ちゃんが俺の気持ちを見透かしたように笑った。
「彩奈さんって、こんな人じゃなかったんだけどね。石見さんが来てから、ちょっと甘えてるのかもしんない」
小5の子にフワッと慰められた俺。でもでも俺は誰に甘えたらいいの?
しかしここで俺と同じく警戒心の塊となっていた澪が、双眼鏡を片手に叫んだ。
「ん?あ……あれは何かしら。見てよ石見さん!大観覧車の上」
澪が指差した大観覧車を見ると、頂上にゾンビの姿があった。
「な……なんだアイツは。あんなところに……」
「石見さん、これで見て!」
双眼鏡で覗くと観覧車の頂上に位置しているゴンドラの上でゾンビが立っているのがハッキリと分かる。しかも背広を着たゾンビのようだ……。
「あんな高い場所に並のゾンビでは無理だろう……となると奴はスーパーゾンビってわけか」
澪が緊張した面持ちで呟く。
「あれってもしかしてジョーカーってやつ?なんかこっち見てない!?」
「俺も実物を見たことはないから分からん……しかしヤツがこっちに気づいてるのは確かだな」
ジョーカーというゾンビが常に背広を着ていることは、エースやジャックの話から既に分かっていた。そうなるとやはりアイツが東京で最強のゾンビなのか……。まさかこんなタイミングで出会ってしまうとは……なんてついてないんだ。
俺は澪に双眼鏡を返す。彼女は不安を隠さなかった。
「ど……どうするの石見さん。みんなここで死んじゃうの?」
「落ち着け。俺が近くに行って様子を見てくる。もし……俺に何かあったら、彩奈を起こしてすぐに逃げろ。俺が右腕を高くあげたら、それがサインだ」
「そ……そんな!石見さん1人で行く気なの!?やだよ。死んじゃったらどうするのよ!」
何故に俺がこんな判断をしたのかと言うと、3人の子供達を連れてジョーカーから逃げ切る自信が全くなかったからだ。
正直言って、東京タワーを倒すような化物に勝てる可能性はゼロだろう。
寝ていた彩奈を起こさなかったのは……起こせばアイツが戦おうとするかもしれないからだ。ジョーカーと少なからぬ因縁があるようだからな……。彩奈には3人を連れて逃げてほしい。
「じゃな。彩奈と上手く逃げるんだぞ。俺はヤツをなるべく遠くに引きずり出してみるから」
止めようとする澪と春香ちゃんを制止すると、俺は加速して飛んだ。そして一気に117メートルの高さを誇る大観覧車の頂上まで到達し、男が載っているゴンドラの隣のゴンドラに着地した。
「いよう背広さんよ。俺たちになんか用か?」
声をかけると、背広のゾンビはゆっくりと俺の方を向いた。生きていた頃は20代のサラリーマンだったという印象を受けた。その顔の左半分は血に塗れている。
「なんだお前?まさか俺を追ってきたとか言うんじゃないだろうな」
喋ったか……。やはりスーパーゾンビのようだな。いきなり飛んで現れた俺を見てもビビらないとは、相当の力の持ち主だぞ。
ゾンビはゆっくりと背広のポケットから手を出した。
「ふ〜ん……仮面の下はそんな顔だったのかお前……。仕方ないな……相手してやるよ」
ジョーカーが何を言っているのか分からないが、とりあえず俺は澪に「逃げろ」という合図を送った。今の俺ならば彼女達が逃げ切るぐらいの時間稼ぎはできるだろう。
悲壮な覚悟を持って戦いに臨んだ俺だったが、まさかあんなことになろうとは……。




