怯えるジャック
俺が恐怖のスーパーゾンビと激突している間、ホテルの屋上はどうなっていたのかここに記す。
ゾンビ達に囲まれながら、3人は子猫の兄弟のように必死にかたまっていた。一番年長の眼鏡(坂崎澪)は、小さな愛ちゃんと春香ちゃんを守るように2人の背中に覆いかぶさっている。アイツにもそういう一面があるのは驚きだ。ただし俺に毒づきなまくりなのは頂けない。
「なんで石見さんは戻ってこないの!?あの人……バカなのかな。それとも赤髪のジャックに殺されちゃったのかしら……」
愛ちゃんは縮こまりながら、涙を浮かべて眼鏡に訴える。
「澪ちゃん怖いよ……」
「ぜんぶ石見さんのせいだからっ。死んじゃったらみんなで石見さんを恨もうね!」
その場にいない俺の文句を言うことで平静を保とうとしていたのだろう。こっちも必死だ!と文句も言いたいのだが、俺は何も知らずに赤髪と死闘を演じているのだった……。
ゾンビ達がまだ4人を襲おうとしないのが救いだった。子供達はもちろんのこと、意識を失って倒れている彩奈もまた食欲旺盛なゾンビ達に対して無防備な存在である。
倒れている彩奈の姿が眼鏡の視界に入っていたものの、彼女には救出のための術がなかった。
「せめて彩奈さんをこっちまで引っ張ることができたら良いのだけれど……」
試しにゾンビの包囲網の隙を縫って彩奈に近づこうとしたものの、顔面血まみれのゾンビが「シャアッ」と歯茎を剥き出しにしてきたので諦めた。
コイツらはどうやら3人をこの場に押しとどめておくことを赤髪に命じられているらしい。だが赤髪のいない今、徐々にゾンビ達の制御が効かなくなっていく。一匹の目玉の飛び出した巨漢のゾンビが持ち場を離れて、子供達に近づきはじめる。
「うそっ……!こっちに来た」
「へシャシャ……」
涎を垂らして3人に近づくゾンビには、明らかに子供達を食わんとする意思が見られた。
3人は下がるが、背後にもまた包囲中のゾンビ達がいる。
「こないで!しっし!」
眼鏡が近づくゾンビに向かって叫ぶが無駄だ。
「シャァァァッ!」
目玉の飛び出したゾンビは、まず愛ちゃんの腕を掴んだ。
「きゃああああっ!澪ちゃん」
眼鏡は仲間を奪われまいと、必死に泣き叫ぶ愛ちゃんの体を引っ張る。
「その子を離してよ!」
するとゾンビは今度は眼鏡に興味を持った。愛ちゃんを掴む手を離すと、不意に眼鏡の首をグイッと掴み、そのまま抱えあげてしまった。お姫様抱っこの態勢である。
「うそ……うそうそ!やめてぇぇぇ!」
泣きながらゾンビから顔を逸らすも、もう逃げられない。ゾンビは眼鏡に顔を近づけて、彼女の額を長い舌で舐めた。
「んんっ!」
眼鏡はたまらず目を瞑る。
「ベロン……ベロ……シャァっ」
「や……やだ……」
笑ったような表情を浮かべ、ゾンビは何度か眼鏡の額を味見をした。そして歯をむき出しにして眼鏡の頭蓋骨を齧ろうとした。
「澪ちゃん……!」
愛ちゃんと春香ちゃんは泣きながら抱き合うことしかできない。
「ブシュシュ……ヴェロ〜ン」
ゾンビが大きな口を開けて、眼鏡の髪の毛に歯を突き立てようとしたその瞬間。俺は屋上に戻っていた。首都高からここまで5キロは離れていたが1分足らずで戻ってこれた。
「ヴェロ〜ンじゃねえっ!」
ゾンビの顔に俺の拳がめり込む。ゾンビの目玉は吹き飛び、鼻から下部分は消失してしまったものの、ゾンビは依然として立ったまま眼鏡を離そうとしない。
「きゃあああああ」
半壊して飛び散ったゾンビの血肉を浴びた眼鏡の泣き声が響きわたる。
「ずいぶんタフな野郎だな……。普通のゾンビでも強いやつはいるのか」
すぐさま俺は手刀で奴の腕を切り落とすと、ゾンビの腕ごと眼鏡は地面に落下した。そしてゾンビの腹に蹴りを入れて奴を屋上からふっ飛ばした。俺は眼鏡の手をとってその体を起こした。
「はぁ……はぁ……。間に合って良かった。彩奈も無事だな」
眼鏡は泣きながら俺に抗議する。
「間に合ってないっ。見てよこれ!絶対に私、感染しちゃってるよね。ゾンビに舐められちゃったし!」
「分かった分かった。今はそれどころじゃねーから」
「なにそれ!」
実際のところ眼鏡の相手をしてる時間がない。なにしろ赤髪がここに戻ってくるまでの間に何体のゾンビを片付けられるかが勝負だ。彩奈や子供達が実質的に人質のような状況では俺に勝ち目はない。
片っ端からゾンビ達を片付けてやろうとしたその時。赤髪はすでに屋上の塔屋の上に立ち、俺たちを見下ろしていた。
「タイムオーバーだよぉ〜僕ちゃんよ」
俺は手についたゾンビの血肉をシャツで拭った。
「さすがだな……。もう戻ってくるたぁ」
赤髪は俺の言葉を鼻で笑うと、ズボンのポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
「じゃぁ〜ん。これを見てチョ〜だいなぁ」
そしてそれをシュッと振って刃先を出してみせる。
「さぁ問題でぇす。今から投げちゃうこのナイフは誰の脳みそにズバッと刺さるんでしょうかぁ?」
俺の顔が一瞬で青ざめた。
「お前かなぁ〜?彩奈ちゃんかなぁ〜?それとも小さい子供達かなぁ〜?」
「おいおい……冗談はやめろよ……」
俺は子供達のそばにいるものの、彩奈とは15メートルは離れたところにいる。しかも俺たちと彩奈との間には無数のゾンビ達がいるのだ。
だが彩奈を守ろうと近づけば子供達が無防備になる。かと言って子供達も一緒に連れていけないし、先に赤髪をブチのめそうと飛べば、無防備になったどちらかが刺される。
「冗談じゃねえよバカ。じゃああと5秒でなげまぁ〜す。5、4,3……」
状況を悟った子供達は目を瞑った。もう俺には考えている時間はない。あとは運命の女神が俺に与えてくれた力にすべてを賭けるのみ。
「2,1,0……死ねぇぇぇっ!」
塔屋の赤髪はナイフを全力で投げ飛ばした。それは弾丸のような凄まじい速度で空気を切り裂く。そしてナイフの向かう先は……やはり倒れている彩奈だった。
「だりゃぁぁぁぁぁっ」
俺は無我夢中でナイフに向かって飛ぶ。我ながら信じられないほど速かった。
「はぁ……はぁ……」
気づけば俺は彩奈のそばに座って、ナイフのハンドル部分を掴んでいた。刃先から彩奈の喉元まであと5センチしかなかった。塔屋の上の赤髪は顎が外れるほどに大口を開けている。
「い……今のを掴みやがったぞ……。コ……コイツは一体何者なんだ!?」
塔屋の上で絶句している赤髪に向かって、今度は俺がナイフを投げつけてやった。
「ふざけやがって!彩奈が死んじまうところだったじゃねえか」
投げたナイフは音速を超えたらしく、赤髪の前腕を貫きそのまま奴の腕を切断する。そしてナイフは空に消えていく。
「ちっ。すこしズレちまった。赤髪の首を切断するつもりだったが……」
これまでずっと尊大な態度だった赤髪ジャックだが、その体は震えていた。
「な……なんなんだこれは……。こ、こんな奴に勝てるわけねえだろ……」
かなりのショックを受けてるようで、屋上に落ちてしまった腕を拾おうともしない。ついに今の俺に敵わないと悟った様子だ。
だがどんな精神状態であってもコイツの悪辣さは健在である。
「く……くそっ!ガキどもを襲え!」
奴は突然に塔屋の上から赤髪が子供達を指差した。すると「待て」をされた犬が餌にかぶりつくように、子供たちを取り囲んでいたゾンビ達がいっせいに襲い始める。
「いやぁぁぁ!もうやめてぇっ!」
子供達は四方から襲いかかるゾンビ達を前にして、身を寄せ合うことしかできない。
「ち……ちくしょう!」
そばにいて彩奈を守ってやりたかったが、諦めて俺はゾンビ達の輪の中心に飛び込んだ。
「その子らのそばに寄るんじゃねえ!」
蹴りでゾンビの胸を貫き、手刀で別のゾンビの首を叩き落とす。絶対に……子供達に指一本でも触らせるものか。
そして3分が経った。
30体のゾンビを砕き70体のゾンビをビルから突き落としたものの、疲れ切ってしまった俺は地面に倒れ込んでいた。
「ぜぇ……はぁ……。いくらなんでもちょっとキツすぎるぞ。ここ来る前に200キロも走ってきたんだっての俺……」
身を寄せ合っていた子供達は恐る恐る目をあけた。
「ど……どうなったの」
屋上にはバラバラになったゾンビ達の四肢が散らばり、それが激しくのたうちまわっている。
「ひゃあっ……」
怖がる愛ちゃんの頭をさすりながら、眼鏡はゆっくりと見渡した。
「全部、いなくなってる……。すごい……」
驚いたろ。3分もかからずに100体近いゾンビ達を蹴散らしたんだからな。まあ疲れた……。
だがちょっと待て。全部いなくなってるのはおかしいぞ。なにしろアイツはまだ……。俺と同じ疑問を抱いた春香ちゃんは眼鏡に尋ねる。
「彩奈さんは?彩奈さんもいないよ。澪さんどこ?」
「う……うん。私もさっきから探してるけど……見当たらないの」
俺は急いで起き上がった。屋上を見渡すと……彩奈の姿がない。それだけではなく赤髪の姿もなかった。まさかあの野郎……!
愛ちゃんの目から涙がこぼれおちる。
「彩奈ちゃんがアイツに拐われちゃった!どうしよう」
赤髪の野郎め。俺に敵わないと知って逃げやがったか。それも意識を失った彩奈を連れて……。
くそったれ!
まだ殺されてなきゃいいのだが……。




