埋葬されていた男
俺はズボンにタップリと付着していた泥を払った。
「まさか俺が埋葬されていたとは……」
俺が眠ってしまってから、一体何が起きたのだろうか。いきなり河川敷に埋められていては全く想像もつかない。どうにか気持ちを整理してみようと彩奈の手紙を持ったまま辺りを見渡してみたものの、ここはまったく土地勘のない場所だ。
目の前に広がるのは河川敷を埋め尽くす伸び放題の雑草だ。しかも雑草の高さときたらどこも1メートルを超えてる荒れっぷり。今度はクルリと後ろを振り返ってみれば大きな木が立っていた。そしてこの木の向こう側にはグラウンドが広がっている。
「お……。スカイツリーも見えるぞ」
河川敷の土手の向こう側には街が広がっていて、その中に一際大きなスカイツリーがデンっと聳え立っているのがみえた。だがこれだけじゃなんの手がかりにもならないよ。全く都心の地理に詳しくない俺だからね……。
「しっかし、ここは一体どこなんだ?」
迷子の子供のように俺は途方に暮れてしまった。確実なのは、ここはあの世でも父島でもなく東京都心だってこと。そして……相変わらず東京はゾンビの都だったってことだ。
「グシュ……グシュシュ……」
思い出したくもない、忌まわしいゾンビの鳴き声がする……!
振り返れば、遠くグラウンドの中を彷徨いているゾンビの姿が目に入った。俺は慌てて草むらに身を隠す。そして雑草の中を進み、大きな木の方のそばへゆっくりと移動した。いざとなったら木の上に逃げれば、ゾンビも追ってはこれまい。よらば大樹の陰だね。
草の隙間から見えたそいつはゾンビというよりも、もはや骸骨だった。骸骨に真っ黒な肉がいくばくか付着している……そんな状態の化物だった。
「やば……」
でも、何かがおかしい。俺も死んでゾンビになったのなら、あんな骸骨を恐れなくてよいはずじゃないか。だが俺は生前と全然変わらない恐怖を感じてる。
草むらの中でしゃがんで必死に骸骨をやり過ごそうとしている間に、ふと俺は気づいた。感染症が重症化した結果、赤黒くなって皮膚が剥がれてしまった俺の右腕。その右腕は綺麗な肌色になっていたのだ。あの腐乱したはずの痛々しい右腕が……元通りになっている。
「あれ……。腕が治ってる。マジか」
右腕をさすってみるが、全く痛みを感じない。麻痺もなく指を動かせる。腕が痛くないって、なんて素晴らしいんだ。さらに額を触れば体温が下がっていることにも気づいた。頭だって痛くない。体はすこぶる快調だった!
やっぱり俺は幽霊でもゾンビでもないんだ!生きてる人間なんだよ。
俺は草むらの中で1人歓喜した。
「完全に治ってんぞ!すごくね?」
夢じゃないだろうか。致死率100%と言われたゾンビ感染症が……綺麗に治ってるなんて。あんなに酷い有様だったのに……。多臓器不全で死んじまうはずが見事に完治したんだ。こんなのって奇跡じゃないか?
だが喜びに浸っている場合ではなかった。藪の中から突然、目にアイスピックが刺さった女ゾンビが襲ってきたのだ。赤いワンピースを纏ったこのゾンビはいきなり俺の肩に掴みかかってきて、首に噛み付こうとした。
「シュアアアアガァッ」
「なっ!」
グラウンドを進む骸骨を警戒するあまり、俺は別のゾンビの接近に全く気づいてなかった。とんだ失敗だ。
「う……うわぁぁぁぁっ!」
突然に襲ってきたゾンビに俺は度肝を抜かれてしまい、思わず目を瞑ってしまった俺……。これは痛恨のミスだ。ゾンビの餌食となっても仕方のないほどの致命的なミスである。
せっかく死の病から生還したのに、すぐにゾンビに食われるとは、なんという間抜けなんだろうか俺は!
しかしいつまで目を閉じていても何も起きない。俺は恐る恐る目を開けてみると……。
「あれ……」
気づけば、俺は階段の上に立っていた。そこは土手から河川敷に昇り降りするための階段である。俺は確か草むらの中にいたはずなのに……。
「一体どうなったんだ。ゾンビは?消えちまったぞ」
周りを見回しても、襲ってきたはずのゾンビはいない。しかもグラウンドの向こう側に見えていたはずのスカイツリーは、何故か河川の向こう側にみえる。突然、自分の位置が変化してしまったことに俺は混乱していた。だが驚くべきことはそれだけではなかった。
俺の肩に先程のゾンビの手だけが残されていたのである。
「うわぁっ!なんだよこれ。キモッ」
慌てて俺はゾンビの手を払い落とす。それは階段の上に落ちるも、まだ指だけが元気に動いている。とりあえず蹴っ飛ばして階段下のコンクリート道路へと捨てる。ひええ。
変だ!全部変なんだ。そもそも景色からして変なのである。全てが逆転しているような印象を受けるのだ。だって向こう岸にみえるグラウンドに、例の骸骨が歩いているし。だいたいあの骸骨はいつの間に対岸にいっちまったんだよ……。
いや……待てよ!
対岸には大木の枝に串刺しにされてるゾンビもいるぞ。赤いワンピースを着てるってことは……さっきの女ゾンビなのか?しかも上下逆さまだ。(つまり足を空に向けたゾンビが、己の腹を貫いている木の枝から逃れようとバタバタと足掻いているのである)俺を襲ったゾンビ……何かにふっ飛ばされたんだろうか?
「なんでアイツが木の枝に……」
なんだこの悪夢は……。俺は未だにベッドの上にいて、夢でもみてるんだろうか。
キョロキョロと周りを見渡すものの、全ては謎のままだ……。分からないことだらけだが、ゾンビに食われるよりはずっとマシか。
「ふぅ……。なんか知らんが助かった」
安堵した俺は、手紙をポケットにしまい急いで階段を駆け上がった。ただ近くにゾンビがいないか確認したかったのである。しかし少し走っただけで、自分の体が恐ろしく軽くなっているのを感じた。全く不思議な感覚だ。ついさっきまで呼吸するのも辛かったはずなのに、どういうわけか全然息もあがらない。
「す……すごいな。調子良すぎだぜ」
あまりに体が軽いので、試しに土手の上を全速力で走ってみた。雑草が俺の生み出した風に煽られて凄い角度で靡いていく。しかもいつまでも加速できる。一歩跳ねるだけで20メートルは進んでるのか。やっぱりこれは夢なんだろうか?妙な夢だな……。
「うおおおりゃああああ」
10秒近く加速し続けたのだが、それでも全速力には至らならなかった。だが景色の方があまりにも猛スピードで動きだすので、さすがに怖くなってきた。そこで止まろうとしたのだが、今度は逆に止まれない。靴がまるで氷の上を滑るように道路の上を滑っていく。
「んなっ!」
どうにかバランスを保ちながらアスファルトの上を滑り続けると、とうとう靴が発火して燃えだした。
「あちゃっ!なんだこれは。ルーニー・テューンズのアニメかよっ」
熱さに驚いた俺はとっさにジャンプして、そのまま流れる川の中へザバーンッと飛び込んだ。靴を包んでいた炎は無事鎮火する。
「意味が分からん。危うく踵を火傷しちまうところだった……」
川の中でプカプカとラッコのように浮かびながら、頭を起こすと自分が走っていたはずの土手が見えた。
「……ちょっと嘘だろ。100メートルは離れてるじゃんか……。やはり夢なのか」
その時、俺の頭の中を彩奈の言葉がよぎった。
『私、ゾンビのなりぞこないなんです』
初めて会った日の夜、彩奈が俺に告白してくれた辛い過去の話だ。
『スーパーゾンビに襲われて、感染したけれど治ってしまったの。それから私は身体能力が普通じゃなくなったの』
その瞬間、全てを理解した。驚きすぎて水の中にブクブクと沈んでしまったけれど。なんで今まで気づかなかった?俺も彩奈と同じだったんだ。あの子と同じ道を辿ったんだ……。
でも嘘だろ?そんなうまい話があってたまるか。だいたい俺は父島の普通の奴で……彩奈みたいな面倒見のいい人格者じゃないし。水の中で胡座をかきながら、そんなことを考えていた。だがこの川の水の冷たさは夢ではないと思った。
深い川の底まで沈んだ後で、思い切り川底を蹴ってやった。すると巨大な水柱を立てて水面から20メートルは舞い上がる。最高点まで上がったところで、腕を天に突き出して俺は叫んだ。
「うおおおおおっ!夢じゃない。俺は死んじゃいねぇぞぉぉぉ」
そのまま再び大きな水柱を立てて水面にバシャーンッと落下した。俺は水面をラッコのように浮かびながら1人で笑っていた。
「あははははっ!あはははは」
しばらく1人ではしゃいだ後で、再び河川敷に立った。服はずぶ濡れのままだが、気にしない。照りつける真夏の太陽がじきに乾かしてくれるだろう。
生きて皆のもとに帰れるんだ。良かった。
彩奈達は俺が死んだと思ってるみたいだし、早く戻ってやりたい。今はもう南から河川敷を吹きぬける熱い風だって心地よい。
「そりゃっ」
俺は彩奈に再び会うために、疾風のように走り出した。試しにやってみたら川にかかる橋のアーチリブの上だって今は走れる。しかし問題は俺が完全な迷子だったということだ。
「しまった……。ホテルはどっちだっけ」
橋を渡ったところで俺は途方にくれた。ゾンビが彷徨く橋のたもとで、胡座をかいて座り込む。しばらく考えていていたもののゾンビ達がやたらに集まってくるだけで何も解決しない。
「しょうがない……。適当にいくか。まずはあの塔に上がろう」
立ち上がった俺はスカイツリーを目指して道路を走ることに決めた。腐臭を漂わせた死人達が押し寄せても、俺が少し地面を蹴るだけで、ゾンビの群れを簡単に飛び越えてしまう。
俺は笑った。
「はははっ。じゃあな」
さて、目指すはスカイツリーだ。展望デッキに上がれば何かみえるに違いない……。




