作戦
繋げたばかりの右肩に左手を乗せグルンと肩を回してみせるジャック。信じられないことに完全に接合してしまったらしい。
そして頭に刺さった鉄パイプをズバッと引き抜く。もともと頭部が右半分しかない人体模型のようなゾンビだというのに、その上に血だらけになっているので、もう目も当てられない姿だ。
「いやぁ〜鉄パイプも血だらけだねえ。どうせならこれで彩奈ちゃんを滅多打ちにちゃおっかなぁ〜」
柵を鉄パイプで殴ってガンガン音を鳴らしながら、ジャックは彩奈に近づいていく。
奴がどんどん接近しているのに、彩奈はまだ起き上がらない。まるで諦めて観念しているように見える。
「ど……どうした彩奈!殺されちまうぞ」
もうこれじゃあ彩奈はアカン……と思った俺は、とっさに塔屋の影から出た。急いで靴を脱いで掴むと、それを全力で投げる。
「ぬがああああああぁっ」
あまりコントロールのいい方じゃないのだが、この時はジャックの後頭部に上手く当たる。奴はゆっくりと振り返って、顔を傾けながら俺を睨みつけた。
「ちっ。あんまりゴミ虫だったから忘れてたぜお前のことをよぉ〜」
とても俺の敵う相手ではないので、ここは時間を稼ぐ必要がある。せめて彩奈が復活するまでは……。とは言え、この場所は逃げ場のない屋上だ。できることは会話しかない。挑発するだけなら……俺にもそこそこ才能があると思っている。
「バカ、ジャックちゃん。違う違う。靴を投げた奴はあっちに行ったぞ。早く追いかけないと逃げられちゃうぞ……」
ちょっとは会話に付き合ってくれるだろうと思ってた俺は甘かった。残念なことに稼いだ時間は5秒にも足りない。なにしろゾンビ野郎は俺の背後に回っていたのだ。俺とジャックは15メートルは離れていたはずなのに……。その動きは俺には全く見えなかった。
「あっ……消えた。って後ろか!?」
唖然として後ろ振り返った俺。
「やっぱりお前の全身の骨を砕くのが先だよね。その方が彩奈ちゃんの精神を壊せていいよねぇ〜?」
ジャックは冷たい手を伸ばし俺の前腕を掴む。それはゾッとする感触だった。
「こっ……こいつ。離せ!離しやがれ!」
俺は力一杯、振り払おうとしたのだが俺の腕は微動だにしない。まるで台に固定された万力に腕が挟まれてしまったように。このゾンビ野郎、たいしたガタイでもないのになんという力だ。恐ろしいことに握るその力はどんどん強まっていき、奴の指が俺の腕に食い込み血が噴き出すことになる。
「ぎ……ぎゃあっ」
あまりの痛みで息が止まる。こうなると痛すぎて腕を動かすことすらできない。俺は恐怖を感じた。
「ふひひ。痛いかぁゴミ?まだまだだよぉ〜?」
「がぁっ……ちょっ……タ……タイム……」
しかし肉を裂かれる辛さよりも、骨が砕かれるような痛みの方が遥かに強烈だった。これじゃあ万力で腕を潰される拷問に等しい。彩奈が掴まれただけで戦意喪失してしまった理由がハッキリと分かってしまった。こんなのは人間に耐えられるもんじゃない。でもアイツ俺よりずっと根性あると思う……。よくこんなの相手に戦い続けたもんだ……。
「じゃぁ。ポキンといっちゃおうかぁ。まず複雑骨折1箇所目〜」
俺は絶望するしかなかった。しかし次の瞬間、赤髪ジャック目掛けて、何かが猛スピードで落下してきた。
「たぁぁぁっ!」
それは戦意喪失したはずの彩奈だった。彼女は落下しながら、赤髪ジャックの頭に向かってかかと落としの態勢に入る。
「な……なにっ!」
彩奈の踵はゾンビの頭をかすめたものの、ギリギリでかわされてしまう。だが危険を感じたジャックはとっさに俺の腕を離し、彩奈と距離をとるべく後ろに飛んだ。
「だぁっ。助かった!はぁ……はぁ……」
すぐさま彩奈は俺を庇うように、ゾンビの前に立ちはだかる。
「大丈夫!?蒼汰さん」
「いや……あんまり……大丈夫じゃない」
俺の前腕は血が垂れるのみならず、もはや全体が紫色だ。痺れて感覚が鈍くなっているのが自分でも分かった。彼女は赤髪ジャックを睨みつけた。
「はぁ……はぁ……。アンタって本当に最低っ」
ゾンビは鉄パイプを回転させながらヒョイと真上に投げて、大道芸人のようにノールックでキャッチした。
「いいねぇ彩奈ちゃ〜ん。コイツで頭蓋骨を割られた後もその調子で頼むよぉ」
鉄パイプを高々と振り上げ、攻撃の構えに入った赤髪のジャック。鉄パイプを振り回しながら、彩奈に向かって突進する。
「ウヒャヒャッ!プシャアッと脳みそぶち撒けた彩奈ちゃんを見たい……」
しかし再結合したばかりの肩はまだ完全には馴染んでないらしく、彩奈を目掛けて鉄パイプを振り下ろそうとした瞬間、一瞬だけ動きが止まってしまう。
「なっ……こんな……」
その瞬間を彩奈は見逃さなかった。あっという間に加速してゾンビの懐に入るや、無防備になっていた胸に、全力で中段蹴りを入れた。
「やああっ!」
「がっ……がぁはぁっ……」
その蹴りの勢いは凄まじく、ジャックはダンプカーに跳ねられたようにふっ飛ばされる。最後は対面の落下防止柵に激突し、そのまま勢い余って屋上から落下してしまった。
「うわぁぁぁ」
おそらく屋上から地面までは50メートルほどあるはずだ。マトモに落ちたなら、もう潰れてしまい動けないはず……。だがそんな甘い奴じゃないのも分かっている。
彩奈は戻ってきて、俺の手をとった。手当しようとしている。
「大丈夫!蒼汰さん」
「いや……ダメ。右手が痺れてえらいことになってる」
もちろん応急処置を施す時間などない。
「どうしよう……。アイツ、ビルの壁に掴まってる」
彩奈がマトモに戦っても勝ち目の薄い相手なのは明白だ。そこで俺は塔屋の後ろに隠れてた間に、密かに練っていた作戦を彼女に伝えることにした。作戦を聞いた彩奈は不安そうな表情で俺を見つめる。
「……上手くできるかしら。あまり自信がないの……」
「すまん。でも他に思いつかなかった」
「うん……。じゃあやってみる。でも貴方は大丈夫なの?」
「大丈夫!俺は意外にしぶといんだぜ」
彼女は笑顔でコクンと頷いた。その瞬間、背後から奴のダミ声がした。
「おまたせぇ〜。待ったぁ?」
急いで振り返ると柵の後ろに赤髪のジャックが立っている。僅かな時間で屋上に舞い戻ってきやがったようだ。ただし鉄パイプは落としてきたようである。その代わり、何か別のゾンビの腕を持っていた。
「今の蹴りはちょっと効いたよぉ。俺の胸が凹んでるもんなぁ」
そいう言うと奴は持っていた腕を齧って食べた。
「もうお腹が空いちゃった。こんなゾンビじゃなく、早く可愛い彩奈ちゃんの足を引きちぎって食べたいなぁ〜」
そう言うとゾンビの腕を下に投げ捨てて、長い舌を出してみせる。だが今の彩奈には挑発は通じない。
「今度はさっきみたいにはいかないわよ……」
彼女は俺の作戦通り、すぐにジャンプして塔屋の上に着地する。
「ん〜。それでどうしようっての彩奈ちゃぁん?」
塔屋には添えつけられた長い避雷針がある。彼女はそれを掴んでバキッと折った。3メートルほどの鋭い鉄の棒が彼女のモノになったわけである。
「なるほどね……。槍みたいにして戦うつもりなんだぁ。考えたねぇ〜それじゃあかかって来て」
ジャックは彩奈に向かって手招きしてみせる。まだ余裕らしい。
「それじゃあ……行ってやる!」
彼女は避雷針を持ったまま塔屋の上で全力で疾走した。しかし赤髪のジャックを無視して大ジャンプ。そのままビルから飛び降りてしまう。
「な……何っ!」
呆気に取られたゾンビは、屋上から彼女の姿を目で追う。
ここからが作戦の本番だ。
彩奈は落下しながら、地上の車目掛けて槍と化した避雷針を投げつけた。(地上の道路には車が多数放置されたままなのである。そして彼女はビルの真下に位置する車に投げつけたのだ)
「たぁっ!」
避雷針が向かった先にはスタンドの名前が記されたタンクローリーがある。(つまりそのタンクの中に詰まっているのはガソリンというわけだ)
避雷針は、凄まじいスピードでタンクローリーを貫く。そして(真夏の直射日光を浴びて)圧力を増していたタンクの中から勢い良く揮発したガスが噴出。それと同時に火花がガスに引火。一瞬でタンクローリは激しく炎上を始める。
「よしっ!」
俺はガッツポーズをとった。さすが彩奈だ。1度のチャンスを見事にものにした。
そのまま彩奈は放物線を描くように落下しながら対面のビルの3階に突っ込んだ。(我々がいたビルと対面のビルとは、片道2車線の計4車線と、歩道2つぶん離れている。距離にすれば30メートルは離れていると思う)窓ガラスが張ってあるので、彼女の体も傷だらけになったが、そのまま部屋へ転がりこんだ。
次の瞬間、タンクローリーは大爆発を起こす。そして一帯は大炎上。道路にあふれていたゾンビ達も何百という数が燃え始める。爆発炎上による熱波はこのビルの屋上まで達している。まさに地獄だ。
その様子を見て……赤髪のジャックは激怒していた。
「あれだけかまして……逃げやがったのかぁぁぁぁ。ふざけやがってあのアマァ」
怒れる赤髪野郎は屋上の転落防止柵を引き抜くと、鉄製の柵を引きちぎって下に投げつけた。そして腕を広げ、天に向かって吠えた。
「ヴガァァァァァァァァッ!クソアマがぁぁぁぁぁぁぁ!」
こ……このチンピラ丸出しの暴れっぷりはヤバい……。すぐに奴は屋上の際から離れて塔屋にちかづいて来た。俺は必死に死角に隠れる。死ぬ死ぬ死ぬ……。
「オラァァァァッ!でてこいっゴミ野郎。逃げ場はねぇぞ」
ゴスンッと、聞いたことのないような重低音が壁から伝わってくる。ジャックはこの時、コンクリートの壁に何度も肘打ちしていたのである。信じがたいことに壁の砕ける音が聞こえてきた。
「お……おいマジかよ……。冗談だろ」
赤髪野郎が肘打ちを入れる度にビル全体が振動するのが分かる。なんちゅうパワーだよ……。
「もう面倒だぁっ!そりゃぁぁぁ」
次の瞬間、塔屋全体が砕けて崩れ落ちてしまっい、屋上全体が煙に包まれる。俺は倒壊に巻き込まれないように尻もちをついて下がるので精一杯だった。
煙が風に流れていくと、上段蹴りの態勢をしている赤髪ジャックと目があった。奴はニヤリと笑った。
「見つけたぁ〜。だいぶ探しちゃったよ僕ちゃんはよぉ」
時間を稼ぐ。常人の俺にできることはただそれだけ。
「よ……よう。久しぶりだな。まあ落ち着けよ。君は誤解している」
「分かってるよなぁ〜ゴミ野郎。このストレスは全部お前にぶつけられちゃうんだからよぉ」
果たして俺が生きてる間に彩奈は戻ってこられるだろうか……。




