ゾンビの王
赤髪のジャックはまるで生きている人間のようだった。奴の肌は腐ってはいないし、なによりも会話が通じるからだ。確かに頭部の右半分を失って、脳を剥き出しにしている人体模型のような姿をしているが……その部分さえ隠せばゾンビと言われても分からないかもしれない。
「早く逃げて!邪魔!」
奴と対峙しながら必死に俺に逃げるよう促す彩奈。だが彼女を見捨てて逃げることに迷いがあったので、俺は身動きが取れなかった。
「逃げてだと?そのゴミを逃がそうってのかい?相変わらず甲斐甲斐しいねぇ彩奈ちゃんはぁ〜」
「それ以上、貴様は喋るな……。私の仲間にもう手は出させない」
彼女は鉄パイプを持って構えた。彼女の額から冷や汗がポタポタと垂れているのが分かった。このゾンビに凄まじい恐怖を感じているようだった。
「ククク。そりゃぁ無理じゃないかなぁ〜?なにしろ俺も自分の能力に最近気づいちゃってよぉ〜。せっかくだし、ここで披露してあげるよぉ〜」
そう言うと赤髪のジャックは指笛を吹く。口も右半を分失っているのに、その指笛の音は完璧だった。
すると……先程まで俺たちのいたスーパーからゾンビ達がゾロゾロと出てきた。
「なっ……。あの腐乱死体どもが……」
それだけじゃない。通りの北側からも南側からも、ビルの路地からもゾンビの群れが現れる。ようするに俺たちに向かって何百という死体の群れが接近している。
「なんなの……これ」
彩奈の顔は青ざめていた。こんなことは彼女も初見であるらしい。奴が右手を高く上げると、ゾンビの群れは止まった。
「俺もよぉ〜。こんな魔法みたいなことができるなんて、マジで驚いたんだよなぁ〜。やっぱりこれってさぁ〜。俺は彩奈ちゃんの言うとおりゾンビの王様だからかぁ?」
てことはまさか、このゾンビ共は赤髪野郎の指笛で集まってきたってことなのかよ……。
「じゃあ……思い通りにゾンビ達を操れるの?」
「どうかなぁ。ラジコンみたいに操縦するわけにはいかねぇけどよ〜。でもよぉ、これぐらいのことはできるんだよぉ〜」
赤髪のジャックが腕を伸ばして俺を指さすと、路地裏に隠れていた俺を目掛けて前後からゾンビ達が殺到する。
「なにっ」
「蒼汰さん!」
前後をゾンビに挟まれ、武器ももたない俺は絶体絶命の大ピンチ。彩奈は赤髪のジャックに背を向けると、大急ぎでゾンビの群れに飛び込んだ。
そのまま彼女は走りながら持っていた鉄パイプを一振りする。するとたった一振りで5体のゾンビの頭と体を切断した。
「どいてぇぇぇっ」
数十体のゾンビを破壊しながら突進する彩奈。俺の傍までくると目にも止まらぬ速さで蹴りを繰り出し、俺に掴みかかろうとしていたゾンビの顎を撃ち抜く。ゾンビの頭はちぎれてサッカーボールのように飛んでいった。
「だから逃げてって言ったのに!」
「す……すまん」
彩奈は鉄パイプを路地に投げ捨てると俺の体を両手で抱えた。彼女は100キロ以上の荷物を背負っているにも関わらず、そのまま俺を担いで大ジャンプ。
5メートルほど上昇したところで路地裏に面しているビルの壁面を蹴る。すると再び舞い上がり、今度は隣のビルの壁面に到達。このジャンプを何度も繰り返して、またたく間に最上階に到達。
屋上の転落防止柵を右手掴むと、壁面をもう一度蹴ってヒョイっと上に上がって着地した。
「はぁっ。はぁっ」
彼女は俺を下ろすとリュックサックを屋上の床に投げ捨てた。やはり相当重かったらしい。膝に手をついて苦しそうに呼吸していた。
「彩奈……大丈夫か」
「はぁ……はぁ……。下がって。すぐにアイツが来るから」
彩奈は俺に下がるよう手を振った。
「わ……わかった」
俺は渋々下がった。彩奈から15メートルは離れただろうか。これ以上、彼女の足を引っ張るわけにもいかない……。
赤髪のジャックは彩奈と同じやり方で俺たちを追ってきた。隣のビルの壁面を蹴って、凄まじい跳躍力で舞い上がり、彩奈の前に着地する。ハンディもあるので正確なことは言えないが、跳躍力だけなら彩奈を上回っているような気がする。
赤髪のジャックは彩奈を見下ろすように腕組みをしている。
「うひひ。彩奈ちゃ〜ぁん。忘れもんだよぉ〜」
そう言うと赤髪のジャックは不敵な笑みを浮かべて、彼女が路地裏に投げ捨てた鉄パイプを投げて渡してきた。鉄パイプはカランカランと音を立てて彩奈の足元に転がる。彩奈は奴を睨みつけながら鉄パイプを拾う。
「どういうつもりなの……」
「彩奈ちゃんは弱っちぃからねぇ〜。武器ぐらい返してあげないと俺も痛ぶり甲斐がないんだよぉなぁ〜。つまりこれは女子高生に対する俺の優しさなんだよなぁ」
全くあの野郎……人相通り、とんでもねえ性格悪い野郎だな……。それともよほど自信があるのか。だがお前は忘れてるぜ。お前の敵は彩奈だけじゃねえってことをな。
「遠慮すっことねえぞ!そいつはアホなんだから、容赦なく鉄パイプでボッコボコにしてやれえ彩奈っ!」
俺は拳を掲げて叫んだ。20メートルぐらい離れてっけど。ふふふ。こうなったら野次将軍として彩奈を徹底的に援護してやるつもりだ。情けねえけど黙ってみてるほど甘くねえぞ俺は。
しかし次の瞬間、俺の耳に強烈な痛みが走る。
「ぐっ」
強烈な痛みで思わず耳に手を当てると、手に血がベットリと付いている。
「こ……これは」
耳に穴が空き、血がダラダラと垂れていた。床を見ると血まみれになった小さな小さな小石が一つ落ちている。一体何が起きたんだ……。
彩奈も戸惑っていた。
「何!?今、何をしたの?」
「彩奈ちゃんよぉ。可愛い女の子を守ってやるのは分かるんだけどよぉ〜。あんなゴミを守っても仕方ねえよなぁ。ククク」
ゾンビは屈んで、屋上の砂利の一つを拾うと人差し指と親指の間に挟む。
「これって昔見た漫画の真似なんだけどよぉ。指弾だっけ?できちゃうってのが今の俺のすげぇとこだよねぇ〜」
体を起こすとヤツは俺の方を向く。そして親指をピンッと弾いた。次の瞬間、今度はキーンッという大きな金属音が響く。彩奈が太鼓バチを持って構えるように、鉄パイプを持った右腕を天に掲げていた。
赤髪のジャックはパチパチと彼女に向かって拍手してみせた。
「さすがぁ〜。すげぇな彩奈ちゃ〜ん。今のが見えちゃったぁ?」
彩奈の体は少し震えてるようにみえる。
「ヤバイ……。コイツ、やばい」
ゾンビは俺に向かって叫んだ。
「お〜い。そこのゴミよ。良かったなぁ〜。彩奈ちゃんが弾き返さなかったら、お前の頭を石が撃ち抜いてたぞぉ〜」
どうやらこのゾンビは……。俺が思ってたよりもずっと危険な奴らしい。これが……スーパーゾンビか。
「お願いだから……蒼汰さん隠れてて……」
彩奈は俺の方を見ることなく、弱々しく訴えた。野次将軍を続けたいが、誰の得にもならないようだ。情けなさすぎるが俺は塔屋の後ろに隠れ、彩奈の戦いを見守ることになった。




