赤髪のジャック
スーパーの自動ドアは閉じたままなので、持ってきた鉄パイプでガラスを叩き割ることにした。
「気をつけてね。割れたガラスで怪我しないように」
建物の中へは彩奈が先に入っていく。続いて俺も足を踏み入れると中は真っ暗である……。
「うわ……くっせぇ……」
とんでもない異臭が漂っていて、思わず鼻をつまんだ。果物、肉、魚……あらゆるものが腐っているのだろう。しかいこの臭いの元は実はそれらではなかった。
彩奈がピョンと飛んで、何かを跨いでみせた。
「足元に気をつけて。あ、そこに死体があるから踏んじゃだめよ」
「え……どこどこ……」
「蒼汰さんの足元」
彩奈がライトでその場所を照らしてみせると、体全体が溶解したような人間が横たわっていた。
「ぎ……ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
俺は思わず尻もちをついた。
「何してんのっ。危ないよ蒼汰さん」
「な……なんじゃこりゃ」
そのヴィジュアルたるや強烈すぎる。きっと店員の腐乱死体だろう。これが何体も床に転がっているのだ。念のために鉄パイプで目の前の腐乱死体の足をつついてみた。どうせゾンビなんだろ。俺は騙されないぞ……。
「って動かん……これってゾンビじゃないのか?」
「それはただの死体。損傷が激しいと、ゾンビにすらならないの。でも一応気をつけてね」
店に入ってわずが3分。もう泣きそうです。正直、ゾンビに包囲されていた時よりも怖いんだなこれが。
彼女は簡単そうに腐乱死体の上をまたいでいった。俺もそれに必死で倣うがなかなか精神的にキツイ。絶対にこんなもんは踏みたくない。でも既に床がベチョベチョしてるのを感じてしまっている……。
「なんと死体の多いスーパーなんだろうか」
「そうね。今日の店はちょっとハズレかもしんない」
全く気楽に歩けもしない。店の中央部まで来たところで彩奈は足を止めた。
「ここで二手に分かれて品物を探しましょう」
「あ……ああ」
正直言うと彩奈のそばを離れたくないのだが、俺は恐怖を堪えて同意した。
「とりあえず必要なのは缶詰とレトルト食品とカップラーメン類かな。できればお米も集めないとね。そうそう、乾電池も必要だったわ。でも一番大事なのは飲料水なんで、蒼汰さんにはとにかく水だけを手に入れてきて」
そういうと彼女は予備のライトを俺に渡した。
「分かったよ。任せてチョ」
今からペットボトルの水をリュックに詰めることになるんだろうけど結構重くなるんだろうな。まったく大変な労働になりそうだ。
その時だった。
ふと俺の真横に誰かが立っている気配を感じた。闇の中にライトを向けると……髪の毛もなにもない腐りきった死体がそこに立っている。心臓が止まりそうなほどの恐怖を感じた。
その目は生前と変わらず爛々と輝いている。そいつの唇は失われているので口の中が丸見えで、ただ白い歯が飛び飛びに生えているのが見える。要するに……想像を超える不気味な化物がすぐ傍らにいた。
「……な……な……」
皮膚がドロドロのこの死体は、漆黒の中でギロリと俺を見つめている。『こいつ……笑ってる』と思った瞬間に奴は俺の背中のリュックを掴み、ゾンビ特有の低く不気味な唸り声を上げはじめた。そして口をパカっと開けて歯はむき出しにする……。
俺はあまりのことに状況が理解できず呆然となってしまっていた。
「蒼汰さん!あ……危ないっ!」
彩奈の声で我に返った俺は、持っていた鉄パイプで思い切り腐乱死体の側頭部を殴った。会心の一撃。見れば奴の頭はひしゃげ、目が飛び出してしまっていた。実に痛そうだな。
「シャア……シュアアア」
しかしお構いなしに笑顔のゾンビは俺の顔を齧ろうとしてくるのだ。必死に俺はライトを持つ左手で、奴の顔を押さえた。奴の肌は腐ってドロドロなのが感触として実感できる。感染したくないのでこれ以上触れていたくはない。だが手を離せば食われてしまう。
「くそ……。離れろ」
しかもこのゾンビの力は強烈で、目を飛び出させたまま俺の顔にどんどん近づいてくる。
「グシュルシュル」
口が信じられないほど大きく開いた。
「マジか……!」
次の瞬間、俺の肩越しに彩奈の正拳が奴の側頭部を貫く。その衝撃でゾンビの頭部は体から外れ、奴の胴体はそのまま後ろにバタンと仰向けに倒れてしまった。
「はぁ……はぁ……。助かった……。でも一体どうなったんだ」
ライトを彩奈の方に向けると、腕を伸ばした態勢のまま動かない。彼女の腕の先にはゾンビの頭が繋がっているのだ。
「しぶとい奴ね……」
首だけとなったゾンビの側頭部の中に彼女の拳は埋まっている。まるで骸骨のグローブをつけているようだ。だが頭部はまだ生きている(ゾンビなので生きてると言っていいのか分からないが)ようで、目を動かし彩奈の方を見ようとしていた。
「ウゴ……。グシュル……」
「見ないでこっちを。キモいから」
彩奈はゾンビの頭部ごとパンチを繰り出し、コンクリート製の柱をジャブ気味に殴った。すると柱にヒビが入るとともに、ゾンビの頭部は完全にバラバラになってしまった。だが彼女は攻撃をやめない。足元に落ちた目玉や脳を踏みつけて潰した。
「うおお……容赦ねえ……」
今朝、俺に震えてしがみついてきた少女と今の彼女が同一人物とはとても思えん……。しかし鬼のようだった彼女が突然振り返り、眉を八の字にさせて俺の体を心配してきた。
「大丈夫なの蒼汰さん!?傷は?どこも傷はできてない?」
「ああ、たぶん大丈夫」
「バカッ!たぶん大丈夫じゃないわよ。急いで洗ってきて!」
彼女は俺が感染することを恐れているらしい。ヤツの顔を押さえていただけなので大丈夫だと思うが、念のためにミネラルウォーターで洗うことを勧められた。
やむを得ず俺は店の外に出ることになった。
持ってきたペットボトルの水で手を洗う。まあ感染はしないと思うが汚いしね……。しかしゾンビってのは全く面倒な奴らだぜ。
「はぁ……外は全く暑いな」
ギラギラと照りつける太陽のせいで汗が止まらない。せかっくなので使わなかったペットボトルの水を飲んでみると、少し生き返った気分になった。
木陰のベンチに座り込むとため息がでた。大方の予想通りただの足手まといになっちまったことに凹むね。道路をみれば捨てられた車で溢れてる。その中にはガソリンを積んだタンクローリーもあった。こんな暑い日に大丈夫かよ。爆発しないだろうな……。
「早く出てこないかな彩奈……」
全く待ってる時間というものは長く感じるもんだ。時間にすれば15分ぐらいだったが、路地からゾンビが出てくるんじゃないかと怯えていると余計に長く感じる。
気づけば彼女は俺の横に立っていた。
「無事に終わったわよ。これで1週間分ぐらいの食料にはなるからね」
彼女の大きなリュックサックが満杯になっていた。いったいどれぐらいの重さがあるんだろうか。
「何か持とうか?」
「いいよ。別に重くないし」
「でも……俺が何しにきたか分かんねえし……」
彼女はポケットから乾電池を10個ほど取り出した。
「じゃあこれ持ってて。ポケットに入れてると結構邪魔なの」
トホホ……。俺、マジで何をしにきたんだろうか?そう思った時……。
ドシュンッ
ドシュンッ
妙な音が街の中に響いた。何かが飛び跳ねてるような……それでいてこちらに接近している音だ。
うなだれていた顔を上げれば、鳥のような物体がビルとビルの間を行き来しているのが目に入る。
「なんだありゃ……」
それは徐々にこちらに近づいていた。だんだんと鳥ではなく人の形をしたものであることが分かった。そいつはビル壁を蹴ってスパイダーマンのように飛んで、また別のビルの壁を蹴って進む……。
考えてみると、とてつもない跳躍力をしている。1回の蹴りで100メートルは飛んでいた。
「彩奈。アイツは一体なんなの」
横にいた彩奈に尋ねると、彼女の俺の指さした方向をみて顔が青ざめていく。
「なっ……。蒼汰さん、隠れて!死にたくなければ今すぐに」
「な……何?どうしたの急に!?」
だが既に手遅れだった。その者は俺たちの前に着地してしまう。
「速い!」
「いよぉ〜彩奈ちゃん。まだこんな場所をウロウロしてたのかぁ。ダメじゃないか。そんなに良い匂いさせてたら。俺に見つかっちゃうだろ……」
コイツ喋った……。
しかしそれ以上に驚かされたのはそいつの顔だ。全く仰天した。何しろ頭の右半分がないのだ。まるで人体模型のように頭部が切断されて、剥き出しの脳が見えている。背はさほど大きくないが、肩幅は大きく体格はガッチリしていた。燃えるように赤い髪の毛が逆だっているのが特に印象的である。
コイツもゾンビのようだな……。しかし人相の悪い野郎だ。生きてた時は30歳ぐらいだろうか。チンピラ臭がすげーな。
彼女は俺の襟を掴んでビルの路地に押し込んだので、俺は尻もちをつくことになった。
「ぎゃあっ。なにすんだよ彩奈」
「貴方はそこに隠れてて。後は隙を見つけて逃げて」
「どうしたんだよ急に」
彼女は俺の手から鉄パイプを取ると、悲壮な表情で奴と向かい合った。
「前に言っていたでしょ。あいつがスーパーゾンビなの。人語を解して、恐るべき身体能力を持つゾンビ。奴は赤髪のジャック……」
ゾンビは腕を組んで笑った。
「フハハハ!赤髪のジャックだと?そういえば前も言ってたなお前。勝手に人に名前をつけないでくれるか?」
全く人体模型のような面でよく喋る野郎だ。
「さあて。久々に生身の人間が食えるぞ……。さすがにゾンビを食うのに飽きてきたからなぁ」
赤髪のジャックはジリジリと彩奈との距離を詰めていく。




