ヨガッヨガッヨガッ
目を閉じれば、白なのか透明なのかもよく分からない靄が、ブワブワモヤモヤ……ダランダランと、晴れることのない暗闇に浮かんでいる。そしてその靄に映し出される不鮮明な映像。ブブブッ、ブブブッ……壊れた映写機が空気を震わせるような不快な音が聞こえる。
映像の女は静かに座っていた。これといった出来事もないのに薄っすらと笑い、表情があるのにまるで無表情のように……これこそが無感情であるかのように笑っていた。何もない顔に貼り付けられた表情。その空間の誰よりも異質な顔立ち。人形だと言われたら信じてしまいそうな、そんな女が…………
揺らぐ。霞む。跳ねる。際立つ。蘇る映像は乱れ続ける。経てば経つほど、私の心は…………
「………だから夢は嫌い。」
両目を覆っていた私の右腕をゆっくりと持ち上げ、私は目を開いた。へし折った巨木の上に寝転がっていた私は上半身を起こし、浮いていた両足の踵を木の側面にぶつけまっすぐ前を向く。
「……………」
汗とともに体から熱が出て行ったせいだろうか、心はとてつもなく冷え切っていた。そして心が冷えれば冷えるほど、口の中に苦味のようなものが広がっていく。
…………何を求めているんだ。私は私に求められていることをやるだけじゃないか。私が何かを求めるのは………そんなの、必要ない。
苦々しい記憶を消し去り、私は立ち上がった。
私をサポートする仲間がいればそれでいい。それ以上は…………要らない。
「戻ろう。」
下らないことに時間を使った。さっさと……ん?
遠くから音が聞こえてくる。大量の音……1人を大勢が追いかけるような。
「くっそ、ふざけんなよまじでっ!!」
黒く、ツーブロックが入った短めの髪の女が走る。追ってくる魔物や人間を引き離すために、物陰に隠れながら全速力で。
「あの方の為に捕まえっ」
ドブチュン!!!
女の子を追っていた集団の先頭を、飛び上がって上から叩き潰した私は女の子の方を向いた。
「助けに来たよ。」
「お前はイリナっ!なぜこの場所にっ!?」
バシュンッ!!!
返事代わりに近くにいた魔物を叩き潰し、質問してきた男に視線を向ける。
子供を狙っているってことは……あの青ローブの男の部下だろう。また子供をさらって魔力を植え付ける魂胆に違いない。…………許せない。
「ヒッ………」
私の目を見て後ずさる魔物達。
そんな一歩じゃ、私からは逃げられない。
ベキベキベキンッ!!!
魔物達の首を一瞬でねじ切った。取れた頭が地面を転がり、身体が無情に倒れていく。
「……これでもう大丈夫だよ。」
私は横たわっている死体を避けながら女の子に近づく。
ひとまず犠牲者を増やさずに済んでよかった。私にはまだ仕事があるから勇者領の奴らに家に帰させておこう。
「………まさか勇者領まで来ちゃったの!?」
しかし女の子は予想外の言葉を言った後、驚きながら私から一歩退い
パンッ!!
私は一瞬で女の子の背後に回り込み地面に押し倒し、相手の右手を捻りながら持ち上げ拘束した!
まさかこの子魔族!?事情は分からないけれど拘束しなきゃっ!?
ボフンッ!
拘束した途端女の子は煙となって消失した!そしていつのまにか私の拘束を抜け出した彼女は走って私から離れていく!!
分身!?いや、これは気色が違う!……とにかく今はあの子を捕まえないと!
私は急いで飛び出し彼女の肩を掴んで……
ボフンッ!
掴んだと思ったのに、手が煙もろとも宙をきった。
ザッ
そして煙の陰から女の子が姿をあらわす。握り拳を固め、姿勢が崩れた私に向けてその標準を合わせる。
ボッ!!
そして放たれたパンチ!!魔族のくせになんて速さだ!!
グイッ!
私は無理矢理身体をそらし彼女のパンチが届かない場所に逃げた!!
バキッ!!
しかし顔に思いっきりパンチが当たった!!伸びっ……どうなってるんだ一体!!
私はすぐに態勢を立て直し、あの子を追いかけようとした!しかし、女の子はもう既にこの場所から姿を消していた。煙を残して、跡形もなく………
……魔族のくせにかなり高い身体能力をしていた。そしてあの掴むことのできない魔力………かなり上位の魔族だろう。最高幹部?………可能性は高い。
「……とりあえずカイに報告しておくか。」
なぜあの子が青ローブ達に追われていたか分からないし、あの子なら捕まるようなことはないだろうけれど、嫌な予感がする。不可解が不安と恐怖を呼び起こすように、私は不吉を感じずにはいられなかった。
ゴホゴホッ………
こじんまりとした、暗く不潔な場所で男が咳き込んだ。ピチャンと跳ねる水の音、チィチィと鳴くネズミの声と違いザラザラとしていた。
「大丈夫?」
近くにいた女が男に声をかけた。安く、ボロボロな布を羽織った女はゆっくりと男に近づく。
「…………」
バンッ!!
ビクッ
その音にビクついた女が固まる。
「………近づくなって言ってんだろ。」
なにもかもが最悪だ。
男は呟いて天井を見上げた。全てを捨てられたらどれほど幸せだろうか。仕様のない現実に、男は見上げるしかできなかった。
そして男は女を一瞬だけ見た後、また天井を見上げた。
いずれこいつも………
ガチャガチャガチャンっ!
重たい扉が開かれ、薄明かりが部屋の中に入ってくる。
「さて、救う気になったかな?」
青ローブを羽織った男が笑いながら、男に問いかけた。
「…………ボクシングですねそれは。」
カイから意外な言葉が返ってきた。
カイと合流した後、さっき起こったことを報告するとこんな言葉が返ってきたのだ。
「ボクシング習えばダ○シムみたいに腕が伸びるようになるの?それだったらヨガ習った方が伸びるようになるよって言われた方が信じられるんだけど。」
「分かってないですねぇ。伸びてるように見えるってことですよ。イリナさんや僕のような素人ならなおさらね。」
「私マスタークラスだし。」
「イリナさんが格闘技なんか修めたら更に手をつけられなくなるのでやめてください。」
カイはブランブランと腕をダラつかせると……
ボヒュンッ!
パンチを放った。
「インファイト型のファイターはパンチに威力と速度を乗せるために、肩と腰を使うんですよ。そうすると肩の捻りと体を前に出す分だけパンチが一瞬だけ伸びます。これが結構バカにできなくて、パンチを受けてる側はかなり腕が伸びているように見えるわけです。」
「ふーーん…………」
分かったような分からなかったような。正直に言うとサッパリだから私は曖昧な返事をした。
それじゃあさっきの魔族の女の子はボクシングに打ち込んでいるのか。道理で動きが機敏でスタミナもあってパンチが速かったわけか。納得ー。
「………で、青ローブの目的ってなんだと思う?」
青ローブが魔力を与えるのは[魔力が発現していない子供]だけだ。それなのに魔力を持った魔族の手練れを狙っていたというのだから、何か目的があるんじゃと考えてしまう。
「さぁ?僕が分かるわけないじゃないですか。」
「あんたが分からなかったら誰も分からないでしょ。」
「いや、青ローブ当事者が知ってるじゃないですか。……さっさと捕まえましょう。」
「そうだね。その宗教団体の場所にいてくれたら良いんだけど…………」
「いなくても手がかりぐらいは見つけてやりますよ。その為の僕たちなんですから。」
私は頷いた後、前を向きなおした。
目的地まではあとちょっとだ。さっさとこんな醜悪な戦いは終わらせなくちゃ。………ん?
前から人がフラつきながら歩いてくる。苦しそうな表情を見せながら、フラフラと……
負傷者?もしかしたら本当に宗教団体が敵のアジトになってるんじゃっ。
私達は急いで男に駆け寄り、症状を確認する!
目立った外傷はなし!もしかして病気か!?
「どこらへんが痛むとかある!?」
「は、腹が……」
腹!?食あたりとか………
ボンッ!!
お腹を触診しようと腕を伸ばした瞬間、男の腹が破裂した。その時、男と目があった。既に目には生気がなかった。




