変化
不思議な夢を見た。
目をつぶっているようで視界は暗いが、体には温かい春の陽気が感じられる。その違和感にゆっくりと目を開くと、瞼の隙間から太陽の光が差し込んできた。そのあまりの眩しさに手で覆うと、頭の上から誰か女性の声が聞こえてくる。
「※※※※※※※※※」
なんて言っているのか聞き取れないが、とても優しいその声の主に寝起きのキリエの頭を撫でられると、なんだかとても心地いい気持ちになってくる。
その女性の膝枕で寝ていたことを知ったキリエは、起き上がって辺りを見回すとどこかの草原の木の下で寝ていたようだ。
起きあがったキリエの頭をもう一度だけ撫でると、その女性も立ち上がり遠くに見える家に向かって歩き出す。少し歩いた先でその女性は振り返って手招きしており、招かれるままにキリエも立ち上がり歩き出した。
長く白い髪のその女性の後を追うが幼い体では一向に距離が縮まらず、それどころかどんどん距離が開いていく。本来なら焦るはずのその状況が、今のキリエは不思議と安心できた。
明るい太陽の日が差し込んでくるその光景はもうすでに見えなくなり、暗い闇に覆われたその世界でキリエの立つ場所だけが明るく照らされていた。
「・・・何てことしてくれたの。」
怒り口調で背後からかけられた言葉の先にいたのは間違うハズがない、聞き覚えのあるその声の主はキリエその人だったのだ。
「『私』が余計なことしなければ、あのまま素敵な世界で過ごせていたのに!」
大粒の涙を流しながら訴えてくるその姿は辛そうで、ワンピースから覗く両の腕にはかきむしったような爪痕が残っている。
「楽しくて! 優しくて! 気持ちよくて! 温かい、私の唯一の場所をあなたは!」
「それは違うわ、あの場所はただ気持ちが悪いだけ。」
「何を言うの! 『私』も見たでしょう、居心地のいいあの場所を! それを、それを!」
悲痛な表情でキリエに訴えてくるキリエは言葉を発するたびに、自分の体に爪を立ててガリガリと搔きむしって血を流す。痛々しいその光景にキリエは狼狽えることなく、冷静に言葉を返していく。
「確かに温かくて優しい、それは認めざるを得ないわ。けれど、表と裏が切り離せない一対の物であるように、ただ明るいだけのあの世界は私からしたら、・・ただただ悍ましい。」
「なんてことを・・」
「自分の感情から目を逸らして、心を殺しながら生きなければいけないなら、『そんなの私はいらない。』」
幼い姿はもうどこにもない。成長したキリエは最後まで、揺らぐことなく言い切ったことで、『それ』は腕を掻きむしることを止める。
「・・・そう、『私』はそっちを選ぶのね。無知がどれ程罪なのか、その身をもって知るが良いわ。」
言葉と共に黒い闇にチョコレートの様にドロドロと消えていく『それ』は、決して止まることなく、汚い呪いのような言葉を投げ続ける。
「無知、そう・・・無知! 『私』のこの判断がどれだけ重要な意味を持っているのか、まるで理解していない。何も知らないからこその物なのでしょう、世界のことも、『私』のことも、あの人間のことも何も知らない。」
自らの体が溶けているということに構わず、ただキリエに向かって垂れ流す言葉は一向に止まる気配がない。
「・・・もう後戻りはできない。今のこの選択に、せいぜい後悔して生き続けるがいい。」
そう残して、蒼い眼のキリエはそのまま消えてなくなってしまった。
◇◇◇ ◇◇◇
急に体の上に乗っかってきたその重りに目が覚める。
開いた眼から入ってくる光景は、この国に来てから数日過ごし続けている部屋のいつも天井だ。いつもと変わらない光景に安堵すると、体に感じる重さは何だと首を動かして確認する。
「フィル」
始めて見るその幼いその寝顔は年相応の物で、大人に近い年頃といってもまだまだ子供なんだと思うと、なんだか微笑ましい。
フィルを起こさないようにして立ち上がると、不思議な夢を見ていたことを思いだし、それがどんな夢だったのか思いだそうとするが全く思いだせない。
「・・・・あれ、何だっけ? 」
不思議な夢を見ていたことは間違いなく覚えているのだが、それがどんな夢だったかまでは思いだせない。
閉められたカーテンの向こうはすでに日は落ちて暗く、枕元にある小さなランプがこの部屋唯一の明かりだ。
寝ているフィルに布団をかけてやってから、静かに扉を開けてリビングの方へと向かって歩き出した。
◇◇◇ ◇◇◇
「・・・何やってるの?」
リビングに集まっている全員に向けて、開口一番に出てきた言葉がこれだ。
部屋の隅に追い詰められたリリアを囲むようにしてロウとフェザーが立ちはだかっており、囲まれているリリアはなんだか泣いているように見える。
「キ、キリエ様、起きられたのですね! いきなりで悪いのですが、この二人を止めていただけませんか?」
緊迫した空気の中で、リリアがいきなり声を張り上げることで他の三人も気が付いた。ロウとフェザーは一瞥するとすぐにリリアの方へと視線を戻し、そこから離れた場所にいるリウが急いで近づいてきた。
「キリエ様! お体の方は大丈夫なのですか?」
「うん、私の方は何ともないんだけど・・・この状況は?」
「オークションに向けてリリアを女装させようとしたのですが、渋りまして。取り押さえようと二人がリリアを囲ったところです。」
二人に囲われたリリアは今にも泣き出しそうで、油断なく囲う二人の後ろ姿は何だか禍々しい。そんなピリピリとした空気の中、不意に聞こえる楽しげなその笑い声は違和感として響き渡る。
「キリエ様?」
隣で楽しそうに笑うキリエの姿が今まで見てきたものとは違い、なんだかとても近い存在になったように感じられる。口元に手を当てて上品に笑うキリエの目元には、うっすらと涙が浮かんでいてまるで子供みたいだ。
「あははは、・・・ごめんなさい。悪気はないの、ただ何か可笑しくって。・・・・・・ねぇ、ロウ。」
「・・・なんだ。今ちょっと忙しいんだ、後にしてくれ。」
「姫様の言葉なんだから、ちゃんと聞かないとダメでしょう!」
一人で焦りまくっているリリアはロウにそう叫ぶ。どうやら相当に追い込まれているようで、冷や汗が流れているのが遠目でも分かる。
「例のオークション、やっぱり私が行くのはダメかな。」
「・・・それ、分かって言ってるんだよな。」
視線はリリアに釘付けになったままで、今日一日で二度向けられたその声は重く体にのしかかってくる。今までの自分ならばそこから先は口にすることが出来なかっただろう、という予想は間違いじゃないだろう。
「もちろん、前とは違うよ。今度は私が、私の為に、私が考えてのことだから。」
「・・・どれだけ危険だとしてもか?」
ロウがかけてくれた言葉はとても優しく、今までみたいな冷たく突き放すための言葉じゃない。近しい者が相手の身を案じてかけてくれる、そんな印象を感じ取った。
「うん。・・・余計なお世話とか、できることは何もないとか思うかもしれないけど、やっぱり何かしてあげたい。」
いつの間にかロウは視線だけでなく体全体をキリエの方に向け、少しも逸れることなく真っすぐにキリエを見つめている。キリエの方も負けじと視線をそらさずに真っすぐに目を合わせる。ただ、真っすぐに。
「今すぐに出来るとは思わないけど、これから私はロウやフェザーさん、リリアさんやリウたちに何度も頼ろうと思うし頼って欲しいとも思う。・・・ロウにも言われちゃったからね。」
頭で考えたわけでなく自然と口から出てくる言葉の数々に、一番驚いているのは何を隠そうキリエ本人だ。寝て目が覚めた時に感じた謎の安心感は、いまだに消えることなくキリエの心をそっと包み込む。
「これは私の我がままに近い、・・ううん、我がままだから絶対とは言わない。だからお願いします、もし良かったら今回のオークションをその一歩として、進ませてはもらえないでしょうか。」
おかしな話だが生まれたばかりの子供が見る景色は、こんな風に感じるのだろうかと頭の中をよぎる。今までと同じ景色のはずなのに、感じる色や匂う空気、肌に刺さる緊張や物音がしない静かな部屋、そのどれもが新しいものとして感じるのだ。
少し下げた目線からロウの方を伺おうとするが、うまく見ることが出来ない。そんなもどかしさを感じながらも、キリエはそこから先は何も話そうとしない。今から何を言ったところで、全てが蛇足であると
理解しているからだ。
生唾を飲み込む音すら聞こえそうなほどの静寂が襲う部屋に、先にため息を漏らしたのはロウだった。
「・・・はぁ。その様子じゃ、止めることは無理そうだ。」
やれやれとため息交じりに伝えられた言葉に、緊張の糸が一気に解ける。話していたのは数分程度なのに、感じる疲労は一日分動き続けたぐらいの疲れだ。
「起きてなんか面倒くさくなったような・・・」
「自業自得じゃ、観念せい。」
「助、かった・・・・。」
三者三様の言葉を吐く中で、一人だけ吐いた溜め息の種類が違う者がいるが、そこは気にするところではないだろう。
「頭なんか下げるなよ。俺はキリエにお願いされる立場じゃないし、そんなつもりもない。・・・ただ、そうゆう場所だって伝えたかっただけなんだから。」
「言いたい事は分かるけど、そっちの世界では先輩なんだから。自然とそうなっちゃうよ。」
「だったら尚更だ。頼り頼られの関係を作るならば、片方が頭を下げるなんて考えられない。」
「そうゆうもの?」
「そうゆうものだ。」
リビングの中央付近に置かれている机には、いろいろな紙が散らばっている。どうやらオークション会場の周辺の地図や、内部の大まかな地図などが置かれているようで、一つ一つ目を通しながら分け始めた。
「さて、一番の問題も片付いた所なので、これから少し話し合おうか。」
いくつかに分けられた紙を整えて置き、各々が自分の椅子に腰掛け始めると、キリエもいつものように自分の椅子に座るために動き出した。
「キリエには悪いが予定まであまり時間が無い。ザックリとした説明しか出来ないのは勘弁してくれ。」
「大丈夫、問題は無いわ。」
「・・・ホントに寝てる間に何があった? まるで別人みたいだ。安心できるような、できないような・・・・・」
話の途中で急に黙り込んだロウはかなり難しい顔をしており、突然静かになった事で、残りの面々の視線は紙からロウへと向けられる。
「キリエ、その目どうした?」
「目?」
急に黙り込んだと思ったら、今度はよく分からない質問を投げてくる。当然の事で、一斉にキリエの方へと視線が向くと、皆ロウと同じような驚きの声を上げた。
「えぇ! 何で! キリエ様、本当にお体に異常はないですか!」
「ど、どうしたの急に。何とも無いって言ってるじゃない。」
「それが信じられんから言っとるんじゃ。無理しとるんとちゃうやろうな?」
「してないって、本当に! もう、何なの?」
周囲のその反応が理解できず、全員でからかっているんじゃないかと疑うが、向けてくる表情はそんな感じは全くない。いまいち食い違いが起きているキリエに、リウが持参していた鏡をキリエに渡してやる。
「・・・嘘。」
その鏡を覗き込むことで周囲の反応がようやく理解することが出来た。
「・・・赤くなってる。何で?」
「分かりません、本当に何も無いんですか? 痛くもかゆくも? 目が見えにくいとかも本当に無いですか?」
鏡に映る顔はいつものキリエそのものだが、そこに映るキリエの目の色が蒼から赤へと変わっていたのだ。
矢継ぎ早に投げられる質問の数々に、動揺しながらも異常は無いとそう答える。そこに無理も疲れも見せていないものだから、誰もとやかくいうことが出来ない。
本当にただ寝て起きただけなのに、こんな変化が起きる理由に思い当たりどころか想像することもできない。
「やっぱし、キリエはここで待ってもらって会場にはリリアが行くか。」
「キリエ様も大丈夫と言っているでしょう! 大丈夫、そうですよねキリエ様!」
思いつく当然の提案を全力で拒否するリリアの声に、寝ていたフィルも目を覚まして合流。そこからオークションに向けての目的等の作戦会議が執り行われた。




