溶ける『殻』
荒い呼吸はリウの言葉により加速し、心臓までもが痛いくらいに脈を打つ。
「・・・はぁ、はぁ」
一人で落ち着こうと扉を開けて、誰もいないはずの隣の部屋へと入ろうとした際に、誰かとぶつかってしまい倒れこむ。
「・・・痛!」
「大丈夫か? 悪い、見て無かった。」
「・・・・ぁ」
今一番会いたくない人物であるロウが、座り込んでいるキリエに手を差し伸べてきてくれているのだが、今のキリエにはその手を掴むことが出来ない。
「どうした、立たないのか?」
「・・・ロウは」
「ん?」
俯き座ったままの状態で限界に達しつつあるキリエは、乾いた喉からロウに対して怒りの熱を感じる。
「・・あなたは、何がしたいんですか? 何を求めているのか、私は全く分からないんです。」
「何がしたいって、気づいて欲しかっただけだ。それ以外に何もない。」
「何も無いって・・・、そんなの」
差し出されているロウの手を払いのけ、ドアノブを掴み壁にもたれかかりながら立ち上がり、ロウを睨みつける。
「・・朝、あなたに言われてから色んなことを聞きました。初めて知るようなことも、思いだしたくないことも何度も頭をよぎりました。何度も、何度も何度も!」
「・・・・。」
「もう頭の中がグチャグチャで、・・・何も分からないんです。」
「・・・なるほど、つまりもう少しってことで後はダメ押しだ。」
悪魔かと思うようなその一言を呟くと、キリエを見つめる目は朝のときと同じ、冷たく鋭いあの目に切り替わった。
「さっきから分からない分からないって言うが、ホントはなんとなく気が付いてるんだろ?」
「気が付いてるって、あなたが私の何を知っているというんですか!」
「知らねぇな。『キリエ』自身がその時その場所で何を思ったかなんて、知りたいとも思わないし興味もない。」
悪びれることなく言い返してくるロウの言葉に、先ほどまで体全体を覆っていた感情は消え、今は怒りの感情一色に染まる。
「そうやって私の事を馬鹿にして、・・・あなたは最低な、『あいつら』と何も変わらない最悪の『人間』だ!」
「んなことは知ってる、誰よりも俺が一番な。・・・それに、私の何を知っているとは言うが、言っている本人も自分の事よく分かってないじゃねぇか。」
「そんなことない! 私は『私』なんだから、知らない訳が無いでしょう!」
強気で言い返してくるキリエのその姿に、ロウは鼻で笑いながらも強く、それでいて子供に説明するように優しく言葉を繋げていく。
「はっ、それじゃ聞こうか。こっちでキリエは誰の為に、何がしたいんだ?」
「そこで戦っている戦士の方々の力になりたくて、少しでも救ってあげたいから。それに、あの事件以降私はそこから逃げられないことぐらい分かってるわよ!」
「へぇ、そこまで言い張るとはなかなか覚悟があるように見えるな。」
「あるに決まってるでしょ、ふざけてそんなこと言うわけないじゃない!」
詰め寄ったキリエはロウの胸ぐらを両手で掴み、怒りに染まった眼を向けられているにも関わらず、相変わらずのその余裕が一層怒りを引き立てる。
「それじゃもう一つだけ聞こうか。」
「何をどれだけ聞いたところで、意味は無いわ。自分のことは自分が一番分かってるんだから!」
「・・・怖くないのか?」
「そんなの怖くないに決まってるでしょ! きちんと覚悟してるってさっき・・・」
「こんなに震えてるのにか?」
ロウの胸ぐらを掴む両手から伝わる微弱な振動に、その言葉を聞いて初めて気が付いた。
「これでも怖くないと?」
「・・・違う、これは違う。こんなのは・・・」
「何が違う? 覚悟も意志もあるというなら何故そんなに震えているんだ?」
「違う、違う違う! これはそんなんじゃない!」
「そうやって、今までと同じようにして目を逸らすのか?」
「・・・・っ!」
震える手を抱くように胸に当てると、ロウの視線に押されて後ずさる。怯える顔はロウを見ておらず、俯き気味に震えるだけだ。
「もう分かってんだろ、いい加減見てやれ。 顔や口で言ってることと、体に現れてる感情が真逆なんだよ!」
「!?」
「ここに今迄みたいな何かを強制するような奴はいないし、まして裏切り者の世話役だったリンとかいうメイドもここにはいない。今この場所で気張る必要は無いんだよ、キリエ!」
「・・・これは、何でもない。大丈夫だから、私は、大丈夫だから。」
ロウの言葉は届いておらず、何かに怯えるように呟きながらの後退は止まらない。
二・三歩歩いたところで足がもつれ、後ろに頭から倒れこもうとしたところをロウが腕を掴んで手繰り寄せる。
腰を抜かしたキリエを壁にもたれさせて座らせることで、ようやくロウの言葉が届いたキリエは、怖い夢を見た子供のような目でロウを見上げてきた。
その正面に膝をついて目線を合わせ、先ほどとは違ういつも通りの目に戻り優しく話しかける。
「・・・これは俺の予想でしかない、間違ってたら鼻で笑ってくれ。」
「・・何、を」
「実はクロエからキリエの事いろいろと聞いていたんだ。小さいころから手伝ってくれたりとか、国王の娘としていろんな重役と接してきていたこととかな。」
ゆっくりと話してくる話の内容は内心を騒めき立たせるものであるが、息が荒れるほどではない。ロウの声に耳を傾けていると、忘れたと思っていた幼いころの記憶が次々と蘇ってくる。
暗い部屋で本を読んでいてメイドに怒られた後一緒に読んだことや、仕事中のクロエに突撃して膝の上で少し時間を過ごしたこと。
どれもがハッキリと記憶に残っていはいるが、その全てがひどく懐かしい。
「幼いながらにあいつの仕事をこなすとは凄いと思う、俺には到底まねできないことだ。きっと想像することすら適わない量の勉強をこなしたんだろうが、いったいそのやる気は何処から来たんだろうな。」
「・・それは」
楽しかった。
その一言を告げる前にリウから嘘と言われた言葉が喉を締め上げ、失われた声の代わりとして引きずりだされたのは、一人で勉強している時の記憶だ。
思いだしたその記憶はまるで何かに追われるように本を読みあさっており、それを思い出してからは勉強が楽しいと思うことが出来なくなっていた。
━━━━そうか、これは・・・
「俺が思うに怖かったんじゃないのか? 隣にいるのは見たことない奴ばかりで、頼りたいクロエはどこにもいない。大勢いるハズなのに、そこにはキリエ一人しかいなかった。」
━━━━あの時、あの場所にいた方々は皆恐怖の対象でしかなかった。少しでも早くお父様のもとに辿りつきたかったから、必死になって、死に物狂いで勉強したんだ。
「もしかしたら本当に楽しかったのかもしれない、けど根底にあるのは一人というその恐怖だったと思う。それを何度か近くにいる相手に相談もしたんだろうが、あまりいい結論にならなかったんだろう。」
━━━━二度。話はしたけど、そのどれもが好転したことは無かった。結果として学んだのは、お父様に迷惑が掛かるということだけ。
奥深くの底へと閉まっていた記憶が湧きだし続け、たった今まで体を覆っていた恐怖と、仕事に慣れだしたとき生まれた虚無感がゆっくりと溶けていくのが分かる。
蓋を開けてみれば簡単なことだった。
昔感じていた恐怖から逃げたくて、自分に楽しいと嘘をついたことが全ての始まり。そこからは自分に嘘をつき続けることの連続になってしまったのだ。
自分の気持ちに向き合う事よりも嘘をつき続ける方が楽で、いつの間にか本当の気持ちが分からなくなっていた。
「・・・まぁ、今のキリエが抱える状況はかなり大変になってるけど・・・、けど今周りにいる奴はその時とは違う。」
「━━━━━━」
「信じろとは言わない、任せろとは言えない。ただ、ちょっとでもいいから頼ってくれ。すぐ隣にいる仲間が無理して苦しんでいる姿を見てるのは、・・・辛いから。」
「━━━。ロウ、私は・・・私は・・・」
そこから先の言葉を放つ前に、口元に差し出されたロウの指で止められる。言い放つ言葉が無かったキリエの口を止めるにはそれだけで十分だった。
「そこはまだいいよ、答えられるようになってからで。朝のときは限界だってのは見るからに分かったから、ちょっと・・強めに言っちまった。その、・・・悪い。」
バツが悪くなったロウは顔を逸らして鼻の頭を掻いて立ち上がる。大きく背伸びをすると座るキリエに手を差し伸べてきた。
「いつまでもこんなところに座ってなんかいられない、場所変えよう。」
「・・・うん。」
差し出された手を掴んで勢いよく立ち上がると、精神的に相当疲れたのか体が異常に重く感じる。うまく制御することが出来ず、ロウに正面から受け止めてもらう。
「・・ねぇ、ロウ。」
「何だ?」
「━━━━━━━ありがとう」
受け止めてもらったその勢いのままに、体をロウに預けてそのまま意識を失ってしまった。
「ちょっ、おいキリエ? キリエ! リウ来て・・!」
「ど・したの、大・出し・・・・・・・!」
遠い意識の向こうで慌ただしい声を聞きながら、数年ぶりに感じるこの安心感に体を委ねてそのまま眠りについたのだった。




