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全てが新しい異世界にて -fast life-  作者: 鰹節
第四章 魔鉱石の村 コノート
118/132

誰が為に

「や、やりやがった・・・」


 無意識に口から零れた呟きは、この場にいる誰もが口には出さずとも心の内で感じていた。


 唯一対抗できると思っていた人物が、目の前で滅多打ちにされる光景は、僅かな希望の光を容易に閉ざす。

 絶対的な絶望は、抵抗する力を根元から容易に砕き散らすほどに強烈だった。


 ここからどうにか、誰かの手さえ借りることができればなどと思う事もない。ヒビの入った杖では、立ち上がることすら出来はしない。


 そんな折、銀色の髪をした人間の男が突如として目の前に現れた。

「今更来たところで何ができる」と、諦めが混ざった嘲りの思いを内に秘めるながらも、「もしかしたら」と恥ずかしげもなく期待する自分がそこにいた。


 けれども、か細い理想に対して現実は甘くない。


 全身黒焦げとなって降ってきた時には「やっぱりな」と諦め半分、安心半分でため息を吐く。

 勝手に希望を抱いておきながら、勝手に落胆されるなんてあの男からしてみればいい迷惑だろう。少なくとも俺はそう思う。


 しかし、だ。元からよく分からなかったあの男が、本当に分からなくなってしまったのはここから先のことだ。


 降ってきた人間は『死』の一歩手前の大怪我であるにも関わらず、治療石を自ら拒んだ上で逃げる事もせず立ち向かった。

 そして、宣言通りにあの女を地へと伏せさせたのだ。


 タイマンであの女を倒した事について、世間一般は一人手柄じゃないと言うだろう。

 世界を敵に回した人間であれば当然の評価だが、俺はその評価に断じて否と答えよう。


 俺が人間から言われたのは弱くていいから風を起こす事と目を潰す事の二つだけで、こんなもの手持ちの魔鉱石を使えばなんの労力もなく容易に達成できる内容だ。


 協力だなんて立派な言葉で表すだなんて、おこがましいにも程がある。

 ペンを取ってくれと言われたから渡しただけの行動を、協力したとは誰も言わないだろう。


 耳打ちされた話をきいて、急ごしらえの考えを達成出来るとは思えなかった。

 だから、「止めておけ」と制止しようとしたのだが、……出来なかった。


 赤黒く変色した火傷や滴る血液が蒸発した傷口。呼吸ですら苦しそうなくせに、瞳だけは誰よりも揺らがず真っ直ぐに前を向いているアイツへと、俺は何と声をかければ分からなかったからだ。


 結局、俺は「わかった」とだけ答えて協力を受け入れ、その後は言わずもがな。虚勢とハッタリでこの結末へと向かわせた。

 奇跡としか表せない結末を、誰が信じるだろうか。


 人間が勝利したという信じがたい光景に、力の入っていない手にはいつのまにか手汗が握られている。


 ──立ち上がる手足に入っていたヒビは、気が付けば消えて無くなっていた。


 ◇◇◇


「グウィード!」


「・・叫ばなくても聞こえてるっての」


 ツノが折れた影響か、ロウに跨られたネルは必死にもがいているものの、力は全く入ってはいないようで、ロウを押し退けられないでいた。


 駆け寄ったグウィードは耳打ちされた際に準備していたナイフを手渡した。そこまで大きくはなく、果物ナイフより一回り大きい程度のナイフだ。


 受け取ったろうの手は焼けた肌と剥がれた皮膚のせいで赤黒く変色しており、それを見てしまったぐうぃーどは思わず生唾を飲み込んだ。


「そんな怪我で・・・」


「ウルセェ、話しかけんな。・・・気が散るだろ」


 両手で握られたナイフは振り子のように揺れており、視界が定まらなくなっているのだと素人目に見てもそう見える。


 胸の位置に構えられたナイフはゆっくりと下がり、胸から腹へと移動して、不自然に膨らんだ脇腹でピタリと止まる。


「・・・我慢しろよ」


 両手を抑えられながらももがくネルへの言葉だが、ネルには全く届いてない。見開かれた目が全力で「そこを退け」と訴えてきていたから。

 そんな届いていない呟きとともに右の脇腹へとヤイバを滑り込ませ、そのまま横に10センチほど滑らした。ドクドクと流れ出る赤い血の中へと、ロウは何のためらいもなく手を挿入した瞬間、ネルの体がビクン、と

 大きく跳ね上がった。


「%$#)(っぃ「p08%&_!!」


 途端に聞こえた言葉は言葉としての役割を放棄し、叫び声──雑音といった方が適切な音を垂れ流し始めたのだ。

 暴れる体はさっきまでの力の入らない女性の腕ではなく、大人一人でも容易に放り投げられそうな力が込められた。


「ゲイル! ターニャ!手ェ貸せ!」


 とっさの判断でトールの治療を行っていた仲間を呼び、合計四人でネルを取り押さえ、外見とは裏腹に込められた力に驚愕の色をのぞかせる。

 耳障りな音とぜんりょくで押さえつける面々の中で一人、精密機器でも扱うような慎重さでゆっくりと引き抜くロウの手に握られているモノは、それを見る全員の表情を凍りつかせた。


「うっ!?」


 血に濡れた三日月の体。折れ曲がった体を支えるための足は非常に細く、貧弱な十数対の手足は何かを求めるように暴れまわっている。ロウの手に刺さるいくつかの手足は、無遠慮に触れてくる外敵への攻撃のようだ。


「キシェアアアアアァァアッぁあぁぁぁ!!」


 超音波のような叫び声は聞いている者の気分を容易に害し、湧き上がる胃液をどうにか飲み込んで、なんとか立て直そうとしても、一度感じた悍ましさを振り払うことができない。

 全身を引き抜かれたソレはいよいよ本格的に暴れまわり、掴むロウ以外周りにいる者はのけぞりながら後退して行った。


「・・気持ち悪いんだよ、お前」


 ネルの爆発によって燃え上がる火の前まで移動すると、ソレの手足を全て引きちぎって火の中へと投げ入れる。最後に残った胴体は緑色の体液を流し、最初と変わらぬ気持ち悪さを纏いながら炎の中で暴れ狂う。


「ギェアアアアアああアアアアッッ!!??」


 のたうち回るソレが動かなくなるまで、誰一人として動くことができなかった。どれほどまでにソレが与えた衝撃はあまりにも大きかったのだ。


「・・・コイツは、殺さないのか?」


 炎の中で動く事がなくなり、灰となった事で纏わり付いた気持ち悪さはなくなった。

 ようやく落ち着きを取り戻したところで、グウィードの仲間の一人がそうロウへと尋ねる。


()()()殺したいのか?」


 目の前で横たわるこの女には、多くの仲間が傷つけられたきた。確かに憎むべき相手であることに変わりはない。・・・しかし。


「あ、当たり前だろうが!」


 ゲイルと呼ばれたグウィードの仲間が、ロウが使っていたナイフを拾い上げてネルの胸元に構える。荒い息を吐く獣人は、見た目以上の重さを感じるナイフの切っ先はかなりブレブレだ。


「殺すというなら止めはしない。けど、覚悟しろ。そこから先は一歩でも進めば生き地獄だぞ」


「余裕だ・・・。余裕に決まってる!」


「だったらさっさと振り下ろせ。その覚悟が本物だというんならな」


 まるで小川のせせらぎのような、とても穏やかで優しい声。しかしその言葉は、巨石のような重さも孕んでおり、軽くて重い、冷たくて暑い。真逆の性質を言葉がジワリジワリとゲイルを追い詰め、ついに緊張はピークへと到達する。


「あああああーーー」


「もう止めろ」


 振り下ろすゲイルの手を掴んだのはグウィードだ。ネルに突き刺さる直前で止められたゲイルは、どこか安心した表情を見せる。


「グウィード・・なんで・・・」


「・・・生殺与奪の権利は戦いの勝者にこそ与えられるもんだ。後ろで指を咥えていただけの俺たちに、その権利はない」


 ゲイルの気持ちもわからないでもないが、殺したいかと聞かれれば話は変わってくる。

 俺たちが戦っていた理由は平穏な生活を取り戻すためであって、誰かを殺すために戦っていたわけじゃない。


「それに、俺はゲイルにそんな表情をしてこれからを生きて欲しくないんだ。・・・分かってくれ」


「・・・チクショウめ」


 涙を流す傍で、グウィードはネルに対して持っていた最後の治療石を使う。あとで使うと言っていたのは、この為だったのかと、遅れて気がついた。


「おい、お前たち」


 声をかけてきたのは銀色の鎧に身を包んだ数名の騎士だった。ネルの暴力的な攻撃に押されてついつい忘れがちだが、この状況では決して笑えるものではない。数も少なくないし、また誰もがそれなりに力を持っているやっかいな連中だ。


「ネル様は死んだのか?」


「まだだ。辛うじてってところだな。本人の生命力に祈るぐらいしかない」


「また暴れ出したりしないだろうな?」


「今すぐって事は無いと思う。意識が戻らないとなんとも言えないな」


 互いに一定の敵意を持ちながらの会話は、起爆直前の爆弾を前にしたような緊迫感が流れる。


「──う」


「う?」


 ピンと張られた糸は決して緩まる事は無いままに、細っそりと吐き出された声が互いの間に不自然な間をつくる。おかしな挙動に首を傾げれば、次の瞬間轟音が森中に響き渡った。


「うおおおおおおおおおおおっ!!」


 目の前で肩を叩き合いながら声を上げる騎士や、目尻に涙を浮かべる者までいた。この光景はどう見ても喜んでいるようにしか見えず、幻覚でも見ているのではないかと何度も目をこすったり、自分の頬を抓ったりもしてみた。

 けれど、その都度感じるのは痛みと擦る感覚だけで、結果これは嘘でも幻覚でもなく現実であると認識するだけだった。


「・・ったく、分かりにくいんだよ。あの野郎」


「おい、これはどういう事だ?」


「簡単だよ。アイツらもグウィード達と一緒って事だ」


 把握ができていないグウィードとは違って、ロウは何かわかっている。分かった上で騎士達のこの行動の意味にも納得しているようで、疲れてしゃがむロウは安堵の息を吐いていた。


「お前ら! いつまでそうしているつもりだ! 今こそ騎士の本分を果すときだ!」


 湧き上がる歓声を割って下された指示に対しての行動力は、流石訓練されている者達なのだと少々驚いた。


 ネルとトール、それとリウ達の元へと駆け寄った騎士達は各々が持つ治療石を使っての治療へと移行する。

 一つ一つの価値はそれほど高くないものばかりだが、それでもこれだけの数が揃えば価値なんて関係ない。

 ネルに関してはまだ意識を失ったままだが、トールは薄っすらと意識を取り戻すことができたようで、傍でリウが泣いてるのか喜んでるのかわからない顔で泣いていた。


「グウィード殿、でよろしかったでしょうか?」


 声をかけられた方を見れば、最初に指示を出していた騎士が片膝をついてこちらを見つめていた。

 兜を外した事により露わになったトラの獣人は、頭を強烈に地面へと叩きつける。


 隣にいたゲイルはトラの騎士の行動に驚きを見せたものの、グウィード本人はいたって平静にその様を眺めていた。


「・・・なんだ?」


「この度はまことに申し訳ありませんでした」


 治療石から僅かに発せられる音が鮮明に聞こえる静寂の中、グウィードはそっと息を飲む。


「この様な暴虐な行いに対し、弁解の余地はありません。いかなる理由があろうとも此度の一件において、あなた方の心身に負わせた傷は容易に癒せないとも承知しております」


 何度も何度も頭の中で想像した光景。それが今、目の前に──。


「この場で下げるには軽すぎる頭で非常に申し訳ありません。正式な謝罪はまた日を改めて行わせてもらいますので、今は、今だけはこれ納めていただけないでしょうか」


 治療に参加していない騎士達は、トラの獣人の後ろに並んで同じように頭を下げる。ざっくり三十人が同時に頭を下げる光景というのは、結構な圧を感じるものだと人ごとのように考えていた。


「・・・それは俺じゃなくて村長が決める事だから、その話は後にしてくれ。今するべき事は事の真相を知る事だろう」


 視線は数名の騎士から治療を受けるロウへと向けられ、自然と視線はロウへと集まる。


「さっきも言っただろ、こいつらも被害者だって」


「センジュ殿もそうだが、もう少し砕いて説明は出来ないのか? もうちょっと分かりやすくだな…」


「もっと早くに気がつくべきだった──」


 グウィードの言葉も半ばに、ロウのワントーン低い声が暗い森の中に響く。

 忙しそうに走り回る者は自然と足音が小さくなり、意識はあるが動けぬ者達は耳を密かに傾ける。


「俺とリウが最初にジンにあった時、まるで俺たちに何かを期待しているようだった」


「期待ってのはここで起きている件をさっさと片付ける、って意味か?」


「いや、どちらかと言えば終わらせるってのが正しい。もし仮に、チャックの目論見通りに片付けるにしても、あんな自分勝手(ワンマン)な命令を下すような奴がまともに話を聞くわけ無い。ましてや人間相手なんて、絶対にない」


 チャックの性格を知る者は、それぞれが納得の言葉を漏らした。何か言おうものなら逆上してくる光景が目に浮かんだ事だろう。


「それに、今思えばジンの行動も変だった。俺を暗殺しようとする前に『お茶』を飲ませようとするのは、敵として見た場合有り得ないことだ」


 あの夜、もしロウを殺すならばこの森の特性を有効に活用しない手はない。もし、それが後から決定された事だったとしても、敵として認識している相手に茶を飲ませるのはどうにもおかしい。


「そして、ついさっきの戦闘の時にほぼ確信に変わったよ。狙ってくださいと言わんばかりのチャックの位置が証明してくれた」


 だだっ広い広場のほとんど中央で、わざわざ相手の得意分野の戦さ場の中に出て来るのは、護衛兵としては失格だ。


「ジンは俺にこの状況を切り崩すきっかけを求めていたんだ。この一件を止めるきっかけを」


「きっかけとはいうが、仮にそのジンという奴がお前の言う通り何かを謀っていたとして、だ。これだけの人数だが一斉に動けば多少なりとも変化はあっただろう。それをしなかったんだから、結局のところお前の言う同族(被害者)にはならないと思うんだがな」


「それをさせないためのネル(ストッパー)だったんだろう。一人二人ならいざ知らず、まとめて動かれた場合対処できる人材が必要になる。神将として名の知れた人物であり、多対一の経験がある。これほど適した人物が一緒にいれば、使わない手はないさ」


 確認のつもりはない。しかし、自然と移った視線から逃げるように逸らした騎士の反応をみて、推測がおおよそ正しいと確信が持てる。先ほどの大歓声はそういうことだったのか。


「…あの野郎、ただの馬鹿じゃなかったのか」


「あぁ。()()()は馬鹿じゃない」


 そう言葉を口にすると、傷を治療する騎士を支えに立ち上がったロウは、ユラリと一歩を踏み出した。


「おい、まだ大人しく…」


「そんな暇ねぇよ。早く帰らねぇと手遅れになるかもしれない」


 平気そうな口ぶりとは反対に、覚束ない足取りは傷が癒えたようには見えない。

 蒸発した傷口は膿んでおり、ひどく痛々しい。


「ちょ、ちょっと待て! まだ全然治ってないだろ!」


「どうなってんだ! なんで治療石がほとんど効かないんだ!?」


 行こうとするロウを止める騎士達は、驚愕と混乱の声を口にする。


 ゆったりとした一歩は弱々しく、だらりと垂れ下がった両の腕には欠片の力も入っていない。

 それでも、進むことを止めない姿は畏敬を通り越し、もはや──


「怖いよ、ロウ」


 赤く目元を腫らしたリウのすぐそばで、カタカタと震える口から呟かれた一言は、虫の声と間違えるほどに小さいものだ。

 けれどもその呟きは、ロウを止めるにはこれ以上ないほど効果的だった。


「な───」


 すぐ側で見上げるリウはボロボロになっても、なお動こうとするロウへと怯えた顔を見せる。

 人間という生物に直接関わった事のないリウは、人間と魔族の差をイマイチ理解していなかった。あくまでも本や記録で見ただけの内容であり、現実として認識していなかった為に、他と変わらずロウと接する事ができていた。


 しかし今は違う。記録にあった悍ましい感情はチャックから身をもって教えられた今、眼前で理解できない行動をとるロウがなぜかチャックと被ってしまう。


 根本から違うというのは分かっているのに、違う物として認識する事が難しくなってしまった。


 理由が分からないロウは周りを見渡すが、誰もがリウと同じ悍ましい・恐怖を現した表情を浮かべている。この場にいるロウを除く全員が抱いた共通認識は、焼け野原の中で立つロウとの間に見えない壁を築き上げた。


「──・・・・」


「お前は・・・何がしたいんだ?」


 立ちすくむロウへと声をかけたのは、声をかける事ができたのはこの中で一人しかいなかった。

 一人前へと歩みでたグウィードは警戒するというよりも強張りながらといった様子で、悪い事をした子供が母親へと自ら申し出る、躊躇いと恐怖が入り混じった瞳をロウへと向けていた。


「お前は人間で、俺たちは魔族だ。何故そんなになってでも誰かを助けようとする?」


「誰かを助けるってのは別に変な事じゃないだろ。・・何が違うってんだよ」


()()()()()()()()()()()()()()()()。何度も言うが俺たちは魔族でお前は人間だ。戦争で俺たちの間柄は互いに殺しあっていたんだから、俺たちを殺しこそすれ、助けるなんて考えられない」


「・・・・・・」


 グウィードの言葉に誰も異を唱えない。むしろその通りと頷いているものがチラホラと見える。


 徐々に荒くなるロウの呼吸は酸素を充分に取り込めていないようで、視界が大きく揺らいだ。ボロボロの体を動かしていた精神が、ここに来て力が抜けていくのを感じる。


「もう一度聞くぞ。お前は何がしたいんだ。何のためにそこまで命を張るんだ?」


 全身の傷よりも激しい痛みを訴える心臓を抑えるために、胸元に手を当てる。

 焦げた服をわし掴む手からポタリと一雫落ちた血は、地面に当たって弾けたささやかな衝撃が緩やかにロウへと伝わる。


 ヨロヨロと倒れこむように近くに木へともたれ掛かれば、そのままズルズルともたれ掛かったまましゃがみ込む。


「・・・い・・だ」


「なに?」


 非常に小さくか細い声だったが、聞き返したのは聞き取りにくかったからではない。呟かれた言葉がにわかには信じられないものだったからだ。


「・・・怖いんだ。俺が、俺じゃなくなりそうで」


 瞬きの間に変貌したこの男は、自らを抱く姿は子供のようであり、ネルと戦った時の男と同一人物だとはとても思えない。


「いつも大事な時に遅れて、一番守りたい物を守れなかったバカ野郎。何の役にもならない力だけを持っているクソ野郎が俺だ」


 紡ぐ言葉は弱々しく、震える喉から絞り出されている(おと)は聞く者へと突き刺さる。

 相手のことを知っているわけじゃない、けど、どことなく分かる。分かってしまう。


「大事なものを全部失って、一回死んでからようやく理解する事ができた。・・・俺はもう、誰も死んでほしくないんだって。だから俺は、新しいこの世界で出来るだけ、クソ野郎の俺の命を賭けてでも、助けられる奴は助けたいんだ」


「・・・・。」


 自らを抱く腕へと沈めた頭を持ち上げたロウは、目の前で見下ろすグウィードを見上げた。


「・・さっき何のためにって聞いたな。答えてやるよ、俺が誰かを助けるのは『俺の為』だからだ。それ以外に・・理由なんざねぇ」


 ──誰かを助けるのは『俺の為』


 話を聞いて真っ先に思い浮かんだのは、「哀れだな」という簡潔な一言だった。

 一見すれば聖人君子のような口ぶりだが、ロウの姿を見ればそこに神々しさは微塵も感じられない。


 誰かを助けるいう言葉の響きはとても良いのだが、ロウの言葉に含まれるのはあくまでも自分以外の誰かであって、そこに自分は含まれていない。それは今のロウの姿を見れば分かる事だ。


 そしてもう一つ。おいそれと誰かのために命を張る事が出来るのは、自己証明が自分でできない不完全な存在である事の証明だ。

 今回の場合、自分に自信が無いから証明できないのではなく、自分に価値を見いだせていないから。


 それはつまり、『誰かを助ける事で自分にも価値があることを()()()証明する』ということ。


 これほど歪に曲がった本心を見て、「哀れ」以外の言葉が見つかるだろうか。


 同情しようにもその境地に辿り着く経験がない。

 励まそうにも歪ませた原因を取り除く術がない。


 ─だったら、俺は───


「こンの馬鹿野郎がァ!」


 あらん限りの大声をあげる。急に叫ばれた事に驚いた様子のロウへと目もくれず、もう一度大声を張り上げた。


「馬鹿野郎ッ!!」


 誰に向けてなんて、今更いう必要もない。

 最初からコイツは何も間違ったことはしてなかった。違う事をしていたのは俺だった。


 グウィードの脇をすり抜けてやってきたのは、ゲイルと呼ばれていたグウィードの仲間たちだ。

 トールの手当ては騎士たちが引き継いでくれたようで、グウィードの二度の叫び声で我に帰った仲間たちは、蹲るロウへと迷いなく消毒液をぶっかけて包帯を巻く。


「・・・何してんだ?」


「うるさい。怯えてた俺たちがバカみたいじゃねぇか。こんな弱い奴に怯えて・・・、ましてや助けられたなんて大恥だぜ。チクショーめ」


 それ以降はロウの問いかけに答えず、黙々と治療へと専念し始める。急激な態度の変化についていけず戸惑うロウはリウと目が合い、申し訳なさそうに逸らされた事が一層の戸惑いを生じさせる。


「ロウ、お前に渡したいものがある」


 初めてグウィードに名前を呼ばれたのだが、急激な対応の変化についていけないロウはその事に気づいていない。

 呆けた顔のままグウィードから手渡されたのは、赤い手毬の装飾品(キーホルダー)がついた古い鍵だった。


「何だこれ。何の鍵だ?」


「それは祠の鍵だ。村長からお前に渡すように言われていた」


「祠の鍵を俺に? 何で?」


「俺が知るわけないだろう。『ロウが見れば分かる』と言っていたが・・・わからないのか?」


「分かるも何も・・・意味がわからなさすぎて・・・」


 ロウと村長が共に過ごした期間は非常に短い。会話もたくさん出来たとは言い難いが、少なくとも無駄な事はしない人物であると認識していた。


 だから、きっとこの鍵にも意味があるハズだ。


 鍵の材質は鉄。所々錆びついているせいでザラリとした手触りで、これといって不思議に思うところはない。鍵の一部が特殊な作りになっているのかと色々触ってみたものの、どこかが動いたりだとか、一部だけ外れたりすることもない。


「鍵を見て分かる? 見るだけで分かる・・。鍵の形は特に違和感もないし、特別な材料という訳でもない。・・・だとしたら装飾品(コッチ)か?」


 注意する点を鍵から装飾品へと移す。およそサクランボより一回り大きい装飾品で、紅いボールに黄色い糸で細かな刺繍が入れられた美しい作りをしている。


「何かあるわけでもない、か。・・・ん?」


 不意に触った鍵と装飾品を繋ぐ紐、よくよく見れば紐と装飾品は一体となっている事に気がついた。


 ──その瞬間、言葉にできない気持ち悪さが指先から足先へと駆け巡る。


「いや、そんな・・・・まさか──」


 装飾品の刺繍と紐が一体になっている。次に気になるのは刺繍が縫い付けられているかどうかだ。

 そして案の定、刺繍と小さな紅い毬は縫い付けられていなかった。


 コレはつまりどういう事か。


 簡単だ、想像すればいい。スイカを包む紐と手で持つ紐が一体になっている姿が一番近い。

 震える手で刺繍を解けば、妙な手触りの紅い球体が転がり出てきた。


「なんダァ、そりゃ?」


 ──ロウが見れば分かる、とはそういう事か


 こんな物、誰がみてもただの紅いボールぐらいにしか思わない。覗き込むグウィードの仲間達や、近くにいるリウもコレが何かだなんてわかっていないようだ。


「なんで、コレが・・ここに?」


「ロウ、何なのそれ」


「コレは・・・コレは──」


 無理もない。なにせアレに触って、いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()から。


「──エデンの実だ」


 手の中に転がる球体は治療石の暖かな光に照らされて、重苦しい紅を反射させていた。

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