話し合い
「さて、何から始めようか」
友人に語り掛けるような軽い口調の言葉は、シンと静まりかえった暗闇に覆われたこの空間の中で異様に響く。
『王』と呼ばれていたから、てっきりもっと図太いイメージを持っていたが、優しくて軽い声であったことに少々拍子抜けしてしまった。
「とりあえず名前からが定石だったか。お前、名前は?」
自分の周りだけを照らすライトが明かるずぎて周囲を伺うことが出来ないでいる中、正面に座ったであろう王からの言葉もあり、周りに目を向けることを諦めることにした。
「・・ロウだ。ロウ・ガーウェン」
「ふむ、そうか。ロウ、というのか」
適当に答えたとはいえ、返ってくる返事が全く興味がなさそうな事に多少の文句も出かかるが、今はそういう事を言える時ではない。
「私は少々忙しくてね、こうして時間をとれたのも奇跡に近いんだ。だから回りくどいことは無しにして率直に聞こう。イヨの遺跡で何をしていた?」
「イヨの遺跡?」
さも当然の事だと言わんばかりに自信満々で言われたものの、聞いたことの無い単語に思わず顔をしかめる。
「とぼけるな。お前が出てきた遺跡の名前だろうが」
強気であり威圧的。王とは違う口調のその声は、左から聞こえてきた。
「あそこイヨっていうのか。初めて知ったよ」
「バカにしてるのか?貴様━━━」
彼らが求めているであろう答ええお答えず、いまいち要領を得ない会話にイラつきが混ざり、何かを言おうとしたところで王の言葉が遮った。
「あの場所は厳重な封印が施されていて、中に入るのも出るのも不可能な筈なんだけど、ロウはどうやってあの遺跡の中に入ったんだい?」
「分からねぇ、目が覚めたらあの遺跡の中に居たんだ。嘘かと思われるかもしれないけど、これ本当のだからな」
「ふざけるのもいい加減いしろ!貴様はそうやって━━」
「まぁ、落ちきなって。そう怒ってちゃぁきりがないだろ」
声を荒げたのは先ほどの男だが、それを諫めたのは聞きなれぬ女の声だった。トロリと蕩けそうな甘い声ではあるが、男口調であることがあってか随分と力強い。
「なぁ、人間。あんた自分の立場、分かって言ってんだよね?」
「完璧、とは言えないけどある程度は分かるつもりだ。けど、本当にそうだったんだからそれ以上は何も言えねぇよ」
ワントーン下げられた脅し口調にたじろぐことも無く、淡々と言葉を返すロウに暗闇の向こうで、椅子に座り直す音が聞こえてくる。
「じゃぁ、聞き方を変えよう。目が覚めたらあそこに居たって事は、その前は別の場所に居たんだよねぇ?」
「あぁ、飛行船の中で俺は一度死んだ。間違いなく死んだ、ハズなんだけど目が覚めたらあの遺跡の一番奥で眠ってたんだ」
「何で、一番奥だト?」
王が居るであろう正面やや右よりから聞こえてきたその声は、不思議な話し方をする随分と幼い子供のものだった。
「目を覚ました場所から一本道で、歩き続けたら出口に辿りついたから」
「ふーん。一本道っテ言うけど、歩くだけであそこまでボロボロにならないでショ。中で何してたノ?」
「たしか、『試練』だったかな」
「試練だって?ハハッ、つくならマシな嘘をつきなよ。正直に言ったら?『中にいた化け物たちを解き放ってました』ってさぁ!」
声は右後ろから聞こえてくる声は甲高く、なぜか妙に癇に障る。
「俺だっていまだに信じてねぇよ。中にいたやつがそういってたんだ」
「中にいたやつ?だれだ?」
中に居たのが俺一人ではないと初めて知ったのか、問いかけてきた言葉に圧力が加わる。たった今まであまり感じていなかった視線がここに来て急に集まり始めた。
「ディオス・ゴルゴーン」
そう短く答える。━━そして訪れたのは水面のような静けさで、待ちに待った返事は想像もしていなかった。
「・・誰だ?」
「は?」
「聞かん名だ。そんな名前を言ったところで、お前の立場は変わらんぞ」
そこから次々に聞こえてくる声皆同じようなモノばかりで、てっきり状況が変わるかもしれないと思っていたロウは、記憶の中に居るあの骸骨の男に恨みの言葉を内心で呟き続ける。
そんな中、ロウが口にしたその名前を反芻する者がいることに、誰も気が付くことは無かった。
「結局、誰なんだそいつは」
「知らねぇよ、あいつについて何も話さなかったからな」
周りからボロクソに言われたロウの答え方も投げやりになり、その態度が気に入らなかったのか威圧的な声の主はあからさまな舌打ちを打ち鳴らした。
「質問をすれば知らぬ存ぜぬ。貴様はまともに答えるつもりがないらしいな。・・・王よ」
と、向けた声の先がロウから王へと切り替わった。
「この人間との会話はこれ以上は無駄です。これより、この人間の始末について話しをしたほうが良いかと思われます」
その声に王は、ふむ、と答えただけでとくには何も言わない。
「ここにいる神将に問う。この人間は死刑で異論はないか?」
そう言葉が全員に投げかけられ、
「「「「「 異議なし 」」」」」
揃った声はおそらく5・・6にだろうか。だとすれば、ここで未だだんまりの誰かが居たようだ。
「ロウ・ガーウェン。何か言い残すことはあるか?」
こっちの話をまともに聞くの無い奴らしかいない事で、ロウも反論する気を無くしてしまった。どれだけ声を上げたところで、こいつらは自分たちが思っている答えが返ってこない限り、話し合う事は出来ないだろう。
「・・特にない。・・・けど、聞きたいことがある」
「何だ、貴様。今になって命乞いか?」
「違う、処刑することに反論はしない。俺が聞きたいのは処刑される理由だよ」
「何を言ってんだい?」
「確かに、俺は処刑されるのが当然の愚行を犯したさ。認めるよ。そのせいで処刑するならすればいい。けれど━━」
言葉を一度区切って周囲を見回す。相変わらずの暗闇でそこに誰が居るか全く分からないが、それでもグルリと見回した視線がそれぞれと交錯した事だけは何となく分かる。
「話を聞く限り俺が思っている理由とは少し違う理由みたいだ」
「じゃあ聞こう。あんたが思ってる理由ってのは何なんだい?」
「・・人間を殺した事と遺跡に居た事だ」
その言葉に周りの奴らが沈黙し、その沈黙を破ったのは再び威圧的な男の声だった。
「今更そのような事を言ったところで変わらん。それに貴様が処刑されるなんて、人間であること以外にないだろう」
「お前らが言う『人間が殺されて当然』なら、少なくとも俺を迎えに来たあの女の騎士も処刑されるんじゃないのか?」
その言葉を発した途端にバチバチと音が聞こえ、暗闇の中に一点の光が瞬いた。それでも周囲を見ることは出来なかったので、よほどこの暗闇は深いと見える。
「やめときな、変な真似するんじゃないよ。気持ちは分からないでもないけれど、少なくとも今はやめておきな」
「・・・すいません」
男口調の女性が止めたらしく、だんだんと音がしぼんでいって最後には聞こえなくなった。
「あんたそれ本気で言ってんのかい?」
「当たり前だ。この状況で冗談をいうとでも?」
「だから貴様が処刑されるのは人間だからだと言ってるだろうが!」
「だからそれがわから無いんだと言ってんじゃねぇか!」
全く意味をなさない言い合いに、少しづつ苛立ちが湧き上がるのはロウも相手も同じなようで、この場所の空気がピリピリと肌をつついてくる。
「ネェ、君は自分の置かれてる状況が分かってるノ? それともそんなに死にたいノ?」
「死にたい、か。それが出来ればどれだけ楽だろうな」
頭をよぎるのは、骨の波が押し寄せているあの光景だ。
ディオスが振り返りざまに見せたあの表情と『頼む』という言葉が頭から離れない。
「あいにくと俺は死ねないんだ、ホント悔しいけどな」
「死にたくない、じゃなくてかい?」
「あぁ、そうだ」
ロウの肯定した返事に何を思ったのか、今日何度目か分からない静寂がこの会場を襲う。そしてその静寂を破る声もまた、今日何度目になるか分からない威圧的な声の男だった。
「ハッ! 今更命乞いとはもう遅い。貴様は処刑される運命は変わらんぞ、大人しく受け入れろ人間」
「だからその理由を━━」
「まぁ、落ち着きなよ。そんなに頭に血を上らせてちゃぁまともな判断は下せないよ?」
二人の言い合いを止めたのは男口調の女性の声だった。ピりピりとした空気の中で、彼女の声は違和感となって会場全体へと響く。
「王よ、提案があるんだけどいいかい?」
「何だ?」
「こいつを裁判にかけてみてはどうかってねぇ」
彼女の提案を聞いた周囲は先程とはうって変わってどよめきの声が上がる。一体何のことかと分からないロウは、彼女の提案がどれだけの力を持っているかを把握することが出来ないでいた。
「正気か!」
「当たり前じゃないか。何言ってんだい」
「あんた、それがどういうことか分からないほど馬鹿になったの?」
「さぁてね、どうだか。少なくともあんたよりかは、まともに考えた結果だと思うがねぇ」
周囲の仲間から多くの反対意見が上がっているが、当の本人は割れ知らぬ顔といわんばかりに涼しい顔をしている。と、いう光景が目に浮かぶほどに余裕に満ちていた。
「私はそう考えるけど・・・二人は?」
反対意見ばかり上げる二人から逃げるように、他の誰かへと向けられたその言葉に、別の方向からため息を吐く声が聞こえてきた。
「私も裁判に賛成だな。何やら食い違いがあるようだ」
そう発せられた男の声は、かなり低い声で重みのある声だった。最初の王よりもこっちの方が随分と王らしい声に聞こえるのは、心の中だけにしまっておいた方がいいだろう。
「私は・・・そうだナー。裁判、カナ? そっちのほうがおもしろそうだしネ」
その二人の返答が気に入らない威圧的な男の声は、王と呼ばれた男へと向けられた。
「王よ!あなたの決断は!どうなさるのですか!」
威圧的な男の声は『王』と呼ばれた男へと向けられた。僅かな祈りを込められたその言葉に、周囲の騒めきがピタリと止んだ。
「・・・そうだな」
一挙手一投足の動きにまで注目が集まっているであろうこの空気の中、王が出した結論は━━
「一度、『裁判』にかけてみるべきだろう」
「その理由は!」
「今、会話の中に出てきたが、その者と我々との認識が食い違っているみたいだ。その一点だけがどうしても気になって仕方がない」
「あり得ない!」
そう言い残してここを出ていく音が聞こえると、その足音に続いて何人かの足音も聞こえた。
「さて、結論は出た。これにて閉幕としようか」
その言葉を合図にし、後ろの扉が開かれて兵士が入ってくるや否や「歩け!」と威圧的な声と共に手錠がロウの手足へと架けられた。
あまりのことの急展開についていけないまま牢屋まで連れていかれ、そのまま牢屋の中に押し込まれると先ほどと同じように牢屋の中に納まった。
「良いな!迎えがくるまで大人しくしてろ!」
それだけ叫んだ騎士は何処かに行ってしまい、先ほどと同じ牢屋の中に一人残されたロウは何が何だか分からないまま動けないでいた。
「・・・どう、なってんだ?」
誰か答えてくれないかと口にした質問は、誰も答えるハズも無く、ただ水がしたたり落ちる音だけが牢屋の中に響いていた。
カビ臭い牢屋の中で一人押し込められたロウは、両手両足を鎖でつながれた今、何もすることが出来ない。
先程の尋問が裁判だとばかり考えていたのだが、どうやらあの裁判にはまだ続きがあったようだ。
ロウの知る裁判と、ここで言われてい裁判にはどうやら微妙な違いがあるようで、初めての展開にどう動くことが正解なのか全く分からない。
いくら考えても分からない謎に疲れ、なるようになるだろうと半ば諦めに近い気持ちへと徐々に移り変わる。
ため息ばかりが出る牢屋の中で起きていてもすることが無いのは相変わらずであり、いったん眠ろうかと石のベットに横になった時だった。
「起きろ」
突如として聞こえてきたその声の主は先程の裁判で聞いた、おそらく『王』と呼ばれていた者の声だと思うのだが、声が籠って聞こえてくる上扉から離れているせいもあってかいまいち確信が持てない。
「誰だ?」
「今名乗るのは少し違うっぽいから、いづれ来るその時まで待っておいてくれ。」
「いづれ来るって、なんだそりゃ」
「ははっ、まぁ今はそれで我慢しておいてほしいと言っている傍から君に聞きたいことがある」
「・・何だ」
自分の事は言わないくせに、俺の事は聞こうとするのは少々虫が良すぎじゃないか、という当然の疑問は、容易に花で笑い飛ばされてしまった。
若干の苛立ちを覚えたロウは正直何も答えたくはなかったのだが、問いかけられた質問は半ば強制的に意識せざるを得ないモノであった。
「ディオス・ゴルゴーン、出会ったというのは本当なのか?」
「知ってるのか! あの場にいた奴は全員知らないみたいだったが?」
「その名に間違いはない?」
ロウの問い掛けには微塵も答える気配がなく、いくら待っても一方通行の問い掛けしか返ってくることは無く、舌打ち交じりに回答してやる。
「・・・あぁ。間違いない」
「他には何か?」
「特には何も。しいて言うなら娘を頼むといわれたぐらいだったよ」
「・・そうか。分かった、ありがとう」
どうやら相手は今の言葉で納得したらしく、扉の前から去っていくように足音が遠ざかり始めたので、この場に縫い留めようと慌てて声を掛けた。
「おい! 聞くだけかよ! 聞くだけ聞いて終わりなんてズルいじゃねぇか!」
「うーん、そう言われても今の君にはそんな事が言える立場だと思うのかい?」
「だからそれについては理由を教えろと━━」
「まぁ、でも言いたいことも分からない訳じゃない。君に免じて一つだけ答えてあげるよ。何が知りたい?」
急の話の切り替えに、頭が一瞬停止する。まさかこんな風に答えようとっするとは思ってもなく、何かの冗談だろうとすら考えていたのだが、いったん遠ざかった足音が扉の前まで戻ってきたことが冗談ではない何よりの証拠だろう。
「何でもって言ったか?」
「もちろん制限というか、一線はあるけど僕の知っている話の範囲でなら答えてあげるよ」
ここまで言い切るのだからおそらく嘘ではない。
聞きたいことも知りたいこともたくさんある。ここが本当に異世界であるか、俺は一体なぜこんなことになっているのか、等々上げ始めたらきりがない。
細かい情報はおそらく後でいくらでも知ることが出来るだろうとの考えから、とりあえず目先の問題について質問することにした。
「裁判ってのは何だ?」
「ふむ。明日行われる見極めの儀式の事だね。最初の尋問を受けて、無罪有罪を決める原始的な方法だよ。簡単であるが故に、その者の輪郭がハッキリするからね」
「いや、全く意味が分からん。もう少し詳しく話してくれ、どうゆう事だ?」
と、それから待てども待てども一向に返事が返ってこない。いやな予感がゾワリと脳裏をよぎる。
「おい、何黙ってんだよ。答えろって、まだ質問は終わってねぇぞ!」
苛立ちを表す叫び声にも一向に返事はなく、その代わりと言えるかどうかは分からないが通路の向こうから誰かが走ってくる足音が聞こえてくる。
「人間!何をしている!暴れるんじゃない!大人しくしろ!」
鉄の扉の小さな窓からのぞく鋭い眼光が石のベットに座るロウへと向けられた。たった今まで話していた相手は絶対にコイツではない。
「今そこに誰かいただろ。連れてきてくれ」
「寝言を言うな! そんな奴がいる訳ないだろうが!」
「は?今だって声が・・・」
「貴様の声しか聞こえんかったわ! わかったら大人しくしろ!」
閉じられた牢屋の中で番人の声が響き渡る中、何が起きているのか全く理解できないロウはただただ呆然とするしか無かった。
◇◇◇ ◇◇◇
それからは特に何もなかった。
この意味不明な状況からくるイラつきと、あの骨の男に対する怒りが静まらず、なかなか眠りに落ちることが出来ない。かといって、座りなおしても特にやることも無いので、再び横になる。
好んでしているわけではないこの行動を繰り返すばかりで、頭の奥がズキズキと痛み始めた。
「くそ、眠れないしやることもないしで最悪だな。せめてはない相手の一人や二人居てくれても罰は当たらないだろ、これ」
少しでも苛立ちを軽減させようと文句を垂れるが、その言葉に返してくれる者はいない。
分かっていた事なのに、実際に無音が木霊する牢屋の中に一人というのはなかなかに堪えるモノだ。
やれやれとため息を吐いて、どうせ眠ることが出来ないんだろうなと思いながらも横になる。僅かに感じる頭痛を無視して無理やりにでも眠りに落ちようかとしたところで、扉の向こうから足音が聞こえてくる。
どうせまたあのうるさい看守だろう。ここで何か動くたびにいちいち怒鳴ってくるんだから、うるさい事この上な━━
「もし、起きておられますか?」
「・・だれ?」
聞こえてきたのは鈴の音のような軽く美しい女性の物だった。まだ幼さを感じさせるその言葉に、ロウは思わず飛び起きた。
「お食事の時間です。こちらに来られてから何も食べていないと聞いたので」
「・・・あぁ、それはどうも」
「今入れますのでお待ちください」
予想と全く違う人物が現れたことでロウも驚きを隠せない。あのうるさい看守(居ないよりはまし程度)の喧しい怒鳴り声かと思いきや、聞こえてきたのは女性の声であり、それも飛び切り綺麗な声だった。
扉の向こうでも実際にカチャカチャと皿を取り出す音や、隙間から漏れてくる芳ばしくも甘い香りは、空腹のロウへとこれ以上ないほどの誘惑となって目の前を駆け巡る。
これがもし新手の拷問だとしたら、相当趣味の悪い。それなりに訓練を受けたロウですら、すでに心が折れてしまいそうだ。
「よし! できた!」
間違いなく女性の声でそう聞こえた。出来たという事は、これからその食事にありつけるのだと認識した瞬間、腹が鳴ったうえ涎がだらしなく垂れてきた。
今か今かと待つロウを尻目に、ゆっくりと開かれる孔は皿一つ分が通ることのできるような小さなものだった。鉄の扉のすぐとなり、床の上を滑らせて移動させるタイプの物らしく、僅かに見えた壁の向こうには緑の髪がチラリと移り込んだ。
孔から出てきた白い皿の上には、焼きたてと思われる芳ばしい香りを発するクロワッサンが二つと、ジャムが盛られた小皿が一つ。どれもこれもがカビクサイ牢屋の中で癒しとなってロウの前へと現れた。
「どうぞ」
そうして差し出された皿を取ろうと立ち上がり、取りに行こうとするが・・・届かない。
横になった上で鎖の限界まで腕を伸ばすが後僅か、およそ五センチといったその距離が詰められない。
「・・すまん、・・届、かない」
「えっ! それは・・・仕方ありません。少し離れてください」
会話という会話をしていないのだが、離れてくださいという一言に物凄い真剣みを感じたのだ。まるで勝負前のスポーツマンのような真剣さであり、そこに何をするのかという質問はぶつけることが出来なかった。
扉の向こうで何度か深呼吸する音が聞こえると、手を大きく二度叩かれた。
「何だ、こ━━」
突然、皿が浮いたのだ。フワフワと浮き上がり、ロウの目線で止まるとそこで停滞して、最期には止まる。そして━━
「〈カール〉」
聞きなれない言葉だった。頭のネジでも外れたのかと思うのも束の間で、そのような思考はすぐさまよそへと追いやられることになる。
「すいません、受け止めてください!」
「へ?」
意味を考えようとした瞬間、その皿が勢いよく飛んできた。本当に、勢いよく飛んできた。
野球ボールのように飛ばされた白い皿はフリスビーのように回転して襲い掛かり、とっさに頭を下げることで直撃は回避したが、壁に当たって砕けた皿の破片がロウへと振りかけられた。
「うおぉっ!」
「だ、大丈夫ですか!」
皿が割れた音は扉の向こうまで聞こえたらしく、とっさに心配する声がかけられたものの、急激に襲い掛かってくる皿の恐怖は鮮烈に刻み込まれることになる。
「殺す気か!」
バクバクとなる心臓を抑えながら、転がったパンを一つ手に取る。もう一つは遠くへと転がっていてしまったので、回収することは不可能だ。無論、ジャムも衝撃に合わせてどこかに飛んで行ってしまったので、そちらも回収することはできない。
「す、すいません! わ、私・・・上手くできなくて」
半分泣きながらのその答えに、悪くないはずのこっちが何故だか罪悪感に包まれる。叫んだことは悪かったかもしれないが、女の涙というのは怖いもので無条件にこちらが悪く思えてしまうのだ。
「あー、いや、まぁ怪我無いから大丈夫だよ。・・驚いたけどな」
「怪我とかありませんか?ここからじゃ見えなくて」
撒き散らされた皿の破片を払いつつ扉の覗き窓を見ると、こちらを見ようとしているのか緑の髪をした頭の先だけがチラチラと姿を見せてきた。
「怪我もない、大丈夫だ。しかし、・・・すごいなそれ。魔法っていうやつなのか?」
「いえ、そんなすごいものではないですよ。あなたに怪我をさせそうになっちゃいましたし」
「それでもさ。始めて見たから、なかなか興味深くてな」
「そうなんですか? てっきり知っているし、体験している物だとばかり思っていたんですが」
先程の涙声は聞こえなくなったことに、謎の安堵の息を吐く。扉越しで本当に涙を流しそうになったかは分からないのだが、それでも悲しそうな声が無くなってくれたことは素直に安心できた。
そして、ここでロウはふと思う。悪いのは俺だったっけ、と。
「あなたは不思議な人ですね。なんだかもう少しお話ししていたい気分です」
「俺も話し相手が欲しかったところ、だったんだけど・・・どうやらここまでみたいだな」
「何かありましたか!」
二人の間に割って入ってきたのは、いつもの威圧的な兵士の声だった。少々遠いのは、扉の前の少女に向けられたからだろう。
「すいません!差し出したお皿に手が届かないとのことでしたので、エアで送ったのですが加減を間違えてしまい壁にぶつけてしまいました!」
少女の言葉を確認するために開かれた扉の隙間から、見慣れたガッチリとした体格の監視と目が合った。そしてその後ろでは、綺麗な声の主であろう少女がこちらを覗き込んでいる。
緑の長いストレートと白い肌。僅かに上気している紅く染まった頬は彼女の見た目を幼く見せている要因だろうか。
優しそうな瞳と怪我が無いことに安堵した故の微笑みは、一体どれだけの男に涙を飲ませたのだろうか。
「・・確かにそのようですな。気を付けてくださいよ」
ロウの方には見向きもせずに、後ろの少女に向かって心配と多少の怒り口調が混ざった声色で投げかける
。当の本人にも謝罪の感情があるようで、一回り小さくなったように感じられ、「・・はい」と弱々しく答えていた。
完全に扉が閉まる直前に、少女と目が合った。安心した笑顔でぺこりと頭を下げるその姿に、こちらもやれやれとため息を溢した。
「いつまでもこんなところに居るのはお勧めしません。さぁ、行きましょう」
あの看守が少女を連れて行ってしまったらしく再び静寂が訪れる中、手に握るパンに勢いよく噛り付いた。
パリっとした皮とフワフワの生地。空腹のロウには少々物足りなかったが、気持ち的には十分に満足することが出来た。
「・・・寝るか」
いつの間にか頭痛が消えており、すっきりとした気持ちの中再び眠りへと落ちていくことが出来た。




