優しさとか愛情とかが見えるようになったら
バイトの帰り道。
夜空を見上げた。
街灯の少ない田舎の空には、今にも降ってきそうな程たくさんの星が輝いていた。実際、もう少ししたら星が降り出すのだろう。
「先輩も見てるのかな」
独り言と共に白い息がこぼれた。
僕は今、バイト先の先輩に片思いをしている。誰にでも優しくて、いつもみんなの人気者で、それでいてどこか抜けている、そんな人だ。そんな彼女は僕よりも四つも年上だ。
四歳差。
大人になってからの四歳差は小さいかもしれない。でもまだ高校生の僕には、たった四つの差はとっても大きく感じられた。
きっと相手にして貰えない。
そう思ったけれど、勇気を出して先輩に連絡先を聞いた。先輩は快く頷いてくれた。凄く緊張したけれど、聞いて良かった。
でもそれから半年経った今でも僕らの関係はバイト先の先輩と後輩。前よりは仲良くなれたけれど、それだけだ。
先輩は僕の事をどう思っているのだろうか。
吐き出した溜息が、ほんの一瞬だけ白くなった後で夜の闇に溶けていった。
『白い息って特別な気がする』
何となく昨日聞いた先輩の言葉を思い出した。理由を聞いた僕に先輩は少しだけ恥ずかしそうに言った。
『普段見えないモノが見えるって特別だと思わない?寒くなったら息が白く見えるように、優しさとか愛情とかも見えるようになれば良いのにね』
優しさとか愛情とか。先輩は確かにそう言った。先輩は誰の優しさや愛情を見たいと思っているんだろうか。
何かが僕の胸の奥の方を締め付けた気がした。
考え事をしていたら、いつの間にか家の前まで来ていた。ずっと空を眺めながら歩いていたせいか首が痛い。首を揉んでいると、ポケットの中の携帯が震えた。
期待に胸を膨らませて画面を見れば先輩からで、僕は小さくガッツポーズをした。
流れ星見えた?
たった一文。
でも凄く嬉しかった。
携帯の時計を確認すると、もう流星群が見える時間だった。本当の事を言えば流れ星なんて興味なかった。でも先輩が教えてくれたから、僕の中でそれを見る事はとっても大切な事になった。
僕は再び空を見上げる。痛かった首の痛みもそんなに気にならなかった。
「あっ」
一筋の光が夜空を横切った。
あれが消えるまでに願いを三回唱えれば叶うって有名な話がある。バイトの休憩時間に先輩とそんな話をした。でもあれを見たら、まずムリだろうと思った。
だけどそんな事はどうでも良かった。僕にとって大切なのは流れ星に願う事じゃない。先輩が見たがっていた流れ星を見て、話題を共有する事だ。
僕は頬を緩めて先輩へと返信した。
見えました。
先輩は?
返信はすぐにきた。
もちろん。
でも三回も願うのはムリ。
可愛らしい絵文字と共に送られて来たメール。
先輩の願いは何だろうか。
優しさとか愛情とかを見れるようになる事だろうか。
それとも誰か好きな人と……。
浮かびかけた嫌な想像を頭を振って追い出して、勇気を出して聞いてみた。
先輩の願いってなんですか?
メールが止まった。
聞くんじゃなかったと後悔しながら、僕は夜空から降って来る星をぼんやりと眺めていた。
相変わらず吐く息は白い。先輩が特別だって言っていたそれは、僕が呼吸をするたびに現れてはすぐに暗闇に溶けていく。白い息が出るようになってたったの二日で、僕にとってそれは当たり前に変わった。
先輩が見たいと言った優しさとか愛情とかが、もし見えるようになったとしたら?きっと凄く混乱するだろう。でもそれをいつでも見れるようになったら、白い息と同じようにすぐに当たり前に変わるのだろうか。
僕は優しさとか愛情とかが当たり前に見えるようになった世界を想像してみた。
きっとその世界では、誰かを思いやれる人しか暮らしていけないのだろう。思いやりがある人だけが暮らす優しさと愛情に溢れた世界。それは素晴らしい世界なのかもしれない。
でも、そうなったら僕の気持ちは先輩に筒抜けになってしまう。
そんな世界になったら恥ずかしいから嫌だなって思った。
思考に耽っていると携帯が震えた。
メールを読んだ僕は急いで返信をすると、携帯を握りしめたまま駆け出した。
荒い呼吸を繰り返す度に、白い息が後ろに流れていく。
僕にとっては白い息よりも先輩からのメールの方がよっぽど特別に思えた。もし先輩と付き合えたとしたら、いつの日か先輩からのメールも当たり前に感じるのだろうか。
そうなったら、ちょっと寂しい。
でも、当たり前に感じるってきっと幸せなんだと思う。
当たり前な幸せを手に入れたくて、僕は特別な先輩の元へと全力で走る。
だって先輩のメールを読んだ時に一瞬だけだけど、優しさとか愛情とかが見えた気がしたから。
キミに会いたい。