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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
1章 ダクシナ幼少期編 
9/48

雑音のない世界

 ナウビム城の三男坊の坊っちゃまこと、クシータ・ダクシナ・アヤガラには、嫌いなものが二つある。


 一つはレナティリア先生の武芸トレーニング。


 一つはファリャム豆。


 ダクシナ郡の人々の主食である。


 この小粒の食用豆は、逞しい生育力を持っている。年間の平均気温が帝都などに比べて低く、雨も少なければ土壌にも乏しいダクシナ郡にあって、芋、人参と並んで、地産可能な、数少ない穀物である。


 栄養素が豊富だ。


 しかし、まずい。土くれをそのまま食べているような苦味がある。そのため、煮物は甘い味付けになっている。


 苦味を甘味で押さえこむ。そんな、雑な食文化が通用するほどに、ダクシナ郡というのはあらゆる意味で貧しい。




 クシータは、台所の間口の影から、ラソイハラの背中を覗きこむ。


 エプロンの紐に背中の肉を食い込ませているラソイハラ、また、豆を煮込んでいた。


「今日もお豆。明日もお豆。僕の顔もそのうちきっとファリャム豆みたいに丸っこくなっちゃうよ」


 愚痴を叩くと、ラソイハラのぎょろ目がギラッと向けられた。


「坊っちゃんのご家族に丸っこくなった人がいましたか。バフータ様も、兄上様たちも、丸っこくなっていないじゃありませんか」


「ラソイハラは丸っこいじゃないか」


「レナティリア先生に言いつけてやります」


 クシータはあわてて飛び出し、ラソイハラの丸太のような太ももにしがみついた。


「ごめんなさい! もう悪口言いません! 先生に言いつけないで!」


「それじゃあ、今日こそは全部お食べになるんですよ」


 天井の高い回廊を、一人、とぼとぼと居室に戻っていく。


 ハア、と、溜め息を漏らす。


(たまには、お肉とお魚、食べたい……)


 滅多に食卓には出ない。八年を生きてきて、多分、肉も魚も四回ぐらいしか口にしていない。


(どうしてお魚を食べられないんだろう。うちが貧乏だからなのかな)





 クシータは思い切ってたずねた。


「先生。お魚の値段はめちゃんこ高いんですか」


「そうでもありません」


 帝都ザルカダエルに限っては、と、レナティリアは付け足した。


「帝都は海が近いですし、大きな川もあります。しかし、ここダクシナ郡は海から遠いですよね。なので、魚がないのです」


「でも、お城の近くにはパタラ川があります。パハロマ山のあっちにもおっきな湖があるって友達が言ってました」


「それはですね」


 ジーラ湖は、パハロマ山特有の毒物を吸い込んでいる湧き水のため、魚がいない。


 そして、城の近くを流れているパタラ川の魚は、アヌパビーという種類で、警戒心が強く、少々の物音でも逃げてしまうために捕らえられない。モリを放ったときはすでにいなくなってしまっている。


「ダクシナ郡で魚を食べるのは無理なのです。どんなお金持ちであっても」


 がっくりと肩を落とした。


「それより、坊っちゃま。めちゃんことかいう言葉を使うのはよしなさい」


「えっ。だって、友達はめちゃんこって言ってます」


「ならば、そのお友達にもやめさせなさい」


「どうしてですか」


「はしたないからです」





 十五時の鐘を聞いたら、いつものようにプラーネがやって来て、城外に連れ出された。


 すでに小川の岸辺でプラーネの兄のジャンガルフ、ジャンガルフの友達のドスターが棒切れを振り回していた。


 剣士ごっこが嫌いなクシータは彼らに見つからないよう、こっそりと枯れ草の上に腰を下ろす。


「ねえ、坊っちゃん。今度ね、セーキグンがダクシナに来るんだって。セーキグンってめちゃんこおっきいんだって。こーんなに」


 クシータよりも二歳年下のプラーネは、短い腕を目一杯に広げた。聖旗軍が何者なのか理解していないだろうが、ガキ大将の兄が騒いでいるのだろう、プラーネの瞳はゆるゆると輝いている。


 しかし、クシータは川面を見つめ、その表情は憮然としている。


「めちゃんこって言葉、使っちゃ駄目なんだよ」


 プラーネがボブヘアの髪を揺らして、首をかしげる。


「どして?」


「レナティリア先生が言ってた。はしたないって」


「はしたないって何?」


「ばっちいってこと」


「なんでばっちいの?」


「わかんないけど、使っちゃ駄目なんだ」


「じゃあね、私も言わない。私ね、レナティリア先生みたいな綺麗なお嫁さんになりたいもん」


「先生はお嫁さんじゃないよ」


「でも、めちゃんこ可愛いよ。私もレナティリア先生みたいにめちゃんこ可愛くなりたいもん」


「そんなことないさ。先生はめちゃんこ怖いんだから。今日だって、僕のことを木の剣でビシビシ叩いて、僕はもう死にそうだよ」


「ビシビシやられたの?」


「うん。ビシビシ」


「ビシビシやられて痛いの?」


「痛くないよ。でも、痛いよ」


「わかんない」


「おーい。坊っちゃんも聖旗軍ごっこやろうぜ!」


 向こう岸のジャンガルフとドスターに見つかってしまった。


 クシータは首を振って応じる。


「なんだよ! 坊っちゃんは俺たちジャンガルフ団の仲間じゃないってのか!」


「僕は皆と友達だけと、ジャンガルフ団じゃないよ」


「なんだい! 意気地なしだな!」


 と、ソバカス小僧のジャンガルフ。チビのドスターも騒いだ。


「坊っちゃんの意気地なしめ!」


 すると、プラーネが、プンスカと地団駄を踏む。


「坊っちゃんは意気地なしじゃないよっ! レナティリア先生に教えてもらっているんだよっ! 坊っちゃんっ、兄さまたちなんかやっつけちゃいなよっ!」


「なんだと!」


「なんだと!」


「やだよお」


 そもそも、クシータは自らすすんで彼らと行動を共にしているのではない。


 おとなしすぎるクシータに憂慮した侍従長のチャンバリンが、自身の実弟のサイニカに相談した。それなら、と、サイニカは自分の子供たちと遊ばせればいいと提案した。


 サイニカの子供というのがジャンガルフとプラーネなのである。


「この前、レナティリア先生に言われたんだ。友達と喧嘩しちゃ駄目って。友達と喧嘩したら僕は悪い人になっちゃうからやっちゃ駄目って」


「あっ!」


 プラーネが川面を指さしており、クシータのひとり言は聞いていない。


「お魚!」


「どこっ!」


 と、クシータもにわかに立ち上がる。


 すると、ジャンガルフもこちらに注視してきていて、


「おい! プラーネ! お魚どこだ!」


 と、急にいきり立ち、棒きれをぽいっと捨て、小川に飛び入った。ドスターも真似て飛び入った。


 水かさは子供の膝丈程度だ。


「あっ! 逃げちゃった! 兄さまがばしゃばしゃするから、お魚、逃げちゃった!」


「まだ近くにいるはずだ! 取っ捕まえて食べてやる!」


 ジャンガルフは前かがみになって川面に顔を浸した。ドスターも川の中に目を凝らす。


 クシータは溜め息をつく。


「パタラ川のお魚はすばしっこいから捕まんないってレナティリア先生が言ってたよ」


「坊っちゃんも早く取っ捕まえて!」


「捕まえられないって先生が言ってたんだ。だって、帝都の人たちはお魚捕まえるときはモリっていうやつで刺して捕まえるって言ってた。すばしっこくなくたってモリっていうやつがないとできないんだ」


「坊っちゃんも捕まえて!」


 ドン、と、背中を押され、クシータは川に落とされた。


「捕まんないよお」


 半ベソをかきながらもクシータは川面を見渡す。


 すると、そそくさと川中を走り回る影が見えた。クシータは目玉を剥いて指をさす。


「いたっ!」


「ほんとっ!」


 と、川べりのプラーネが嬉々として飛び跳ねる。


 ジャンガルフたちも顔を上げてきた。


「どこだよっ、坊っちゃんっ」


「あそこっあそこっ。ほらっ、あっちあっち。あっ、そっち。そっち行った。あっ、あっちあっち」


「どこだよ! わかんねえよ!」


「そっちだってば!」


「わかんねえって!」


「坊っちゃん! 取っ捕まえて!」


「捕まえろよっ、坊っちゃんっ!」


「坊っちゃんっ、捕まえろっ」


 坊っちゃん、坊っちゃん、と、ジャンガルフたちに騒がれて、クシータは手を震わせてしまう。しかし、視線の先はアヌパビーを追いかけている。川中をすばしっこく逃げ回る魚影を追い続けている。


(モリじゃないと捕まんない。モリじゃないと捕まんない。モリじゃないと)


 そんなふうにあきらめを念じつつ、魚影を追いかけるクシータ。


 すると、あることに気づいた。


(つ、捕まえられそう)


 レナティリアの教えを真っ向から信じていたクシータであったが、こうしてアヌパビーを目前にしてみると、鬼先生が言っていたほど大してすばしっこくない。


 むしろ、


(お魚さんを捕まえて、ラソイハラに焼いてもらいたい)


 という気持ちが徐々に徐々に強くなっていくとともに、余計、アヌパビーの動きが鮮明に見て取れるようになってきた。


 クシータのつぶらな瞳は一点に定められている。泣き言がお似合いな情けない表情も、今に限ってはない。


(もしかして、お魚さん――)


 川の水面に日差しはきらきらと砕けている。クシータの集中力は雑音のない世界に到達している。


(いつまでも逃げない。僕たちをからかっているんじゃ)


 瞬間、見えた。


 魚影が、はっきりとした姿形となって見て取れた。体長二十センチメートルほど、尖った尾びれに、尖った口、背中と腹は色違い、目玉はふてぶてしいほどにまんまるい。

 瞳孔を開けたクシータ、おもむろに飛び跳ねた。


 獣さながらの動きであった。


 飛び跳ねるという意識で飛び跳ねたのではない。例えば、狩りをする本能でもって飛び跳ねたのだ。


 アヌパビーの背後に飛びつきざま、両手で掴みかかる。危険を察知して逃げおおせようとたくらむアヌパビー。しかし、その体がしなろうとした刹那、クシータの小さな手が捕獲した。


(やった!)


 感激のまばゆい瞳で、川中から大気中へと獲物を掴みあげてくる。


 アヌパビーはクシータの手の中で踊り暴れる。


(今日はお魚祭りだ!)


 が、







 ヌメッ、と、した。







「わあっ!」


 びっくりして川に捨てた。


 あわてふためいたようにくねくねと逃げていってしまったアヌパビー。一瞬で、遠くに消えた。


 クシータはただただ立ち尽くす。この手から離してしまったものの重さに打ちひしがれる。


「おい……、坊っちゃん……、何やってんだよ……、せっかく捕まえたのに……」


 ガキ大将ジャンガルフの深刻な声音が、クシータをよりいっそう悲痛にさせた。


「だって、ベチョベチョしてた。ベチョベチョしてた」


「あーあ」


 残念さと呆れが同居したドスターの声。


 クシータは恐る恐るプラーネに視線を向けていく。


「お魚さん、いなくなっちゃった……」


 プラーネはボブヘアの前髪を垂らし、しょんぼりしている。


「だってえっ、ベチョベチョしてたんだものっ!」


 言い訳を大声で放つと、クシータは、わーん、と、泣きながら、目と鼻の先のナウビム城へ走って逃げた。






 ロイ・アージサカは通称「セゴ屋」にいた。


「なあ、女将、頼むぞな。もうちっと安くできんかのう。女将もわしが無一文なことぐらい知っておろう」


 セゴ屋の女将はロイに見向きもせずに、陳列された駄菓子の痛み具合を選別していく。匂いを嗅いで異臭を感じたら自分の口の中に入れてしまい、子供たちが口にしても下痢ぐらいで済みそうな商品は元に戻す。


 アバラータから仕入れた菓子類である。おいそれと捨てるわけにはいかない。


「頼むぞな。頼れる者は女将しかおらんぞな」


「アージサカ先生にはほとほと呆れただ。レナティリア先生が言ってた通りのエッチなじいさんだべ。だいたい先生は虫が良すぎんだ。金がねえのに、ピッチピチのメイドが欲しいだなんて、何を考えてんだべか」


「だからの、事後承諾ってものぞな。若い娘を連れてきてしまえば、さすがのレナトも金を払わずにはいられんだろう」


「レナティリア先生はそんな人じゃねえ。あの人は清く正しい先生だ。アージサカ先生のくっだらねえエッチさに付き合うようなお嬢ちゃんじゃねえ」


 女将の頑固さ加減に、ロイはヒゲヅラを憮然とさせ、しまいには悪態に転じた。


「何が清く正しいだ。人身売買をやっているようなお主が清く正しいだなんてよくも言ったもんじゃ」


「商売の邪魔だよ。帰った帰った」


「さっきから客の一人も来ておらんだろうが」


「あんまりしつこいと、レナティリア先生を呼ぶよ」


 そそくさとロイは店をあとにした。


(金の亡者め。あのババアがもうちっと若かったらアージサカ流秘奥義で後ろからヒイヒイ言わしてやるところじゃ)


 ほじくり出した鼻くそを、セゴ屋の軒先に弾き飛ばした。


「けっ」


 ロイはズボンのポケットに手を突っ込んで、のそのそと家路を辿る。


 と、そのとき、小さいものがロイの脇を駆け抜けていった。と、思ったら、つまずいてコテッと転げた。


 茶色のチュニックに白い膝丈ズボン、ひっくひっくと泣き声を上げるのはダクシナ家の三男坊だった。


「これはクシータ坊っちゃん、大丈夫ですかの」


 小さい肩を抱えてやると、クシータはしゃくり上げながら起き上がる。


「どうされました。友達と喧嘩でもされましたか」


 クシータは首を振る。嗚咽混じりになって一生懸命に口を開く。


「お魚さんが、お魚さんが、ベチョベチョしてたんです。僕、せっかく捕まえたのに、ベチャベチャしてたから、逃げられちゃったんです」


「それはそれは」


 ロイはズボンのポケットからぐしゃぐしゃの汚いハンカチを取り出してき、クシータの頬をぬぐってやる。


「しかし、坊っちゃん、失敗は成功のもと。今日取り逃がしてしまったことを教訓に活かし、明日また挑戦すればよいのですぞ」


 クシータは潤んだ瞳でロイを見つめる。


「お魚さん、明日はいないかもしんないです。めちゃんこ速く逃げちゃったもの」


「決めつけるのはよくない。明日になってみなければわからんぞな」


 クシータはじっとロイを見つめる。ロイは微笑みを浮かべ、クシータの頭を撫でる。


 クシータはうなずいた。


「はい。明日、また、見つけてみます」


 ありがとうございます、と、頭を下げると、クシータは天主塔のほうへと歩いていった。


(素直で良い子じゃ)


 揺れるチュニックの裾を眺めながら、ロイは目を細める。


(……)


 首をかしげた。


(お魚さんとは、アヌパビーのことじゃろうか)


 ハンカチをズボンのポケットに押し込め、再び家路を辿る。自嘲するように鼻で笑った。


(んなわけあるまい。アヌパビーを捕まえるのはザーベライでも困難じゃ。捕まえられなかったことを捕まえたことにしているだけじゃろう)


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