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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
序章 レナティリア・シャンディーニ
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シャンディーニ、神童に怯む

 クシータを机の前に座らせ、レナティリアも腰から剣を外し、彼の脇の椅子に腰掛けた。


 机の上には鳥の骨と羽毛で作ったペンと、紙がすでに整えられている。


 クシータは赤く照った頬と、小さな肩をこわばらせ、視線の先を机の上に閉じ込めてしまっている。


(まるで女の子みたい)


 ぱっちりと開いた瞼の中に、玉のような瞳がある。アヤガラ一族伝統のブロンド色の髪は毛先まで艶やかに繊細でいて、指先で触れたら跳ね返りそうな肌、長い睫毛は少々の憂いをひそめている。


 いつまで眺めても、飽きることのない横顔であった。かといって、見とれているわけにもいかない。レナティリアは一つ咳払いを放つと、


「クシータ坊っちゃま」


 と、問いかけた。


 クシータは若干の震えを見せながら、視線さえ寄越さずに無言でいる。


 レナティリアは声を尖らせた。


「返事もできないのかしら」


「は、は、はい」


「私の名はレナティリア・アージサカ。今日から坊っちゃまの先生です」


「は、はい」


「先生に女も男も関係ありません。私を先生とだけ思ってください」


「は、はい」


「ところで、坊っちゃまは大人になったら何になりたいのですか」


「お、大人になったら、ですか」


「ええ。一応、聞いておきます。坊っちゃまの教師として」


 クシータはまた再び視線の先を机の上に閉じ込めて、固まった。


 椅子からぶら下げた足先をぴくりとも動かさず、小さな両肩はこわばったままでいたが、股の上で組んだ両手の親指だけをくるくると回していて、思案するときの癖なのだろうか、目が留まったレナティリアは、その滑稽さに思わず口許を緩めてしまう。


 クシータは長い間、沈黙していた。


 ただ、終始、親指同士をくるくると回してもいた。


 椅子の背もたれに腰を沈め、クシータの答えを辛抱強く待つ。窓辺には庭先の草をむしるノッカラの姿がある。


「ぼ、僕は」


 ようやくクシータは口を開いた。机の上を凝視して、親指回しもやめている。


「サバーセ兄さんと約束したんです」


「約束?」


「サバーセ兄さんが、バラ・ヴァンガをやっつけるって。僕はそのお手伝いをしろって」


「それはまた――」


 無謀である。


 創立帝イスカ・ザルカダエル・アヤガラに始まったアヤガラ王朝が、第八代目皇帝スサハーナを最後にして終焉したのは八年前の出来事である。


 家族とともに帝都に居を置いていたレナティリアも、かの政変による未曾有の大騒ぎは鮮明に覚えている。


 それまで、帝位はアヤガラ一族宗家のザルカダエル家の者だけが受け継いでいた。


 しかし、八代目スサハーナ帝が突如として退位し、平民上がりの宰相、バラ・ヴァンガに帝位を禅譲してしまったのである。


 エンドラセトラ全土が混乱し、新帝バラ・ヴァンガに反発を見せる者はあとを絶たなかったが、帝位を譲り受けた当初、バラ帝は、王朝機構をむやみにいじくり回すこともなく、ややもすると平穏は取り戻される。


 政変の騒動が人心から忘れかけた頃になって、バラ帝は改革を断行し始めたのだった。


 その最たるものが、貴族階級の撤廃である。


 エンドラセトラ各地には、ダクシナ・アヤガラ家のように、大小それぞれのアヤガラ一族分家や、イスカ・ザルカダエルの統一戦に功績のあった者の子孫たちが封じられていた。


 かくいうバラ帝の妻、皇后ヴェレネスも貴族の出身、アヤガラ王朝初代宰相の血を汲むガンビラ一族の末裔である。


 が、バラ帝は彼らから階級を剥奪し、県令や郡令、村令など、王朝役人の職業におさめてしまい、一市民と同様、納税を求めた。


 当然、元貴族たちは反発する。しかし、武力蜂起する者は一人とてなかった。


 バラ帝が権勢を成し得たのは、イスカ・ザルカダエルが創設した聖旗軍百万の軍勢の掌握に成功していたからである。


 エンドラセトラ全土に散らばっていた元貴族たちは、バラ帝が所有する強大な武力を前にして、泣く泣く従わざるを得なかったのだった。


 なので、レナティリアは、クシータの言う兄との約束などに賛同はできない。


「坊っちゃま」


 レナティリアは、珍しくも、優しげな声音で諭す。


「それは果たして本当にお兄様との約束なのでしょうか。私にはどうしても、坊っちゃまがお兄様に無理に押し付けられているとしか思えませんが」


「そ、そんなことないですっ。サバーセ兄さんは、僕の、命の恩人なんですっ。サバーセ兄さんがいなければ、僕は捨てられるところだったんです。僕が生まれたとき、サバーセ兄さんが父上に言ってくれたので、僕は捨てられずに済んだんです」


「お父上が坊っちゃまを捨てるはずありませんでしょう」


「い、いいえ。皆、そう言っています。ノッカラもラソイハラも、チャンバリンも。僕が生まれるとき、母上は変な夢を見たんです。緑色の髪をした悪魔に青い火を食べさせられる夢を見たんです。だから、僕は捨てられそうだったけれど、サバーセ兄さんが怒ったんで、父上は捨てるのをやめたんだと」


 さきほどよりも口調がはっきりとしてきているので、レナティリアはさすがに参った。


 吐息を長々とつきながら、腕を組み、これは考え物だと思った。


「しかし、坊っちゃま。バラ帝を倒すだなんて大変なことですよ。聖旗軍と戦わなければいけないのですよ」


「はい」


「それでもお兄様とのお約束をお守りになるのですか」


 クシータは黙り込んだ。


 ちらっと、レナティリアを見やってきた。


「どうかしましたか?」


「せ、先生。サ、サバーセ兄さんには内緒に」


「ええ」


「ぼ、僕は、喧嘩は、したくありません」


「左様ですか」


 レナティリアは鼻先を突き上げる。


「ならば、坊っちゃまは強く賢い大人にならなければいけません。無用な争いを避けるには、芯のある強さと、健全な賢さが必要なのです。弱く愚かな者ほど、無用な争いに巻き込まるのですから」


 とはいえ、突き放すように言ったものの、


(私は無用な争いに足を突っ込んだせいで、ここにいるんだけれど)






 臆病なきらいがあるけれども、素直でおとなしい子だというのがレナティリアが持ったクシータの印象であった。


 それは間違っていない。


 ところが、レナティリアはすぐに驚愕する。


 学習の始め、彼女はまず、クシータがどの程度のものなのか、彼の名前を紙に書かせたのだが、妙に大人びた、いや、気品高い筆跡のエンドラ文字で、クシータ・ダクシナ・アヤガラと、鳥骨のペン先を進めたのである。


 レナティリアは首をかしげた。


「それでは、坊っちゃまのご家族のお名前を書いてごらんください」


 ペン先をちょいちょいとインクに浸けて、クシータはすらすらと書いていく。


「ならば、私の名を書けますか。レナティリア・アージサカ」


 これもわけなく書いた。


 今日初めて会ったレナティリアの名を文字に表せる。つまり、すでに、クシータは読み書きができるのである。


 読み書きのできない一般市民ならともかく、元貴族の子弟なら驚くことでもない。


 それにしても、クシータの筆跡は子供のものではない。


「坊っちゃま。文字は誰に教わったのですか」


 クシータは首を振った。


 レナティリアは目を丸める。すると、クシータが鳶色の瞳を不安そうにして向けてくる。


「僕の字は間違っているんですか」


「い、いいえ」


 最初、レナティリアは理解できなかった。ところが、クシータを問い詰めていくと、その原理がわかった。


「ま、前から、ずっと前から、書けます」


 と、クシータは言うのである。


 誰にも教わっていないにも関わらず、クシータの言うずっと前――おそらくもっと小さいときから。


 生まれ持って備わっていたということである。


 さらに滑稽なことには、クシータはそれが当然だと思っている。自分以外の人々も、生まれたそのときから読み書きができているものと思っている。


(信じられない)


 レナティリアは腰を上げ、窓辺に立った。花々が日差しの中に踊る庭先を見つめながら、この状況を務めて冷静に把握しようとした。


(この世界には生まれつきの才能を持った人間がたびたび現れるけれども――)


 そっと振り返り、クシータを見やる。見た分だけで女とも男ともつかないこの子は、弱々しく、あるいは健気に、レナティリアをじっと見つめてきていた。


「坊っちゃま。シャンディーニとはどういう意味がご存知ですか」


「わかりません」


 レナティリアは胸を撫で下ろした。エンドラ古語まで知っているとなると、これはとんでもない。


 安堵の笑みを浮かべながら、彼女は元いた椅子に腰掛ける。


 クシータはうつむいてしまっている。わからないことを恥じているようでもある。


「シャンディーニとは、私が帝都ザルカダエルにいたときのアダ名でして、冷たいけれども、綺麗な、青、という意味のエンドラ古語です」


 すると、クシータはすうっと顔を上げてきて、レナティリアにきょとんとする。


「どうかしましたか?」


「冷たいけど綺麗な青は、エンドラセトラの昔の言葉だと、しゃんでいにいじゃなくて、シャンダ、ディー、ラニ、じゃないんですか」


 レナティリア、言葉を失った。


 実は古語がわからない。


 ただ、なんとなく察せるのは、クシータは単語をそのままぶつ切りにして表しているようで、単語を縮めて一つの言葉にした場合、シャンディーニと表されたのではないのだろうか。


「ま、間違ってますか」


「い、いいえ。それも正解ですよ」


 レナティリアの額から、妙な汗が噴き出てきた。




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