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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
序章 レナティリア・シャンディーニ
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シャンディーニ、勝ち気な碧眼

 祖父のロイは台所からヨタヨタとやって来て、テーブルの上に土碗の豆乳を差し出してきた。


「こいつはダクシナ郡でしか取れない豆での、栄養素たっぷりじゃ」


 腰掛けるレナティリアは、眉間をしかめる。


 土碗の中身が乳白色にドロドロしていた。




「おっ、こい、しょっ、と」




 ロイはその掛け声とともにゆっくりと腰掛けた。


(さっきはあんなにすばしっこかったっていうのに)


 まあ、昔からそんな食わせ者だった、と、自分に思い聞かせながら、彼女は土碗に手を伸ばす。


 やっぱり、手を離した。どうにも、この液体を飲める勇気が湧かない。


「しっかしのう、レナティリアもすっかり美しくなったのう。覗き見されたぐらいで喚き散らしてわしを追い出した、お主の母親にそっくりぞな」


「お言葉ですが、おじい様を追い出したのはお母様ではなく、お父様です。おじい様は実の息子に追い出されたのです。誤解なきよう」


「んなことはない。あのとき素っ裸のお主の母親にパンチを二発、キックを金玉に一発お見舞いされたんじゃ。あれ以来、わしのアソコは不能になってしもうたんぞな」


 機能不全になったかどうかはともかく、母の逆襲に合ったのは本当かもしれない。レナティリアの勝ち気さは母親譲りである。


「それよりも、率直に申し上げまして、ダクシナ・アヤガラ家は私にきちんとした俸給を支払えるのでしょうか。先ほど、おじい様はおっしゃっておりました。こちらの住人の方々に食べ物を恵んでもらっていると。俸給を得ていれば食べ物を恵んでもらう必要はありませんでしょう」


「いや。わしはもう職を辞して一年近くなるし」


「貯蓄ぐらいありますでしょうに」


「無い。一年前までこの家で女と一緒に住んでおったんだが、わしがダクシナ家の教師を辞めた途端、わしの財産を持って行方知れずとなってしもうた。一回も一緒に寝てくれなかったから、わしもちっとは怪しい女だと思っておったんだが、ピッチピチの若い娘だったからのう。止むに止まれずじゃ」


 ロイは白ひげに覆われた口からニカッと歯を覗かせる。


 彼の陽気さ加減に唖然とし、そうしてレナティリアはなんとなく落ち込んだ。


(私がこれぐらいの呑気者だったら――)


「わしもここ一年寂しかったのう。持ち逃げされたことよりも、ずっと一緒にいたピッチピチ娘がいなくなってしもうた。寂しくて寂しくてたまらんかった。そんなところでお主の兄貴にも誰か寄越してくれんかと手紙を出したところ、レナティリアが聖旗軍を退官したからちょうどいいと」


「私はピッチピチ娘の代役ではありません。おかしな真似をしたらおじい様と言えども容赦しません」


「ハッハッハ! 変な真似なんてするもんかい! お主はわしの孫じゃないかい! 孫に手を出すジジイなどとんでもないドスケベじゃ!」


 それに、と、言いながら、ロイは急に笑い声をおさめ、口許を不敵な笑みに変え、レナティリアを覗きこむようにしてきた。


 物騒な声音でささやいてくる。







「お主、わしに勝てると思ってか」








「ならば、今からやってみましょう」


 レナティリアが腰を上げようとすると、ロイはすかさず身を反り返し、あわてて両手を突き出してくる。


「いいっ、やめとくっ。お主はあの母親にそっくりじゃっ。やっぱりかなわんっ」


(たくっ)


 レナティリアは座り直し、日当たりの悪い家中を見渡した。


 この狭さ。


 この陰鬱さ。


 リビングとベッドルームがそれぞれ一つずつしかない貧相さに一度溜め息をついた。


 自分は新居が見つかるまでこのリビングでハンモックを吊るして寝ると、レナティリアはロイに伝えた。


「わしと一緒に寝れば良かろうに。わしとレナティリアは、じいちゃんと孫ぞな」


 老いさらばえた剣豪は、ニタニタと笑っている。孫娘可愛さなのか、はたまたただのスケベ心なのか、見当がつかない。


「勘弁してください」


 それと怪しげな豆乳は突き返した。





 日暮れ前、ロイは家を出たが、日暮れ後、土鍋を手にして帰ってきた。物乞いに出かけていたらしい。


 蓋を取れば、芋のかたまりがゴロゴロと煮えこまれたシチューであった。


 皿に与えられたそれをスプーンで口にしながら、レナティリアはいよいよ思うのであった。


(私にとっては夢も希望もないけれど、おじい様に乞食の真似をいつまでもさせておくわけにはいかないし。ダクシナに来てかえって良かったのかも)


 ところで、


「私が今日、城内の人たちに絡まれていたとき、サバーセ様の手下だと言って私に食ってかかってこられた人がおりましたけれども、サバーセ様とはどなたなのですか」


 犬が皿を舐めるようにしてシチューに前のめりでいたロイは、ふとスプーンの手を止め、レナティリアを見上げてきた。


「サバーセ様っちゅうのはの、わしの教え子で、ダクシナ・アヤガラのご子息じゃ」


 ロイが説明するに、ダクシナ・アヤガラ家四代目当主のバフータ・ダクシナには三人の息子がおり、



 長男のサバーセ、十八歳、


 次男のドサーラ、十六歳、


 三男のクシータ、八歳、



 このうち、長男サバーセと次男ドサーラの教師役を務めたのがロイであった。


 次男ドサーラは数えて十五歳になったとき、彼はアバラータ県ヴァーナ村の村長の養子となった。ダクシナ家から離れている。


 よって、ロイはお役御免となったわけだが、それから幾月も経たないうちに、当主バフータから幼い三男坊の家庭教師になってくれるよう依頼された。


「わしはもうジジイぞな。読み書きならまだしも、剣術を教えるのは骨が折れる」


 折しも、レナティリアが無職となったのだ。


「そんで、跡継ぎのサバーセ様なんだが、まあ、これがとんでもない若様で」


 ダクシナ郡の人々には火の玉サバーセと恐れられている。


 幼年時代は一言で言えば悪童。事が気に入らなければたちまち暴れ回り、ただの腕白小僧であればまだしも、天性の格闘センスを有しており、八歳のときにはザーベライとなっていた。


「こんな田舎じゃ。ザーベライなどサバーセ様の他におらん」


 ロイが帝都から招かれ、教師となると、伝説の剣豪の圧倒的強さに、サバーセは沈黙の年月を過ごしたそうだが、皮肉にもロイの教えがサバーセの格闘センスを伸ばすことにもなって、サバーセは再び暴れ出した。


「まあ、とにかく好色ぞな。弟のドサーラ様に仕えていたメイドをはらませてしまったり、どこそこ村のナントカっていう美しい娘の噂を耳にすると、二十日はこの城に帰ってこんかったし、挙げ句には結婚が決まっていたナントカとかいう娘を誘拐してしまってどこかに連れていってしまった。で、今はどこにいるかはわからん。風の噂だと、アンサンクラーあたりで盗賊まがいに徒党を組んでおるという」


「左様でございますか」


「安心せい。サバーセ様はもう二年近くもダクシナに姿を見せておらん。お主が襲われるというのはなかろうし、お主が教えるクシータ様は、それはそれはおとなしい坊っちゃんぞな」


「二年近くと言われても、サバーセ様は跡継ぎなのでありましょう。かようなことが許されるのでしょうか。それとも、そのお坊ちゃまが跡継ぎなのでしょうか」


「いいや。アヤガラ一族は子息に甘いしの。お父上のバフータ様はなおさら寛容なのじゃ。どこかをほっつき歩いていても、サバーセ様は今もなおダクシナ・アヤガラの跡継ぎぞな」


 レナティリアは首をひねりながら、スプーンに芋をすくう。


 芋は大きすぎるし、煮込みすぎているし、煮込みすぎるから、大きく切らなければいけないのかもしれないし。


 味付けも、この地域特有なのか甘かった。レナティリアの口には合わないが、贅沢も言っていられない。





 次の日、ロイの先導で天主塔へとやって来た。


 祖父の話によれば、この城塞は見た目通りの戦乱時代の遺跡らしい。


 百年近く前、ナウビム・ダクシナ・アヤガラという人が、アバラータ・アヤガラ本家からこのダクシナ郡を与えられ、歳月とともに風化されていたこの城に入った。


 以来、ナウビム城と呼ばれている。


 ナウビム城天主塔に足を踏み入れると、冷たいばかりの静寂が漂っていた。回廊の天井は暗がりになるまで高いが、その高さが余計、陰鬱な静けさを作り出している。ロイとレナティリアが歩を進めるつど、革靴の足音が石畳の上から響き渡る。


(活気がまるでない)


 それもそのはず、この天主塔の住人は五人だけであった。


 回廊の突き当たり、広間の前でロイとレナティリアを待ち受けていた五人が、天主塔住人のすべてだったのである。


「ああ、これはバフータ様。わざわざお出迎えしていただき恐縮でございます」


 祖父のロイが深々と禿げ頭を下げたその先は、えんじ色のポンチョに身を包んだ男であった。茶に白が交じった口ひげを蝋で固めており、両端のひげ先が跳ね上がっている。肩まで伸びるブロンドの髪も白髪が混じっていたが、髪先を巻き上げていて、せめてもの元貴族を表していた。


「お初にお目にかかります。ロイの孫、レナティリア・アージサカであります」


 レナティリアは今朝方清めたばかりの髪先をはらりと落としながら、背筋に芯の入った一礼で頭を下げた。


 しかし、向こうからは何の反応もない。


 ちらりと上目にしてみると、バフータ・ダクシナはレナティリアを見つめるまま、ぽかんと口を開けていた。


 そうして、ぼそりとひとり言、


「えらい、美人じゃ……」


「バ、バフータ様っ」


 隣に控えていた小太りの中年がたしなめると、バフータは思い出したように跳ね上がり、


「こ、これは失敬。失敬つかまつった。いやはや、アージサカ先生のお孫様がこれほど見目麗しいお方とは思いもよらず、いや、実を言えばですの、レナティリア先生が聖旗軍で腕を慣らした女剣士だと聞いておりましたから、それはまあ、筋肉男みたいな筋肉女が来るものだとばっかり思っておりまして、いやあ、度肝を抜かれましたわ」


「いやいや、しかしですな、バフータ様」


 と、祖父のロイがバフータに歩み寄っていき、彼の長髪越しにこそこそと耳打ちを始めた。


「なっ。それはいかんっ。私もすっかりスケベ心に火を灯してしまったが、それはいかんっ。かような先生では金玉がいくつあっても足らんっ」


 そうして、バフータはげらげらと笑い上げた。笑い声は回廊の空洞に響き渡り、ロイも乗じて笑い上げている。


 頭を下げたままのレナティリアは祖父を睨みつける。またもや、母親の話を持ちだしたに違いない。


「バフータ様っ。お戯れはほどほどにっ」


 再び小太りの中年にたしなめられたバフータは、「ああ、それもそうじゃ。失敬失敬」と、意に介していない。


「レナティリア殿。バフータ様の代わりにわたくしがご紹介いたします。わたくしは侍従長のチャンバリン・ヨリダーナでございます。して、この者は召使のノッカラ。見た目の通りのビデーサ人であります。この者は家政婦のラソイハラ。ノッカラもラソイハラもダクシナ家に三十年以上は仕えており、何か不便なことがありましたらこの二人に申し出てくだされ。で、レナティリア殿に学問武術を教えていただくクシータ様――、あれ、坊っちゃんは」


 さきほどから小さい子供が太った家政婦の影に隠れており、彼はレナティリアに鳶色のつぶらな瞳だけを覗かせてきていた。


「坊っちゃん。ちゃんと先生にご挨拶しなきゃいけませんよ」


 家政婦のラソイハラは隠れているクシータを引き出そうとするものの、クシータはラソイハラの太ももにしがみついて離れない。


「クシータめ、先生がえらい美人だからってこっ恥ずかしいのだな」


 バフータが冷やかすと、クシータの顔が真っ赤に出来上がってしまって、さらにラソイハラの影に隠れてしまう。


 そうして、ぼそぼそと呟いた。


「ぼ、僕は、兄上様と同じで、アージサカ先生にお教えを――」


「心配は無用です、クシータ様」


 レナティリアは片膝をつき、クシータの背丈の高さになって言う。


「私の教えはクシータ様に女と思わせるほど甘くはありませぬ。それに、クシータ様がそのようにもじもじとされるなら叩き直すだけであります」


 空気が張り詰めてしまうと、すっくと立ち上がり、勝ち気な瞳をバフータに据え置く。


「よろしいでしょうか、バフータ様」


「う、うん」


「それでは早速学習としましょう」


 ラソイハラの後ろに回ったレナティリア、クシータのチュニックの襟首を掴んで家政婦から引き剥がすと、彼の部屋まで案内してくれと侍従長のチャンバリンに言った。


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