冒険する、お嬢様
少々、わがままなきらいのあるパミアは、クシータをダクシナ群に叩き返そうとたくらみ始めた。
(小英雄のクシータはワキアお祖母様のお気に入りのようだけれども、母上は田舎者がお嫌いのようだから、あのお子ちゃまから田舎者らしい振る舞いでも見つけ出して、尾ひれはひれの噂でも流してやるわ)
パミアは若い侍女に言いつけ、15時以降になると決まって居館を駆け出ていくクシータを尾行させた。
(田舎者のことだから買い食いでもしているに違いない)
その程度でクシータがダクシナ群に叩き返されるはずないが、箱入り娘のパミアは頓珍漢なところがある。
ただ、クシータの行動を逐一見張ってきた侍女は、買い食いよりも耳寄りな情報をパミアにもたらした。
なんでも、クシータはカンパーニのろくでなし連中とつるんでいる。彼らと一緒に朝方に川辺に罠を仕掛け、午後には捕まえたものを池に放流しているという。
侍女はこの世の終わりのような青ざめた顔で言う。
「それが、クシータ様が池に放しているのはバーママチチャリなんです」
「バーママチチャリ?」
「風神様に嫌われたセット川の泥蛇です。このぐらいで、このぐらいの、ヌメヌメした気持ち悪い泥蛇です。それをこんなにいっぱい捕まえて、ドバドバ、と、町の外れの池に放しているんです」
「まあっ、恐ろしいっ! なにゆえクシータはかようなお真似をっ?」
「わかりません。もう、わたくしは見るのも恐ろしくて逃げ出してしまいました」
侍女がしくしくと泣き出し、パミアはよしよしと頭を撫でて慰める。ものの、口許を笑みで歪めた。
(これはいいことを聞いたわ)
しかし、バーママチチャリとはなんであろう。クシータがなぜにろくでなしどもと徒党を組んで捕まえては池に放流しているのだろう。少なからずの好奇心を持ったパミアは、翌日、自らがクシータのあとを尾行してやろうとした。
パミアもクシータと同じように15時の鐘が鳴ると授業を終える――彼女の場合は、エンドラ語の読み書き、簡単な算学、エンドラセトラの社会学など必要最低限な知識を侍女たちに教わり、あとは裁縫、料理、生け花や茶会の礼儀作法などで、ほぼお遊びである。
居室に戻ってきたパミアは、ドレスを脱ぎ捨て、侍女たちが着ているようなチュニックにスカート、腰掛けを巻いて、スカーフで頭から顔を覆い、昨日、尾行させた侍女とともにしめしめと笑みを浮かべて居室をあとにする。
と、侍女頭のシヌターチャに見つかった。明らかに不審なパミアの姿に眉をしかめている。
「パミア様。どちらにお出でされるのです」
舌を打ちそうになるも、気を取り直し、鼻を突き上げてお澄ましして見せた。
「私、たまには町の様子でも見物しようかと考えたのでありますわ。私はアンサンクラー家の娘である前にカンパーニの住人ですもの。なのに、私は世間知らずのお嬢様。それではカンパーニの住人として恥たるところですわ」
「なるほど。左様でございますか」
と、シヌターチャは笑みを浮かべて皺を伸ばした。パミアはにやりと口許を歪める。
「ならば、このシヌターチャも共に随行いたします」
「えっ? よろしくてよ、シヌターチャ。あなたは侍女頭としてお忙しいでしょう?」
「いえ。私が第一に優先するのは何よりもパミア様でございます。なにしろ、私はこのカンパーニに生まれ育ち、セット川の波の響きを聞くのは、もうかれこれ65年目になります。カンパーニの町を案内するのであれば、このシヌターチャにお任せくださいませ」
「いえ。よろしくてよ。あなたといると息が詰まる――、あなたに面倒な仕事はさせたくありませんわ」
「面倒な仕事などではございません。むしろ、なにゆえ私を拒みますか? まさか、私どもが知らぬ殿方と逢引きしようとしているのではないでしょうね」
「な、何をおっしゃるのですっ! 不埒なっ!」
「ならば、私がパミア様のお供をしたとて差しつかえありません」
老侍女は毅然としてそそり立つ。さすがはアンサンクラー家に仕えて50年余。侍女同士のイジメも耐え抜き、現当主イファサ・アンサンクラーも育て上げ、今や侍女や奴隷、侍従などの全20数名の上に立つ生き字引であり、あのファミアでさえも頭の上がらぬところがある。
「はいはい。左様でございますか。よろしくて」
結局、パミアは若い侍女と、この長話の得意なシヌターチャとともに町に繰り出した。
「パミア様。こちらの建物はアンサンクラーの水運業のすべてを司る水運サングの建物でございます。建造されたは250年前。群令府やお屋敷よりも先に、このカンパーニでレンガ造りの建物とされたまことに歴史の古い――」
観光客でもあるまいし、目抜き通りを行くパミアにシヌターチャはいちいちと説明してくる。
「カンパーニのレンガはファワラ山脈の峰々から切り出してきた岩や粘土などを型枠に入れて、それを窯で焼いて作り上げます。なるほど、カンパーニの町というのはセット川の水の恵みを多いに頂戴しておりますが、火もやはりカンパーニには欠かせないものです」
若い侍女は、上司のシヌターチャにおもねって、はあはあなるほど、と、関心しきりの風情である。なもので、シヌターチャの弁舌もやまない。
「パミア様。お聞きなされておりますか」
「聞いておりまして。しかし、私は町の様子などよいのです。町の様子なら何度か見かけております。私は町のはずれの自然の様子をこの目にしたいのです」
「左様でございますか。カンパーニの町の郊外は池や沼にと多く点在しておりますが、ついさきごろの春には多種多様の花々が池に浮かんで見事な光景でございます。もうしばらくすると雨季にもなりますので、池の水門は軒並み開放され、セット川へと続く干上がっていた水濠も続々と水に埋め尽くされることでございましょう。雨季も過ぎて、木々の葉が色づいたころにもなりますと、カンパーニの郊外には今よりもたくさんのせせらぎがいたるところで網目状に繋がりまして、そのせせらぎにひとひらの落葉が浮かぶ様子もまた一興でございます」
ハア、と、パミアは溜め息をつく。
レンガ建物の町並みをしばらく行けば、石畳の目抜き通りもやがては土を踏み固めたものとなり、セット川の土手に建ち並ぶ水車小屋の煙突をかたわらにして、池沼の点在する郊外は、陽光がまんべんなく渡る広々と果てしない湿原になる。
今晩の夕飯のあてにでもするのか、水草を摘み取っている婦人たちがぽつらぽつらと見受けられ、また放牧されたウシやヤギが池に体を浸からせて水草を食んでいる。
ただ、荷物を運ぶような労働者の姿はない。カンパーニより東へは陸運であるが、カンパーニより西へは水運である。訪れる人々もほとんどが舟に乗ってやって来る。
池の水を抜くための用水路を確保しているほか、湿原はほとんどと言って手付かずである。
パミアは手でひさしを作って陽の光のまばゆさを遮りながら、湿原を見回していく。クシータらしきお子ちゃまを探していく。
すぐに当たった。光の玉のように輝いている金髪頭が2つ、白く透けるような柔らかい髪の頭が1つ、それらの周りに「ろくでなし」かどうかは別とし、くたびれたチュニックに布のハーフパンツの者どもが3人いる。
「あれはクシータじゃありませんか?」
と、パミアは今知ったかのような口ぶりで言った。湿原の神々の話をよどみなく話していたシヌターチャは舌を止め、腰を曲げて顔を突き出し、パミアの指差すほうにじっと瞼をこしらえる。
「左様でございます。あの創立帝様ゆずりの絢爛たる金色の髪はクシータ様でございます」
「町の人たちと共に何をされているのでしょう。行ってみましょう」
パミアはしたり顔で道でもなさそうな道を行く。右も左も緑豊かな水草に生い茂り、水の葉も池には浮かぶ。モウ、という、ウシの鳴き声が沼の何もないところから急に響いてきたので、パミアは、キャッ、としてシヌターチャにしがみつく。
「な、なんですのっ! 今の悪魔はっ!」
「パミア様、ご安心くださいませ。今のは悪魔ではなく、ウシガエルでございます。私もお屋敷にお仕えする前は、たまに焼いたものを食べさせられたものです」
「あ、あ、あんな鳴き声のものを食べるのですかっ! なんて野蛮人なんでしょうっ!」
ところが、わめいているそばからパミアの目の前を水辺から水辺へ四つ足の両生類がペタペタと渡っていった。
「キャァーッ!」
と、今度は叫びを明るい空いっぱいに轟かせる。
「悪魔っ! 悪魔の下僕よおっ!」
「パミア様、ご安心くださいませ。今のは悪魔の下僕ではなく、サンショウウオでございます。あれもシヌターチャは小さいころに捕まえ、煮込んで食べたことがあります」
「あ、あ、あんなものを食べたですってっ! シヌターチャっ! あなたは悪魔なのではありませんかっ!」
しかし、若い侍女もアンサンクラー家に仕える前は食べたと言う。パミアは鳥肌の立った腕をさすりながら当惑する。
「あなたたちはどうかしているんじゃありませんか。私はあんなもののシチューがお食事に出てきましたら、間違いなく家出してやりますわ」
それはともかく、パミアが騒ぎ立てているものだから、クシータたちが彼女を遠目に眺めてきている。眺めているだけではなく、「姉上!」とクシータは手も振ってくる。
「パミア様、クシータ様がお呼びですよ」
「そ、そうね……」
しかし、パミアは湿原の悪魔どもが怖くてシヌターチャから離れられない。ウシガエルがモウモウと鳴くし、ばしゃばしゃと音が立って振り返れば何もいないし、かと思えばメエと鳴いたのは放牧中のヤギだったしで、なかなか足を踏み出せない。
「あ、あなた、私をおんぶしていきなさい」
と、若い侍女に自らを背負わせた。
水辺にうごめく奇怪な生物と、その物音におびえ、侍女に抱きつきながら、道でもなさそうな道を行く。
沼のほとりまでやって来、ぜえぜえと息を吐く侍女の背中からパミアが降り立つと、片膝立ちでひざまずいたのはラジャだけである。クシータや、普段から見過ごしてやっているデナはともかく、カンパーニの住人たちも「どうも」と言ったきり、突っ立っているだけである。
(いくらカンパーニの民が礼儀知らずとは言え、公女の私に対して、まったくなってないわ。全員、叩き出してやるわ)
パミアは頬かむりを外すと、それで汗を拭いながらクシータに微笑みかける。
「たまたまお池めぐりをしていたらクシータの姿があったものだから。あなたはここで何をされているの?」
「捕まえたウナギを沼に放して増やすんです」
「ウナギ?」
パミアはシヌターチャに振り向いた。物知りのシヌターチャさえ首をかしげる。
「ウナギおいしい! カバヤキじゅうじゅう! アネウエも食べるっ?」
「あなたは何をおっしゃっているのか、いつでもわかりませんわ。クシータ、ウナギとはなんですの?」
「今から餌をあげるんです。餌をやればいっぱい出てきます。姉上、見ててください」
クシータが言っているそばから、無精髭の中年――マイラ・クチャイラがバーママチチャリの餌として編み出した、川魚のすり身と川藻を混ぜあわせた固形物を抱え上げてきており、それを浅瀬の沼に放り投げる。
と。沼のそこかしこからうごめくものがあり……。
パミアとシヌターチャは目玉を仰天させた。
大量のバーママチチャリがバシャバシャと沼の泥水を跳ね飛ばしながら、互いの身も折り重ならせながら固形物に群がっており、
「キャァーッツ!」
パミアの目には見るもおぞましい光景、悪魔の泥蛇が体をヌメヌメとくねらせながら踊り狂っている。
鳶目をぐるぐると回らせたパミアは、あまりのショックで卒倒して背中から倒れてしまった。