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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
3章 アンサンクラー年少期編
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パミア・アンサンクラー

「パミア様」


 と、侍女頭じじょがしらのシヌターチャが背後で呼んできても、パミア・アンサンクラーは鏡を覗きこんでいる。


「パミア様」


 母親似の切れ長の瞼をぱちりと開けながら、鳶目の瞳孔を大きくさせて、鼻頭のニキビをどうしてくれようかと、人差し指でいじくる。


 シヌターチャを無視したままでいると、この老侍女は長々と話し始めた。


「パミア様、いけません。お月様にはなぜシミがあるかご存知であられますか? お月様はお若いころ、ご自身が美しくありたいと取り憑かれるあまり、のちのちのことをお考えにならずに吹き出物を潰してしまったからなのです。セット川の波響きと謳われしお美貌のパミア様にあられましては、あと幾十年にも渡って、悠久の大河の流れのごとく、そのお美しさはエンドラセトラ全土に伝え渡るのです。今、吹き出物を我慢なされなければ、パミア様は永遠にお月様のように――」


「話が長いのです、シヌターチャ」


 パミアは小ぶりの壺を手に取る。ハチミツに亜鉛を加えた軟膏薬を指先にすくって、また鏡と向かい合う。細長い鼻頭を鏡に突き出しつつ、ニキビに軟膏薬を塗る。


「シヌターチャ。そもそも、私はセット川の波響きなどと呼ばれておりません」


「これからお呼ばれされます」


「ならば、よろしくて――」


 皮で薬壺に蓋をする。縄紐をぐるぐると巻いていく。縛って締め上げていく。


「ですが、私がセット川のなんちゃらなどと呼ばれるようなことはありません。なぜなら、どうせ、あのお子ちゃまの奥方になってしまうからです。どうせ、アンサンクラーの小英雄クシータのなんちゃら程度です」


 薬壺を化粧台に置いたパミアは、頭に巻きつけていた厚手の布をほどいていくと、濡れた金髪を拭っていきつつ、シヌターチャに振り返る。


「違いまして? シヌターチャ」


 シヌターチャはしわに縁取られた下膨れの顔をむっとさせていた。


「パミア様。なんちゃらというはしたないお言葉はおやめなさいませ。それにクシータ様はアンサンクラー家のお世継ぎであらせられます。パミア様はクシータ様の姉君であらせられます」


「何をおっしゃいますか。父上も母上も一人娘の私をお子ちゃまの奥方にしようと企んでいるに決まっているではありませんか」


「パミア様。クシータ様をお子ちゃまなどとお呼ばれされるのはおやめなさいませ。それにクシータ様は今でこそお子様かもしれませぬが、クシータ様のお母上様は、ワキア大公妃殿下とお会話されれば、その声はナディバインカの鈴の音とも称されたお美しい方であらせられました。クシータ様はラベラ様にそっくりとの評判でございます。クシータ様がご立派にご成長されましたら、パミア様は間違いなくお子ちゃまなどと嘲られるわけもなく、むしろ、パミア様の両目はクシータ様に釘付けとなられるはずです」


 ハア、と、パミアはあからさまな溜め息をつく。まるで、全精力を説教に費やしているようなシヌターチャのしように頭が痛くなってくる思いである。


「シヌターチャ。もうよろしくて。あなたのお話を聞いておりますと疲れてきてしまいます」


「このシヌターチャも疲れてきてしまいます。私はパミア様を思ってお話させて頂いているのであります」


「そう。ならば、もうよろしくて。私のためを思っていただけるなら引き取ってくださいませ。お出来物も潰しはしません」


「明日はセット川の水神様が年に一度カンパーニにご降臨される水神祭でございます。去年のように祭礼の最中に居眠りをなされませんよう、今晩はお早くお眠りくださいませ」


 パミアは髪を拭き取る手を止めた。大きな空あくびを見せる。


 シヌターチャは慇懃に深々と頭を下げ、物音立てずに部屋のドアを閉めていった。


「まったく。うっさいババアですこと」





 エンドラ人の大半が多神教である。


 カンパーニのように大自然の恩恵に預かっている部分が大きい地域となると、祀られている神が多い。セット川の水神、セット川に堤防を築いた治水神、嵐を巻き起こす風神、ファワラ山脈の山の神、木の神、また、鉄を作るための火の神もいれば、鉄の神だっているし、鍛冶の神もいる。


 それぞれの生業の者たちが、それぞれに繋がる神を主体的に祀っているが、セット川の水神となると、この大河なくしてカンパーニは成立しないとあり、年に一度、大規模な祭礼が取り行われる。


 この日、ほとんどの住人が朝から仕事をしない。土手をぞくぞくと越えてきて、水神が祀られている祠を中心にして、人が川岸にびっしりと覆われる。


 アンサンクラー家初代当主の治水神は、水神の怒りを静めたという位置づけになっており、その子孫のアンサンクラー家が黒ビールの樽を住人たちに大盤振る舞いする。水神の降臨を祝うという建前で笛や太鼓が鳴らされ、日の出から数時間もしないうちに赤ら顔で飲めや踊れやの騒ぎとなる。


 また、アンサンクラー群に本拠を置いているサング――、水運サングや漁業サングも、酒であったり、焼き魚であったりを住人たちに無償で提供する。これは被差別対象の奴隷であっても分け隔てられることはない。


 セット川の治水工事には多くの人々の力が必要であったとし、また、水神様の偉大な力の前には生きるも死ぬも皆が平等であるという精神でもって、権力者なり富豪なりが再配分するのであった。


 比較的、新興都市のこの町は、1人の支配者が築き上げたというよりも、全員がこの町を作ったという概念が上流階級から下流階級までに浸透されている。


 ゆえ、マイラ・クチャイラのようなろくでなしがお屋敷のお坊っちゃん様とともに歩いていても、驚かれることはあれ、大した騒ぎにはならないし、元貴族の子どもたちが衛兵に守られずともほっつき歩いていたとて、町の者ども全員が彼らを守っているという思いである。


 しかし、お屋敷と呼ばれる居館からほとんどと行って外に出ず、母親の影響からアバラータ本家の趣向にも染まっているパミア・アンサンクラーは、こうしたカンパーニの町のおおらかさがまったく好きじゃない。


 田舎の習わしだと思っている。


(ルハ・オーラ・パヌカではアハラ叔父様やワキアお祖母様のお姿が町に見えれば、誰もがその場に頭をついてひれ伏すという話なのに――)


 衛兵と侍女に囲まれて、水神の祠に向かって土手を下りていく。


 パミアの姿がそこにあっても、ひれ伏す住人はいない。たいがいは土碗でビール樽の中身をすくうことに夢中である。婦女子などは着飾ったパミアの登場に目を輝かせているものの、


「パミア様でもお鼻にお出来物ができるのね」


 などと、軽口を叩いている。衛兵も侍女も咎めない。アンサンクラー家が従えている者たちもやはりおおらかな気質である。それに、この日だけは無礼講みたいなものなのである。


(まことにイヤなこと。お祭りなんて)


 水神の祠は川岸から浅瀬に入ったところにぽつねんと建っており、治水神の子孫であるパミアは、父親のイファサや弟のクシータとともに、衛兵や侍女たちを従えて、裸足になって泥濘のぬかるみの中を進んでいかなければならない。


(どうしてこんな真似をしなくてはならないのかしら)


 ちなみに母親のファミアは参列していない。アンサンクラー家の子孫ではないと言って、毎年、駄々をこね、居館から出てこないのであるが、それを言ったらイファサとてアンサンクラー家の子孫ではない。水神様をおろそかにするファミアに対して住人たちの評判はよろしくない。


 祠の前にやって来ると、片膝立ちでひざまずく。イファサが水神に向けて、1年の安寧の感謝と新しい1年の平和への祈りをぶつぶつと長いことつぶやき、そのうしろでパミアはクシータと並んで、儀式が終わるのをひたすら待つ。


 クシータはぼけえっとしてイファサの背中を眺めている。


(こんなお子ちゃまの奥方にならなければいけないだなんて)


 去年まで、この祭りでイファサの背後にひざまずくのは、パミアだけであった。今年からクシータと並んでである。これでは、まるで、夫婦じゃないかと思ってもしまう。


(母上もクシータを嫌っているみたいだけど、きっと、アバラータの本家からやって来た母上としては、ダクシナの田舎者を私の奥方にさせたくないのね)


 むしろ、逆だ。


 母のファミアの意向を娘のパミアがまったく知らないでいるのは、ここ1、2年、母娘にいっさいの会話がないためだった。


 パミアは幼少のころから気の優しい父親に甘えてばかりで、ワキア大公妃殿下ゆずりの口うるさい母親の教えには聞く耳を持たないできていた。


 ワキア殿下に厳しく躾けられてきた母のファミアは、夫のイファサが娘を甘やかすものだから、気が気ではなく、「なんてオテンバなんでしょう」と、パミアを事あるたびに叱責してきたのだが、パミアはパミアで、「あのクソババア」などと陰口を叩いて、侍女たちをあわてふためかせる。


 ましてや、思春期のまっただ中というのもあり、パミアは母親に目もくれないようになった。


 クシータがアンサンクラー家に来たころは、ファミアは彼をたいそう気に入っている様子だったので、元から母に反感の強かったパミアは、クシータにも反感の念を持つようになったのだが、ところが急に、母の態度が一変したのだった。


(つまり、あのヒステリーなクソババアのわめきを本家のお祖母様や叔父様たちにも聞こえるようにさせれば、クシータがアンサンクラーから追い出されてもおかしくはないってことだわ)


「クシータ」


 と、パミアはにやにやと口許をほころばせる。イファサの儀式をよそに、クシータの耳元にささやく。


「眠かったら寝てしまってもいいのですよ?」


「はい。でも、眠くないです」


 クシータが声をひそめなかったので、イファサが儀式を中断して訝しげに振り返ってくる。


「なんでもないですわ、父上」


 と、笑ってごまかしたが、イファサが再び儀式を始めると、彼女はクシータの横顔を睨みつけた。


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