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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
3章 アンサンクラー年少期編
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ウナギ、毒味する

 バーママチチャリのぬめりときたら見ているだけでも逃げ出してしまいたくなる。


 けれども、お屋敷のお坊っちゃん様のお頼みとあらば、漁師30年の腕の見せどころとあいなって、マイラ・クチャイラは包丁右手に死に物狂いで格闘した。


 いっぽう、クシータは調理方法を指南していながら、マイラ・クチャイラのオジさんから遠く離れている。まな板の上で踊っては絶命していくバーママチチャリの様子が不憫で仕方ないからだ。唯一、クシータが卑怯な点である。


 女主人のパッテナも仕事が手につかない。普段の威勢もどこへやら、両の手の握りしめようときたら、うぶな少女のときにでも返ってしまったかのようで、若かったときの片鱗をわずかながらに覗かせている亭主の勇ましさを恐る恐るに眺める。


「泥蛇の腹をかっさばくだなんざ、この広いエンドラセトラでも俺が初めてに違いねえや」


「泥蛇じゃないよ? ウナギだよ?」


「そうそう。ウナギでした。ウ、ナ、ギ、ね」


「ところで」


 と、パッテナは気にかかっていたので訊ねる。クシータ様はわかりますが、そちらのお坊っちゃん様、お嬢ちゃん様はどちら様かと。


「私はクシータ様の従者のラジャです」


「はあ。従者様。金髪鳶目の従者様だなんてこれまたご立派な」


「私がデナ、メイドゥ」


「はあ。メイドさんのわりにはえらくお綺麗なお嬢ちゃんで。てっきり、お屋敷様のお嬢ちゃん様かと思って。さすが、誘拐団を蹴散らしたっていうクシータ様で」


 ともかく、2匹をひらきにして切り分けた。こいつをどうすればいいのかとマイラ・クチャイラがクシータに訊ねれば、奇天烈お坊っちゃん様は串刺しにして焼くのだと言う。


 串だなんて焼き鳥屋じゃあるまいし、客にサービスで渡している長い歯櫛で代用する。クシータがこれで焼いてくれと炭火のかまどを指差すので、そこに串を並べる。


 タレを付けたほうがいいのだけれども――。


 と、クシータはつぶやく。が、砂糖はかまど場にあっても、彼の頭の中に浮かんでくる醤油やみりんは、かまど場どころか、生まれてこのかた、その目にしたことがない。


 仕方なく塩を適量振りまく。


「これであとは焼けるのを待つだけだよ。たまにひっくり返すんだ」


「はあ……」


 呆気に取られるマイラ・クチャイラとパッテナをよそに、お坊っちゃん様はかまどの前にしゃがみこむ。頬を緩めながら焼きバーママチチャリを見つめる。


 デナもクシータのかたわらで「ウナギ」「ウナギ」と歌うようにはしゃいでいる。その後ろでラジャは突っ立ち、ゲテモノ料理に眉をしかめている。


(まあ、これで俺の面目も立ったってもんだ)


 と、未知の生物との格闘を終えて、えらく充実感のある顔で包丁を洗っていたマイラ・クチャイラだったが、


「あんた」


 と、怖い顔をした女房につぎはぎだらけのチュニックの袖を掴まれ、かまど場の外へと連れ出される。


「あんた、いくらなんでもお屋敷のお坊っちゃん様の頼みだからって、あんな泥蛇を食べさせるってのかい?」


「だからよ、言っているじゃねえか。ありゃ泥蛇じゃなくて、ウナギだ」


「ウナギだかなんだかはどうだっていいんだよ。あんた、あれに毒でも入っていたらどうするんだい。お屋敷のお坊っちゃん様に粗相を犯したときには、あんたはアディカセラで首を切られてあの世の悪魔に連れてかれちまうよ」


 マイラ・クチャイラはへらへらとさせるばかりだった口許を硬直させた。


「そいつはそうに違いねえ……」


「バカだねえ、あんたって人は。このろくでなし。本当にどうしようもないんだから」


 痩せ枯れた首根っこをさすりながら、マイラ・クチャイラはしばらくしゅんとして頭を垂らしていたが、致し方ない、かまど場に入ると、腰もかがめて両手を揉み揉み、卸市場の組合にもこんな真似はしないというのに、子どもたちに媚びへつらいながら歩み寄っていく。


「お坊っちゃん様。ウナギに毒でも入ってたら大変てえへんってなもんで、今日は見るだけで食べた気持ちになるってことでいかがでござんすか」


「毒なんか入ってないよ」


「てことは、お坊っちゃん様はウナギを食べたことがあるんでござんすか」


「ないよ。でも、おいしいんだよ」


(こいつはいけねえ。お坊っちゃん様は、鬼みてえな美人の女に剣の手ほどきをうけてるって話だ。叩かれすぎて、頭の中がどっかにいっちまってら)


「お坊っちゃん様。こちとらカネも学もまっさらのしがねえ漁師なもんですから、頭のよろしいお坊っちゃん様のお考えってのはちいとよくわかりませんが、しかし、40年といくつかは生きてきたってもんです。ファワラの山に入ったときには、腹も空かして手当たり次第にキノコを食っちまったら、次の日には体中が真っ赤っ赤のできものだらけになっちまったときだってあります。俺に漁を教えてくれたおとっつあんも言っておりました。どんなバカでも長生きしている奴ってえのは、それなりに物知りなもんだって。なもんで、ここはひとつ、バカな俺の頼みを聞いて、今日は見るだけで食べたってことにしておくんなせえ」


 話が長すぎて、クシータにはよくわからない。ただ、なんとなく、嫌われ者の泥蛇を食べるのはよせと言おうとしているのならわかる。


「おいしいんだよ。毒なんてないよ」


「いやいや――」


「お坊っちゃん様」


 ろくでなしの亭主を押しのけて、パッテナがクシータたちの目線にかがんで諭す。


「お気持ちはわかりますが、お坊っちゃん様に変なものを食べさせてどうにかなってしまったら、私どもはアディカセラで死刑になってしまうんです」


 クシータは唇をとがらせる。さすがにパッテナの言い分はわかる。しかし、毒などないと思っている。自分の口に放り入れたいのもさることながら、みんなだって一口食べれば飛び跳ねて喜ぶものだと信じてやまない。


「でも、毒なんてないもの……」


「それじゃ、こうしましょうか」


 と、パッテナは瞼を押し広げ、年季の入った瞳を子ども相手にきらめかせて見せた。


「このオジさんに毒味をしてもらいましょう」


「えっ! ちょっとカアちゃんよ!」


「それでまた明日おいでください。このオジさんが生きていたら、みんなでウナギを食べましょう」


「うーん」


「カアちゃんっ! 何を言ってんだいっ! こいつを食って俺がおっ死んじまったらどうすんだい!」


「あんたなんか死んだところでどうにもなんないよ! 酒食らいのごくつぶしがいなくなって、こっちだってせいせいするよ!」


 パッテナの怒声がかまど場に響き渡ると、しばらくごった煮がぐつぐつ鳴っているだけの沈黙だった。


「そりゃねえや……」


 などと、マイラ・クチャイラはくたびれたカカシのようにしょんぼりと頭を垂らす。


 クシータたちは、奥さんに怒られても何も言い返せない情けないオジさんを、奇妙な動物でも見るかのようにしてぼけえっと眺める。


 しかし、情けないオジさんは急に顔を持ち上げて、威勢のいい口調になった。


「おうおう、なんだい。死んだところでどうにもならねえんだったら、やってやろうじゃねえか。お屋敷のお坊っちゃん様の孝行になるってんなら、ろくでもねえ人生の最後の華にもなるってなもんだ。俺がぽっくり倒れちまったからってな、涙のひとつも流すんじゃねえぜ、このこんこんちきめ」


「何を言ってんだい。あんたのおかげで流したい涙も枯れちまったよ。運が良くて神様に連れていってもらえたら、あの世で私の父ちゃん母さんに土下座して詫びてくんな」


「けっ。言ってら、この可愛くねえカカアが」


 マイラ・クチャイラは子どもたちのあいだに割って入ってくると、その場にあぐらをかいて腰掛けた。腕を組んで、バーママチチャリの串刺しを睨みつける。


「大丈夫だよ、オジさん。毒なんてないから」


「お坊っちゃん様。俺はさっきは長生きの物知りなんて言いましたがね、実のところは仕事もしねえくせにカカアにカネをせびって大酒飲みときたもんです。そんな俺が最後に創立帝様のご子孫様のために働けるなんざ、あの世のおとっつあんとおっかさんにも顔向けできるってなもんです」


 と、マイラ・クチャイラはすっかり死ぬ覚悟でいる。


 たとえ毒を含んでいても命の使い道が違うだろう、とまではクシータも思わないものの、彼は急に生真面目な顔つきになってしまったオジさんの横顔を不思議になって眺める。


 しかしながら、マイラ・クチャイラは、炭火にあぶられるバーママチチャリを見つめているうち、その目を丸め始めていくのだった。


(こいつはなかなかどうして――)


 白身から滲み出してきた脂が、神様のよだれのような玉しずくとなって、しっとりと垂れていく。


 照り輝きに潤沢なそれが炭の熱に弾き飛べば、味覚ときめく音をじゅうじゅうと奏で上げた。もくもくと立ち昇ってきた真っ白な煙の香ばしさは腹の虫をぐうと鳴らさせてしまう。


「ウナギジュウジュウ! タレカバヤキ! キリキザンデヒツマブシ!」


(そういやこのお坊っちゃん様は――)


 マイラ・クチャイラはデナのはしゃぎ声をかたわらにしつつ、クシータの横顔をじっと見つめる。


(釣り竿なんてものを作ったんだっけ。俺のところのサングの連中はモリ突きをナメてやがんのかなんて言って、町の連中が持っていたのを片っ端から叩き折っちまったけれども、あいつを使えばどんな野郎でも漁を出来るってこった)


 ちょっとばかり長く生きているだけが取り柄の自分などには想像のつかない人なのかもしれない、と思いつつ、クシータに指図されてマイラ・クチャイラはバーママチチャリの串刺しをひっくり返す。


 何度かひっくり返しているうち、焦げ目がついてきて、「もういいよ」とクシータが言った。いよいよ、決死の毒味ときて、女房のパッテナが用意してきた皿に固唾を飲みながら乗せていく。


 ぞろぞろとかまど場をあとにして、飯場は夜営業の開店前、一席に揃って腰掛けると、給仕の姪っ子も来ていない静かな店内で、マイラ・クチャイラはフォークを右手に吐息をひとつつく。


 子どもたちはオジさんを取り囲み、パッテナも両手を握って亭主を見つめ、マイラ・クチャイラはいよいよバーママチチャリにフォークを入れる。ひとつまみ切り分けては、ご丁寧にゆっくりと折り畳んで刺し込んでいき、震える手つきで口へと運んでいった。


(ええい、どうにでもなりやがれ!)


 ぱくっ、と、放り込んだ。瞼をぎゅっとつむって、ぐっと奥歯で食らいつく。


 と。


 マイラ・クチャイラの瞼は、つぼみが開いたかのようにしてぱっと広がった。


 瞳孔を大きくし、その目で、その口で、舌触りにふわりとした柔らかさを追いかける。


 ゆっくりと噛み熟していく。


 さすれば、旨味がじんわりとながらに口の中いっぱいに広がっていく。しかし、広がりつつも、旨味は舌に吸い込んでいくようにして溶けていく。


 この味わいは、いたずらな女神様が口の中ではしゃいでいるよう。


「こいつはうめえ! ほっぺたが溶けてガイコツになっちまいそうだ!」


 わっ、と、クシータは両手を上げて破顔した。ラジャは眉をしかめたまま一歩踏み込んでバーママチチャリを覗きこむ。デナは自らの頬を挟んでほっぺたが溶けてしまう仕草。


「な、なんともないのかい、あんた」


「いやあ、こんなもんを今まで食っていなかっただなんて、俺たちはどうかしているぜ」


 マイラ・クチャイラはもう食欲がそそるままにフォークで切った。ぽいっと放り込んだ。咀嚼して飲み込めば、ハア……、などと、女でも味わったかのような吐息をつき、瞼の中身もぼんやりとさせてしまって、美食の夢見心地に浸かっていく。


「ちょっと、あんた大丈夫なのかい」


「大丈夫も何もあるかい。カアちゃんも食ってみたらどうだ。これを食って死ぬってんなら、この世には未練もへったくれもねえってもんだ」


「僕も食べたい!」


「ちょいとクシータ様っ」


 と、パッテナが抱きついてクシータを止める。


「毒ってのはいつ来るかわからないんですよ。急に来ないもんは次の日には来るかもしれないんですよ」


「大丈夫だよお!」


「駄目です」


「駄目です」


 と、ラジャまで厳しい目をぶつけてきて、クシータは顔の真ん中に小じわを集めてふてくされる。


 ところが、


「いたたきます!」


 デナが切り分けた一切れを手で掴み、口の中に放り込んでしまった。「あっ!」と皆が固まってしまったのをよそに、デナはもぐもぐと顎を動かして、たちまち睫毛を広げて瞼を見開く。


 うねうねと体をくねらせながら、バーママチチャリを模しているのか、透けるような髪を揺らして叫んだ。


「ワオ! リッカー! エストランチリッカー!」


 異境の言語で表現するとともに、灰色瞳をお日様のように輝かせる。それで、また、右手を皿の上に伸ばす。


「お嬢ちゃんっおよしっ! あんたもだよっ!」


 パッテナが食欲旺盛であった2人を遮って皿の上にかぶさって、泥蛇の魔力に取り憑かれてしまった彼らをなんとか引き戻した。



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