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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
序章 レナティリア・シャンディーニ
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シャンディーニ、辺境へ

 嫁にするならシャンディーニ。

 部下にするならシャンディーニ。

 しかし上官だけにはしたくない。







 いっとき、そんな小唄が帝都の青年将校たちの間で流行った。


 シャンディーニとは、アダ名だ。エンドラセトラ地域の古語から来ており、その意は「冷たくも華麗なる青」である。


 アダ名の持ち主はレナティリア・アージサカ。齢二十二。


 持てはやされた帝都の頃は、もはやまぼろし。今は落ちぶれ、記憶はたそがれ、樹海の道なき道をひたすら歩く。


 剣を腰ベルトに吊っているが、誉れ高き青のマントは、聖旗軍を辞した日、燃やした。


 頭巾覆面に顔を覆い尽くし、シャンディーニの面影はない。


(エンドラセトラへの忠誠を誓う青だなんて、バカバカしい)


 先の先を見通すような碧眼と、それを支える切れ長の瞼だけが、白い覆面から露出しており、ぎらつきの目で、見果てぬ樹海の終着点を望みながら、怒りいまだにはおさまらない。


 表向きは、不倫、ということになっているが、真実は違う。




 レナティリアは聖旗軍のうちで、皇帝親軍第七近衛師団の連隊長の職に就いていた。

 二十二歳で連隊長の職務に就くのは、史上最速の早さであり、将来を有望視されたエリート将校であった。


 しかし、第六近衛師団の参謀長が奴隷商人から賄賂を受け取っていることを知ってしまったのがそもそもの始まりであった。


 レナティリアは、師団長の少将に参謀長の不正を直訴した。


 ――承知した。追求しよう。しかし、キミのような若い将校は、こういった件には首を突っ込まないほうがいい。キミのこれからの将来に傷が付かないとも限らないからな。


 少将はそう言って、レナティリアに矛をおさめさせたが、しかし、翌日から、


 ――シャンディーニは不倫しているらしい。


 と、根も葉もない噂が立つようになった。


 イスカ・ザルカダエル・アヤガラによって創設された、「聖なる青の旗を掲げる軍」は建前として高潔を謳っている。不倫などという噂が流れてしまえば、レナティリアの居場所はなくなってしまう。


 ――お前はなんてバカなことをしたんだ。どうして俺に一言も相談しなかったんだ。


 事情を知って、レナティリアを叱責し、嘆いたのは、同じ聖旗軍将校の兄である。


 ――奴隷商人からカネを受け取っているだなんて、参謀長だけのはずないだろうよ。パートラ少将だって絡んでいるはずだし、その上もだ。いや、聖旗軍だけの話じゃないかもしれない。となると、お前は踏み入れちゃいけないところに片足を突っ込んでしまったんだ。


 レナティリアは愕然とした。


 十四歳で聖旗軍士官学校に入った彼女からすれば、聖なる青い旗と青いマントは幼いころからの憧れだったのだ。

 そして、士官学校を二年で卒業し、将校となってからは、その純真の青に命を賭しても構わないと思ってやってきたのである。


 しかし、現実の青は、腐っていたのだった。 


 ――とりあえず、おじい様のところに姿をくらませ。退官したところで、お前は命を狙われる。





 ここはアバラータ県。レナティリアはエンドラセトラの辺境を行く。


 彼女を家庭教師として求めている者が、アバラータ県のダクシナ郡という地にあった。


 アバラータ県に足を踏み入れるまで半月を費やしている。


(この私が聞いたこともなかった田舎に……)


 命を狙われては、職などは辺境の地ぐらいしかない。

 田舎が嫌ならば、強盗団か山賊が関の山。


 事実、パハロマ樹海を進むレナティリアの行く手を山賊が阻んだのだが、三人の山賊、そのうちの一人の剣の構えが(士官学校仕込みの)イスカ流であった。


 男は聖旗軍の将校だったに違いない。


「命が惜しけりゃ、カネ目のモンは置いていくんだな」


 型はそれなりのイスカ流でも、気高さは失われている。頬は痩せこけ、無精髭をまばらに生やし、コートは獣の毛皮、薄汚れたズボン。


(結局、聖旗軍の気高さなんて幻だったんだろうか)


 頭陀袋を下ろし、革手袋の右手で、鞘から剣を抜く。


 元将校が従えている者は、木こりまがいに大斧を握りしめ、どちらも小太り、賊というより、ただのならず者であった。


「テ、テメーっ。お、俺たちコテット団とやろうってのか」


 きらめく剣を前にして、小太りの下僕が焦りを見せてきたが、


「カネ目の物なんてないんだから、やるしかないでしょうに」


「なんだあ。女かあ」


 と、ならず者たちは、レナティリアの声を聞いた途端、にやついた。よほど飢えているようである。


 フッ、と、レナティリアは笑う。


 そして、瞳孔を、カッ、と広げた。 


 





「外道が」







 地を蹴り上げた。


 一挙、風が走ったかのごとく間合いを詰めると、剣先を小太りの男の鼻筋目掛けて振り抜き、


 高々と跳躍。


 あまりの素早さに見失った賊ども、


 レナティリアは落下しざまに二人目の小太り男の頭部へ剣の柄を叩き落とす。


「こんの野郎オッ!」


 野蛮な怒号とともに、イスカ流の元将校は背後から剣を振り抜いてくるが、


 その剣先は粗雑、


 元将校の斬撃をしゃがんでかわし、振り返っていくとともに、左手の拳で、


「アウッ!」


 金的一撃。


「フン」


 覆面の鼻先を突き上げながら、剣を鞘におさめていく。


 元将校は股間をおさえながら「あうう」「あうう」と悶え、血まみれの顔面を両手で覆って「お母ちゃん」と半べそをかいている小太り、あとの一人は白目を剥いて倒れている。


「幸運よ。無用な殺しはしない主義ゆえ」


 元将校が涙目を上げてくる。


「あ、あんまりじゃねえですか。ザーベライなら先に言ってくだせえよ」


「あなただって元将校のはしくれでしょうに」


「て、てかよ、親分。あんた、強えからコテット団の親分になってくだせえよ。あ、あんたが親分になってくれたら、コテット団もアバラータ県では敵無しに違いねえ」


「変わり身の早さも生きるすべかしら。そこだけは見習いたいものね」


 頭陀袋を背負う。コテット団とやらを置き捨てて、レナティリアは再び歩みを進めた。







 樹海を抜けると、なだらかに広い盆地であった。


 雲は頭上の近いところを流れている。


 僻地。


 吹き通す風のよどみのなさが、その言葉を物語っている。


(夢も希望もない)


 背後には青いパハロマ山地。道なき道をレナティリアは進む。


 彼女を求めているのは、創立帝イスカ・ザルカダエル・アヤガラの血を引く前王朝の傍流家である。


 アヤガラ王朝が健在だったころならまだしも、八年前、宰相バラ・ヴァンガが帝位を簒奪して以来、アヤガラ一族の末裔たちは貴族の地位を剥奪され、ただの行政官と成り果てている。


 ましてや、このような僻地の郡令。俸給もまともに支払ってもらえるかどうか。


(まあ、俸給ぐらいはね……)


 城塞が視界に入った。


 堀と板塀に囲われ、まるで掘っ立て小屋に毛が生えた程度である。塀の向こうには大時代な石造りの塔がそびえているものの、蔦にびっしりと覆われ、戦乱時代の遺跡、いや、化石であった。


 大手門は開け放たれ、番人の姿はない。


 くぐると、城塞の中は、マッチ箱のようにびっしりと木造の家々が軒を連ねていた。


 天主塔へと続く目抜き通りには石畳が敷き詰められているが、隙間から雑草がちらほらと生えていた。人もちらほらと歩いているだけである。


 レナティリアは覆面頭巾をほどいた。肩にはらりと流れた彼女の銀髪が、光の加減によっては桃色にも映るのは、剣士一族アージサカ家に生まれる女特有の特徴であった。


「おたずねしますが」


 と、白桃色の唇を開いて、最初にすれ違った者に声をかけた。


 ほっかむりをした初老の婦人である。


「ロイ・アージサカ宅をご存知ですか」


 婦人は、背高のレナティリアをじいっと見上げ、何も答えてくれない。


「アージサカ宅を――」


「お嬢ちゃん、どっから来た」


「え――?」


 婦人が注いでくる怪しみの目に、レナティリアはたじろいでしまう。


 忍び込んだならまだしも、門はようこそと言わんばかりに開け放たれていて、レナティリアは堂々と入ってきているのである。


 それなのに婦人はひどく怪しんでいるわけだ。


 もっとも、冷たくも華麗なシャンディーニ。一瞬のたじろぎもすぐに冷たさのうちに浸してしまう。


「私はロイ・アージサカの孫ですが」


「本当かね。サバーセ様の手下じゃないだろうね。さっきは顔も隠していたし、剣も持っているし。サバーセ様の手下にそっくりじゃねえか」


「いえ。私はそのような方を存じていませんし、それに帝都からやって来たのです。だからこのような旅装束なのです」


「旅をすっときは、みんな、サバーセ様みたいな格好をすんのかい。んじゃあ、サバーセ様は旅をしてるってことかい」


「そ、それは存じ上げませんが、まあ、一般的に、旅はこのような格好かと」


「本当かね」


 サバーセ様とやらがよほど憎たらしいのか、婦人は頑として譲らない。すると、押し問答に気付いた衛兵が、一人、歩み寄ってきて、


「どうしたい、セゴ屋の母ちゃん」


「この女っ子、サバーセ様の手下だ」


「ち、違いますって。私は帝都からやって来たロイ・アージサカの孫で」


「嘘つくでねえ! おめえさんみてえなひょろひょろの女っ子が一人で帝都から来れるもんかあ!」


「なんだあ、こいつ、サバーセ様の手下かあ。いんや、おめえ、サバーセ様のメカケだろ。そうだ、メカケだ! 出てけ出てけ!」


「メカケなどではありませんっ。それでは、ロイ・アージサカをここに連れてきてくださいっ。私が孫だと証明されますゆえっ」


 住人たちはなおのこと疑っていたが、レナティリアが毅然として視線を据え置いていると、しぶしぶ、「ほんじゃあ、アージサカ先生を連れてくる」と言って、男が背中を返した。


「おめえさん、嘘だったらぎったんぎったんにしてやっかんな」


 さすがのシャンディーニも、思わずため息がもれた。





 ほどなくして男が祖父のロイを連れてきた。十二年ぶりの再会である。頭はすっかり禿げ上がり、自慢の銀髪も輝きを失って真っ白になってしまっている。


 しかし、住人たちにレナティリアの正体を求められたロイは、


「はて?」


 と、腰を曲げたまま、真っ白な鬚を手で撫でつつ、目玉をきょとんと置いている。


「レナティリアって、こんなに背が高かったっけかな?」


「おめえっ! やっぱ嘘ついたな!」


 途端、婦人が、わっ、と、レナティリアに掴みかかってき、焦った彼女は、


「だ、だったら、おじい様の家族しか知らないことを言ってあげますっ! この人はっ、このロイ・アージサカは、私の母親、自分の息子のお嫁がお風呂に入っているところを覗き見して、追い出された人なのですっ!」


「なあにを嘘ばっかついてんだあっ。アージサカ先生がそんなエッチなじいさんのわけあんめえ。さっさと出てくんだあっ!」


「待ちなされ!」


 ロイが急に旺盛な声を張り上げた。目を向ければ背筋をしゃきっと伸ばしており、さきほどまでのもうろく瞳もどこへやら、「青の波濤の剣豪」と謳われていた在りし日の精悍さをその目に宿している。


「その娘、拙者を陥れようと企む一味の者だ。無論、剣士。皆の者、離れよ。拙者が成敗してくれる」


 きょとんとしてロイに振り返る住人たち。


「離れよっ!」


 ロイの怒号が住人たちを散り散りにさせた。そうして、レナティリアを睨み据えてきた。


 と、思えば、機敏な動きでスタスタとレナティリアに駆け寄ってくると、レナティリアの手を握り取り、さささっと逃げ出すネズミの素早さで、その場から孫娘を連れ出した。


「ようやくわかったみたいですね、おじい様」


「バカもん。それは言っちゃいかんぞな。わしはダクシナでは伝説の剣豪なんじゃぞ。エッチなじいさんなんて知られてしもうたら、明日から住人たちに飯を恵んでもらえなくなっちまうぞな」


 それにしても、と、言いながら、ロイは、レナティリアを見上げてくる。


「お主はもうちっと小さかったはずぞな」


「最後におじい様と会ったとき、私は何歳だったと思っているんでしょう。十歳ですよ。今は二十二です。もちろん、背丈も伸びますでしょうに」


 ロイはもう一度、レナティリアを見上げてくる。


「それもそうぞな」


 祖父はなんのこともなさそうにそう呟いた。


(こんなおじい様と今日から二人暮らしだなんて)


 レナティリアは暗澹たる気持ちに落ちた。


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