クシータ、尋問の場
「一緒に付いておられながら一体何をやっておるんだあっ!」
事を知ったチャンバリンはレナティリアを責めた。
「どうしてデナを止めなかったのだ! 何も知らないあの娘のことだからやりそうなものじゃないかっ! 本当に何をやっておるんだあ……。まったくっ!」
レナティリアはロココ調のテーブルの前に足と腕を組んで座りながら、目を閉じて沈黙していた。
チャンバリンがうろうろと歩きまわる。
「もうこうなったらデナには死んでもらうしかない。奴隷が勝手にやったことだ。言葉のわからない娘が勝手にやったことだ。ダクシナ家にはなんら関係ないっ!」
「えっ!」
被っていたタオルを剥ぎ取りながら、クシータはチャンバリンに駆け寄っていき、彼の太ももにしがみついた。
「デナ、殺されちゃうのっ! やめてよっ! 助けてあげてよっ!」
「坊っちゃんっ! そもそも帽子を取っていれば済む話だったのではないんですかっ! だいたいあんな帽子を被っているから、こんなことになったのですぞっ!」
クシータは唇を震わせながら、瞼に涙を溜める。
がたっとレナティリアが腰を上げ、チャンバリンに詰め寄ってくると、冷たい目で見下ろした。
「いい加減にしてください。坊っちゃまには責められる言われはありません。たとえ帽子を取らなかったにせよ、道義に反したのは本家の坊っちゃまです」
「そ、そ、そんなことを私に言ったってしょうがないじゃないかっ」
レナティリアは怯えるチャンバリンの目を覗きこむ。クシータは両膝をその場につけて泣き上げる。
「フン」
レナティリアは桃色の髪先を振りながら宿泊施設をあとにしていった。
「ま、まったく……。これだから軍人は……。坊っちゃん、いいですか、もう起こったことは何を申しても仕方ありません。ぶってしまったデナが悪いのです。いいですか、もう忘れなさい。わかりましたか」
やだやだと喚いて泣き止まないクシータであったが、チャンバリンは椅子に腰掛けて頭を抱え、クシータを放ってしまった。
そのうち、しばらくすると、宿泊施設のドアをノックされた。チャンバリンがドアを開けるとヌラ・ジャバンであった。
「じゃ、ジャバン殿っ。こ、このたびはご迷惑をおかけしてしまいっ。あ、あれは奴隷が勝手に――」
「その件ですが」
ヌラ・ジャバンは、涙で瞼を腫らしながらも自分を睨みつけてくるクシータに、一度、視線をやった。
「あの娘にはアハラ様のご裁断が下されることになりますが、その前に、ワキア殿下がクシータ様自らのお言葉で事情をお知りになりたいとのことです。クシータ様、私とご一緒に謁見の間へ」
クシータは涙を拭いながらすっくと立ち上がった。
「ぼ、坊っちゃん、くれぐれも――」
「ヨリダーナ殿はここでお待ちください」
「い、いやっ――」
「ここでお待ちください。ワキア殿下はクシータ様のお言葉だけをお聞きになりたいのです」
「か、かしこまった……」
宿泊施設をあとにしたクシータは、ヌラ・ジャバンに導かれ、宮殿の回廊を行った。
すると、謁見の間の扉が目の前に見えてきたころ、ヌラ・ジャバンは急に立ち止まり、クシータの前に片膝立ちになると、両肩に手を乗せてきて、生真面目に黒い瞳でクシータを見つめてきた。
「クシータ様。正直に申されてよいのです。正直に申されるのが、ダクシナ家のためにもなり、我らアバラータ家のためにもなるのです。クシータ様。包み隠さず、すべてをありのままにお話しください」
「デナはまだ死んでいない?」
「ええ。あの娘の命はクシータ様のお言葉にかかっております」
「ありがとうございます。ジャバンさん」
ヌラ・ジャバンはこくりとうなずいたあと、クシータの頭を撫でて、立ち上がった。
謁見の間の両扉が開かれると、色彩豊かな空間には正面の座にアハラが座り、左手の隅には侍従に囲まれながらじいっとしてクシータを見つめてくるデサラ、そして、アハラの右手、アハラよりも一段低いところの椅子に座って、こちらに半身だけを見せてきている殿下ワキアであった。
クシータはヌラ・ジャバンに伴われて、壇上のアハラが見下ろせる場所、ワキアの目の前に片膝立ちで座らされる。
皆、黙っていた。
アハラだけが口を開いた。
「クシータ。お前のメイドがデサラの頬を打った。これはアバラータ家とダクシナ家、それぞれの主従の関係を損なう一事だ。ましてや奴隷のしたことだ。理由があるにせよないにせよ。あのメイドは即刻打ち首である。だが、その前にお前の話を聞こう。なぜ、お前のメイドはデサラの頬を打った。もちろん、お前がそうしろと言ったわけではないだろう?」
クシータは子供ながらにわかっていた。この空間に流れている厳しさに飲み込まれてしまうと、言いたいことも言えなくなってしまうと。
ゆえに、クシータは絨毯の上に突いた右手をぐっと握り締め、視線は伏せたままにうなずいた。
「はい。でも、僕のメイドも、デサラ様のほっぺたをぶちたくてぶったんじゃないんです」
「それは?」
「デサラ様が僕の大事にしていたペーラさんからもらった帽子をお池に捨ててしまって、それで僕のメイドは怒ってしまったんです」
「違いますっ! 父上っ!」
途端、デサラが躍り出てきた。
「僕はそんなことしてないっ! 僕はクシータと一緒にご飯を食べたかっただけなんですっ! そしたら、あの人が僕をぶってきたんですっ!」
「違いますっ! デサラ様は僕の帽子を捨てちゃったんですっ!」
「嘘つくなっ! お前は嘘つきだっ! 家来のくせに逆らうのかっ!」
「やめろっ!」
アハラの怒声が鳴り響いて、子供の喧嘩じみていたクシータもデサラも視線を伏せた。
「クシータの言うペーラとは、ミナラー村のペーラ・ヤギラダーラか」
「はい」
すると、クシータはペーラのことを思い出してしまって、嗚咽を始めた。尋問されていながら、濡れてしまったハンチング帽をペーラにどう説明すればよいのかと思い泣き出しそうだった。
「クシータ、どうしたの?」
と、それまで黙っていたワキアが声をかけてきて、クシータは瞼を拭いつつ、
「ペーラさんが、ペーラさんに、ごめんなさいしないといけません」
ワキアは眼光鋭くさせながら、一段高いアハラを見上げた。そうして、デサラを睨み、侍従たちに問いかけた。
「あなたたちは一緒にいたんでしょう。クシータの言うこととデサラの言うこと、どちらが正しいのです」
「そ、それは」
「で、デサラ様のおっしゃる通りで」
バサッとワキアは扇子を広げ、その音に侍従たちの肩が跳ねたが、侍従たちは視線を伏せたままであった。
「どちらにしろ、当主の嫡男が奴隷に頬を打たれたのだ。処罰を免じるわけにはいかん」
「待ってくださいっ、アハラ様っ」
クシータは涙を流しながらもアハラに訴えた。
「僕のせいなんですっ。僕が帽子を取らなかったからなんですっ。僕がデナに教えてなかったからなんですっ。デナは殺さないでくださいっ。殺すなら僕を殺してくださいっ」
「お前を殺すわけがないだろうっ! 軽々しく言うなっ! お前もアヤガラ一族の末裔なら軽々しく己の身を売るなっ!」
目玉を剥きながら吼えてきたアハラに圧倒されて、クシータは目を落とした。肩を震わせて嗚咽した。悔しいし、情けなかった。それに、アハラの、物を背負った男の風格がクシータの心に刺さった。彼の前では自分自身のちっぽけさを感じられずにはいられなかった。
「クシータ。そう思うのであれば、これを忘れずに今後を生きろ」