表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
2章 アバラータ探訪編
35/48

白粉、扇子

登場人物


アハラ・アバラータ・アヤガラ 33歳

アバラータ家九代目当主。アバラータ県令及び郡令。昔で言うところのアバラータ大公・アバラータ公。少年期、聖旗軍士官学校に留学していた。


ワキア・メイヌ・アバラータ 52歳

アハラの母。アバラータ県の西隣のナディバインカ県メイヌ村の出身。今は太っているが、若かりし頃は絶世の美女であった。病弱だった夫の代行としてアバラータ県の執政の場に立ち、県内の腐敗勢力を駆逐した。彼女だけは「殿下」の敬称で畏怖されている。


 ワキアにようやく解放されて、クシータとチャンバリンが内城の宿泊所に戻ってくると、さっそくデナがクシータに駆け寄ってきて、ハンチング帽をクシータに被せてきた。


「ダーラン。ペーラサン」


 と、微笑む。


 意志の疎通がいまいちだったようで、デナはハンチング帽をペーラサンという代物だと思っているらしい。


 三十人ばかりは詰め込められる宿泊施設である。三百年の歴史のうちで、二回、皇帝を宿泊させたこともあり、ダクシナ家の連中にはもったいないぐらい贅沢な造りであった。


 衛兵は入れない。サイニカとユーヴァは内城の別の場所にいる。


 レナティリアはクシータの家庭教師、デナは一応のところクシータの身の回りの世話をするメイドとなっているので、入れている。


「デナ。あなたの番よ。早くやりなさい」


 ロココ調の白いテーブルの前に座っているレナティリアがそう呼ぶと、デナはクシータも一緒に連れた。


「チェス」


 デナはテーブルに並べられた駒を指さした。クシータはなんなのかわからないが、レナティリアとデナは知っているらしい。


「坊っちゃんは知りませんでしょう。もっとも、私はどうしてこの子がチェスのルールを知っているかもわかりませんが。ほら、早く差しなさい」


「タック、タック」


 デナは面倒そうにうなずいたあと、白塗りの駒を進めた。


「参った……」


 と、溜め息をついたのはチャンバリンであった。えんじ色の長椅子に肥えた体をどっかりと落とした。


「ねえ。どうしてこんな手が打てるの。いったい何者よ。私、結構強いのよ。ほんと、どっから来たのかしら、この野蛮人は」


 らしくもなくぶつぶつと呟いているレナティリアの向こうでは、チャンバリンが大きな溜め息をつきながら背もたれに体を預け、疲れきった表情で天井を眺めていた。


 レナティリアが黒塗りの駒を動かす。デナがすかさず白の駒を動かす。


「レナティリアセンセ。チェックメイト」


「ええっ! もうっ! なによっ! これで三連敗じゃない。嘘でしょ」


 レナティリアがかつてない顔のしかめっぷりで騒ぎ立てながら、椅子の背もたれに脱力していき、デナはけらけらと笑う。昨日、同じテントで寝たせいだろうか、二人はずいぶんと仲良くなっている。クシータも夕食の緊張を忘れて笑顔でいた。


 そんな中、チャンバリンだけは違う世界で呆けていた。椅子にくたびれたまま、こちらに目を向けてきた。


「レナティリア殿。デナもメイドになったことだし、従者の件は延期にしましょうかな」


「構いませんが、なにゆえです」


「ま、いろいろとありましてな。支出が痛くなったというわけで」


 興味もなさそうに姿勢を戻したレナティリアは、デナに人差し指を突き立てて、もう一勝負申し込んだ。デナは口許に勝者の笑みを浮かべながら、やれやれと肩をすくめた。


「しかし、もう一泊すると侍従長のジャバン殿に伝えてしまっておりますからな。明日はまあパヌカの町でも適当にぶらついて――」


 チャンバリンの話は誰も聞いちゃいなく、レナティリアもデナもクシータさえも盤に向かい合っていた。






 翌日、ぶらつく暇は与えられなかった。


 朝食もやはりクシータとチャンバリンだけが大広間に招かれ、ワキアがいた。クシータに早く会いたくて仕方がなかったなどと笑顔を振りまき、お付きの侍従たちが驚きを隠せないほど、冷徹豪胆なはずの彼女はすっかりクシータの虜になってしまっていたわけだが、純白のテーブルクロスを囲むのは彼女とクシータ、チャンバリンの三人のみだった。


「ごめんなさいね、クシータ。アハラは毎朝城外にウマを駆って出ていくの」


 切り分けられたパンをさらに小さくちぎって口の中に入れながら、ワキアはクシータにいろいろと訊ねてくる。やれ、剣はいつから習い始めたのだとか、やれ、好きな食べ物はなんだとか、やれ、


「クシータは大人になったら何になりたいのかしら?」


「お魚さんをいっぱい育てたいです」


 チャンバリンが眉をしかめながら視線を送ってきたが、クシータは気付かない。


「お魚を育てる? まあ、そんなことができるの?」


「今、勉強しているんです」


「あら、そう。だったら、今度、アンサンクラーをお訪ねしたら? アンサンクラーは川が多くて魚もたくさん泳いでいるのよ。ダクシナにはアヌパビーだけなんでしょう?」


「アンサンクラー……」


 クシータはぼけえと天井を見上げる。チャンバリンが眉をしかめたまま視線を送る。バフータと二人で企んでいるチャンバリンとしては、クシータがワキアに気に入られている事実は喜ばしいが、アンサンクラーという単語はなるたけ出てもらいたくない。むしろ、ワキアにも、クシータをアンサンクラー家の養子とさせる考えが生まれているんじゃなかろうか。


 ワキアは実の娘をアンサンクラー家に嫁がせているのだ。


「アンサンクラーは水車がいっぱいあるって僕の先生が言っていました」


「そ、そういえば、殿下――。デサラ様と、アンドヘラ様はどちらに」


 チャンバリンが割って入ってくると、ワキアは眉をしかめながらチャンバリンを見やった。そうして、ちぎったパンをぽいっと口の中に放り込んだ。実に不機嫌そうに二重顎を揺らして咀嚼する。


「そんなことよりクシータ、せっかくだから、私にクシータの剣の振る舞いを見せてもらえないかしら? 家庭教師の方もご一緒なんでしょう。良かったら庭で見せてもらえません?」


「そ、それは光栄でございますっ。是非ともっ」


「お主には訊ねておらん」


 男性のもののような低い声で唸られて、チャンバリンは肩をすぼめた。


 ワキアはにこりと微笑んでクシータに見せてきたが、百獣の女王のような威圧を見せつけられて、クシータは子供ながらに断れるはずがなかった。






 宮殿内部の渡り回廊に囲まれた内庭に木と木の乾いた音を響かせながら、クシータはレナティリアと手合わせをさせられていた。


 日傘の下の椅子に侍従を四人従えて腰掛けてるワキアと、そこから少し離れたところ、日傘の陰に覆われていないところにアハラの息子のデサラが、二人の侍従、二人の家庭教師に付き添えられて椅子に腰掛けている。当主アハラは腕を組んで突っ立っている。


 ワキアの傍らでは片膝立ちのヌラ・ジャバンが説明している。


「クシータ様の家庭教師の女剣士は、去年まで皇帝親軍近衛師団の連隊長だった者で、剣聖十六派アージサカ流の皆伝剣士でもあります」


「連隊長? 連隊長と言えば参謀の次の職種だと聞いたことがあるわ。アハラ。あの若さで連隊長などになれるものなの」


「いや。まずなれない」


「でも、ジャバン。あの方は連隊長だったのでしょう?」


「ヨリダーナ殿の受け売りですが」


 ヌラ・ジャバンは日傘の外でかしこまっているチャンバリンに視線をちらりと送り、聖旗軍がよくわからないチャンバリンは「い、いやっ、私もそのっ」と、あわてふためいた。


 当主アハラが言った。


「まあ、事実だろう。剣の構えが違う。立ち居振る舞いも、顔つきも、ただの女じゃない。アージサカ流ってのは、剣聖十六派の中ではオイオイオ流の次に古い名門一派で、開祖が暗殺剣の達人だったらしいから、独特の間合いを取るっていう話だった。あの女を見ているとやはり独特だ」


「あらそう。難しいことはよくわからないけれども、しかし、ダクシナ家がよくそのような人材を連れてこれましたわね」


「は、はいっ。恐縮ながら、あ、あの者の祖父は、アージサカ流の師範だったのですが、流浪の剣士でもありまして、たまたまダクシナ郡に立ち寄っていたところを、はい。その縁で、孫娘のあの者を」


「人の縁とは不可思議なものね。ところで――」


 ワキアは孫のデサラの後ろに立っている家庭教師二人のうち、武芸担当に鋭い目をくれた。


「あなたは何流でしたか」


「あ、はい。私はサッハ流でありまして――」


「そのサッハ流とやらは剣聖十六派なのかしら」


「いえ――。本流は剣聖十六派でありますが」


 バサッ、と、ワキアはレリーフの施された扇子を広げた。扇子のフリルをなびかせながら、冷めた口調で言う。


「それが理由かしら? クシータとデサラの力の差の」


 観覧者たちはいちようにして視線を落とす。


 大公妃殿下として畏敬の念を集めているワキアであるが、息子のアハラが当主となった頃から歪み始めた。


 陣頭指揮を取って既存勢力と闘争を繰り返してきた彼女だから、そうした緊張の反動で歪んだのだろうと見る者もいる。


 また、当主アハラが妻を独断で娶ったことがそうさせてしまったのではないかと見る者もいる。


 ワキアはアハラの嫁にナディバインカ大公の娘を推薦していた。自らに近いナディバインカの者たちでアバラータ家の占有を考えていたのだが、息子のアハラは血縁ではなく、外交を優先した。


 妻のアンドヘラは、ゲハム郡というところの公の娘である、ゲハム郡は帝都ザルカダエルに近いこともあって、エンドラセトラ全土に支配域を持つ運送サングの本拠地であった。


 アンサンクラーで精製した鉄を県外に運ぶにはこのサングに上納金を支払う必要があった。アハラは縁戚となったゲハム家に、アバラータ精製鉄の運搬を無課税とするアディカセラを執行させたのである。


 それはアバラータ家に莫大な収益をもたらした。アンサンクラー精製鉄のみが無課税であり、その額は他の産地と比べてほぼ半値であった。当然、鉄を求める者はアンサンクラー精製鉄を購入する。


 鉄鉱石の採掘、鉄の精製の仕事が増えたことは、人間が増えることにもつながり、アバラータ県はパハロマ山の向こうの田舎を除いて、経済がより活性化した。


 しかし、ワキアは、自身の意向に反した息子の振る舞いが気に食わないのである。


 アハラは、扇子の風を浴びるそんな母に、軽蔑と憂いと寂しさとが入り混じった、複雑な、なんとも言えない眼差しを送りつつ、口を開いた。


「剣術一派がどうのこうのなんて言っているのは剣士だけだ。いっぱしの腕を磨いた者ならば大差ない」


「それなら、このデサラはクシータみたいにならず者と生死のやり取りができるのかしら」


「クシータは生まれつきのザーべライだ。特別だ」


「そうね。サバーセも盗賊とは言えザーベライ。弟のクシータもザーベライ。それはきっとラベラの子供たちだからでしょうね。どこかの訳のわかない女の子供じゃないからでしょう」


 痛烈な皮肉に、アハラの眼球はほとばしったが、ワキアはどこ吹く風で扇子を振っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ