幼女、神を導く者
リリロッド・インテルジェンティアが家出をするとき、手当たり次第に母親から盗み出した召喚術書は三冊である。
一冊は、踊りの神タネス
一冊は、花の神スベトーク
そして、統一の神イスカ
タネスは、自らが踊って人々を愉快な気持ちにさせる神である。
スベトークはどんな不毛な大地にでも花をたくさん咲かせてくれる神である。
この二体の神は試しに一度召喚したきり、役に立たないということでリリロッドは呼び出していない。
一方で、イスカは、神系統の導士一家インテルジェンティア家の秘宝と言っても過言ではない代物で、幼いリリロッドが持ち歩けるような術書ではない。
この術書には、神を召喚するための陣形が記されている。術書を開くことによって幼いリリロッドでも神を召喚できるのである。
召喚術書を持っていれば誰でも存在を召喚できるということなのだが、導士が導士と呼ばれるゆえんは、この宇宙で唯一、タルミナルホールを作成できる者だからだ。
召喚陣形もタルミナルホールを作成できるが、そのトンネルは召喚された存在だけしか通れない。
導士は自らが作成して、タルミナルホールを自らの道とすることができる。
そのため、リリロッドは、33番世界に住んでいる者の依頼で521番世界に飛んでドラゴンから牙を取得し、対価として33番世界の依頼主から大好きな宝石を得ようとしていた。
リリロッドは、希少価値の高い宝石を得るため、イスカ召喚で難易度の高い依頼をことごとく達成してきたが、イスカの力が弱まったとなるとあれも欲しいこれも欲しい宝石が得られなくなってしまう。
「こんなのおかしいでちゅっ!」
なので、激怒していた。
リリロッドはローブの四次元空間の袖穴からステータス測定器を取り出す。「スマンオリ」という石造りの円盤で、盤には計測する針、側面には個々のステータスを切り替えるためのボタンがある。
円盤をイスカの背中に向けて、総合ステータスを測定する。針はぐるぐると回って、レベル4500であった。
半年前に測ったときはレベル7000である。
「なんでちゅかこれは。すごく弱くなっているぢゃありませんか」
「なっ?」
「やはり……」
と、頭を抱えたのはズール。
「どうするんでちゅ、これ」
「ど、どうすると言われても、エンドラセトラの者たちが私を忘れていくのは止められようもない事実であって……」
と、イスカは為す術もなくただただ戸惑っているが、リリロッドは唇を尖らせて睨みつける。
(イスカが弱くなってしまったら、あたくしは何もできなくなってしまいますわ)
リリロッドは杖を振るってタルミナルホールを作成した。
閃光走るトンネルの中にひょいっと飛び込むと、打ちひしがられているイスカやズールを尻目に、彼らの出身世界である5番世界のエンドラセトラ地域に向かった。
5番世界は全宇宙の中でも古くからある世界だが、文明の発展はわずかながらに遅れている。
人々の住居は木材か土、もしくは石である。金属を採掘し、精製する技術はあるが、それを活用するのは凶器か防具、食器や装飾品程度である。
移動手段は徒歩かウマ、一部の者は希少な浮遊石を利用してポッドなる乗り物を操っている。
エンドラセトラの風を小さな頬に浴びながら、リリロッドはフードの下からじっと見つめ下ろす。
彼女が立つのは、イスカ・ザルカダエル・アヤガラが建設した宮殿の屋根の頂上。
彼女が眺めるのはザルカダエルの町並み。
イスカ・ザルカダエル・アヤガラの誕生の地であり、統一後に帝都となった。
レンガ造りの建物が碁盤の目状にびっしりと建ち並ぶ中、行き交う人々は82番世界で言う、過去のコーカサス地方ふうの格好をしている。
自動機械が存在しないためか、人の気配の賑わいこそあれ、時の流れはゆったりとしていた。
(イスカをどうにかして強くしませんと)
この世界の人々から再びイスカ・ザルカダエルへの崇敬を獲得できれば、統一神イスカは復活できる。
ならば、リリロッドが統一神イスカを召喚することによって、現在の支配者を倒すのが手っ取り早い。
(でも、そんなことをしたら、あたくしはお母様に見つかってしまうか、殺されてしまうかもしれません)
というのも、5番世界のどこかには、とある妖魔導士の系統が古くから土着しており、この世界は彼らの縄張りなのである。
自分たちの縄張りを荒らしまわっている者がいると知れば、彼らはリリロッドを抹殺にかかるか、良くて、母親に告げ口されて、家族に連行されてしまう。
かといって、泣き寝入りしてしまうわけにはいかない。統一神イスカはリリロッドの切り札かつ唯一使い物になる神である。
それに、新たな神の誕生を待って陣形を作成するのは容易ではない。
神系統の導士はリリロッドのインテルジェンティア一家以外にも大勢あるわけで、この広い宇宙の中で新たな神の誕生待ち、さらにそれを所有するのは他の導士らとの争奪戦、たとえ争奪戦に勝ったとしても、その神が使い物になるかどうかわからない。
(どうしましょう……)
リリロッドはザルカダエルの町並みを眺めながら、悩んだ。
5番世界のどこかにいる妖魔導士を見つけ出して彼らと交渉し、エンドラセトラのイスカ・ザルカダエル・アヤガラの王朝の復興を許可してもらうか。
もはや諦めて、母親に尻を叩かれるのを覚悟して家出を終えるか。
それとも、時間はかかるが――。
「よちっ! 決めまちたっ!」
リリロッドは杖を振るってタルミナルホールを作り、再び、イスカのいる神世界へと戻った。
「イスカのレベルを分けなちゃい」
ズールに差し出されたティーカップから口をはなしたあと、リリロッドはそう言った。
鎧の肩を縮こませていたイスカは鉄仮面の兜を持ち上げて驚く。
「だ、誰に? ど、どういうことだ?」
「あなた様は、おバカだから、話してもわかるかどうかわかりまちぇんが――」
リリロッドのたくらみはこうだった。
文明がもっとも発展している82番世界の人間を5番世界のエンドラセトラに転生させ、イスカ・ザルカダエル・アヤガラの子孫として誕生させる。
ただの子孫として誕生させても何もならないので、統一神イスカの力を転生者に分け与える。
そうして、転生し、誕生した者にアヤガラ王朝を復興させる。
ズールが掌に手を打った。
「なるほど。そうすればエンドラ人の創立帝として崇敬されているイスカ様の威光が再びエンドラセトラに放たれるわけですな」
「そうでちゅ、そうでちゅ。ズールは頭がいいでちゅね」
「それに82番世界からの転生者であれば、その知恵と知識でエンドラセトラをより発展させるかもしれない」
「そうでちゅ、そうでちゅ」
「うーむ、し、しかし……」
イスカは全身鎧から戸惑いの気配を見せつつ、リリロッドに言う。
「そんなことをしてもよいのか……。栄えあるものが滅びるのは自然の摂理、ゆえに私の神としての力が衰えていき、やがて消滅してしまうのは宿命なのでは」
バンッ、と、リリロッドは小さな手でテーブルを叩いた。
「いいんでちゅっ! みんな、そうしているからいいんでちゅっ!」
イスカはモヒカン兜を垂らして呟く。
「か、かしこまった……」
82番世界のトーキョーメトロポリスにやって来たリリロッドは、とあるビルディングの屋上の縁に立っていた。
漂うスモッグと地上からの人いきれにリリロッドは口をハンカチで覆う。
(この世界は臭いったらこの上ありません)
とはいえ、多重世界の内で人間がもっとも繁殖し、その文明が発達しているのが82番世界である。優秀な人間を見つけるには事足らない。
リリロッドはローブの四次元袖穴から、盗んできた双眼鏡を取り出すと、夕暮れの人波に溢れたスクランブル交差点をつぶらな瞳で覗きこむ。
(どなたがいいですかね――)
実はリリロッドの判断基準は見た目だけだった。測定器のスマンオリを使ったとしても、どうせ、82番世界の人間のステータス値はレベル1~レベル5程度、良くてレベル10であろう。
ステータスは、あとから付け加えるのでどうでも良い。
リリロッドが求めるのは、82番世界の文明によって育まれた知恵と知識である。
(なんだかいっぱい人がいて面倒ですわ。もう、あの方でいいですわ)
と、人混みの中のスーツ姿の男に狙いを定めた。年齢は四十代ほど。ネクタイをしっかりと締め上げていて、右手には大きな鞄、左手にしている携帯電話で話しながら、繁華街のなだらかな坂道を登っていく。
リリロッドはローブの袖に双眼鏡をしまい込むと、代わりに巾着袋を取り出し、浮遊石を中から抜いて出した。
夕闇迫る空をふわふわと飛んでいき、スーツ姿の男を追う。
彼の頭上まで来たときに、ちょうど、スーツ姿の男は横断歩道で信号待ちをした。
折しも道路の路肩には2トントラックがハザードを点滅させて停車している。
口許を歪めて笑ったリリロッドは、杖を振ってタルミナルホールを作り出し、そこに急いで飛び込むと、次の瞬間には2トントラックの運転席に飛び出た。
幸い、エンジンを掛けっぱなしにしている。
ガチャ、と、扉にロックし、当然、お子様用ではないので、リリロッドは運転席から尻を落としながら、アクセルへ精一杯に足を伸ばす。
(うーんと、こうやって、こうやって、こうやるんでしたのよね)
「あっ!」
と、運転手が戻ってきてしまい、運転席を覗き込みながらガラス扉をドンドンと叩いてくる。
「こらっ! 何やってんだっ!」
「うるちゃいでちゅねぇ。あなた様は配達は終わったのかちら?」
ポーポーポーピーと横断歩道の信号が鳴ったので、リリロッドはブレーキペダルを踏みながらシフトレバーを下ろした。そうして、両足で思い切りアクセルを踏んだ。
すると、車の前を横切るスーツ姿の男を跳ね飛ばすはずが、トラックはリリロッドの意に反して、ぶおん、と、急速にバックしてしまった。
ゴンッ グチャ
後輪が何かに生々しく乗り上げた。
(や、やばいですわ)
リリロッドはあわてて杖を振ってタルミナルホールに逃げ込み、近くのビルディングの屋上へと脱出する。
階下を覗いてみると、無人のトラックがずるずると後退していて、繁華街は阿鼻叫喚の大騒ぎとなっている。
(やってしまいました……。ドライブとバックを間違えてしまいました……。でも、Rがバックだなんておかしいじゃありませんか。普通はBですわ。だからこの世界は嫌いなんです)
リリロッドが半ば苛立っていると、さきほどの繁華街から青白い火がふわふわと浮き上がってくる。
バックに踏み潰された者の霊魂だろう。即死だったようである。
「もう、あの方でよろしいですね。性別はわかりませんが。年齢もわかりませんが。もう、さっさとこの世界からおさらばしたいですわ」
リリロッドは浮遊石を口にくわえてビルディングから飛び降りると、浮かんでくる霊魂の側までふわふわと飛んでいき、袖から取り出した透明のカプセルで霊魂を捕まえた。
8番世界の神世界に戻ってきたリリロッドは、ウッドハウスの居間のテーブルの中央に青白い火の入ったカプセルを置いた。
イスカとズール、それにリリロッドがカプセルを囲む。
「こ、これが、霊魂……」
兜を脱いでいるイスカが顔を近づけようとすると、リリロッドは騒いだ。
「触んないでくだちゃい。ちょっとでも傷がついたら頭がおかしい方になっってしまいまちゅ」
「さ、左様か」
「し、して、リリロッド殿、この霊魂はどういった人間のもので」
「知らないでちゅ」
「えっ?」
「いつのまにか殺しちゃったから、知らないでちゅわ」
「こ、殺したとは、かような手荒な真似をっ?」
イスカの言葉にリリロッドはヒステリーを起こし、
「うるさいんでちゅっ!」
と、叫びながら、テーブルをバンッと叩いた。
「あたくしはでちゅねっ! あなた様たちのために苦労してきたんでちゅよっ!」
リリロッドが騒ぎ、イスカとズールが視線を落としている中、テーブルを叩いた衝撃でカプセルがコロコロと転がっており、それは彼らが気付く前にテーブルから落ちてしまった。
すると、カプセルの蓋が若干開いてしまい、その隙間から若干、火が漏れる。
「ああッ!」
リリロッドはあわててカプセルに飛びつく。あわててカプセルの蓋を閉める。カプセルの中に青い火はゆらめいているが、リリロッドが中空に目を上げてみると、漏れ出た火の一部がふわふわと飛んでいってしまっている。
「捕まえてくだちゃいっ!」
イスカとズールは立ち上がって飛びついた。が、彼らの手が追いつく前に、火は、ふっ、と、消えてしまった。
「あ――」
「あ――」
二体の神は口を開けてリリロッドを見下ろす。
しゃがみこんでいたリリロッドは、緑色の瞳を明後日の方向へシラリと逸らした。
「き、消えてしまいましたが――」
「あ、あれはどこに行ったのか……。むしろ、あれはなんなのか……」
「さてと」
リリロッドは何事もなかったかのようにして再び椅子に着いた。
「り、リリロッド殿、今のは」
ズールの問いを無視して、リリロッドはカプセルをテーブルの上に置く。ローブの袖からストローを取り出してくる。
「き、傷つけたら、おかしくなってしまうのではないのか?」
イスカが火の消えた場所を指差すが、リリロッドは無視してイスカにストローを渡す。そうして、またローブの袖に手を入れ、スマンオリを取り出した。
円盤をカプセルの前に置く。
「はい、今のところはレベル1でちゅね」
リリロッドは平静を装って無視しているが、霊魂の一部が漏れてしまったことについて、内心、まずいと感じている。
一部が失われた、つまり、霊魂から何かが欠落してしまったのであって、こうなると霊魂が再び誕生したとき、すでに精神のどこかしらに異常をきたしているというわけだった。
だからと言って、この霊魂を捨ててしまい、また新しい霊魂を探しに出かけるというのは、リリロッドのプライドが許さなかった。
この幼女、失態を犯したことを認めたくないのである。
なので、転生作業をさっさと進めた。
イスカにストローをくわえさせ、カプセルに刺し込ませる。ストローの先はぐにゃりとカプセルを貫き、レベルを吹きこむ。
「考えればいいんでちゅよ。レベルを吹き込んでいるって考えればいいんでちゅよ」
リリロッドはあからさまに優しく諭す。イスカは息をふーっと吹き込んでいく。
すると、霊魂を示しているスマンオリの針が動き始める。
「レベル10、レベル11、レベル12、レベル500ぐらいまででちゅね。それ以上吹いちゃうとイスカが弱くなってしまいまちゅから」
やがて、スマンオリの針はレベル500に到達し、リリロッドは小さい掌をイスカの顔の前に出した。
「それまで。チュトロー抜いてくだちゃい」
イスカはストローを抜いた。
「よち、これでいいでちゅね」
「僭越ながら」
と、ズールが口を挟んでくる。
「どうせなら、レベルだけではなくエンドラセトラの知識も入れておいたほうがよろしいのでは。例えば、エンドラ古語など」
意味のわからないリリロッドは首を傾げたが、イスカが、同感だ、と、うなずいた。
エンドラ古語とは六百年ほど前までエンドラセトラ地域で使用されていた言葉や文字だそうで、今のエンドラ人には必要ないものだが、覚えておけば何かと便利らしい。
「ぢゃあ、吹き込めばいいんじゃないんでちゅか? でも、吹き込んだ知識は自分の中から失くなっちゃいまちゅからね?」
「さ、左様であるか。ま、まあ、今となっては人間でもないので古語など失っても構わないが」
そう言って、イスカは再びストローを刺し込み、ふーっ、と、吹いた。
「どうせなら今の人たちが使っている言葉も入れちゃえばいいんぢゃないんでちゅか?」
「えっ? そうしたら私は話せなくなってしまうじゃないか」
「今、話している言葉は人間のときの言葉じゃないんでちゅ。おバカさんでちゅね」
「さ、左様か。なら、まあ」
イスカは三たび、息を霊魂に送った。ストローを抜いて、イスカはリリロッドを見やり、ズールを見やる。
何か言いたげだが、無言のままである。
「い、イスカ様?」
「ごめん遊ばせ。やっぱり忘れちゃったみたいでちゅ」
イスカは何がなんだかわからない表情でいて、ズールはがっくりと肩を落とす。
「でも、大丈夫。また、一からお勉強して覚えればいいんでちゅ」
リリロッドはカプセルを手に取るとすっくと立ち上がり、杖を振るってタルミナルホールを作った。
「んじゃ、行ってきまちゅ。イスカの子孫でお腹の中の赤ちゃんにこれを入れてきまちゅ」
がっくりと肩を落としたままのズールと、目を丸めて口をパクパクとさせているイスカに手を振りながら、リリロッドはタルミナルホールに入り、エンドラセトラへと向かった。
(落としてしまったとき、何が失くなってしまったんでしょう……。もしも、82番世界に居たときの記憶が失くなってしまったら、意味が無くなってしまいますわ。ただの変な人になってしまうだけならまだいいですが……)