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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
1章 ダクシナ幼少期編 
19/48

としごろ

 ナウビム城天主塔は住人が五人だけにしては不釣り合いに荘厳であるが、侍従長室もまた広々としており、配置された机やソファなども歳月の味を染み込んだ高級品である。ナウビム城はダクシナ家の初代当主が住処とするずっと以前から存在していたようなので、戦乱時代の豪族が残した遺留品をそのままずっと使用しているのだろう。


「お忙しいところ、面目ない、レナティリア殿」


 机の向こうから右手を掲げてきたチャンバリン。


 バフータの世話焼きをしているときは、ただの汗かき中年だが、この部屋の執務机に座っているときだけは、侍従長らしい振る舞いである。


「授業中なのです」


「まあまあ。そう言わずに。どうぞどうぞ、そちらのソファに」


 レナティリアは、若干、眉をしかめながらも、促された通りにソファに腰掛ける。


 机の上に両肘を立てかけて、二重顎を手の甲に置きながら、チャンバリンは切り出してくる。


「実は、クシータ坊っちゃんなんですが、そろそろメイドと従者でも付けようかと思って」


 ラソイハラが入ってきて、レナティリアの前のテーブルに豆乳の土碗を差し出してくる。レナティリアは、つい癖で、土碗に手を伸ばすが、豆乳であるのに気づいて、ソファに腰を直した。


 向かいの壁とムッと睨み合う。


 メイドと従者、ということは、奴隷を買ってくるつもりなのだろう。ダクシナ家は裕福でないにもかかわらず、わずか九歳のクシータに奴隷を与えようとしている。


 伝統的に、アヤガラ一族が子弟への浪費を惜しまないことはレナティリアも存じている。あらゆる犠牲を払ってでも、子供の面倒だけは死ぬ気でやる。


 ダクシナ家も例に漏れないそうである。召使や侍従の数を削ってでも、過去からの風習通り、子供たちには教師を一人、従者を一人、メイドを一人、与えるらしい。


 その慣習、レナティリアは気に食わない。


 家庭教師はともかくとして、幼い時分から身の回りの世話をする者たちを付けるとは、将来、いつまで経っても一人立ちできないではないかと考える。


 もっとも、アヤガラ一族の元貴族たちとは、永遠に一人立ちすることがないのかもしれないが。この家のバフータの周りには常日頃から、チャンバリン、ノッカラ、ラソイハラが付き回っているのだから。


「そこで、レナティリア殿に、どういった人材がよろしいか、助言をいただこうかと思ってな」


「恐縮ではありますが、私はまだ早いとの所存です」


「そんなことはない。物心はついている年頃なのだし、レナティリア殿にこうして学問武芸の教育も施されている。今、坊っちゃんに足りないのは、誰かを従えるというすべではないのか」


「そんなものは十年後でも二十年後からでも学ぼうと思えば学べます」


「レナティリア殿が言っているのは聖旗軍の話であろう。坊っちゃんはダクシナ家の子息なのだ。ダクシナ家を継承することはないだろうが、いずれは、どこかアヤガラ一族の家に養子に出されるはずなのだ。そのとき、当主としての資質に欠いていたら、坊っちゃんを貰ってくれる家などないではないか」


(これだから……)


 時代遅れ。まさに当てはまっている。


 彼らはアヤガラ一族の過去からの慣習を守ろうとしているが、そもそも、制度の上で貴族階級は消滅したのである。


 さらにバラ・ヴァンガは考えているはずである。地方裁量によって作成、執行されているアディカセラすなわち既得権益の打破を。


 いずれ、バラ帝はアディカセラを廃止するとレナティリアは推測している。


 貴族階級を取り払っただけでラグタラなる集団が発生するのだから、アディカセラの裁量権まで唐突に取り上げてしまえば、アヤガラ一族の反発、エンドラセトラの混乱は火を見るより明らかで、バラ帝はそれを踏まえて改革を段階的に進めている。頃を見計らって事を成すはずである。


 そうともなれば、アヤガラ一族は今以上に没落する。その血筋は残るはずだろうが、アヤガラ一族という血族集団は消えてなくなってしまうかもしれない。


(血統主義の時代は終わる。個々の能力が正当に評価される時代になる)


 それなのに、


「とにかく、坊っちゃんのためにもメイドと従者を雇いますからな。レナティリア殿もどういう人材が的確か、考えておいてくだされ」








 レナティリアを待つクシータであったが、一番の興味の対象はアヌパビーである。法術を使えたことなどすっかりどうでもよくて、パタラ川の川辺からじっと目を凝らして魚を探していた。


 すると、隣に人が立った。クシータが目を向けてみると、一緒になって川を覗いているのは、少々縮れ毛のブロンド髪、鳶色の瞳。


「あれっ? ドサーラ兄さん?」


 ドサーラは口許を緩ませながらちらりとクシータに目を向けてくる。


「やあ。久しぶりじゃん、クシータ」


 クシータはきょとんとした。


 ドサーラなのだか、ドサーラでないような。


 一年ほど前にヴァーナ村に行ってしまったときは、もう少々細身だった。根暗な印象の目許は変わらないのだが、ニキビやソバカスはこんなに多くなかったし、なんだかその顔がむくれているようにも見えた。


「アヌパビーを捕まえる棒を発明したんだってね。チャンバリンから聞いたよ」


「う、うん。でも――」


「兄上がぶん取って行こうとしたんだろ。ならず者を引き連れて」


「白いマスクとかしてた」


「ふざけた人だ、あの兄上ってのは」


 ドサーラは舌打ちしながら川辺に腰掛けると、草をぶちっとむしり取り、ぽいっと捨てた。





「死ねばいいのに……」





 クシータは突っ立ったまま、ドサーラの横顔を眺める。やはり、ドサーラだった。クシータよりも八歳年上、長兄サバーセからは二歳下、今年で十七歳になる彼は、すでにこの世界のすべての汚物を目の当たりにしてしまったかのような瞳の濁り具合であり、青年期に差し向かう若々しさが皆無である。


 クシータにしてみると、傍若無人のサバーセも怖いが、ドサーラの陰険な雰囲気も怖い。


「ど、どうしてドサーラ兄さんはナウビム城にいるの?」


「いちゃ悪いかい?」


 ドサーラがジトッとクシータに視線を置いてきて、クシータはあわてて首を振る。


 川面に顔を戻しながらも、チッ、と、また舌打ちした。


「兄上のせいで僕の人生は滅茶苦茶だ」


 サバーセとドサーラの険悪な関係はクシータも存じている。


 いや、ドサーラが一方的にサバーセを嫌っており、サバーセからするとドサーラの存在は眼中にない。


 クシータが物心ついたときから、サバーセとドサーラが会話をしている場面は見たことなかった。


 腕に実力のあるサバーセに対して、ドサーラは卑屈になっていたふしがああった。


 サバーセもサバーセで、ナウビム城内の子どもたちを引き連れるガキ大将だったが、根暗なドサーラを相手にせず、仲間にしてやらなかった。


 そんな兄二人の関係が決定的にこじれたのは、三年前のことだった。


 サバーセが、ドサーラの世話をしていたメイドを孕ませてしまったのだった。


 父のバフータや侍従長のチャンバリンは、汚れてしまったメイドをそのままドサーラに仕えさせるわけにもいかないということで、彼女に腹の子を堕胎させ、ダクシナ郡から追い出した。


 自分の物を奪われたドサーラは涙を流して怒り狂い、抜き身の剣を片手にサバーセのもとへ殴り込んでいったが、


「なんだ、この野郎、剣なんか抜きやがって。俺とやろうってのか」


 火の玉サバーセにすごまれたドサーラは、あえなく剣を捨ててしまい、挙げ句の果てには謝罪までしてしまった。


 父のバフータも、サバーセを恐れてしまっているので、ドサーラをかばうことはせず、クシータはそんな次兄を気の毒に思っていた。


「ヴァーナ村はちっぽけなところだけど、ナウビム城から出られてせいせいしたってのにさ。この城を出てもいざこざに巻き込まれる」


 ドサーラは川面を眺めながらぶつぶつと呟くが、クシータには次兄に掛けられる言葉が思いつかない。


「どうしてあんな兄上を助けなくちゃいけなかったのか」


「き、昨日の聖旗軍?」


 クシータはなんとなく察して訊ねたが、ドサーラは鼻で笑ったきり、何も答えてくれなかった。




 銀髪桃色の髪をなびかせながらレナティリアが石橋を渡ってきた。


「あっ、先生」


 と、姿を見つけてクシータは途端に縮こまる。


「えっ」


 と、ドサーラはこちらにやって来るレナティリアをぽかんとして眺める。


「あ、あれがアージサカ先生の孫娘って人? あの聖旗軍元将校っていう」


「う、うん。とっても怖いんだ」


 それどころか、鬼先生は白桃色の唇をねじ曲げており、チャンバリンに何を言われたのか、ご機嫌斜めである。


「いや、怖いっていうより、なんか、意外と――」


 レナティリアがやって来ると、ドサーラはあわてたふうに立ち上がり、根暗な彼らしくもなく声を裏返らせながら、レナティリアに丁寧に頭を下げた。


「は、初めましてっ。クシータの兄のドサーラ・ヴァーナですっ。お、弟が、いつもお世話になっておりますっ」


 レナティリアはきょとんとしてドサーラを眺めた。


「あ、ああ、あなた様が坊っちゃまの――」


「はいっ。訳あって久方ぶりにナウビム城に戻ってきておりましてっ。そのっ、あのっ、う、噂に聞くアージサカ先生のお孫さんにお会いできて、こ、光栄ですっ」


 クシータはぼけえっとしてドサーラを見上げる。


「そ、そう。光栄だなんて、恐縮です」


「ぼ、僕はもうすぐヴァーナ村に戻らなくてはならないんですが、こ、今度、お会いできたときには、ゆ、ゆっくりと。し、失礼しますっ」


 ドサーラはそう言い残すと走り出していってしまった。軽快な足運びで石橋を渡っていくドサーラの姿を、クシータとレナティリアは二人でぽかんと眺めていた。




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