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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
1章 ダクシナ幼少期編 
17/48

虚構、ゆえに高潔

 ダクシナ家は絶体絶命であった。


 大広間のテーブル。ダクシナ家の三代に渡る当主の肖像画が見下ろし、創立帝イスカ・ザルカダエル像が沈黙の鉄仮面で見つめる中、バフータとチャンバリンが向かい合うのは、聖旗軍の荒波に揉まれてきた将校たち五名、そして書記官たち。


 皆が皆、兜をテーブルの上に置いており、茶菓子はおろか、水も受け取らない。清廉高潔を謳うボーダバリー師団は、皇帝以外からは一切のサービスを拒否するのが伝統であった。


 ファーザ少将は将校たちを両脇に従えて、中央に座す。厚ぼったい唇を真一文字に結び、書記官の報告書を巌のようにじっと聞き入る。


「アバラータ郡の民衆から得た話では――」


 バフータとチャンバリンはハンカチで拭いても拭いても、汗を垂らしっぱなしであった。


「数年前から、アバラータ県内各所の村令宅を襲撃し、金品や食料を略奪する徒党が現れましてございます。アバラータ県には以前から賊徒が存在していたものの、彼らは小規模なならず者の集まりであり、衛兵が守る村令宅を襲撃できるような集団ではなかったのでございます」


 ごくりと唾を飲み込むバフータ。その喉元を、参謀長が切れ細の鋭い目つきで見つめ続けている。ファーザ少将は眉間に若干の皺を集めながらも微動だにしない。


「なにゆえ、村令宅を襲撃できる力があるのか、それは十数人という数もさることながら、その集団の中にザーベライが存在している可能性は否定できないのでございます」


 水差しの水を土碗に注いでは一気に飲み干し、また水差しから土碗に注ぐというのを、チャンバリンは何度も繰り返した。


「そして、二年ほど前からダクシナ家のご嫡男、サバーセ・ダクシナ殿が行方不明となった、という、民の噂があり、これは村令宅が襲撃され始めた時期と重なっており、さらに、サバーセ・ダクシナ殿はザーベライだという噂もあったのであります」


 物言わぬ代々当主の肖像画。腹白の小鳥が窓辺に降り立って、せわしく歩きながら窓枠をついばみ始める。


 ファーザ少将は毅然としてバフータに視線を突き刺していた。


「郡令殿。ご嫡男は、今、いずこに」


「そ、それが――」


 バフータは額の汗をハンカチで拭いながら、視線を落とす。


「行方知れず、ということですかな? それで構わないのですな?」


 静かな圧力であった。少将の言葉には、白状しなければサバーセもろともダクシナ家を潰す、という含みが匂っていた。


「い、いえ、それが、お恥ずかしい話しでございまして。その、ちゃ、チャンバリン、サバーセをここに寄越しなさい」


「か、かしこまりました」


 チャンバリンが席を立ち、青マントの一同は懐疑的な目でバフータを見つめる。


「戻って来られた、というわけでありますか?」


「戻ったというよりか、その、倅はもともと行方知れずになっておらず、その、民衆の目には行方不明に映ったのかもしれませぬが……」


 すると、広間の外から、


「キイャヤアアーッッ!」


 奇声が届いてきた。将校一同が眉をひそめて広間の出入り口に目をやると、チャンバリンとノッカラに両脇から引っ掴み上げられての、ブロンド髪の痩せこけた少年が現れた。


「ウワアッ、ゴワアッ、ウワアッ」


 獣のように咆えていれば、口端から涎を垂らしており、誰がどう見ても正気ではない。


「恥ずかしながら、この物狂いが倅のサバーセでございまして。こやつは、最初はこんな物狂いではなかったのですが、ホラばっかり吹いていた者でして、やれ自分はザーベライだの、やれ自分は盗賊だのと吹いて回っていたのです。ザーベライだという嘘はともかく、盗賊だのと吹聴して回られてはたまらないので、我々は外に出ないよう閉じ込めるようにしたのですが、閉じこめたら閉じ込めたで気が狂い始めてご覧の有り様なのです」


 将校一同は顔を見合わせた。信じられるか? 信じられない。と、言った具合に。


 しかし、少年の狂いようはすさまじい。奇声はけたたましく鳴り響き、挙げ句にはチャンバリンの手に噛み付いて、チャンバリンとノッカラを振りほどいた。そして、野生のもののような目玉で、テーブルに居並ぶ将校たちをギラッと睨み据えると、テーブルの上にダッと飛び乗り、四つ足で、涎を垂らしながら、


「ウワアッ、ウオオッ、オガアッ」


 と、吼える。


 さすがの将校たちも少年の異様さに腰を上げ、身構えた。参謀の一人などは吊るしていた剣の柄を握った。


 バフータは頭を抱え、喚き散らす。


「何をやっとるんじゃあっ、サバーセえっ! この恥さらしめえっ! チャンバリンっ、ノッカラっ、早くこの恥さらしを連れて行かんかあっ」


 少年はチャンバリンとノッカラに捕縛され、また奇声を上げながらも広間から外へと連れ出されていった。少年の奇声が聞こえなくなると、将校たちは眉間をしかめながら椅子の上に腰を落としていき、隣同士目を合わせたり、腕を組みながら息をついたり、ファーザ少将は真意を計るようにして、机に突っ伏しているバフータを睨みつけている。


「師団長閣下、もうよいのでは」


 と、参謀長がファーザ少将に顔を寄せた。


「報告によればサバーセ・ダクシナは金髪に瞳は鳶色。さきほどの者がアヤガラ一族の末裔であるのは確かです。次男のドサーラはヴァーナとかいう村の養子になっているという話であり、ここにはおりませぬ。あの狂いようでは監禁しているのも無理はありません」


 ファーザ少将は腕を組みながら、眉をしかめたまま広間の天井を見上げた。そうして、創立帝の銅像に目を向けた。金髪に瞳は鳶色。イスカ・ザルカダエルの血を受け継ぐ者の証だが、創立帝は鉄仮面兜の中で沈黙している。


 すると、参謀長が黒手袋の右手を顔の横に掲げ上げた。途端に、参謀や書記官たちは腰を上げ、一礼を残すと広間から去っていった。


 防具の擦れる音が聞こえてなくなると、参謀長はさらにファーザ少将に顔を寄せ、囁いた。







「付け届けを頂戴しておりますゆえ」







 ファーザ少将は眉間に皺をいっそう寄せながら、参謀長を睨み込む。


「私はそのようなことは知らん」


「申し訳ございません。閣下のお耳に入れる程度のことではないと思っておりましたゆえ。実はあらかじめアバラータの県令からこの件に関してはということで」


「つまり、サバーセ・ダクシナには疑うに値する事実があるということではないか。その付け届けとやらが決定的証拠であろうが」


「恐れながら、私はあの気狂いに嫌疑はかけられないと考えますが。それに、些細なことではありますが、恩を売っておくのは閣下のためにもよろしいかと」


 ファーザ少将は右手の拳を握り締めた。その怒りは、黒の革手袋の軋む音が広間に響くほどであった。ファーザ少将はがばりと腰を上げる。テーブルの上の兜を引ったくり、ガチャガチャと広間をあとにした。


 参謀長がテーブルに突っ伏したままのバフータに声をかける。


「ダクシナ家に賊徒はおらんかった。我らの見解はそういうことであります」


 すると、途端にバフータは立ち上がり、指先をぴんと張って頭を下げた。


「有難き幸せにてございますっ! このご恩は決して忘れませんっ! 恐れながら、参謀長殿の御名前をっ」


「少将ヴィシュバ・パートラ。またご縁がありましたら」






「父上。いくらダクシナ家のためとはいえ、僕は一生涯に渡っての醜態を晒したのですからね。この借りはいずれ返してもらいますよ」


 物狂いの少年、サバーセを演じたドサーラは、将校たちがいなくなった広間にて、バフータをきつく睨み続けていた。


 バフータは髭をつまみながらニコニコと破顔している。


「まあいいではないか」


「いや、しかし、バフータ様。ドサーラ様のあの演技はお見事でした」


 発案者のチャンバリンは、終始、揉み手でドサーラに媚びを売っていた。


「あの、聖旗軍の将校たちがすっかり信じ込んだのですから。いやあ、ダクシナ家代々のご先祖様、いえ、創立帝もドサーラ様には感謝していますでしょう」


「なわけないでしょ。聖旗軍を騙すだなんて。とにかく、今日は腹一杯の御馳走を頂戴させてもらいますよ、父上。三日間飲まず食わずで本当に死にそうなんですから」


「おお、食え食え食っていけ。まあ、しかし、お前の演技だけで聖旗軍を騙せたとは思うんじゃないからな」


「どういうことです?」


「大人の事情よ」





 パタラ川の水面に映った夕日はせせらぎに溶けている。橙色の流れは昔日の記憶を蘇らせるには色が濃すぎた。


 帝都ザルカダエルで過ごした幼い日々はこんな田舎景色ではなかったが、なぜか、パタラ川の川辺に立つレナティリアの胸には郷愁が湧くのだった。


 書記官のミヤラ・パーサカは、三歳年上だが士官学校時代の同期生である。二年で卒業したレナティリアに対し、ミヤラは四年で士官学校を卒業した。初めて会った当初は田舎臭かった彼女も、八年も帝都の風を浴びていれば、その黒髪も、その黒い瞳も、すっかり華の潤いだった。


「シャンディーニ。どうして何も言わずに帝都を離れたの。あなたのお兄さんも、お父上も、何を訊いても口を閉ざしたまま」


 ミヤラとは同期生という枠を越えた仲である。共に食事に出かけたりもしたし、お互いの家を行き来したりもした。


「みんながあなたを心配している。あなたの友達、あなたの仲間、あなたの部下たち、みんながあなたの帰りを待ち望んでいる」


 アヌパビーが水面を跳ねて、映った夕日に波紋を作った。ごまかしのない綺麗な波円は時間とともに広がっていき、小さな光をきらめかせるとともに夕日を波打たせていって、やがて、広がりすぎて消えた。


 風が吹く。川面を見つめるレナティリアの朱子織りのチュニックと銀髪を、さらさらとなびかせる。


「師団はナウビム城から去ったというのに、あなたはここにいて大丈夫なの? 懲罰じゃない?」


「師団長閣下から許可を得ている」


「ボーダバリー師団は忠誠だけではなく、情にも厚い人たちのようね」


「そんなことはどうだっていいの。どうしてこんな最果ての地にいるかってことよ。あなたの性分ではないでしょう。レナティリア・シャンディーニはもっと華やかで、誰よりも気高くて、何よりも美しい。あなたに似合うのは青いマント以外ないのよ」


 レナティリアは何も答えないでいた。誰にも見せたことのない寂しさの目と柔らかい微笑を浮かべながら、ナウビム城の天主塔を眺め、両腕を胸の前で交錯させて、両の二の腕を擦った。


「寒いわね」


「ねえ」


 ミヤラはそう言ってレナティリアに歩み寄り、横に並ぶと、肩を縮こませているレナティリアの横顔を真っ直ぐな目で見つめた。


「あまり言いたくはないけど、今回の討伐遠征はお偉いさんたちがカネを受け取るための遠征と化しているのよ。ここの元貴族さんだって、アバラータ郡の本家経由で参謀長にカネを渡している。師団長閣下は汚職するような人じゃないけれど、参謀長が皇后陛下の甥っ子だから何も言えない。これはうちの師団だけの話じゃない。そしてこれが聖旗軍の事実よ。そんな事実を知って、冷たくも華麗なる青のあなたは、なんとも思わないの?」


「ごめん。私はミヤラの期待には応えられない」


「どうして」


「ごめん」


 レナティリアの憂いを帯びた眼差しを目の前にして、ミヤラは唇を結んだ。瞳を涙で潤ませた。まるで別人のようなレナティリアの優しすぎる孤独は、ミヤラに嗚咽を誘わせ、胸を波打たせた。


「泣かないでよ。どうして泣くの」


 レナティリアは目尻を緩めながら、ミヤラの頬につたうものを親指で拭ってやった。


「ごめん、シャンディーニ。私はあなたのことを何もわかっていないみたい。あなたの力になれなくて、本当にごめんなさい」


「そんなことない。私はミヤラに会えて良かったし、ずっと会いたかった。あなたが私に会ってくれた。それだけで十分。ね?」


 レナティリアは両の掌でミヤラの両の頬を二度、軽く叩いた。ミヤラはうつむきながらもうなずいた。鼻をすすり上げ、革手袋の手で顔を拭くと、大きく吐息をついて感情を押さえた。


 レナティリアは西日を横顔に浴びながら微笑む。


「それにね、ミヤラ、私はこの地が気に入ってないわけじゃないの。私のレベルが800もあると思う? 私自身の算段だと、私は頑張っても300よ?」


「オリが壊れていたっていうこと?」


「違う。あのとき、私の近くにいたでしょう。可愛いお坊っちゃまが」


 ミヤラは目を丸め、レナティリアは、ふふ、と、笑いながら天主塔を再び眺めた。


「何を言っているの。あの子のレベルが500もあったと言いたいの」


「そう。私はあの子の家庭教師。でも、まだまだこれから。あの子も私も」


 悔しくないはずがない。


 皇帝勅令とはいえ、今回のラグタラ討伐はバラ帝自身の考えによるものだったのか。新しい贈賄手段を編み出した者がバラ帝に進言したのではないのだろうか。もしかしたらバラ帝すらも、この姑息な職権乱用に噛んでいるのではなかろうか。


 何はどうあれ、一部の者の利益のために聖旗軍が玩具となってしまっている事実に悔しくないはずがない。


「あの子がこれからどうなってくれるかわからない。でも、私の身勝手な考えだけれど、あの子には青いマントを着てほしい。本物の青を」


「そう」


 ミヤラは悲しげに目許を落としながらも、口端には笑みを浮かべつつ、丸兜を被って覆面を下ろした。


 覆面越しのこもった声で、レナティリアに言葉を与える。


「あなたが迷いのない道を進んでいるのならそれでいい。あの子がレベル500だなんて信じられないし、シャンディーニとの別れも悲しいけど、また、いずれ会える日を望んでいる」


「ありがとう」


 そうして、ミヤラは踵を返し、最後に一言、聖旗軍の兵士同士で交わす別れの言葉を残していった。


「アルカダーラ」


 エンドラセトラ古語。その意味は、友に栄光あれ。


 ミヤラが発する防具と防具の擦れる音は、やがて風の中へと消えていき、天主塔を眺め続けているレナティリアの頬には、橙色に溶けて流れるものがあった。


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