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マンガニーズ  作者: クン・パジャマ
1章 ダクシナ幼少期編 
16/48

彼女だけが知っている

 ダクシナ郡に無数の青地の大旗がひるがえった日、雲一つない快晴であった。


 クシータは父バフータやチャンバリンとともに、天主塔最上の執事室から迫り来る行軍を眺めている。


 銀鼠一色の三列縦隊が、のんびりと漂う田舎の気配を切り裂いてくる。溶けた鉛が溢れ流れてくるように、丘の上からふもとまで延々ぞくぞくと続き出てくる。


「坊っちゃま。あちらにひときわ大きな旗が見えますでしょう。あれが師団旗です。辺境鎮圧軍傘下の師団は、師団旗にメドゥーサという伝説上の蛇の怪物の刺繍を施すのが習わしです」


 レナティリアが指差しながら説明し、クシータはじいっと目を凝らす。


(メドゥーサ……)


 どこかで聞いたことがあるなと思った。しかし、クシータがじいっと目を凝らして師団旗を見つめると、青旗に金糸の刺繍で、蛇だけしか描かれていない。


(蛇の怪物じゃなくて、髪の毛が蛇の女の人じゃなかったっけかなあ)


「さらに旗の付け根から流れている金色の房。その数で師団名を明らかにしています。あれは三房なので、第三師団ということなのです」


「な、なるほど」


 と、感心しているのは、クシータではなくてチャンバリンである。


「辺境鎮圧軍第三師団は、通称、ボーダバリー師団。エンドラセトラの古語で、果敢なる忠誠、を意味します。三代目ディナ帝のときに中央部ジュータ県で大規模な反乱があり、ディナ帝は自ら反乱鎮圧にあたったのですが、劣勢を虐げられ、あわやディナ帝の命さえ危ぶまれたときに、ディナ帝を一万人の身を団結させて守ったと伝えられているのが第三師団です。以来、果敢なる忠誠を伝統としているのです。よって、師団の兵すべてが正義と高潔を求められ、厳しい秩序のもと、腐敗した将校は一人とて許さないというのがボーダバリー師団の特徴です」


「さ、左様か……」


 と、過度に声を震わせたバフータは、チャンバリンを見やり、伺うようにして睨む。


 チャンバリンはそそくさと目を落とし、祈りでも捧げるかのようにして両の手をぎゅうっと握りしめる。


「坊ちゃま、ご覧なさい。聖旗軍の兵士はあのように全身を鎧兜で覆っています。肌が露出している部分は皆無です。剣や弓などの攻撃はすべて全身で防御します。攻撃の主力は歩兵の一団突撃です。敵方へとその圧力と兵数でもって突っ込んでいき、踏み潰していくかのようにして敵を破壊していくのです」


「じゃ、じゃあ、レナティリア先生でも勝てないんですか」


「はい。私がたった一人で立ち向かったところで勝てません。剣術を極めた剣士とはいえ、数の前には太刀打ちできません。それに聖旗兵たちが携えている大盾。あれは法術を防ぐためにあります。だからと言って剣術を極める必要がないかと言えばそうではありません。その人のその一人個人の強さと賢さが、あれだけの兵数を纏めあげられる源となるのですから」


 レナティリアの武芸トレーニングが大嫌いなクシータはちょっと顔を伏せる。


「そして、ところどころに、ウマに乗っている人たちが見えますでしょう。彼らが隊長なり参謀なりの将校です。将校は青マントを羽織っています。どうですか、勇ましいでしょう」


「は、はい……」


 レナティリアがクシータを聖旗軍将校にさせたいと考えているのは、クシータ自身もうすうす感づいている。しかし、クシータは喧嘩したくない。とりあえずレナティリアを怒らせないために渋々同調しておいたが、



(僕は本当に聖旗軍にさせられちゃうのかなあ。やだなあ。あんな怖い人たちと一緒になるなんてやだなあ)




 一万人のボーダバリー師団はナウビム城塞をぐるりと囲んだ。銀鼠の鎧と青旗に埋めつくされ、まるで包囲されていた。


 十人ばかしの一団、ウマに乗っていた青マントの将校たちが城塞の中に踏み入ってくる。


「少将が従えているのは参謀長と三人の参謀です。連隊長以上の将校になると鎧に紋章の入れ墨を施すようになります。二人、書記官が付いてきていますが、あれは下級将校なので入れ墨もありませんし、マントもしていませんね」


 レナティリアが言った通り、天主塔に入ってきた将校たちの鎧には、それぞれ、さまざまな模様が施されていた。


 家紋のようなものである。


 古くから続いている系統に出自を持つ者は先祖代々の紋章を、ファーザ少将のような農民上がりは、自分の代で作った紋章である。


 ちなみにレナティリアが身につけていた防具は、胸部と腕部に山形三本線であった。


「青マントは皇帝陛下に選ばれし家臣たる証明、鎧の紋は己に流れる血の由緒の証明です」


 そして、兜は個の証明。


 この世に同じ兜は存在しないのではないかと言われるほど、将校それぞれに、形、装飾、さまざまな趣向を凝らして、個性を証明している。


 天主塔に入ってきた一団の連中もやはり同じく、先頭を行くファーザ少将の兜は額から後頭部に至って丸みを帯びているが、角が二本生えており、それが前方に向かって突き出している。


 ファーザ少将の隣の者はおそらく参謀長であろう、頭頂にかけて三角に尖っていて、それがまた長い。他にも兜の額の部分に円形の飾り立てを付けたものや、どう考えても戦闘に不向きであろう、グネグネとした角を六本生やしている者もいる。


 彼らが共通しているのは、いずれも目の部分が黒く陥没した覆面を被っている点であり、これは聖旗兵共通の防具である。やはり、彼ら一個人それぞれを認識させるためには、マントであったり、鎧紋であったり、兜なのであった。


 クシータは、防具をガチャガチャと鳴らしながらこちらにやって来る一団に恐れおののく。彼の目にはまったくもって異様な集団であった。さらには威圧も受けた。憧れなどはまったく抱かず、ただただ、この時間が早く過ぎ去ってくれることを願った。





「えっ、遠路はるばるっ、このような田舎の果てまで、よ、ようこそお越しいただきました」


 這いつくばらんばかりに頭を下げたバフータの声は、音がよく響くこの天主塔にあって裏返っていた。目はクシータよりも激しい泳ぎである。


「出迎えかたじけない」


 と、ファーザ少将は覆面の向こうから声をこもらせて言った。そうして黒い手袋の指で顎紐を解き、片手で兜を外した。


 クシータはうろたえの目玉ながらファーザ少将をじっと見上げていた。


 禿げている。


 こめかみ部分に残っている髪は銀髪なのだが、レナティリアのような美しいものではなくて、灰色がかったくすんだ髪である。その色はこめかみから顎にかけての髭を形成しており、頭の薄さのわりに、やたら濃い。


「ダクシナ家当主、バフータ・ダクシナ殿とお見受けしますが」


 ファーザ少将は、遠くを見ているような、それでいてしっかと瞼に据わっている青い瞳でバフータを眺めた。四十の年齢に似合わない皺が口許や額に刻みこまれており、クシータにはバフータよりも老けて見えた。


「さ、左様でございますっ。私が、不肖、バフータ・ダクシナ・アヤガラにてございますっ」


「申し遅れました。拙者、聖旗軍少将にて、第三師団を率いるサムドラハラ・ファーザであります」


 ファーザ少将が威風堂々たる綺麗な形で頭を下げると、その後ろに控えていた連中も一斉に頭を下げた。


(カッコいい……)


 クシータは鳶色の瞳を輝かせた。聖旗軍に初めてときめいた。


(父上より絶対にめちゃんこ強いのに、ちゃんとお辞儀をするんだ)


 ダクシナの田舎しか知らないクシータは、こうした士道精神に溢れた人間を目の当たりにするのが初めてであった。彼が知っている大人は、おとぼけヒステリーのバフータか、口やかましいチャンバリンか、火の玉サバーセ、もしくはその日暮らしのダクシナ郡の人々だけである。


 そして、クシータのときめきを感じ取ったのか、レナティリアの右手がクシータの頭に乗せられた。クシータがレナティリアに振り返ると、彼女は優しく微笑み返してくる。


「ところで、こちらにはザーベライがおりますな」


 と、ファーザ少将は含みを持った言い方でバフータに向かい合った。「はっ、はいっ?」と、バフータはうろたえ、チャンバリンを見やる。


 チャンバリンも目を泳がせて、表情はあたふたしている。


 ファーザ少将がそっと後ろを振り返ると、グネグネ兜の将校が出てきた。


 将校は石造りのような円盤形状の代物を両手に抱えていて、


「そ、それはっ?」


 と、バフータがたずねると、円盤を持っている将校が覆面越しのこもった声で言った。


「オリという能力計測器でございます。この城に入る前からすでに、針は反応しており、その計測値はレベル800。この値を簡単に説明すれば、レベル1は大人一人分のステータス。つまり、レベル800は大人八百人分のステータス。普通では考えられぬ膨大な数値です」


「こちらのダクシナ家には――」


 ファーザ少将の青い瞳はバフータを突き刺していた。


「ラグタラを率いる者が縁者におると、アバラータに入ってからの噂に聞いておりますが、郡令殿、この数値はどう説明いたしましょうか」


「そ、そ、それはっ――」


 バフータはチャンバリンを見やる。チャンバリンの目はすでにぐるぐると回って混乱してしまっている。


「少将閣下、恐れながら」


 救いの女の声は、ダクシナ側の人ではなく、ファーザ少将率いる一団のうちの一人、兵士たちと同じシンプルな丸兜を被った、マントをしていない書記官のものであった。


 ファーザ少将は振り向いたが何も答えず、代わりにファーザ少将の隣にいる三角兜の参謀長が言葉を発する。


「ミヤラ・パサーカ君。発言を了承する」


「ありがとうございます。レベルについてですが、こちらの塔に入って理解しました。その値はあすこにおられる剣士のステータスであります」


「剣士?」


 ミヤラという女性書記官が指差した先にはレナティリアがおり、ファーザ少将と参謀長、それに一団の将校たちは皆が皆、レナティリアを注視した。


 レナティリアは不敵な笑みを浮かべている。


「彼女は士官学校のとき、私と同期生であった、レナティリア・シャンディーニです」


「何っ。あやつがあのシャンディーニかっ」


 参謀長の声を筆頭にして、一団になんとも言えない緊張感が走った。


「彼女は剣聖十六派アージサカ流の皆伝者。確かにレベル800はすさまじい値ですが、シャンディーニの強さは皆さん噂に聞いているかと」


「左様か」


 と、ファーザ少将はそれまで硬く結んでいた唇を柔らかく広げた。


「貴女があのレナティリア・シャンディーニならば、思いがけずにこのようなところでお会いできるとは幸運である」


 レナティリアは初めて頭を下げた。


「こちらこそ、ファーザ少将にまでこの名を知って頂いていたとは光栄でございます」


「しかし、レベル800とは。貴女が退官してしまったのは実に惜しいな」


 レナティリアは再度、目礼した。当然、「不倫」の噂の上での皮肉であろう。


「だが、ステータスの真実が判明したとはいえ、あなた方の縁者にラグタラがいるかいないかの判明はできておらぬ。この件は、ゆっくりと聞かせてもらいましょうか。郡令殿、ひとまずは広間にでも案内してもらえませぬか」


「あ、は、はいっ。こ、こちらへっ」


 バフータとチャンバリンの先導で、ファーザ少将を先頭とした一団はガチャガチャと天主塔の奥へと入っていく。


 ただ、ミヤラという書記官だけは一人残っており、丸兜を脱ぐと、現れた黒い髪をほぐしながら、ふうとため息を深くついた。


 潤んだ黒い瞳を、レナティリアに向けてくる。


「シャンディーニ、こんなところにいたなんて」


「お久しぶりね、ミヤラ」


「お久しぶりだなんて、よくも軽々しく言えたものね。こっちがどれだけ心配したことか」


 ミヤラは黒手袋の指先で目許を拭った。クシータは彼女を見、レナティリアを見、また彼女を見る。


「皆、心配している。帝都に帰ってきなさい。私たちがなんとかして、聖旗軍に戻れるようにするから」


「少将はすでに広間に行ったわ。あなた、厳罰食らわないかしら?」


「ご忠告ありがとう。積もる話しは山ほどあるから、シャンディーニ、逃げも隠れもしないで待ってなさい」


 ミヤラはカツカツと早足で、天主塔の奥へと歩いていった。


 クシータはレナティリアを見上げる。


「せ、先生はやっぱり、有名人なんだ」


「そうね。いろんな意味で。ただ、私のレベルが800もあるとは思えないけれど」


 レナティリアはクシータに向けてにっこりと微笑する。


「壊れていたのかしら、あのオリ」



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