相合い傘。
6月、紫陽花が咲く頃、日本は梅雨の時期になる。
今日も御多分に漏れず、雨がしとしとと降っていた。
夕方、私は定時で上がり、会社から出て傘を差し数歩歩いた。
すると後ろから、
「いーれて!」
と声がしたと同時に、持っていた私の傘をひょいと誰かの手によって持ち上げられた。
声の主の方を見ると、会社の同期のアイツだった。
「何?傘持ってないの?」
「うん、持ってこなかった。」
「何でよ、もうずっと雨続きだよ?」
「朝は降ってなかったから。」
「朝は降ってないからって、午後から予報出てたじゃない。」
「天気予報、見なかった。」
「それにしたって、梅雨入りしてるんだから、せめて折り畳み傘くらいは持ち歩きなさいよ。」
「えー・・・、めんどくさい・・・。」
「めんどくさいって、あんたねー、急に傘に入ってこられた私の身にもなってよ。」
「何?嫌なの?」
「そりゃそうよ、別にこの傘大きくないから、二人入ったら肩濡れちゃうのよ。」
「じゃあ、こうしたら良い?」
アイツは傘を少し私の方に持ってきて、もう片方の手で私の肩をギュッと寄せた。
「ちょっ、ちょっと!」
「こうしたら濡れないでしょ。」
「そうだけど・・・」
私はちらりと向こう側のアイツの肩を見た。
・・・雨で濡れてる。
「こうすると、あんたの肩が濡れるじゃん・・・。」
「心配してくれるんだ、優しいなぁ。」
「違っ、私のせいで風邪引いたとか、言われたくないから・・・。」
バカ、ニコニコとこっち見て笑ってるんじゃないわよ。
そんなやり取りしてたら最寄り駅に着いた。
傘を閉じて滴を振り払ってるアイツに、私は話し掛ける。
「帰る方向って同じだったっけ?」
「いや、俺のは恭子ちゃんとは反対方向なんだけど、これから友達の家に行くから、今日は一緒だよ。」
「・・・そ。傘・・・。」
「あ、良いよ、別れるまで持ってるよ。」
「ありがと・・・。」
車内では並んで吊革に掴まってた。
扉のガラスに映るアイツを見てたら、ガラス越しに目が合った。
「何?」
アイツは優しく微笑んで訊いた。
「何でもないっ。」
そんな顔でこっち見るなっ。
あんたのその顔、私、弱いんだから・・・。
数十分程揺られていると、私の最寄り駅に着いた。
「ねぇ、その友達の家って何処にあるの?」
「んーっと、住所はここ・・・。」
そう言ってアイツは自分のスマホの画面に友達の住所を表示させて私に見せた。
「あ、私の家の近くだ。」
「そうなの?じゃあ、家まで送るよ。」
アイツは私の傘を開いて、自分の隣に招いた。
ちょっと躊躇ったが、結局言われるがままに傘の中に入った。
暫く歩いてると、雨が段々強くなってきた。
終いには風も相まって、横殴りの強雨になった。
「傘の意味が無いくらいになっちゃったね。」
「もう全身ビショビショ・・・。」
それでもアイツは私の肩を抱き寄せたまま歩いた。
雨に濡れて身体は冷えてきたけど、そこだけ熱を帯びていた。
私の家のマンションの前まで来た。
「雨、弱まるまで寄ってく?」
「いや、すぐそこだから大丈夫でしょ。」
アイツはスマホを取り出して少し弄る。
「うわ、マジか。」
「何?どうしたの?」
「友達仕事でやらかしたみたいで、夜中まで帰れなくなったらしい。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「やっぱ寄っていきなよ・・・。」
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・。」
「お邪魔しまーす。」
「ちょっとタオル持ってくるからそこにいて。」
私は洗面所にあるタオルをアイツに渡して
「シャワーも貸すから、入って。で、着てる服乾燥させるから、洗濯機の中に入れて。」
「良いの?」
「良いも何もそのままにするわけにはいかないでしょ。」
「ありがと。」
「着替えも用意するね。」
「・・・。」
私は自分の分のタオルを取ってから廊下に出て頭を拭いた。
暫くするとシャワーの音が聞こえて来た。
自分が着ていたものを洗濯機に放り込んで「乾燥」のボタンを押した。
アイツの服も入ってる。
パンツも雨で濡れていたが、それは流石に入れなかった。
洋服箪笥から部屋着用の大きいTシャツを取り出して頭から被った。
次にアイツの着替え。
一番下の引き出しには男物を入れてる。
新品のトランクスとTシャツとジャージのズボン。
洗面所に着替えを持っていき、風呂場をノックした。
「着替え、置いたからね。」
「ありがとー。」
ビショビショになった廊下を拭いたり、洗い物してるうちに、アイツが風呂場から出てきた。
「ありがとー・・って、Tシャツだけ着てるの?」
「うん、家だといつもこれだけだけど。」
「うん、とりあえず恭子ちゃんもシャワー浴びてきなよ、風邪引く。」
「分かった。麦茶テーブルに置いといたから、飲んで良いよ。」
「ありがとう、頂きます。」
「大人しくしててよ。」
「分かってますって。」
「よろしい。」
そうして私もシャワーを浴びた。
浴びた後もTシャツとパンツの格好で出ていったら。
「ねぇ、それだけじゃ折角身体温めたのがすぐ冷えちゃうよ。」
「平気だって。」
私はアイツの隣に座った。
「そんな無防備な格好になるってことは、俺のこと誘ってる?」
「え・・・!あ、そこまで考えてなかった・・・!」
「ホントに?良いこと、したかったんじゃないの?」
アイツは私の内腿を優しく撫でた。
「!」
油断した。
そんな気、向こうがあるとは。
「わ、分かった!分かったから!下も履くから!」
私は慌ててジャージのズボンを履いてきた。
「これで良いでしょ!」
「よろしい。」
私は再びアイツの隣に座った。
「ところでさ、この男物の服って、彼氏のだったりする?」
「え?あぁ、違うよ。それ、お兄ちゃんの。たまにこっちに来ることがあるから、置いてあった方が便利で。あ、下着は新品なので、ご安心を。」
「お兄さんのか。」
「ごめん、嫌だった?」
「いや、大丈夫。もし、彼氏のだったら嫌だけど。」
「彼氏いないから大丈夫。」
「・・・何で彼氏のだったら嫌なの、とか訊かないの?」
「あぁ・・・何で嫌なの?」
「恭子ちゃんのこと、好きだから。」
「ふぅ~ん、そっか、私のこと好きなんだ・・・って!え?!」
「恭子ちゃんのこと、好きだよ。」
2回、言った。
聞き間違いでは、ない。
真っ赤になる顔を隠すため、私は俯いた。
「恭子ちゃんは俺のこと、好き?」
「・・・嫌いだったら相合い傘しないし、家にも招かない。」
「そっか。じゃあ、俺の方見て好きって言って?」
私は少し顔を上げて、アイツを見た。
「・・・祐太のこと、好き。」
言ってすぐに唇を奪われた。
その勢いで床に倒れる。
アイツは、祐太は私の唇、頬、耳、首筋、胸元にキスをした。
「ん・・・っ、祐太・・・っ。」
我慢できなくて吐息が漏れる。
「恭子ちゃん、可愛い。」
「もう、見ないでよ・・・。」
「何で?ずっと好きだった子が俺のこと好きって言ってくれて、俺のキスでそんな顔する。こんなに嬉しいのに見ないわけにはいかない。」
「ずっと・・・?」
「うん。恭子ちゃん普段は、明るいでしょ?失敗してもへこたれない。でも、一人のときたまに泣いてるでしょ。」
「え。・・・見てたの?」
「うん、実は。皆に心配かけまいとして、笑顔装ってるけど、やっぱ落ち込んでるんだなぁ。でもそれを人前で見せない。健気だなぁと思って。中には反省してないんじゃないかって言う上司もいるけどさ。俺はそれ見てるからさ。支えたいなって気持ちが芽生えたんだよね。」
私はいい歳して、泣き虫で。
仕事で失敗すると一人になったとき泣いてしまう。
私が暫く泣いてると、祐太は
「まだいたの?俺これから帰るんだけど、一緒に帰らない?」
と、声を掛けてきて、いつも私の話を聞いてくれてたんだけど。
「そっか、いつも心配してくれて声掛けてくれてたんだ。ありがとう・・・私、結構祐太のその優しさに支えられたよ。」
「ホント?支えになってたら、良かった。」
祐太がギュッと抱き締めてきた。
私も抱き締め返した。
「ねぇ、良いことしても、良い?」
祐太の顔は、目と鼻の先。
間近でそんなこと言われると、ドキドキが大変なことに。
「・・・下は履いたけど。」
「履いたね。履いたそれを、脱がしても良い?」
「もう!だったら最初から履かなくても良かったんじゃない?」
「脱がすのがまた、良いんです。」
何なの、それ・・・。
雨はその日、止まなかった。
祐太はその日、友達の家には行かなかった。