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第八夜 全校スピーチ

 大学生の頃、こんな夢を見た。


 体育館のステージでは校長先生が何やらお言葉を述べているが、私達の耳には入らない。とてもそんな余裕がないのだ。落ち着かない…… そして、じれったい。

 体育館のステージわきに設けられた控え室。粗末な合板の壁に囲まれた部屋の中央には折り畳み机とパイプ椅子が据えられ、私はそこに座って発表原稿のチェックをしていた。これから全校生徒の前で、今学期の生徒会誌編集委員会の活動報告をする予定になっていた。とにかく失敗が無いよう、念入りに原稿をチェックする。

 私の斜め向かいには、同じく原稿のメモに目を落とす女子生徒が座っていた。服装は白い半そでブラウスに紺のスカート。髪はセミロングのストレートで肩まで届き、やや赤みの入ったブラウンに染められている。私が彼女を見ると彼女は顔を上げ、シルバーのワイヤーフレームメガネのレンズ越しに私と視線を合わせた。私は照れて、細面の顔から視線を逸らして言った。

「緊張する?」

「どうかな……」

彼女はそう言って、真剣な表情で再びメモへと視線を落とした。私は彼女の落ち着いた様子に感心しながら、腕時計を覗く。心臓の鼓動が早くなる。はやく役目を終えて、ここを去らないと…… ここに長居はできないんだ。

 校長先生のお話がようやく終わり、やる気のない緩慢な拍手の音がする。そういえば、彼女は何の委員だったんだろう?

「そういえば、君は何委員だったっけ?」

「私は保健委員だよ」

私はうなずいた。

「そうだったね。そちらが先にやっていいよ。絶対その方がいい」

今は彼女の仕事の方が私の仕事より優先されるべきだ。彼女の仕事には人命がかかっている。彼女はちょっと驚いた様子だったが、かすかな笑みを浮かべ、ありがとうと言った。素直に、ずっと見ていたい綺麗な顔だなと思った。

 彼女はステージへと上がった。私は、自分の仕事が終わったらすぐに動けるよう体育館を出て、下足箱の横に束で置かれた長方形のチケットを二枚取った。体育館へと戻ると、教職員や生徒達は相変わらず、興味無さそうに彼女の報告と伝達事項を聞いていた。いつもと変わらないその落ち着いた、悪く言えば危機感の無い態度にちょっと驚く。私達にはもう時間がないはずだ……

「……それでは怪我した人や体調の悪い人から、校庭のトラックに乗ってください」

彼女は最後にそう締めくり、その仕事を終える。館内が少しだけざわついた。

 控え室に戻ると、彼女がステージから戻ってきた。

「お疲れ様、さぁ早く行ったほうがいいよ」

私はそう言って彼女にチケットの一枚を渡した。汽車の一等客車のチケットだ。どこの列車のチケットなのか私自身よく判っていないが、それはあまり重要ではない。とにかく、この汽車が最終で、どうしても乗らなくてはならない。そして、もしも乗り遅れたら後はない。もし乗り遅れたら……

「どうもありがとう。ごめん、じゃあ先に行くね」

「うん、じゃあまたね」

彼女も、またねという声を私に返してくれた。そうしてこちらを振り返りつつ、体育館から渡り廊下の方へと去っていった。

 残った私は委員会の報告を行うべく、控え室からステージへと向かう階段に足をかけた。振り返ると、控え室の小さい窓から青い空が見える。まさにその時、遠方の八十八ミリ砲の砲声が大気を振るわせた。間を置いて、更に二発。

――ついに来たか!

もう間もなくここもドイツ軍の手に落ちる。体育館で整列していたようやく連中も慌て出した。私は自分のチケットを強く握り締めて階段を登る。ドイツ軍が攻めてくる前に、仕事を終え、彼女が待つ列車まで走らなければ。間に合う保証はない。緊張と焦りで心臓の鼓動が早鐘のように鳴る。

 だが、もっとも雰囲気が盛り上がってきたところへ、急に自分がデタラメな夢の世界にいるのではないかという嫌な自覚が出てきた。ドラマチックという麻酔の効力が急激に萎んでいく。待ってくれ! これが夢なんて…… この充実感と悲壮感溢れるイカれた世界が夢なんて、あまりにも、あまりにも悲しすぎる。

 私は夢のストーリーを無理矢理切り開こうと、ステージの上で原稿を開き編集委員会の年間報告を読み上げようとしたが、さっきまで字で埋まっていたはずの原稿は真っ白になっていた。まだ起きてはいけない。まだ目覚めてはいけない。もう一度彼女に会うまでは……


 抵抗も虚しく視界は唐突に暗転し、私は目覚し時計の電子音によって朝というもう一つの世界へと引きずり出されてしまった。

 色んな意味で、泣きそうになってしまったのはいうまでも無い……

 「カサブランカ」っていう映画はもう百回以上見ていますが、なにか? そういえば、ドラえもんの道具にはドラマチックガスっていうものがあるんですよ。あれを使った状況に似ているかもしれません。

 この夢についてはあまり多くをコメントしない方がいいかもしれませんが、私本人は至ってまじめな意識でこの夢の世界を生きていました。問題は、この夢を二十歳もとうに過ぎたいい大人が見ているということ…… 弁解のしようがないな……

 ちなみに、高校時代は本当に生徒会誌の編集委員をやっていて、それなりに楽しく委員会活動してました。全校の前での報告も実際にあったことで、とても緊張しましたがなんとか無難に済ませられた事を思い出します。

 ええと、この麗しの保健委員ですが、高校時代にこのような方は残念ながら存在しませんでした。この『ワイヤーフレームの君』は一体どこから現れた人物なのか、私にも判りません。

 この後、この夢の続きがどうしても見たくてならなかったのですが、数日後、なんと夢の中で私は彼女と再会することができました。そのお話は、次の夜に……

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