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第五夜 マイクロシーベルト・パー・アワー

 今年の三月下旬、こんな夢を見た……


 水で洗い流しやすいよう、普段使うズボンの上からツルツルした化繊のトレーニングパンツをはき、その上から雨合羽を羽織る。首元までしっかりとボタンを止めてから、合羽と首筋の隙間を少しでも埋める為、首にはタオルをきつく巻く。そして、最後に野球帽子を被った。

 口元には、二重にした医療用マスクのつけ、マスクと口の間にぬらしたハンカチを幾重かに折りたたんだものを挟む。冷たくてとても不快だがしかたがない。玄関で身支度を整え、一度深呼吸する。

――これじゃ足りない。とても足りない……

 私は意を決して玄関から家の外へと出た。外気がなるべく入らぬよう素早くドアを閉めると、小型の放射線測定器のスイッチを入れた。


ジ、ジ、ジ、ジジ、ジジジ……


測定器から耳障りなクリック音が鳴り出した。

 不活性ガスが充填されたガイガーミュラー計数管を使用する、ある種の古い放射線測定器は「ジジジ……」もしくは「カリカリカリッ……」というクリック音の間隔や、その強さで線量の強弱を表す。私の手にした線量計も、いきなり耳障りな作動音を発し始めた。

 覚悟はしていたが、それでも顔から血の気が引いてゆく。だからといって、事実から目を背けられないので、私は線量計を外の地面へと近づけた。


ジ、ジジ、ジジジジ、ジジジジジジジジジ……


測定器が喚き散らす。吐き気を催すようなクリック音が絶え間なく鳴り続ける。一秒でも長くここにいるべきではないのだろう。私は表示された数値を見るため、線量計の液晶画面を覗き込んだ。

 どうしたことか、線量計の表示画面には何も数値が表示されない。スイッチが入っていないわけではない。その証拠に電離放射線を捉えた事を示す音は強くなってゆく一方だ。私は目を凝らして、何度も液晶画面に目を凝らす。瞬きして目を凝らす。

 一体、ここの放射線量はいくつなのだろう。早くそれを把握しなければ。こうしている間にも微細な放射線が私の全身の細胞を焼いてゆく。液晶画面には何も映らない。でも、線量計は鳴り止まない。


ジジジジジジジジジジジ……


 場面は唐突に食卓へと転換した。食欲はない。湯気の立つ味噌汁を口に含むが、なぜかとても苦い。ご飯を口にするも、重金属のような味がする。私は箸を置き、ため息をついた。


ジ、ジ、ジ、ジ、ジ、ジ……


テーブルに置いてあった線量計が勝手に鳴り出した。わたしはぞっとしながらも、それを手にとる。相変わらず、液晶画面に数値は表示されない。


ジジジ、ジジジ、ジジジジ……


またも、音がやかましくなってきた。私は唐突に悪寒を感じ、自分の腹部に線量計を押し当てた。


ジジジジジジジジジジジジジ……


音の間隔も回数も急増した。

 そして、今まで線量計から発せられたと思っていた音が、味噌汁やご飯、箸からも聞こえはじめた。壁、窓、天井からもクリック音が響く。そして一番大きく、はっきりとした音が他でもない私の腹の奥から聞こえてきた。


ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジ……


体内の放射能が私を内側から焼いていく。私を内と外、両面から焼きつくすその音は、絶え間なくいつまでも鳴り響きつづけた。


 特に補足説明の必要もない夢ですね。見たままのストレートな夢でした。

『とある被曝のノイローゼ』とかいう題で小説書いたら人気出るかな? ……ええ、大丈夫、もちろん書きません。というか、そんなの書けません……

 えーと、現実世界の恐怖や不安というものは、たやすく夢の世界にまで侵入してくるもので、今回の夢もそのよい例だと思います。

 今年の三月十二日、福島第一原発一号機の屋根が吹き飛んだ瞬間、私にとってこれまでで最大で、初めての「有事」が始まりました。

 八方手を尽くしても線量計は手に入らず、家がどの程度汚染され、自分がどれほど被曝したのか全く判らず、とにかく状況を把握しなければと恐怖と不安の只中あった時に見た夢です。どうやら夢の世界は自分の想像力を超えることはできないようで、数値が見えないという、現実世界のもどかしさがストレートに夢にまで再現される結果となりました。

 元々、幼い頃から「放射能」「放射線」の恐ろしさというものは別格だと教わって育ってきた為(小さい頃にチェルノブイリが吹き飛んだ)、私自身は人より数倍、放射能には神経質な人間になりました。実際これまで、ドキュメンタリーや映画で放射線測定のシーンが出るたび、「あのような環境や製品は自分と関係があってはいけない世界のもの」という忌避感を抱きながら見ていました。それがあろうことか……

 最近のガイガーカウンターは放射線を検知すると、クリック音ではなく電子音のブザーで鳴るものが多く、クリック音を発する製品はあまり見ません。夢の中で放射線の音が、テレビや映画で聞いたそのままの、「近くで決して聞いてはいけない音」であるクリック音だったところが、私の恐怖と単純さをよくあらわしているような気がします。

 ある学者が、放射能災害は人の肉体だけでなく、その恐怖や不安が精神をも蝕むから、心配のし過ぎにも注意が必要とのコメントをしていました。物理的な被曝への注意はあたりまえですが、こんな夢を見ている私は精神面でも注意した方がよいなと思いましたね。

 事故から四ヵ月後、線量計を入手でき、ある程度信頼できる数値も判り、幸運なことに即引っ越さなければならない状況ではないと判りました。

 ただ、これまで経験した事がないくらいの外・内被曝をしたことは確かなので、最近ガン保険の値段を調べ始めたのは真面目なお話です。

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