第二夜 蜂塚
二年前、こんな夢を見た。
空にどんよりと雲が被さった夕方、風を背に受けグイグイと自転車ペダルを踏む。いつもの見慣れた帰り道を、風を切って進んでいた。いつもの交差点で私は信号に引っかかり、ブレーキレバーを絞った。
長い信号待ち…… 自転車にまたがりながら、国道の往来の反対側をぼんやり見ていたら、いつのまにできたのか、まったく見慣れない構造物が目にとまった。赤土を塗り固めた奇怪な高い塔が、道路向かいの家屋の敷地に建っていた。敷地の石塀越しに高くそびえる泥の尖塔の外壁は不規則にでこぼこしていて、それはまるで巨大な蟻塚を連想させた。
もう少しで信号が青に切り替わろうとする時、その蟻塚の頂上がにわかに動き、土壁がわずかに崩れて下へと落ちた。
――やっぱりなにかいる!
私は、気色の悪い現象に色を失い、信号が青に変わっても蟻塚を見据えたまま動けなかった。すると、少し崩れた塚の頂上から、黄色と黒の攻撃的な配色の、異様な生き物が這い出てきた。太くくの字に曲がった触覚。片方だけでソフトボールくらいありそうなギラつく複眼。脈の通った半透明の羽。そして、うねうねと動き、黒と黄色の縦縞に彩られた湾曲した腹……
姿形は決して見慣れない生き物ではない。テレビや図鑑ではよく目にした事のあるスズメバチだった。ただ、そのサイズは大型犬くらいある。遠くだが、一目でその巨大さが判った。そうするうちに塚の上部はさらに崩れ、ハチは次々に外へと這い出してくる。
鼓膜を逆撫でする重低音の振幅と共に、ハチたちは一斉に宙へ舞った。ハチは次々に沸いて出ては辺り一面を飛び回り、猛烈な羽音が一帯の大気を満たす。羽音以外の音はほとんど聞こえない。
きっと、あまりのことに驚いたのだろう。国道を走っていたトラックがコントロールを失って中央分離帯に乗り上げ、私の目の前で横転する。そこへ後続のワンボックスが突っ込み、金タライをひっくり返したような大音響が羽音に紛れて聞こえてきた。ハチたちは、まるで獲物を見つけたかのように、事故車へ群がる。すでにあたりの通行人や車は恐慌をきたし、ハチから逃れようと走り出した。クラクションや叫び声がかすかに聞こえたが。それも猛烈な羽音に遮られてしまった。道路の反対側を走っていたおじさんは、上空からハチに襲い掛かられて道路に押し倒されるや、頭をかじられはじめていた……
とても正視できないので目を逸らし、走り始めたが、ふと去年の秋のニュース番組を思い出した。確か、ハチは自分より下方の視界があまりないので、もし襲われた場合、なるべく身を低くするようにとアドバイスしていた。それに、急な動作はハチの注意を引いて危険だ。夢の中では私は冴えているのだ。
私は四つん這いになっていそいそと、地獄絵図となった交差点から離れはじめた。頭上スレスレを巨大なハチがかすめる。アスファルト路面の鋭いでこぼこが掌と膝頭に突き刺さり、非常に痛む。夢の中で痛みを感じないというのは私は嘘だと思う。少なくとも経験したことのある痛みは、かなりリアルにフィードバックされることがある。わたしは掌と膝頭に走る痛みに耐えながらひたすら這ってゆく。もう耳には猛烈な羽音しか聞こえない……
――逃げなきゃ、逃げなきゃ、はやく逃げなきゃ……
そうやって這っているうちに目を覚ました。思わず両の掌を目の前に掲げてみる。傷などあろうはずも無いのだが、四肢にアスファルトが刺さる痛みと、脳にへばりつくような猛烈な羽音の残滓だけは、布団に起き上がった後でもはっきりと焼きついているようだった。
そういえば中学生だったころ、メガネはずして髪をやや短くすればシンジ君に似てるかもと言われた事があります。でも残念な事に、私のまわりには綾波もミサトさんもいませんでした。(アスカはどうでもいい……)
もっとも、私はシンジ君じゃないので「逃げちゃ駄目だ」じゃありません。
この夢は、人生いつも逃げの姿勢ばかりな自分に対する警告だったのでしょうか? ただ、巨大な蜂に襲われつつあるこの状況で、本当に勇気のある人だった一体どうするのだろう?
たたかう? じゅもん? あやまってゆるしてもらう? クソゲー的な選択肢しか思いつきませんね。
二夜続けて動物災害な夢になってしまいましたが、次回はちょっと毛色のかわった夢の話になるでしょう。
それにしても夢で害獣にやられる事がとても多いです。