第9話
近ごろ腰痛が…
あ、第9話です!
満月。
月の満ちる夜というのは、古来より人の欲望を駆り立てると言うが、しかしそれは国や地方によって様々だ。
累の住む国では、月が満ちる事によって、人に高揚感を与えるのだと言われている。
そしてそれは、現在累がいるこの世界でも、当てはまるかもしれない。
現在累は、明日の計画を控え、気持ちが高ぶっていた。
この作戦が成功したら、間違いなく俺はお尋ね者だろう。
いや、俺だけじゃない。
この館にいる奴隷全員がお尋ね者なるだろう。
もしかしたら恨まれるかもしれない。
奴隷のままの方がまだ幸せだったと言われるかもしれない。
これは俺の単なるエゴだ。
俺が助けたいから助ける。それだけ。
…コワイ
「ははっ、直前になってこれかよ…」
累は牢屋の中でただ一人、押し寄せる重圧に耐えながら、皆が寝静まるのを待っている。
「随分と緊張してるみたいだね」
すると、不意に累に話し掛ける声が聞こえた。
「…イオか」
「ふあん?」
心配そうに聞いてくるイオ。
その顔は、いつになく優しい。
「……怖いんだ」
「他の人達に、どう想われるか怖い?」
「あぁ」
自分でも驚くくらいに弱々しい声が出た。
すると、急に体を暖かい何かに包まれる。
「…!?」
「大丈夫、だいじょうぶだよ」
イオが俺を優しく抱きしめてくれていた。
見た目は少女だが、何故か母に抱かれているような暖かさがある。
「キミは一人じゃないから。たとえ誰に何と思われようと、私だけはキミの味方だよ」
「……」
不安と恐怖で押し潰されそうだった心が、しだいに和らいでいく。
「…イオ」
「ん?」
「ありがとう」
「…うん」
そして、俺の頭をポンポンと撫でる。
…なんだか、急に恥ずかしくなってきた。
「…イオ」
「なに?」
「ムネ…」
「ていっ」
バシッ!
「ぶべっ!」
ムネが、とは続かなかった。
イオに両手で顔を挟まれる様に叩かれたのだ。
「どうせ小さいですよ! 仕方ないでしょっ! こればっかりは力を使ってもどうにもならなかったんだから!」
「いや、っていうか、力使って大きくしたらそれこそ詐欺だろ。むしろその見た目できょぬーだったら引くぞ」
「あーヤダヤダ。やっぱり男は大きければそれで良いのね」
「いや、小さいは小さいなりの魅力が…」
「最低っ」
今度は頭をはたかれた。
「まったく、さっきまでの落ち込み具合は何処にいったのやら」
「ねっ」
「ねっ、じゃない!」
「いやいや、イオのお陰だよ」
穏やかな笑顔で答える。
「…なっ、またそんな事言って」
「本当だって。イオのお陰で、心の重圧が和らいだ。これで、思う存分暴れられる」
先ほどまでプンプンと怒っていたイオが、真面目な顔になる。
「…やるんだね」
「ああっ」
一切の憂いが無い、決心の籠もった顔で頷く。
「そ、頑張って」
そう言って、笑顔で俺を勇気付けるイオ。
そうして、俺は今夜やるべき、作戦前の最後の準備に取りかかった。
翌朝。
俺は、屋敷内を騒がしく走り回るアルネオの部下達の声によって目を覚ました。
「見つかったか!?」
「いや、何処にも無い!」
「クソッ、アレだけの量が一晩で一体どこに消えたって言うんだ…」
「まさか奴隷の手に渡ってるって事は…」
「それはない、牢屋も個室も全て調べた」
「とにかくっ、急いで探すんだ!」
どうやら何かを探している様だ。
ってまぁ他人事みたいだけど、探してるのは、十中八九昨日おれが盗んだ物だろう。
実は昨日の夜、この屋敷内の武器庫から、全ての武器を盗み出したのだ。
そして今はとある場所に隠してある。
まぁまず見つからないだろう。
「チッ、このクソ忙しい時に奴隷共の飯なんて…。おら、飯だ」
俺が遠くのそんなやり取りに気を取られていると、いつの間にか牢屋番の男が食事を運んで来ていた。
そしていつもの様に、リーシャさんを向かいの牢屋から出し、此方の牢屋に入れる。
「……」
何やら浮かない顔で俺のいる牢屋に入って来たリーシャさん。
「こんにちは」
「……」
…反応無し。
「…? リーシャさん?」
「あっ、はい。こんにちは」
慌ててぺこりと頭を下げ、挨拶をする。
「どうしたんですか?」
「いぇ…、何でも、ありません」
むぅ、そうは見えないのだが。
しかし本人が何でもないと言っているのだから、無理に聞くことも無いのかな?
「あの、本当に何でもないですから…」
俺が首を傾げて思案していると、リーシャさんにそう言われてしまった。
あちゃ、逆に気を使わせちゃったか。
「すみません、いま食事を…あら?」
気をそらそうと、食事に手を伸ばすリーシャさん。
しかし、その手も途中で止まった。
「どうしました?」
「いえ、あの…。食事が…」
「ああ、それですか」
ふと床に置かれた食事に目をやると、その食事の質が昨日までと違う事に気付く。
昨日アルネオに「俺は普通の奴隷でいい」と言ったために、奴隷剣闘士用の食事から、また前の質素な食事に戻っていたのだ。
「もう俺は期待の奴隷剣闘士でも何でもない、ただの奴隷ですから」
「そう…ですか」
…本当に元気が無いな。
今の話も、なんか心此処に有らずって感じで聞いてたし。
一体どうしたんだか。
「……」
「……」
黙々と、作業の様に食べ物を口に運ぶ。
まるで最初の時に戻ったようだ。
「ごちそうさまでした」
「…はい」
何も話さず坦々と食事を進めていたので、いつもよりかなり早く終わってしまった。
この分だと、牢屋番が来るまでに1時間くらいあるだろう。
まぁ、偶にもっと遅いけど。
このまま何も話さずに1時間近く待つのか…。
とか考えていると、食器を部屋の隅に片付け終えたリーシャさんが、俺の目の前に座り、悲愴漂う目で俺を見つめた。
「ルイさん…」
「はい?」
「……」
「どうしました?」
話を切り出したは良いものの、何故か次の言を出そうとしない。
「お願いが…あるんです」
「お願い?」
「こんな話、ルイさんにしか頼めなくて。あのでもっ、もし…お嫌でしたら…」
只ならぬリーシャさんの様子に、俺も居住まいを正す。
「なんでしょう?」
なるべく話しやすいように、優しい声で聞く。
「…あの、わたし、今日なんです」
「今日?」
何がですか? とは聞かずに、自然に次を話すのを待つ。
「…夜伽の…調教です」
「えっ?」
夜伽の調教…
そういえば、ここに連れて来られる時に聞いた。
若い女性の奴隷は、夜伽の相手をするための調教も施されると。
そうか、ディアスさんとの戦いの日、アルネオがディアスさんに言っていたのはこうゆう事だったのか。
「夕方になれば、わたしは…、好きでもない殿方に、体を…純潔を捧げなくてはいけません」
「……」
「ですから…」
そこまで言うと、涙目になったリーシャさんが俺に撓垂れ掛かってきた。
「ルイさん、お願いです。私の…、私の純潔を…貴方に…」
「っ!!」
…ヤバい。
何がヤバいって、いま一瞬頷きそうになってしまった。
そんな事をしたらディアスさんに殺されてしまう!
じゃなくて!
「…?」
俺は体を捩って、撓垂れ掛かるリーシャさんから離れる。
「…やっぱり、私なんかでは、嫌ですか?」
「うっ…、いや、そうじゃなくて。リーシャさん、諦めちゃダメだ」
「あきらめ…?」
すると、不意にリーシャさんの目に力が入る。
「諦めるなって、何を諦めるなって言うんですか? 諦めなければ、何か変わるとでも言うんですか!?」
俺の襟首を掴み、凄い剣幕で叫ぶ。
「希望があるとでも? そんなモノ、親に奴隷商に売られた瞬間に捨てました。私には、希望なんて……!?」
そこまで聞くと、俺の襟首を掴むリーシャさんの手を、優しく包んだ。
ちょっと鉄球が重いが、そんなのは無視だ。
「ありますよ。希望は」
「え?」
「希望はあります。俺が、作ってみせます」
「なにを言って…」
「俺が貴方を救います。ここの奴隷商達から、貴方を護ります」
「でも…」
「ですから、リーシャさん。自分を…心を、棄てようとしないで下さい。…ね?」
「ぁ……、ぅう…」
涙目だったリーシャさんの目から、ついに涙が零れた。
「ぅ…、ぁああああああ…」
涙をせき止めていた心のダムが、一気に崩壊した様に溢れる涙。
俺は泣きじゃくるリーシャさんの体を、ただ優しく抱き締めていた。
……。
数十分後。
「ごめんなさい!」
リーシャさんは泣き止んだかと思うと、急に何度も俺に謝ってきたのだ。
「いや、もういいですから」
「いいえ、そんな。私は、自分を無理やり納得させるために、ルイさんを利用しようとしたんです。しかも、そんな私を諭してくれようとしたルイさんにあんな事を言うなんて…」
「いえ、本当に気にしてないですから。頭を上げて下さい」
「でも…」
う~ん、なかなか引き下がりそうにないな。
仕方ない、ここはイチかバチかの強硬手段。
「あんまりしつこいと、お兄さんに報告しますよ?」
―ビクッ!
「…あ、兄にですか?」
おや?
何だか凄い反応。
「わ、わわわわ分かりました。ルイさんが、そそそこまで言うなら」
いや、ドモり過ぎでしょ。
まさかここまで効果があるとは…。
「そうですか。良かったです」
「あ、あのルイさん」
「はい?」
「ぜ、絶対に兄には言わないで下さいね」
「いや、まぁ言いませんけど」
「絶対ですよ? もしこの事が兄に漏れれば、ルイさん、兄に地獄の底までも追われますよ?」
ああ、そっちですか。
リーシャさんじゃなくて、俺の危機になるワケね。
「…肝に銘じておきます」
俺がリーシャさんにそう言うと、牢屋の外に、人の近付く気配を感じる。
牢屋番か? 今日はいつもよりヤケに早いんだな。
などと思ってそちらに目を向けると、案の定牢屋番の男がこちらに歩いて来ていた。
「リーシャ・ハーネス、出ろ。これから調教部屋に来てもらう」
「「!?」」
これから?
夕方からじゃなかったのか?
「あ、あの、夕方からの筈では?」
「アルネオさんの気が変わったんだよ。いいから来い」
「……」
男にそう言われ、不安げな表情で俺を見つめるリーシャさん。
それに対し、俺は男に聞こえない声で、優しく言う。
「大丈夫、俺が助けますから。ここはひとまず、男に従って下さい」
「……はい」
そうして、リーシャさんは牢屋番の男について行く。
「…さてと」
牢屋番とリーシャさんがある程度離れると、俺は両腕と両足の枷に意識を集中し、枷を分解した。
「アルネオの場所に案内してもらいますか」
なんて言うか、ごめんなさい。
累が暴れるとか言っといて、かなり大人しい話になりました。
無計画でごめんなさい!