只野景太郎
潮風でぬるくなった缶コーヒーを両手で包み込む。
海沿いの遊歩道には、春休みの大学生らしいカップルが楽しそうに歩いてた。
勤めてる事務所のスタジオから徒歩十分。
事務所の運営する養成所の生徒たちもよく訪れている場所だった。
声優事務所「SPRINGSummer」マネージャー事業部長補佐兼養成所採用統括。それが俺、只野景太郎の仕事。
声優養成所とは声優を目指す少年少女達をサポートし、その夢の実現に向けて様々な課題やレッスンを受けさせる場所。
言わば夢の入り口だ。
…などと、数多くの養成所のホームページに書かれているだろうな。
夢の入り口?そんなキラキラしたところじゃない。
養成所とは、一人のスターを見出すために千人に叶わない夢を見せ続ける場所だ。
声優になって生活できる確率はいまや0.002パーセントなどと言われる現代。
俺はその0.002パーセントを見つけるために99.998パーセントに終わりを伝えることで飯を食ってる。
「…はぁ。」
改めて自分の仕事を振り返るとため息が出る。
俺が養成所の採用権の重要な部分を担っているというのは、生徒の全員が知っていた。
だから俺が見えるなり、生徒の大多数はたとえ廊下の端にいたとしても駆け寄って挨拶をする。
「おはようございます!」「おつかれさまです!」「おはようございます!」「おつかれさまです!」
…これを聞いて気持ちいいと思うか?
俺にはもう、生徒の顔を全員覚えるなんて無理だ。
アラフォー手前のアラサーという年齢もあるだろうが、基本的に養成所の採用担当は見込みのある人間しか覚えない。
講師からの評価が高い生徒、養成所生の時点で何かしらの芸歴がある生徒、顔が良い生徒。
驚いただろうか。
声優養成所なのに、判断基準に声は含まれないんだ。
何故?
声が良くて滑舌が良いのはもう当たり前だからだ。
そんなものもう武器でも何でも無い標準装備、持っていて当然なんだ。
だから俺たち採用担当も採用の基準はそこで行う。
「…今年は…何人を落としたっけ。」
先月も、多くの生徒が夢に挑んできた。
大体の養成所は2月から3月にかけて所属や養成所内での進級を目的とした審査を行う。
うちも例に漏れず、進級審査が行われた。
細かい部分はまあ省略するが、うちには所属合格と呼ばれる待遇が二種類ある。
所属合格。これは読んで字のごとく、うちの事務所の採用基準に足ると判断されたらここにあてられる。
次に観察所属。これは事務所によって預かり所属やジュニア所属と呼ばれ、この名称も内部的なものだ。ここは所属とは書いてあるものの、期限付き、条件付きで正規所属と同じ仕事にアサインし、結果を残せれば所属。
残せなければ、終わりだ。
審査には俺はもちろん、講師や事務所の社長も参加するものもある。
五人くらいで審査をしたような記憶があるが、実のところこの審査は持ち点制などでは無い。
〇、△、×のたった三つ。この小学生の通知表のような記号で、俺たちは人の人生を振り分ける。
「あいうえお!いうえおあ!うえおあい!えおあいう!おあいうえ!」
「……」
風に乗ってどこからか発声練習が聞こえてくる。
夜も更けている。
普通の公園や遊歩道であれば通報されてもおかしくないような声量だが、ここら一帯はうち以外にも声優事務所のオフィスやスタジオがいくつかある。
住宅地ではなく、車の通りも付近で多少多いのもあり、そういったスタジオの使用時間をこえてもまだ練習をしようとする声優達にとっては格好の練習場所だった。
熱心だなとも思う。
同時に、この時期にこの時間でその発声練習をしているのはまだ所属待遇をかけた審査には出られない実力なんだろうなとも思う。
聞きなじみのあるワードを羅列した発声練習。
片耳で聞き流しながらコーヒーを飲み干す。
「………冷めちまったな。」
コートの中でマナーモードにしているスマホが震える。
発信元は、事務所の固定電話からだ。
今日の勤務時間はとっくに終わって…なんなら二時間ほど残業した後なんだが…
「…………もしもし、お疲れ様です。」
明日の自分の仕事を増やしたくないという思いで画面をスワイプした。
「あー、只野さん、お疲れ様です!事務員さんにさっき出て行ったって聞いたから、もしかしたらまだ会社の近くにいらっしゃるかと思って…!」
電話の主は同じマネージャー事業部の部下だった。
そうです、まだ会社の近くにいらっしゃいます、でも勤務時間外なんです…って言えたらいいのになぁ…
「おー、残業お疲れ。何かあった?」
「明日の『一等星クラス』のレッスンの件なんですけど…」
『一等星クラス』とはうちの事務所の養成所を区分するクラスの一つだ。
上から『一等星』『二等星』『三等星』の三区分。
文字通り恒星の輝きの強さをクラスに当てはめてて『一等星』は実力的に養成所最上位だ。
…何かあったっけ?
審査日ではなかったはずだけど………
「…ごめん、それなんだっけ。」
「あー、ミーティングずいぶん前でしたからね…『マネージャー視察の日』です。」
「うわぁ…あったな、そんな話。」
うちの事務所では審査とは別にマネージャーが各クラスの養成所生のレッスンの様子を視察する日が年に数回不定期で設けられる。
この日の内容は直接審査ではないが、見所のある生徒であればその時点でマネージャーは名前を覚える。
それはつまり、クラス進級審査と同時に行われる所属選考審査の一次を通過したも同然だ。
「今回の視察担当は奥山君だったよな?」
「そうだったんですけど、奥山今日早退してて…」
「まじか…!ごめん気づけなかった!」
「いやいや!部長には伝わってるんで大丈夫かと。只野さん今日ずっと会議室に缶詰でしたもんね…」
となると、別のマネージャーを当てないとか…
部長には事後報告で、取り急ぎ対応案件だ…
「…スケジュール的には誰が空いてる?緊急だし、俺が出ても良いけど……」
「すみません…ぶっちゃけその言葉を待ってたみたいな所あります……」
「…だよねぇ。」
「その…マネ視(マネージャー視察)の日ってうちの所属タレントの特別授業とセットじゃないっすか?」
「去年からね。あれ意外と工数多いんだよな…」
「今回奥山めっちゃ頑張ってて、俺もびっくりしたんすけど『桐野』さんのスケジュール押さえるの成功してるみたいなんすよ…!」
「明日香の…?よくOK取れたな…」
桐野明日香。
うちの事務所の大看板。
今の養成所生の八割は彼女に憧れて、残りの二割も彼女がうちにもたらしたアニメ仕事の最大手という実績に惹かれてきている生徒達ばかりだ。
……あー、うん。
言いたいことはなんとなく分かってきた。
「…明日香が来るから、進行担当ならともかく、急遽引き継いだマネージャーじゃ重たいって事ね…?」
「その通りです…」
明日香はうちにとって売り上げとしても知名度としても丁重に扱わなければならないタレントだ。
対応するマネージャーも相応の立場の人間が求められてもおかしくない。
すぐに動ける、一応役職、それに…
「只野さんが来てくれれば桐野さんもきっと喜んで貰えますよ。先週も部長が話してましたから……」
「あー、うん、話してたな。」
「部長、只野さんの武勇伝を自分の事かのように話しますからね。」
「武勇伝…って程でもないんだけどな。」
通話をしながらしれっと明日の帰りに行こうと思っていた映画の予約を取り消しておく。
「…まあとりあえず事情は了解。今まだ事務所?」
「はい!」
「分かった。今から戻るから、事務所側の鍵だけ開けといてくれ。」
「え?まだスタジオ入り口空いてますよ?」
「今いるのは一等星クラスだけだろ。全員俺の顔知ってる生徒。余計な緊張感と高揚感を与えたくないんだよ。」
「なるほど…?」
「…差し入れ、何が良い?」
「え!?エナドリが良いです!!」
「分かった。」
事務所の近くのコンビニならあるだろう。
一回事務所通り過ぎるけど、部下をねぎらうのも仕事だ。ついでにタバコ買おう。
発声練習のフレーズが早口言葉に切り替わるのを背に少し早足で事務所へ向かった。




