帰郷(ホラー、ショート)
十年以上前に描いた作品です。
自分の体験を元に、ホラーに変えてみました。
やっと昼ごろにベッドから起きだし、携帯電話を見ると早朝にメールが届いていた。
それを開いてみると、父の死亡を告げている文面。
私はあわてて田舎の母に電話をして、詳細を確認した。
それによると、父は未明に脳溢血で死亡したという。
私は急いで荷物をまとめ、翌朝、アパートを出た。
実家まで飛行機で行くことができるが、それは運賃が高いので電車で行った。今は無職の状態なので、会社に連絡したり仕事の調整をしたりという必要はない。
帰郷するのは気が重かった。父の死体など見たくはない。しかし、二男としては葬式に出席しないわけにはいかないだろう。
私は父が嫌いだった。
母に暴力を振るうし、頑固で人の言うことを聞かなかったからだ。たまに帰省しても父と話すことはなかったのだ。
*
実家に帰ったのは久しぶりだった。
40歳を越えてから私が帰省したのは初めてのこと。
家には母や兄、それに親戚のおばさんがいた。
客間には上等な布団が敷かれていて、そこに父の死体が横たわっている。
私は人間の死体を見るのは初めてだった。
父は小柄だったが、建設関係で働いていたので体はがっしりとしていた。葬儀屋が整えたのか、顔は端正な面持ちで鼻に脱脂綿が詰まっていた。
ここに来るまでは、死体など気持ち悪くて見たくもなかったが、いざ現物を目前にすると、そんなに嫌悪感はなかった。母や兄に、死体を嫌がっている雰囲気はまったくない。
「早く、水あげをしなさい」
おばさんがせかすので、私は指導されながら、綿棒を大きくしたような物に、遺影写真の前に置いてある容器の水を浸して死体の口を濡らした。それは、この地方に伝わる慰霊の儀式。
おばさんは80歳近かったが、精力的に場を取り仕切っていた。どこにも仕切りたがる人間はいるようだ。
70歳をとうに越えている白髪頭の母は憔悴していた。じっと死体の前に座り、来客者に父の死亡した状況や生前の事を力のない声で話していた。
長身の兄は喪主として冠婚葬祭の業者と葬式の打ち合わせをしている。
夕方になり、線香をあげに来る人もいなくなったので、死体を棺桶に移すことになった。
「隆さん、手伝ってもらえる?」
太り気味の兄嫁に言われて、私は葬儀屋の社員と一緒に死体を持ち上げた。父の足首は太くてがっしりとしていた。死体に触るなど嫌だったが、断わることができる雰囲気ではなかったのだ。
私の人生で、死体を見るのも、それに触るのも今日が初めての経験だった。
*
実家の部屋は少ないので、私と母は死体が横たわっている部屋で一緒に寝ることになった。今日は死体三昧だ。
怖かったので私はテーブルを立てて棺桶が見えないように仕切りを作った。
何が怖いんだよ、と言って母は構わずに死体の側に布団を敷いている。
寝る前に私は窓を少し開けておいた。部屋を密閉したくなかったのだ。
真夜中前に蛍光灯を消して、私たちは寝ることにした。
ボンヤリと薄暗い部屋。
天井の木目を見ると、懐かしいと感じる。以前は何度も帰郷して、この部屋に泊まっていたのだ。
しかし、兄が結婚して子供ができると私の居場所はなくなったような気がした。田舎の家族からは疎外され、自分が孤独になったような気分に陥る。それにより、自然と足は遠のいた。
しばらくすると恐怖も収まってきて、葬儀の疲れが出てきた。私は眠っているのか起きているか分からないような、ボンヤリとした思考で布団に横になっていた。
部屋は静かで、向こうから母の寝息が小さく聞こえてくるだけ。
その時、つい立にしたテーブルの向こうでゴトンと音がした。
母かな、と思ったが、それにしては様子がおかしい。私の脳裏には棺桶のふたが開いたイメージが湧きあがった。
木材がきしむような音がした。棺から何か出てくるのか。
衣擦れの音がして、ひたっひたっと足音がゆっくりと私に近づいてきた。意味もなく恐怖を感じ、私は壁に向かって寝がえりを打った。
母だ、母に違いない。私の様子を見るために母がやってきたのだ。私はそう思いこもうと必死になった。
足音は私のすぐ近くで止まった。
「隆……、来てくれてありがとうな……」
つい立のすぐ近くから聞き覚えのある人間の声がした。
私は身じろぎもせず、寝たふりをしていた。鼓動が激しくなり全身からは嫌な汗が噴き出した。逃げ出したい衝動にかられたが、金縛りになったかのように動くことができない。
「隆や……、今日はありがとうな……」
声がさらに近づいてきた。
ぐっと目を閉じているしかない。
これは夢なのか、現実なのか。とにかく、どこかに行ってくれ。私は必死に念じた。
「何やってんだよ」
突然、母の声がした。
「成仏しなきゃ、だめだよ」
母は眠そうな声で言い、そこにいた誰かを向こうに連れて行ったようだ。
服を整えるような気配があり、その後で木のふたが閉まる音が聞こえた。
「……羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶、般若心経」
お経を唱える母の声が聞こえ、その後に棺桶の上に重しを置いた気配がした。
それから、しばらくたっても私の鼓動は収まらなかった。
今のは何だったのだ。とてつもなく気になるが、起きだして母に尋ねてみることは怖くて不可能だった。
母の寝息が聞こえてきた。
私は興奮しすぎたので、すぐに寝付くことはできなかった。頭が混乱して、あれこれ考えていたが、そのうちに窓の外が白んできた。朝が近いことを知って安心したのか、私はいつのまにか寝ていた。
翌朝、母に起こされた。
壁の時計は午前8時過ぎ。
着替えて居間に行くと、すでに家族は食卓に付いていて朝食を食べていた。
母は茶碗にご飯をよそって私の前に置く。
昨夜の事は夢だったのだろうか。母の様子に変なところはなかった。兄も普段通りだ。
あえて、私から昨晩の事を聞くことはしなかった。
食事を終えて客間に行き、棺桶から離れたところに座った。
私は昨夜の事を考えた。あれは夢か現実だったかは分からない。私にとって恐怖体験であった。だが……。
私は父が嫌いだった。
帰郷しなくなったのも、それが要因の一つだ。
しかし、父は息子として私を大事に想い、家族のつながりを大事にしていたのかもしれない。
実家との関係が薄くなったと感じたのは私の間違いだったのか……。兄や母、それに兄嫁や甥、彼らとのつながりは存在し、私は家族の一員だったのだ。今まで一人ですねていただけなのかもしれない。
棺桶に近寄って正座する。
「お父さん、今までありがとう」
私は遺体に向けて手を合わせた。




