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6話 約束のお化け

夜。


少しだけ冷える。


「……。」


自販機の前で立ち止まる。

小銭を入れる。

ガコン、と音がして、缶コーヒーが落ちる。

拾う。


「……甘いのにすればよかったかな。」


でもいいか。

なんとなく、そんな気分だった。

プルタブを開ける。

一口。


「……苦。」


顔をしかめる。


「……。」


風が吹く。

昨日より、少しだけ冷たい気がする。


「……なんだ。」


独り言。

返事はない。

あるわけもない。


もう一口、飲む。


「……めんどくさい。」


「ひどいですね。」


声。

振り向く。

スーツ姿の女の子が立っていた。


「……来たか。」


「来ました。」


少しだけ笑っている。

でも、どこかぎこちない。


「何度来ても同じだぞ?」


「……そうですかね?」


曖昧に笑う。

風が、少しだけ強くなる。


「……しつこいな、お前。」


「すみません。」


「思ってないだろ。」


「ちょっとは思ってます。」


「ちょっとかよ。」


少し、間。

自販機の明かりが、やけに白い。


「……先輩。」


「なんだよ。」


「やっぱり、戻ってきてほしいです。」


「断る。」


即答。


「即答ですか。」


「即答だ。」


「理由くらい——」


「働きたくない。」


遮る。


「……それ、本気で言ってます?」


「本気だよ。」


「……嘘です。」


ため息。


「誰だって働きたくはないだろ。」


「だって。」


一歩、近づく。


「先輩、逃げてるじゃないですか。」


「逃げてない。」


「逃げてます。」


「逃げてないって。」


「逃げてます。」


めんどくさい。

ほんとに。


「……お前さ。」


缶を軽く振る。

中で、少し音がする。


「なんでそこまで言うんだよ。」


「……。」

彼女は少しだけ目を伏せる。


「……先輩が、優しいからです。」


「は?」


意味がわからない。


「優しいから、全部一人で抱えて。」


「……。」


「何も言わないで、勝手にいなくなるから。」


「違う。」


短く返す。


「違わないです。」


「違う。」


少しだけ声が低くなる。

沈黙。

風だけが通る。


「……俺は。」


ゆっくり言う。


「勝手に辞めただけだ。」


「……。」


「お前のせいじゃない。」


「……でも。」


「でももクソもない。」


言い切る。


「俺が決めた。」


「……。」


彼女の肩が、少しだけ震える。


「……ごめんなさい。」


ぽつり。


「なんで謝る。」


「だって——」


「謝る理由がない。」


「……。」


「……もう、分かってるだろ。」


少しだけ、目を細める。


「俺が辞めた理由。」


彼女は何も言わない。

ただ、少しだけ頷いた。


「なのに、そこ触るなよ。」


「……ずるいです。」


小さく笑う。


「全部分かってるのに、言わせないんですね。」


「言わせてない。」


「言わせてます。」


少しだけ間。


「……私のミス、でした。」


ぽつりと、こぼす。


「……。」


「先輩が庇って、怒られて。」


「……。」


「課長も、あの後すぐ現場外されて——」


「……いい。」


遮る。


「その話は、もういい。」


「……。」


「俺がやりたくてやった。」


静かに言う。


「それだけだ。」


「……。」


「お前がどうこうじゃない。」


「……。」


「勝手に決めて、勝手に辞めた。」


「……。」


「それで終わりだ。」


沈黙。

長い沈黙。

やがて、彼女は小さく息を吐いた。


「……ほんと、ずるいです。」

「なんでだよ。」


「それ言われたら、何も言えないじゃないですか。」


「言うなよ、じゃあ。」


「言いたかったんです。」


「そうか。」


少しだけ、間。

風が、やさしく吹く。


「……でも。」


彼女が言う。


「ちょっと、楽になりました。」


「そうか。」


「はい。」


少しだけ笑う。

その輪郭が、少しずつ揺れる。


「……先輩。」


「なんだよ。」


「ありがとうございました。」


「だから、何にだよ。」


「全部です。」


「……。」


言葉は返さない。

そのまま、缶を傾ける。


「……もう来るなよ。」


「ひどい。」


「めんどくさいからな。」


「ほんとにひどいです。」


でも、笑っている。


「……それくらいが、先輩っぽいです。」


「そうか。」


「はい。」


風が吹く。

その体が、少しだけ薄くなる。


「あーあ。」


小さく呟く。


「やっとか。」


「待ってたんですか?」


「まあな。」


「……気づいてました?」


「最初から。」


「……やっぱり、ひどい。」


少しだけ笑う。


「なんでですか?」


「なんとなく。」


「適当ですね。」


「そうだよ。」


彼女は、ふっと笑った。


「……じゃあ。」


「おう。」


「ちゃんとご飯、食べてくださいね。」


「善処する。」


「ラーメンばっかりじゃだめですよ。」


「オカンかよ。」


「約束ですよ。」


「覚えてたらな。」


「忘れないでください。」


「忘れるまでは忘れないよ。」


「もう。」


少しだけ、困ったように笑って——


「……さようなら、先輩。」


「……おう。」


風が吹く。

その瞬間、

彼女の姿は、消えた。


「……。」


しばらく、そのまま立っている。

缶はもう空だった。


「……行ったか。」


ぽつりと呟く。


「うん。」


少し遅れて、声がした。

振り向く。

そこに、ユウトがいる。


「……いたのか。」


「いたよ。」


「最初から?」


「さあね。」


肩をすくめる。


「……見てたのか。」


「まあ、だいたい。」


「趣味悪いな。」


「そういう役回りだし。」


「何がだよ。」


「さあね。」


少しだけ、間。


「……おじさん、優しいよね。」


「違う。」


即答。


「めんどくさいだけだ。」


「はいはい。」


ゴミ箱に空き缶を入れる。

カコン、と軽い音。

少しだけ、空を見る。


「……あの人も、大変だったな。」


ぽつりと。


「課長?」


「さあな。」


歩き出す。


「……ラーメンでも食いに行くかな。」


「約束は?」


「忘れた。」


夜道。

さっきより、少しだけ軽い。

煙草に火をつける。

煙が、ゆっくりと上にのぼる。


夜空の綺麗さも、今日は気にならなかった。

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